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第3章|放課後の空を走り抜けて

    それからルナは、学校が終わるのを待つようになった。
    理由は歌うため。たぶん、それだけではなかった。
    教室の窓の外に夕方の色が差し始めると、心はもう渋谷へ向かっている。
    その先に、トウマたちがいる。


    それから私は、
    学校の時計をよく見るようになった。

    午前中はまだいい。
    授業が始まったばかりだから、
    放課後のことを考えるには少し遠すぎる。

    でも五時間目あたりから、
    時間の進み方が急に遅くなる。

    黒板の文字。
    先生の声。
    ノートの端に書きかけた歌詞。
    窓の向こうで傾いていく日差し。

    全部が少しずつ薄くなって、
    頭の中には渋谷の路地ばかり浮かんでいた。

    今日も誰かいるだろうか。
    トウマは来るだろうか。
    ユイナは遅いかな。
    ユウは試験前じゃないから来るかもしれない。

    そこまで考えてから、
    私は慌ててシャーペンを握り直す。

    授業中に何を考えているんだろう。
    そう思うのに、
    気づけばまた時計を見ていた。

    「ルナ」

    隣の席の子が小声で呼ぶ。

    「次、当てられるよ」

    「え?」

    顔を上げると、
    先生がちょうどこちらを見ていた。

    「では、この部分を読んでください」

    慌てて教科書を開く。
    どこを読めばいいのか分からず一瞬固まると、
    隣の子が指先で行を教えてくれた。

    私はそこから読み始める。
    声はちゃんと出ていたと思う。
    でも意味は一つも頭に入ってこなかった。

    教室では、
    時間は私を置いていくみたいにゆっくり流れる。

    渋谷では、
    何もしなくても夕方がすぐ夜になるのに。


    終礼が終わると、
    私はほとんど反射で鞄を掴んだ。

    「また急いでる」

    後ろの席から声が飛ぶ。

    「練習」

    「最近毎日じゃない?」

    「最近毎日だから」

    自分で言って、
    少しおかしくなる。

    別に嘘ではない。
    ギターは持っている。
    歌うつもりでいる。
    だから練習。

    ただ、
    胸の奥で跳ねているものまで説明する必要はない。

    私は廊下を早足で抜け、
    階段を駆け下りた。
    校門を出るころには、
    もう足が自然と小走りになっている。

    空はまだ明るかった。

    春の終わりに近づいた夕方の空は、
    青の中に少しだけ金色が混じっている。
    ぬるい風が、
    セーラー服の袖口をそっと揺らした。

    駅までの道を、
    私はギターケースを揺らしながら走る。

    何に追われているわけでもない。
    遅刻する約束だってない。

    でも、
    早く行きたかった。

    一分でも早く。


    電車の窓に映る自分の顔は、
    学校にいるときより少しだけ生き生きして見えた。

    それが恥ずかしくて、
    私は視線を外す。

    窓の外を流れていく街。
    ビル。
    踏切。
    夕方のホーム。

    イヤホンから流れている曲は、
    ほとんど聞いていなかった。

    頭の中では、
    昨日ユウに言われたコードのことを考えていた。

    最後が終わりすぎる。
    帰宅部みたいな顔をしてる。

    意味はよく分からなかったけれど、
    言いたいことは何となく分かった。
    あの曲はまだ、
    すとんと終わるには早い気がする。

    続きを探すみたいに、
    膝の上で指が動く。

    そのうち、
    トウマがそこに合わせて足を鳴らす姿を想像していた。

    想像した瞬間、
    なぜか少しだけ胸がくすぐったくなる。

    私はごまかすように、
    ギターケースの持ち手を握り直した。


    改札を抜けると、
    渋谷の空気が一気に身体へ入ってくる。

    人が多い。
    音が多い。
    店の光も、
    誰かの話し声も、
    車のクラクションも、
    全部が同時に押し寄せてくる。

    最初に一人で来た日は、
    この街の音に呑まれそうだった。

    でも今は、
    その騒がしさの向こうに
    行く場所がある。

    それだけで、
    街は少し違って見えた。

    私は足を速める。

    センター街を抜けて、
    少し外れた路地へ。
    コンビニの看板が見える角を曲がる。

    そこに、
    トウマがいた。

    段差に腰かけて、
    膝に肘を乗せ、
    片手でスマホをいじっている。

    近づくより先に、
    彼が顔を上げた。

    「お、早い」

    その声を聞いた瞬間、
    走ってきた疲れが急に軽くなる。

    「学校終わってすぐ来たから」

    「そんな急がなくても逃げないよ」

    「逃げるかもしれないじゃん」

    口から出てから、
    少し変なことを言った気がした。

    トウマは一瞬きょとんとして、
    それから笑った。

    「じゃあ待ってて正解だったな」

    私はそれに何か返そうとして、
    できなかった。

    喉のあたりが、
    不意に詰まる。

    「何?」

    「……別に」

    「息切れてる?」

    「走ったから」

    「ほんとに急いでるじゃん」

    笑いながら、
    トウマが隣の空いた場所を軽く叩く。

    私はそこへ座った。

    段差は石なのに、
    不思議と冷たく感じなかった。


    「今日は一番乗り?」

    私が聞くと、
    トウマは首を振った。

    「俺が一番。
     ルナが二番」

    「そういう言い方する?」

    「する。
     ユイナは今日ちょっと遅れるって。
     ユウは知らない」

    「連絡取ってるの?」

    「ユイナとはたまに。
     あいつ返事早いから楽」

    「へえ」

    何でもない会話だった。

    でも、
    知らないところで連絡を取り合っているのが、
    ほんの少しだけ不思議だった。

