
第6章|決意の歌
町じゅうが祭りの気配に染まる中、ルナのもとへ思いがけない依頼が届く。
迷いながらも、彼女はひとつの小さな決意を固めていく。
その歌声は、町の人々の心に静かに火を灯した。
その日、町じゅうが祭りの空気に包まれていた。商店街には提灯が揺れ、屋台の準備は最終段階に入っている。太鼓の音、マイクチェックの声、子どもたちの歓声。それらが夏の夕方の空気に溶けていった。
照人とルナは神社の境内を再び訪れていた。昼過ぎ、祭りの準備で忙しい人々の間から、昨日出会った中高生のひとりがふたりを見つけて駆け寄ってくる。
「ルナさん! 来てくれてよかった! 実行委員の人が話したいって!」
ルナが驚いたように首をかしげると、作業服姿の青年がまっすぐ歩み寄ってきた。三十代前半ほどで、額には汗。手には進行表らしき紙を持っている。
「渋谷で歌っていたルナさんですよね? 急にすみません。祭りの音楽ステージを担当している早瀬と申します」
ルナは少し警戒しつつも軽く会釈した。
「SNSで話題になっているのを地元の子たちから聞きまして。こんなすごい方が町に来ているのに誰も気づかないなんて……もったいないと思いまして」
横で照人がわずかに身構えたのが分かった。だが早瀬は真剣な表情のまま続けた。
「明日の夜、フィナーレ前に一枠だけ空いています。よければ、1曲だけでもステージに立っていただけませんか?」
ルナは返答に詰まり、そっと照人を見る。照人は言葉を挟まなかった。ただその目だけが「君が決めていい」と告げていた。
「……迷ってるんです。あまり目立ちたくないので」
早瀬は深く頷いた。
「気持ちは分かります。でも、この町にとって、あなたの歌がすごく意味のあるものになる気がするんです」
周囲の中高生たちが申し訳なさそうに、しかし期待を隠しきれない目でルナを見つめていた。
ルナはしばらく視線を落とし――ゆっくりとギターケースを開いた。
「……じゃあ、少しだけ。ここで歌ってもいいですか?」
「えっ、今? もちろんです!」
子どもたちが顔を見合わせ、「やった!」と声を上げた。
照人は少し離れた位置からカメラを構え、ファインダー越しにルナを見つめる。
木漏れ日の中、石畳の上に立つだけの即席ステージ。セッティングも何もない。それでも十分すぎる光景だった。
ルナは深く息を吸い、弦を爪弾いた。
夏の空気を震わせるような、軽やかでどこか切ないメロディ。言葉がはっきり聞き取れなくても、その歌には不思議と人の心を引き寄せる力があった。
気づけば、周囲の町の人々は手を止め、静かにルナを見つめていた。
照人は、この「誰も強制されない静かな共有」の空気が好きだった。
歌い終えたルナが顔を上げると、自然と拍手が湧き起こる。
「……ありがとうございます、ルナさん」
早瀬が深く頭を下げた。
「本番もぜひお願いします。無理には言いません。でも、本当に……あなたの歌は、この町に必要だと思います」
ルナはしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んで頷いた。
「……分かりました。明日、歌います」
宿に戻った照人は、カメラの写真をひとつずつ確認していた。
その中に、昼間のミニライブで撮った一枚があった。
ルナの背後に、小さな女の子が立っている。
──黒髪だが、どこかルナに似ていた。
「……まさか、ね」
照人はそれ以上考えるのをやめた。
ただ胸の奥に、微かなざわめきだけが残った。