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第29章|父を超える音

    コンクール本番の直前、絢音は「父のようになりたいならバンドはやめなさい」と言われる。
    怒りを抱えたまま舞台に出た絢音は、課題曲の完璧な演奏の先で、自分の音として Ghosted の断片を鳴らす。
    勝ったのは技術だけではなく、ようやく父の影の外で鳴り始めた“絢音の音”だった。


    絢音が珍しく連絡を返さなかった日のことを、ルナはあとから長く覚えていた。

    既読がつかない。
    それだけで少し落ち着かないのは、たぶんもう、絢音がただのサポートではなくなっているからだ。

    その頃の絢音は、コンクールとバンドの間で、きれいに削られていた。
    練習に来れば普通の顔をする。音を出せばもっと普通に見える。
    でも、それは平気だからではなく、平気な顔で立つ技術を持っているだけだと、今のルナには分かる。

    絢音はすでに、主要な国際コンクールをいくつも獲っていた。
    史上最年少、天才、白石蒼の娘。
    肩書だけなら、もう十分すぎるほど揃っている。

    それでも、このグランプリだけは別だった。
    父と同じ審査員たちの前で、自分の音を問われる場所だった。
    ここで勝つことは、ただ賞を一つ増やすことではない。
    白石蒼の影の内側で勝つのか、その外側へ出て勝つのか。
    絢音自身が、たぶん一番それを分かっていた。

    コンクール当日、絢音はホールの舞台袖にいた。

    黒いドレス。
    細い指。
    背筋は伸びている。
    完璧に見える。
    完璧に見えるのに、内側では少しだけ何かが軋んでいた。

    「白石さん」

    呼ばれて振り向く。
    運営委員長だった。コンクールの顔みたいな老人で、クラシック界の中では、たぶん天気予報より先に逆らえない人種だ。

    「はい」
    絢音は笑わない。

    委員長は絢音の顔を見て、そのあと新聞の文化欄でも見るみたいな目をした。

    「最近、妙な噂を聞く」
    「噂」
    「ロックバンドをやっているそうだね」

    問いではなかった。
    確認でもない。
    すでに知っている人間の、軽蔑だけが少し混じった言い方だった。

    絢音は一拍だけ黙った。

    「やっています」
    とだけ答える。

    委員長は小さく息をつく。

    「君のお父様がどれだけの場所まで行ったか、分かっているだろう」
    「分かっています」
    「なら、なおさらだ。寄り道をしている場合じゃない」
    その声は静かだった。
    静かな分だけ、嫌に届く。
    「白石蒼のようになりたいなら、バンドはやめなさい」

    絢音は、その瞬間だけ本当に怒った。

    顔には出さない。
    でも、怒りははっきりあった。
    父の名前を出されることには慣れている。娘だと言われることも、比べられることも。
    でも、音楽をやる順番まで決められる筋合いはない。

    「失礼します」
    絢音はそれだけ言って、頭を下げた。

    丁寧な動作だった。
    だから余計に、怒っているのが分かった。

    舞台袖で名前を呼ばれる。

    絢音はピアノの前まで歩いた。
    客席は暗い。
    審査員席だけが、妙に近く見える。
    譜面台の上には、用意された楽譜が乗っている。

    その時、不意に Ghosted の旋律が頭の中を横切った。

    雨みたいな旋律。
    消えそうなのに、消えないまま残る音。
    ルナの声が乗る前の、あの細い輪郭。

    絢音は椅子に座る。
    深く息を吸う。
    譜面を見て、それから静かに閉じた。

    客席が少しざわつく。

    最初の一音は、課題曲だった。

    完璧だった。
    少なくとも、そう聞こえた。
    音は粒立っていて、構造は美しく、テンポは揺れない。
    委員長も、審査員も、そこまでは安心していたと思う。

    絢音は弾きながら、ずっと腹の底が熱かった。

    父のように。
    父を超えるなら。
    バンドはやめなさい。

    ふざけるな、と思う。
    超える方法を、どうして先に決められなきゃいけないのだろう。

    終盤。
    課題曲のカデンツァへ入る。

    本来なら、技巧が最も露わになる場所だ。
    ここで弾けることを見せる。
    ここで勝負を決める。

    絢音は最初の数小節を、正確に、誰よりも美しく弾いた。
    その上で、ほんの少しだけ和声をずらした。

    審査員席が動く。

    さらに一音。
    もう一音。

    Ghosted の断片が混ざる。

    あからさまではない。
    知らない人には、ただ異様に切実なカデンツァに聞こえるかもしれない。
    でも、知っている人間には分かる。
    あれは課題曲の中に侵入した、別の音だ。

    絢音は止まらなかった。

    左手はクラシックの骨格を守る。
    右手は Ghosted の輪郭を引き寄せる。
    本来なら交わらないものが、技術で無理やりではなく、最初からそこにあるべき音みたいに並んでいく。

    会場が静まる。
    息をする音まで遠くなる。

    そして最後に、絢音は課題曲へ戻った。

    戻った、というより、もうどちらが主でどちらが従か分からないまま着地した。
    静かな終止。
    でも、会場にはまだ音が残っていた。

    一拍。
    二拍。
    誰もすぐには拍手できなかった。

    その遅れのあとで、客席が立った。

    スタンディングオベーションだった。

    審査員席は、明らかに割れていた。
    顔をしかめている人間もいる。
    呆然としている人間もいる。
    でも、それでも、優勝は絢音だった。

    理由は簡単だ。
    怒りで逸脱したのではない。
    逸脱したうえで、なお圧倒的にうまかった。
    技術も、解釈も、音の支配力も、全部ひっくり返せないところにいた。

    前代未聞、とその夜にはもう記事が出ていた。

    最年少優勝。
    異例の解釈。
    巨匠の娘、父の影を越える反逆。
    そういう見出しが景気よく並ぶ。

    SNSではもっと雑だった。

    楽譜閉じたぞ
    なんで失格じゃないの
    でもやばかった
    あれ何の旋律?
    バンドの曲混ぜてたってマジ?

    その流れの中で、Ghosted の名前まで一緒に飛び始めた。

    ユイナから最初に来たメッセージは短かった。

    なにやってんの絢音ちゃん最高
    そのあとに、
    いや待ってほんとにやったの?
    と続いて、最後に
    だめ、想像したら笑い止まらん
    が来た。

    ルナはスマホを見て、少しだけ笑った。
    少しだけ、で止まったのは、笑うより先に別の感情が来たからだ。

    絢音は、ついに自分の音を選んだのだと思う。

    父のようになる音じゃない。
    クラシックの正しさだけでできた音でもない。
    バンドをやってしまった絢音にしか鳴らせない音。

    その代わり、たぶんもう後戻りはできない。

    夜遅く、ようやく絢音から返信が来た。

    勝った
    それだけだった。

    ルナは少し迷ってから返す。

    おめでとう
    少し考えて、もう一行足す。

    やっと絢音の音だったね

    既読は、すぐについた。
    返信はしばらく来なかった。

    その沈黙が、たぶん今日いちばん本当だった。


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    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

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