
第6章|次の予約
立っていたのはリアム先輩だった。音楽室にいると思っていた。
「いた」
私を見つけると、それだけ言った。
「何でここが分かったんですか」
「音楽室を出ていくのが見えたから」
リアム先輩は教室へ入り、私の前の席を引いた。座らず、椅子の背へ片手を置く。
「帰るの?」
「まだです」
「じゃあ、軽音やめるか考えてる?」
心臓が一度、大きく鳴った。図星だった。失敗した演奏を見ただけで、そこまで分かるものなのだろうか。
リアム先輩は、私が音を止めた時から、その先まで見ていたみたいだった。
私は俯いた。机の木目を見る。
「私だけ、最後まで弾けませんでした」
「うん」
否定しなかった。
誰でも失敗する。最初なんだから仕方ない。次は上手くいく。そういう言葉を言われると思っていた。
リアム先輩は何も言わなかった。沈黙が長くなる。私の方が耐えられなくなった。
「私がいなくても、四人は最後まで行きました」
「行ったね」
「だったら、キーボードはいらないんじゃないですか」
「それは違う」
今度はすぐに答えた。
「でも、曲は終わりました」
「汐音の音が消えたから、四人が空いたところを避けて通っただけ」
「避けて通れるなら同じです」
「同じじゃないよ」
声は穏やかだった。正しさで押し返す感じではなかった。
「芽衣、途中で何回も汐音を見てた。花音はベースを簡単にした。湊はコードを減らした。岳は全員が戻れるように拍を強くした」
私は覚えていた。見られたことだけを、責められたように感じていた。
「四人とも、汐音が戻る場所を残してた」
「戻れませんでした」
「うん」
また否定しない。
「何が聞こえてた?」
「全部です」
「じゃあ、何を聞いてなかった?」
意味が分からなかった。リアム先輩は机の端を、指で四回叩いた。
「間違えた自分の音は、ずっと聞いてたと思う」
私は何も言えなかった。
「その次の岳のスネアとか、花音が戻った低音とか、芽衣がサビへ入る呼吸は?」
聞こえていた。でも、聞いていなかった。
自分がどこで間違えたかを考えている間に、四人の今を全部過去にしていた。
「間違えたあと、ずっと自分の音だけを聞いてたんですね」
「たぶん」
「四人は先へ進んでたのに」
「うん」
戻れなかった理由が、少しだけ形になった。技術が足りなかっただけではない。間違えた一小節へ、自分だけ残り続けていた。
「辞めたい?」
聞かれた。
私は楽譜の角を指で押した。辞めれば、今日の失敗をもう見なくて済む。一人でピアノを弾けば、戻る場所は自分で決められる。
でも、岳が強くスネアを置いた時、花音はそこへ戻った。湊は一音捨てて次の頭へ入り、芽衣も歌を止めなかった。
四人が戻った瞬間を、私は外から見ていた。あの中へ戻れなかったことが苦しい。
入りたくないからではない。入りたかったからだ。
「辞めたくは、ないです」
声にすると、自分で少し驚いた。
リアム先輩は椅子から手を離した。
「じゃあ戻ろう」
「今から?」
「今じゃないと、いつ?」
初日に聞いた言葉だった。
「それ、便利ですね」
「便利だよ」
音楽室へ向かう廊下で、リアム先輩は私の少し前を歩いた。急がせず、振り返りもしない。
扉の前まで来ても、演奏は聞こえなかった。次のバンドの音はもう終わっていた。中では、椅子と機材を元へ戻す音がしている。
リアム先輩が扉を開けた。
誰も私たちを見なかった。
芽衣と花音と湊と岳は、練習枠のホワイトボードの前に集まっていた。
「月曜、空いてる」
花音が言った。
「十五分だけ」
岳が答える。
「二番からやる?」
芽衣が聞く。
「最初から。一回通してから、二番」
湊がペンを持った。
四人とも、失敗した顔をしていなかった。私が途中で弾けなくなったことを忘れているわけではない。それでも、今日を終わりにはしていなかった。
ライブが終わったばかりなのに、もう次にどう練習するかを話している。
湊が月曜日の空欄へ書き込む。
`Q-RAN`
これまで申込用紙にしかなかった名前が、初めて練習予定としてホワイトボードに残った。
芽衣が別の空欄を見つけた。
「水曜も取れる」
「岳、書いて」
「ペン、湊が持ってる」
「はい」
私が戻ったことに、まだ誰も気づいていなかった。リアム先輩はそのまま窓際へ向かった。
私は四人の後ろへ立った。花音が振り返る。
「あ、汐音。水曜も大丈夫?」
いつもの聞き方だった。どこへ行っていたのかも、どうして戻ったのかも聞かなかった。
「大丈夫」
答えると、岳が水曜日の枠にも名前を書いた。
`Q-RAN`
誰にも励まされなかった。誰にも迎え直されなかった。
私は、最初からそこにいたみたいに四人の隣へ戻った。
ホワイトボードには、今日の失敗より先の日付が二つ並んでいた。