メインコンテンツへスキップ
見出し画像

第6章|音と波と渚と

    島の朝に溶ける渚の息づかいは、
    未来の不安さえ忘れさせるほど澄んでいた。
    ただ、あの日差しの向こう側には──
    静かに迫る“運命の波”が、もう立ち上がりはじめていた。


    ――2033年7月28日/島の浜

    午前五時。
    空が、夜の色をゆっくり手放し始める時間。

    私はもう海に入っていた。

    ひんやりした水が足首から体の芯へ染み込んでいく。
    ボードに腹ばいになり、パドルを繰り返すと、
    まだ世界が起きていないような静けさが耳に満ちた。

    この瞬間だけは、
    すべての悩みが波に吸い込まれて消えていく。

    「おーい!」

    沖からノエルの声がして振り返る。

    相変わらず余裕のある顔で片手を挙げる姿に、
    なんだか笑えてしまう。

    「遅いよノエル!」

    「走ってきたんだよ。渚こそ元気すぎ」

    並んで波待ちする。
    太陽はまだ低く、海面だけがやけに明るい。

    私は、言うつもりもないのに口が勝手に動いていた。

    「ねえ、ノエル。明日だよ、結果」

    「……ああ」

    ノエルの横顔が、少しだけ硬くなる。

    「もし通ってたら、どうする?」

    「どうするって?」

    「ほんとに決勝ステージまで行ったら……どうなるんだろうね、私たち」

    ノエルは短く息を吐いてから答えた。

    「そんときゃ──やるしかないだろ。
    俺らで。アオサギで」

    海より深い声だった。
    ああ、私は本当にこのバンドが好きだと思った。

    岸へ戻ると、太陽は一気に昇り、島全体が夏色に包まれた。

    「じゃ、店頑張れよ」

    ボードを抱えるノエルの背中が少し眩しく見えた。


    海から戻ると、渚はそのままシャワーを浴び、Tシャツとデニムに着替えて
    居酒屋「しおはま」の準備を手伝った。

    厨房では父が魚を捌く音がしている。
    「渚ー、そっちは終わったかー?」
    「終わった!こっちは大丈夫!」

    いつもの掛け合い。
    家族経営のこの店の、こういう“音”が私は好きだった。

    私はこの店が好きだ。
    家族が好きだ。
    そして、この島が好きだ。

    ……でも、ステージに立つ自分の姿も、鮮明に夢に見る。

    その二つがどうしてもひとつにならなくて、
    胸の奥がきゅっとする。

    昼時を過ぎて落ち着いた頃、外のベンチで海風に当たっていると、
    リアムがアイスを二本持ってふらりと現れた。

    「はい、これ。溶けるぞ」

    無言で一本渡してきたが、どこか表情が固い。

    「どうしたの? 練習帰り?」

    「いや……なんとなく寄っただけ」

    リアムはそう言いながら、海のほうへ視線を向けた。
    まるで“何かの音”を探しているみたいに耳を澄ませている。

    「何か聞こえるの?」

    私が笑いながら訊くと、リアムは少しだけ眉を寄せた。

    「……いや、気のせいかも。
    朝から、島の“音”がちょっとずれてる気がしてさ」

    「音がずれるって……また難しいこと言ってる」

    冗談まじりに返すと、リアムは苦笑いした。

    「いいんだよ、分かんなくて。
    でも……お前の声、ちゃんといつも通りで安心した」

    アイスの棒を折りながら、ぽつりと続けた。

    「来てよかった。
    渚……今日は大丈夫そうだな」

    「え、大丈夫って何が?」

    「なんでもない。俺の聞き間違い。
    ほら、明日の結果……楽しみにしとけよ」

    リアムはそう言うと立ち上がり、
    港へ続く小道を軽い足取りで歩き出した。

    去っていく背中を見ながら、
    私は胸の奥に小さなひっかかりが残るのを感じていた。

    けれどその意味を、このときの私はまだ何も知らなかった。


    夕方、港はオレンジ色に染まり始めていた。

    私は堤防に腰掛けてアコギを抱え、
    さっきリアムと話した曲を、鼻歌まじりに弾いていた。

    海風が指先を通り抜ける。
    波が一定のリズムで寄せては返す。

    まるでこの島全体が、
    私が歌い出すのを静かに待っているみたいだった。

    そんなときだった。

    視界の端に、ひとりの青年が通り過ぎた。

    黒いTシャツ。
    少し疲れた顔。
    手にはスマホ。

    ただ歩いているだけなのに、
    どこか“目的を持っている人間”の歩き方だった。

    目が合ったわけじゃない。
    けれど胸の奥が一瞬だけざわりと揺れた。

    (……誰だろう、この人)

    気にしないふりで弾き続けたが、
    夕日の赤がいつもより濃く見えた。


    店に戻ると、
    その青年がカウンターに座っていた。

    渚に気づくと、
    一瞬、驚いたように目が揺れた。

    「あ……海鮮丼、お願いします」

    落ち着いた声だった。観光客というより、何かを探しに来たような目をしていた。渚は軽く会釈して厨房に声をかけた。

    「海鮮丼、ひとつー」

    厨房から「はいよー」と父の声が返る。

    戻る途中でさっきの一瞬の視線を思い出す。

    ──まっすぐで、切実で。
    ──まるで、自分を知っているみたいな。

    初対面のはずなのに、
    胸が少しだけ締めつけられた。

    青年は手元の紙の写真を見下ろしながら、小さく息を呑む。
    けれど青年は確信していた。

    この少女は──写真の中の“あの子”だ。


    次の話へ

    総目次|SlowRush


     
     
    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

    あなたへのおすすめ