    ついこの間まで知らなかった人たちが、
    もう近いところにいる。

    嬉しいような、
    置いていかれるような。

    自分でもよく分からない気持ちになって、
    私はギターケースの留め具を開けた。

    「歌う?」

    トウマが聞く。

    「うん」

    「じゃあ聴く」

    いつものように、
    彼は当たり前の顔で言った。

    その当たり前が、
    少しずつ私の中に根を下ろしていく。

    私はギターを取り出し、
    昨日の続きのコードを鳴らした。

    「最後、変えてみた」

    「ユウのやつ?」

    「うん」

    「俺にも分かる?」

    「分かんなくても聴いて」

    「手厳しい」

    トウマが笑う。

    私は弾き始めた。

    一音目は、
    少しだけ緊張した。

    でも歌い出してしまえば、
    もう大丈夫だった。

    目の前にはトウマがいる。
    ちゃんと聴いている。
    それだけで、
    自分の声が昨日より遠くまで飛ぶ気がする。

    サビ前で少し落として、
    ユウに言われた通り、
    最後のコードを少しだけ変える。

    弾き終わると、
    トウマは真面目な顔で少し考えた。

    「……昨日より好きかも」

    「本当?」

    「うん。
     終わるけど、まだ残る感じ」

    「それ、ユウに言ったら喜ぶかな」

    「たぶん顔には出ない」

    「分かる」

    二人で笑った。

    その瞬間、
    私は急に、
    学校でずっとこの時間を待っていた理由が
    分かったような気がした。

    ここに来れば、
    歌ったものを誰かが受け取ってくれる。

    トウマが笑う。
    ユイナが手を叩く。
    ユウが少しだけ考えて言葉を返す。

    それが嬉しかった。

    だから私は、
    学校が終わるたびに、ここへ急いでいた。

    そのはずだった。


    「お待たせー!」

    路地の向こうから、
    ユイナの声が響いた。

    片手に紙袋を提げ、
    いつもより足取りが軽い。

    「何買ったの?」

    トウマが聞く。

    「シュークリーム。
     駅前で安かった」

    「いいね」

    「一人一個。
     ユウ来なくてもトウマ二個目は禁止」

    「なんで俺だけ」

    「食べる顔してるから」

    「顔で決めつけるな」

    ユイナは笑いながら、
    私の隣に座った。

    「ルナ、今日早かったね」

    「学校終わってすぐ来た」

    「へえ」

    ユイナがこちらを見る。

    その「へえ」が、
    少しだけ長かった。

    「何?」

    「別に」

    「何か言いたそう」

    「言ってないじゃん」

    「顔が言ってる」

    「顔に字幕出るタイプだからね、私」

    そう言って、
    ユイナは紙袋からシュークリームを取り出した。

    それ以上は何も言わなかった。
    けれど私は、
    なぜか少しだけ見透かされた気がした。


    ユウが来たのは、
    シュークリームを食べ終えたころだった。

    「遅い」

    ユイナが言うと、
    ユウは平然と答える。

    「寄り道してた」

    「どこ?」

    「本屋」

    「何買ったの?」

    「参考書」

    「つまんない」

    「必要だから」

    そう言いながら、
    ユウは段差の端に座る。

    すぐに紙袋が目に入り、
    一瞬だけ視線が止まった。

    「……食べ物あった?」

    「遅いからない」

    ユイナが言う。

    「そう」

    ユウは特に残念そうな顔もせず、
    鞄を膝に置いた。

    その反応がおかしくて、
    私は思わず笑った。

    「残しとけばよかったね」

    「別にいい」

    「本当に?」

    「本当に」

    「でも今ちょっと見た」

    「見ただけ」

    「食べたかったんじゃん」

    トウマが言うと、
    ユウは少しだけ眉を寄せた。

    「……甘いのは嫌いじゃない」

    それを聞いたユイナが、
    なぜか勝ち誇ったように笑う。

    「覚えとこ」

    「覚えなくていい」

    「覚える」

    四人でいると、
    ユウの言葉は少なくても、
    沈黙になることはあまりなかった。

    誰かが何かを拾って、
    誰かが返す。
    そうして会話が続いていく。

    私はその輪の中で、
    ギターを抱えたまま笑っていた。


    その日、
    帰る直前にトウマが言った。

    「ルナ、明日も来る?」

    「来ると思う」

    「思う?」

    「たぶん」

    「じゃあ、たぶん待ってる」

    「何それ」

    「こっちも断言しない方がいいかなって」

    「真似しなくていい」

    トウマは楽しそうに笑った。

    ユイナが横から口を挟む。

    「はいはい。
     明日も会うなら素直にそう言いなよ」

    「誰に言ってるの?」

    私が聞くと、
    ユイナはシュークリームの箱を丸めながら言った。

    「両方」

    「両方?」

    「両方」

    それ以上は教えてくれなかった。

    トウマは「何それ」と笑っていて、
    私もつられて笑った。

    でも帰り道、
    電車の窓に映った自分の顔を見て、
    少しだけ困った。

    笑いすぎていたから。

    そんなに楽しかったのかと、
    自分で自分に聞きたくなるくらいに。

    家へ帰るまでの間、
    頭の中ではずっと、
    トウマの「たぶん待ってる」が残っていた。

    たぶん。
    それだけで十分だった。

    明日も、
    私は放課後の空を走り抜ける。


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    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

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