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第16章|救われた人

    届いたかどうかなんて、本当はその場では分からない。
    拍手より静かなものの方が、
    ずっと後になって心臓に届くことがある。


    その夜、ルナは初めてそれを知った。

    広島のライブハウスは、少し古かった。

    壁のペンキはところどころ剥がれ、
    床は長年の汗と酒で少しだけ曇っている。
    照明も最新じゃない。
    音響だって、名古屋や大阪に比べれば荒い。

    でも、そういう場所の方が音はよく本性を出す。

    誤魔化せない。
    上手いだけじゃ抜けられない。
    曲そのものが前に出るか、出ないか。

    今日は客が少なかった。

    入っていないわけじゃない。
    けれど、名古屋や大阪の熱を知ってしまった後だと、どうしても少なく見える。

    「平日だしね」
    ユイナが言った。
    軽く言っているけれど、あれはたぶん自分に言い聞かせる時の声だ。

    ユウは入り口近くの客席をちらりと見て、
    「想定内」
    と言った。

    でもその“想定内”は、
    わりと便利な言葉でもある。

    ルナはステージ袖で、客席を見ていた。

    顔が見える。
    最前から後ろの壁まで、目が届く。

    こういう距離のライブは、
    隠れられないから少しだけ苦手だ。

    大きい会場では、熱が先に届く。
    小さい会場では、人そのものが届く。

    今のルナには、後者の方が少し痛い。

    照明が落ちる。

    歓声は大きくない。
    その代わり、拍手が妙に真っ直ぐだった。

    ユイナのスティックが鳴る。
    ユウのベースが入る。
    カイのギターが少しだけ鋭く、絢音の鍵盤がそこに薄い光を足す。

    ルナは歌い出した。

    音は、悪くない。
    むしろ良い。
    広い会場で鳴らすより、今日の方が輪郭はよく見える。

    Ghostedもやった。
    サビ前のあの浮く感じは、
    もう最初の頃よりずっと自然になっている。

    観客は、ちゃんと聴いていた。

    拳を上げる人もいる。
    目を閉じたまま動かない人もいる。
    口ずさんでいる人も、少しだけいた。

    届いている。

    なのに、ルナの胸の奥には、
    まだ例のざわつきが残っていた。

    歌いながら、自分だけが少し遅れている気がする。
    バンドは前に進んでいる。
    観客もその先へ引っ張られている。
    なのに、自分の中だけが取り残される。

    最終曲が終わる。

    拍手。

    大きくはない。
    でも、長かった。

    それが妙に印象に残った。

    終演後、会場の外は少しだけ冷えていた。
    物販がないSlowRushは、片付けを終えるとそのまま機材車へ戻ることが多い。

    でも今日は、なぜかルナだけ少し遅れた。

    ギターケースを肩にかけ、裏口へ向かおうとしたところで、
    「ルナさん」
    と声をかけられた。

    振り向く。

    若い女の子だった。
    高校生か、もう少し上か。
    細いコートを着ていて、手には少し使い込まれたスマホケース。

    「……写真、とかは無いんですけど」
    その子は、少しだけ笑って言った。
    「一言だけ、伝えたくて」

    ルナは立ち止まる。

    こういう時、何を言えばいいのか、いつも少し迷う。
    ありがとう、でいい。
    だいたいはそれで足りる。

    でも、その子の顔が少しだけ真剣すぎた。

    「Ghostedも好きなんですけど」
    彼女は言った。
    「今日、一番刺さったのはフリーダムの方でした」

    ルナは少しだけ目を上げる。

    今日のセットリストの中で、一番昔からある曲。
    三人の頃からずっとやっている、少し不格好で、でも真っ直ぐな曲。

    「あの曲」
    と彼女は言った。
    「一番辛かった時期に知ってずっと聴いてました」

    ルナは黙って聞く。

    こういう時、人は続きを急がない方がいい。
    ちゃんと相手の言葉が追いつくのを待った方がいい。

    「あの時、たまたま配信で見つけて」
    彼女は言う。
    「正直、もう全部どうでもよかったんですけど……なんか、あの曲だけは、まだ終わってない、この状況を自分で壊して行けって言われてる感じがして」

    うまく笑えないみたいに、彼女は少しだけ口元を歪めた。

    「だから、今日、生で聴けてよかったです」

    それだけ言って、彼女は頭を下げた。

    大げさな話じゃない。
    泣きもしない。
    特別な背景を語るわけでもない。

    でも、その言葉の静かさのせいで、
    ルナの胸の奥に、何かが落ちた。

    最新のアレンジでも、
    五人になって強くなった曲でも、
    絢音の持ってきた新曲でもない。

    三人の頃から、少しずつ一緒に歩いてきた曲。

    たぶん、完璧じゃない曲。

    それが、誰かを助けていた。

    「……ありがとう」
    ルナは言った。

    ありきたりな言葉しか出てこない。
    でも、それ以外が見つからなかった。

    「こっちこそです」

    彼女はそう言って、少しだけ笑った。
    その笑い方が、来た時よりちゃんと人間っぽく見えた。

    彼女が去ったあとも、ルナは少しだけその場に立っていた。

    裏口の照明は白くて、
    遠くで誰かが機材を運ぶ音がする。

    胸の中が、妙に静かだった。

    派手に救われたわけじゃない。
    答えが出たわけでもない。
    でも、少しだけ見えるものが変わった。

    音楽って、なんだろう。

    作るものだと思っていた。
    上手く鳴らすものだと思っていた。
    もっと強く、もっと遠くへ届かせるものだと思っていた。

    でも、もしかしたら。

    一緒に歩いた時間そのものが、
    あとから誰かの支えになるのかもしれない。

    だったら、
    自分が書けないことばかり見ているのは、少し違うのかもしれない。

    機材車のドアを開けると、
    ユイナが真っ先に顔を上げた。

    「遅かったね」
    「うん」

    「ナンパ?」
    カイが言う。

    「違う」
    ルナは笑った。

    久しぶりに、ちゃんと笑えた気がした。

    「何かあった?」
    絢音が聞く。

    ルナは少しだけ考える。

    言葉にしてしまうと、まだ少し軽くなりそうだった。

    「……ちょっとだけ」
    とだけ言って、シートに座る。

    ユウがエンジンをかける。

    車がゆっくり動き出す。

    窓の外の広島の灯りは、少し低くて、少しだけ優しかった。

    ルナはシートにもたれたまま、
    今日声をかけてくれた女の子の顔を思い出していた。

    ヒーローなんかじゃない。
    そんな大げさなものじゃない。

    でも。

    もし、自分たちの音が、
    誰かの「まだ終わってない」に触れられるなら。

    それは、曲が上手く書けるとか、
    完璧に作れるとか、
    そういうこととは少し違う場所にあるのかもしれない。

    車内ではユイナが何か話していて、
    カイが適当に返していて、
    絢音は窓の外を見ていて、
    ユウは前だけを見ている。

    そのいつもの感じが、今日は少しだけ愛おしかった。

    たぶん、
    答えはまだ出ていない。

    でも、問いの形が少しだけ変わった気がした。


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    総目次|SlowRush

     
     
    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

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