
第11章 | 青のあとで、もう一度
一夜だけ、未来と過去が同じ音を鳴らした。
まだ名もない三人と、どこにもいないはずの少女。
花火の下で交わった旋律が、やがて時代を越えていく。
――2033年7月末/島・夏祭り
夜の風が潮の匂いを運んでくる。
軒下の提灯が揺れ、祭囃子が波のようにゆっくり近づいてくる。
空には小さな星がいくつも瞬き、島の夜はゆっくりと光をまとい始めていた。
「ルナ、準備できた?」
渚が声をかけてくる。肩に白いテレキャスターをかけた顔には、緊張と期待が同じくらい乗っていた。
「うん。あたしはこれでいくよ」
ルナはアコースティックギターを指で軽く撫でる。
――本物の“アオサギ”と、同じステージに立つ。
そんな奇跡がこの世界にあったなんて。
夢じゃないかと何度も思った。
けれど、リハーサルで彼らの曲を合わせたとき——
リアムとノエルが同時に目を丸くしたあの瞬間は、どうしても夢に思えなかった。
「なあ、今の……一回聴いただけで弾いたの?」
「え? うん、好きだから、前から……」
言いながら、しまったと内心で思う。
それでも、三人は驚くどころか、目を輝かせていた。
「すげぇな、それ才能か?」
リアムが素直に笑い、
ノエルが「いや、ちょっと異常だろ」と呟く。
違うんだよ。
未来のあたしは、あなたたちの音にどれだけ救われてきた事か。
だから、全部知ってる。
あなたたちが、どれほど遠くへ行けるバンドなのかも。
その未来が、今はまだ誰にも見えていないだけ。
⸻
ステージに立つと、思っていた以上に観客が多くて、胸が少し高鳴った。
地元の人も観光客も、ぎゅうぎゅうになってスマホを構えている。
渚がマイクに向かって言う。
「今夜だけの特別ユニット! 一緒に歌ってくれるのは──ルナ!」
拍手が弾ける。
ルナは一礼して渚と目を合わせた。
――初めて会ったのに、どうしてこんなに懐かしいんだろう。
テレキャスターとアコギ。
二つの音が重なった瞬間、会場の空気が震えた。
曲が終わるたびに歓声があがる。
渚もノエルもリアムも、ぎこちなかった最初の表情がどんどん解けていく。
そして、最後の曲。
「これは──私たちの今を切り取った曲です」
ルナがそう紹介すると、渚は柔らかく頷いた。
照明がゆっくり暗くなる。
アコースティックのアルペジオ。
渚のコード。
ルナの歌。
“Fly high, firefly summer
夜空に叫べ、夢の名前
We’re alive tonight, nothing can stop us
光を集めて、胸を焦がせ”
夜空にその歌が染み込んでいく。
空気が澄んで、観客の息づかいすら音になりそうだった。
──やっぱりアオサギは、こんなにも優しくて、こんなにも強い。
最後のフレーズを歌いきった瞬間、夜空が光で割れた。
花火が開き、歓声と拍手が混ざり合う。
渚が振り向き、笑った。
その笑顔にルナは返した。
「ありがと、渚。最高の夏だった」
花火が、もう一度夜空に咲いた。
⸻
──翌朝。東京。
通勤電車の音が遠くで流れていく。
湿った朝の空気にセミの声が混ざる。
照人は郵便受けを開けた。
なんの期待もしていなかったのに、そこに「それ」はあった。
差出人のない封筒。
中の一枚を見た瞬間、照人は小さく息をのむ。
──巨大なドーム。
満員の観客。
スポットライトに立つ三人の演奏者。
白いテレキャスター。長髪のドラマー。
そして、ベースの少年。
裏には手書きでこうあった。
「Aosagi 2038.11.15」
「……アオサギ?」
知らないはずの名前。
でも、どこか懐かしい。
胸の奥がざわつく。
まるで未来の記憶を見せられているみたいだった。
「誰かが、俺に託した……?」
照人は写真を胸ポケットにしまう。
封筒の消印を見て、場所を確認した。
──南風島。
その瞬間、行き先は決まった。
⸻
その頃、島にはもうルナの姿はなかった。
朝食の席で、渚がぽつりと呟く。
「ねえ、ルナって、どこに泊まってたの?」
「え? あの子、朝一の船で帰るって言ってたぞ」
渚は箸を止めて、少しだけ目を瞬かせた。
「……そうなんだ」
食後、渚が店のカウンターを片づけていると、
レジ横に一枚のメモが置いてあるのに気づいた。
二つ折りの紙に、少しだけ走り書きの文字。
『渚ごめん、あいさつもしないで帰ります。
会うと名残惜しくなるから、さよならは言いません。また、いつか。未来で。ルナ』
たったそれだけの言葉なのに、
なぜか胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
渚はその紙をそっと折りたたんで、ポケットにしまう。
理由はわからない。
でも——もう一度、きっとどこかで会える気がした。
その日から、渚はときどき不思議な夢を見る。
知らない街。
知らないステージ。
でも確かに、アオサギとして立っている未来の自分たち。
そして、その傍らには、
決してはっきり顔の見えない、ピンク色の影があった。
世界は、何事もなかったかのように、
それでも確かに——静かに、動きはじめていた。