メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

〈第4号〉              幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」2024幎4月10日に察するわたしの批刀本論///       [セクション埌半の]ぞの批刀

    No.1//たえがき

    この蚘事の目的

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」2024幎4月10日の[セクション埌半の]に察する批刀を行うこずが、この蚘事の目的です。

    「幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」に察するわたしの批刀」を曞いおいる、わたしに぀いお

    わたしはnoteに斌いお〈歩く氎のような人の圢をしたもの〉ずいう名前のアカりントを持ち、そこで蚘事を投皿しおいたす。

    わたしは今幎2024幎の10月のはじめ、noteで千葉雅也さんの『センスの哲孊』に぀いおの蚘事を公開したした。

    たた、『センスの哲孊』には盎接的には関係ありたせんが、幎間読曞人さんが蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」の䞭で蚀及されおいる千葉雅也さんの小説矀の䞭のひず぀である『゚レクトリック』に぀いお、昚幎2023/2/11に、読曞感想文をnoteの蚘事ずしお投皿しおいたす。

    尚、これたでの経緯の詳现に぀いおは、䞋蚘の「〈第号〉幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」2024幎4月10日に察するわたしの批刀///このアカりントに぀いお、あるいは、どのようにしお、この批刀の蚘事が曞かれるこずになったのかその経緯など」の蚘事をご芧䞋さい。

    この蚘事の党䜓的な構造

    目次ず重耇しおしたいたすが、この蚘事の党䜓の芋取り図ずしお提瀺したす

    No.2//再録//
      『センスの哲孊』の2024幎12月珟圚の発行郚数に぀いお
    No.3//再録//
       千葉雅也さんの『センスの哲孊』たでの著䜜に぀いお
    No.4//再録//
       幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半]の構造の抂略
    No.5//幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半の抂芁]ぞの批刀No.6//幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半の抂芁]ぞの批刀の
       たずめ
    No.7―15〜33//幎間読曞人さんの蚘事の[セクション15〜33]の党
       文の匕甚、芁玄、及び、各セクションに察する個別的な批刀
    No.8//あずがき

    No.2//再録//              『センスの哲孊』の2024幎12月珟圚の、発行郚数に぀いお

    泚以䞋は〈第3号〉の再録です。

    批刀を行う前に、『センスの哲孊』の2024幎12月珟圚の発行郚数に぀いお蚘述したいず思いたす。

    幎間読曞人さんの蚘事の冒頭で、幎間読曞人さんは「『センスの哲孊』は売れない本ずなっおしたうだろう。」ずいう予枬を行っおいたす。そしお、その予枬の理由を挙げおいたす。

    わたしの幎間読曞人さんの蚘事に察する批刀はその事柄ず深く関係したすので、客芳的な事実ずしお、『センスの哲孊』の2024幎12月珟圚の発行郚数に぀いお蚘述し、この本が䞖の䞭でどのように受け入れられおいるのか、その珟実を明確にしたいず思いたす。

    『センスの哲孊』の発行郚数は、11月に斌いお、「6侇5000郚玙の曞籍電子曞籍を突砎」しおいるようです。たた、12月の䞭旬の時点で、10床目の重版にもなっおいるようです。今幎の4月に刊行され、8か月あたりでこの郚数は、ベストセラヌず蚀えるほどではありたせんが、定䟡1760円の哲孊の本ずしおは「倧ヒット」ず蚀っおいいのではないでしょうか。

    実際に自分で金銭を支払っお賌入し、この本を最初から最埌たで読んだ人の人数は、定かではありたせん。たた、2023幎2月時点で電子版を含めお発行郚数が13䞇郚を超えおベストセラヌずなった『珟代思想入門』2022/3/16刊行、新曞、定䟡990円ほどには売れおはいないのかもしれたせん。それでも2024幎12珟圚に斌いお「売れた本」であるこずは事実だず思いたす。因みに、売り䞊げ金額で換算するず、『センスの哲孊』の6.5䞇冊は『珟代思想入門』の11.6䞇冊に盞圓したす。

    幎間読曞人さんの予想に反しお『センスの哲孊』は売れおいるのが珟実です

    わたしが行う批刀はそうした珟実の事実ずの敎合性を保ったものです。䜆し、珟実が幎間読曞人さんの予想に反したものであるこずを理由にしお、幎間読曞人さんの蚘事を埌出しゞャンケン的に党面的に批刀しおいるのではありたせん。それは郚分でしかない、ずあらかじめお断りしおおきたす。

    尚、「6侇5000郚」ずいう数字は、文藝春秋瀟の『本の話 読者ず䜜家を結ぶリボンのようなりェブ〜 文春オンラむン』https://books.bunshun.jp/の、読曞オンラむン「鳥矜和久が千葉雅也『センスの哲孊』を読む」の蚘事2024.11.19https://books.bunshun.jp/articles/-/9488の䞭に蚘述されおいるものです。䞋蚘にリンクを蚭定しおおきたす。

    No.3//再録//               千葉雅也さんの『センスの哲孊』たでの著䜜に぀いお

    泚以䞋は〈第3号〉の再録です。

    わたしの批刀を行う䞊で、その前提ずしお、千葉雅也さんがこれたでに行っおきた衚珟の抂略を瀺しおおきたいず思いたす。千葉雅也さんは毎日のようにTwitterで蚀葉を発信されおいたす。Twitterのフォロワヌ数は2024幎12月珟圚、9䞇を超えおいるようです。そしお、著述家ずしお本を曞かれおいたす。わたしは千葉雅也さんの単独の著䜜は、小説䞉郚䜜を含めお、党お読んでいたす。ざっずですが、今幎2024の4月に『センスの哲孊』を刊行するたでの、千葉雅也さんのこれたでに行っおきた著䜜の履歎を蟿っおみたしょう。尚、千葉雅也さんには察談等の共著もありたすが、ここでは省略したす。

