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第11章|足りない色

    ツアー前のスタジオで、絢音は譜面とデモ音源を三曲ぶん持ってきた。
    どれも五人になった今のSlowRushにぴたりとはまる、鮮やかで実戦的な曲だった。
    その完成度の高さはバンドを前へ進める一方で、書けないルナには救いと痛みを同時に突きつける。


    ツアー前のスタジオは、少しだけ空気が乾いている。

    やることが多い時の空気だ、とルナは思う。
    セットリスト、曲順、曲間、移動、機材。
    五人になってから、バンドは前よりずっと速く考えるようになった。

    壁際のホワイトボードには、候補の曲順がいくつも並んでいた。
    消して、足して、また消す。
    ユウはその前で腕を組み、ユイナはドラムの椅子を前後にずらしながら何か言いたそうにしている。カイはアンプのつまみを触っていて、絢音だけがまだ鍵盤の前に座っていなかった。

    代わりに、厚めのクリアファイルと、小さなオーディオプレイヤーを持っていた。

    「なにそれ」
    とユイナが聞く。

    絢音は一拍だけ間を置いて、
    「曲」
    と言った。

    その一言で、スタジオの空気が変わる。

    「曲?」
    とルナが聞き返す。

    「うん」
    絢音は頷く。
    「ライブで暴れられる曲があった方がいいと思って。譜面と、ラフだけどデモも作ってきた」

    さらっと言うには、少し重い。

    ユウがすぐに反応した。
    「何曲?」
    「三曲」
    「三曲?」
    今度はユイナが声を上げる。
    「そういうの、もっと大げさに言っていいでしょ」

    絢音はファイルを開く。

    「Blazing Horizon」
    一枚目を置く。
    「Neon Pulse」
    二枚目。
    「Voltage Riot」
    三枚目。

    名前だけで、もう少し景色が見える。
    それが悔しい、とルナは思う。

    「待って」
    とユイナが笑う。
    「タイトルの時点でカッコ良い」
    「中身もちゃんとカッコいいよ」
    と絢音は真顔で言った。とりあえず聞く?

    最初に再生したのは、Blazing Horizonだった。

    ドストレートなロックだった。
    速くはない。けれど、遅いわけでもない。真ん中の速度で、真正面からかっこいい。変にひねらないくせに、雑にはならない。ギターが前へ出て、ドラムが押して、ベースが地面を作る。その上をルナの声がまっすぐ抜ける。

    「うわ」
    とユイナが言う。
    「これ、普通にカッコ良い」

    カイは短くリフを繰り返してから、
    「ライブで映えるやつだ」
    と言った。

    絢音は頷くだけだった。
    説明しなくても分かるだろう、という顔だった。

    二曲目のNeon Pulseで、空気はまた変わった。

    譜面を見て、ユイナが目を丸くする。
    「え、ここ何」
    「ラップ」
    と絢音は平然と答える。

    ルナは顔を上げた。

    「ラップ?」
    「うん。超高速」
    「さらっと言うなあ」
    ユイナが笑う。
    「ルナ、できそう?」

    「ラップなんてやったことないけど」
    ルナは譜面を見る。
    言いながら、少しだけ笑った。
    「でも、やってみたいかも」

    新しいことだった。
    怖さはある。けれど、少しだけ胸が鳴る。そういう種類の怖さだった。

    デモが流れる。今度は近未来だった。
    シンセサイザーが曲の芯にある。冷たい光みたいなラップが先に走る。なのに、鍵盤だけが浮いていない。ギターもベースもドラムも、ちゃんと息をしている。

    「これ、好き」
    とカイが言う。
    「シンセ立ってるのに、ちゃんとギターの場所ある」
    「そこは意識した」
    と絢音は言った。

    最後に鳴らしたVoltage Riotは、さらに分かりやすかった。

    激しい。
    頭を振って、暴れて、汗でぐちゃぐちゃになって、それでも笑っていられる曲。
    でも、ただ激しいだけではない。振り切っているくせに、ちゃんとSlowRushの中に収まる。今の五人に足りない熱を、正確に埋めるように出来ている。

    「これ、絶対ライブでやばい」
    とユイナが言う。
    「褒めてる?」
    とルナが聞く。
    「かなり」
    とユイナが笑う。
    「客席ぐちゃぐちゃになる」

    「狙い通り」
    と絢音が言う。

    三曲とも、明らかに今のSlowRushに足りなかった色だった。

    Blazing Horizonの真っ直ぐな強さ。
    Neon Pulseの新しさ。
    Voltage Riotの暴力的な熱。
    どれも方向は違うのに、ちゃんと一つのバンドに収まっている。

    絢音の才能は、こういう時に静かに滲み出る。
    分かりやすく天才ぶるわけじゃない。ただ必要な場所へ、必要な色を置いてしまう。その正確さが、むしろ怖い。

    ルナは、衝撃を受けていた。

    いい曲だと思う。
    本当に、どれもいい。
    今の五人で鳴らした時の景色まで見えている。ユイナがどこで煽るか、カイがどこで前に出るか、自分がどこで息を吸い、どこで言葉を叩きつけるか。最初からそこまで設計されている。

    それが眩しかった。

    同時に、少し苦しかった。

    自分は書けていない。
    その時に絢音は、三曲を持ってくる。しかも、今のSlowRushにぴったりな三曲を。

    「ルナ?」
    とユイナが言う。

    気づくと、みんながこっちを見ていた。

    「どう?」
    と聞かれて、ルナは少し遅れて笑う。

    「……すごくいい」
    それは本心だった。
    「全部、ちゃんとライブ見えてる」

    言いながら、ルナは少しだけ怖くなった。

    本当に見えてしまったからだ。
    この三曲を入れたセットリストも、客席の反応も、五人で鳴らす新しいSlowRushも。
    そしてそこに、自分の新しい曲がまだ一つもないことも。

    絢音は少しだけ視線を伏せた。
    嬉しそう、というより、少しだけ安心した顔だった。

    その安心は、たぶん絢音だけのものではなかった。

    ユウはもう曲順を考え始めている。
    ユイナは、どこで客席を煽るかまで見えている顔をしている。
    カイも、三曲のどこに自分のギターを置くかを探っている。

    三曲あれば、当面は走れる。
    ツアーは止まらない。
    新しい五人のSlowRushとして、ちゃんと前へ出られる。

    それは確かに救いだった。

    ルナにも、それは分かる。
    分かるからこそ、胸の奥が少しだけ冷えた。

    自分が書けなくても、バンドは止まらない。
    絢音が曲を持ってきて、カイが音を足して、ユウが組み立てて、ユイナが前へ押す。
    それでライブは成立してしまう。

    その事実が、ありがたいのに、少し怖い。

    自分がいなくてもいい、とは思わない。
    でも、自分が書けなくても進めるのだと知ってしまうことは、思っていたよりずっと痛かった。

    ルナはそのことに気を取られていた。
    だから、絢音が何を見ているのかまでは気づかなかった。

    絢音は、譜面の端を指で押さえたまま、ルナを見ていた。

    この三曲は必要だ。
    今のSlowRushに足りない色を足すためには、たぶんかなり正確な三曲だと思う。
    ライブを前へ進める力もある。
    客席を沸かせることもできる。

    でも、それだけでは足りない。

    Blazing Horizonも、Neon Pulseも、Voltage Riotも、推進剤にはなる。
    けれど、SlowRushの核にはならない。

    このバンドがどこから来て、何を失って、何を抱えたまま前へ行くのか。
    それを歌にできるのは、たぶんルナだけだ。

    ルナが書けるようにならなければ、このバンドは強くはなっても、深くはならない。
    音は増える。
    曲も増える。
    ライブも成立する。
    でも、それだけではSlowRushにはならない。

    絢音は、それを口には出さなかった。

    今言えば、たぶんルナを追い詰めるだけだ。
    書けない人間に「書け」と言っても、だいたい何も出ない。
    それくらいは、絢音にも分かる。

    弾けない時期があった。
    何を弾いても父の影に戻ってしまう時期があった。
    正しい音ばかり出せるのに、自分の音だけが見つからない時期があった。

    だから分かる。

    ルナは、空っぽになっているわけじゃない。
    むしろ逆だ。
    入りすぎている。
    五人の音も、客席の熱も、絢音の曲も、カイのギターも、全部を受け取ってしまって、まだ自分の言葉に戻せていないだけだ。

    時間はかかる。
    たぶん、少し厄介なくらいに。

    でも、戻ってくる。

    戻ってきた時、この三曲はきっと意味を持つ。
    ルナがもう一度、自分の言葉で歌を書けるようになるまで、バンドを止めないための足場になる。

    だから、今はこれでいい。
    絢音はそう思って、譜面を閉じた。

    「Blazing Horizonは前半だな」
    とユウが言う。
    「Neon Pulseを後半へ回して、Voltage Riotは一気に持っていくと強い」
    「全部入れる気?」
    とカイが笑う。
    「入れたい」
    とユイナは即答した。

    話はもう前へ進んでいる。
    三曲がセットに入った未来を前提に、みんなが自然に考え始めている。

    それが正しいことも、ルナには分かる。

    助かっている。
    絢音の曲に、バンドは確かに救われている。
    それも本当だ。

    けれど同時に、ルナは初めてはっきり思った。

    足りないのは、曲数だけじゃない。

    このバンドがどこから来て、何を抱えて、どこへ行くのか。
    その物語を歌にできるのは、たぶん自分なのだ。

    そう思った瞬間、苦しさの形が少しだけ変わった。
    置いていかれる痛みではなく、まだ自分が書かなければいけないものが残っている痛みだった。

    「もう一回、Neon Pulseやる?」
    とユイナが言う。

    返事を待たずにスティックを鳴らす。
    ユウがベースを持ち直し、カイがアンプの音量を少し上げる。絢音も当然みたいに鍵盤へ指を置く。

    ルナはマイクの前に立った。

    歌える。
    鳴らせる。
    今はまだ、ちゃんとできる。

    でも、その先に続く言葉は、自分で探すしかない。

    カウントが鳴る。
    新しい曲が、また前へ走る。

    その速さの中で、ルナは初めて少しだけ、自分の役割を見直し始めていた。


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    総目次|SlowRush

     
     
    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

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