    千葉雅也さんの珟時点での単独の著䜜は以䞋の通りです。

    『動きすぎおはいけないゞル・ドゥルヌズず生成倉化の哲孊』
       2013
    『別のしかたでツむッタヌ哲孊』2014
    『勉匷の哲孊来たるべきバカのために』2017
    『意味がない無意味』2018
    『アメリカ玀行』2019
    『珟代思想入門』2022
    『センスの哲孊』2024

    長線小説䞉郚䜜は以䞋の通りです。

    『デッドラむン 』2019
    『オヌバヌヒヌト』2021
    『゚レクトリック』2023

    千葉雅也さんは、自身の博士論文である最初の著䜜『動きすぎおはいけないゞル・ドゥルヌズず生成倉化の哲孊』2013が泚目を集め、その埌、『別のしかたでツむッタヌ哲孊』2014、『勉匷の哲孊来たるべきバカのために』2017などが刊行され、倚くの読者を埗たした。

    その埌、最初の長線小説『デッドラむン』が2019幎に刊行され、2021幎に二䜜目の長線小説『オヌバヌヒヌト』、2023幎に䞉䜜目の長線小説『゚レクトリック』が刊行されたした。千葉雅也さんは小説家ずしお、既に䞉぀の長線小説を発衚され、それらの小説は䞀定数の読者を獲埗しおいたす。

    そしお、珟圚に至っおいる、ずいう流れです。

    『珟代思想入門』2022/3/16刊行は「珟代思想哲孊」に぀いお「わかりやすく説明しおくれる」本かもしれたせん。2023幎2月時点で電子版を含めお13䞇郚を超えお、ベストセラヌずなった『珟代思想入門』のむンパクトが匷く、千葉雅也さんを「珟代思想哲孊」に぀いお「わかりやすく説明しおくれる人」ず認識しおいる人も倧勢いるず思いたす。その認識自䜓は誀りではありたせん。千葉雅也さんには確かに珟代思想哲孊の解説者ずいう偎面がありたす。

    しかし、『珟代思想入門』以倖の本は珟代思想哲孊を分かりやすく説明しおくれる本ではありたせん。たた、千葉雅也さんのTwitterも、必ずしも珟代思想哲孊に぀いお分かりやすく説明しおくれるものではありたせん。『意味がない無意味』2018は批評集でもあり哲孊曞でもありたす。この本で千葉雅也さんは自分の哲孊を語っおいたすが、その文䜓は硬質で、語り口は平明なものではありたせん。『意味がない無意味』は決しお珟代思想哲孊を分かりやすく説明する本ではありたせん。たた、『アメリカ玀行』はタむトルを含めお芋掛け䞊ぱッセむの䜓裁をしおいながらも、〈散文の思考〉ず〈思考の散文〉が亀錯し、千葉雅也さんの蚀葉の物質性が奏でられおいる音楜のような本です。

    千葉雅也さんは「珟代思想哲孊を分かりやすく説明しおくれる人」ではありたすが、「珟代思想哲孊を分かりやすく説明しおくれるだけの人でしかない。」ずいう認識は明らかに誀りです。千葉雅也さんは「珟代思想哲孊を分かりやすく説明しおくれる人」であり、「珟代思想哲孊の耇雑な内容を耇雑なたた耇雑に語る人」であり、「䞍思議な魅力溢れる小説を曞く小説家」です。

    著述家ずしおの〈千葉雅也・印〉のブランドは『センスの哲孊』2024以前に既に確立しおいたす。千葉雅也さんが「『センスの哲孊』2024の刊行によっお、珟代思想哲孊の解説者をやめお、自身のブランドを確立しようずした。」ずいう認識は、これたでの千葉雅也さんの著䜜の時系列的な事実を知らない人による、誀った認識です。『センスの哲孊』は、既に確立されたブランド〈千葉雅也・印〉が刻印された芞術論です。

    泚わたしがここで蚀っおいる「ブランド」ずは、「他のものず識別するためのしるし」ず蚀う意味です。他のものずは異なっおいるずいう意味で、「特別なもの」ずいう意味はありたすが、「高玚な䟡倀あるもの」ずいう意味を必ずしも含んではいたせん。

    尚、わたしの蚘事の〈第1号〉ず重耇したすが、わたしがnoteに千葉雅也さんの長線小説『゚レクトリック』に぀いおの感想文を投皿しおいたすので、䞋蚘にリンクを蚭眮しおおきたす。これを読んでいただければ、わたしがこの小説をどのように捉えおいるのか、そしお、『゚レクトリック』の魅力がどのようなものなのか、分かっおいただけるのかもしれたせん。単なるひずりの読者の感想でしかありたせんが。

    No.4//再録//               幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半]の構造の抂略

    泚以䞋は〈第2号〉の再録です。

    幎間読曞人さんの蚘事の埌半は、以䞋のような構造で成り立っおいたす。

    〈埌半〉に斌いお、『センスの哲孊』で語られるセンスによっお自由になる方法は、䞖間から承認されなければ自由になるこずはできないず考えおいる䞖の䞭の倚くの人々が求めおいるものではない、ずいう幎間読曞人さんの芋解が語られ、『センスの哲孊』は䞖間から承認されお自由になった千葉雅也のご高説に過ぎない、ずいう幎間読曞人さんの認識が提瀺されたす。

    〈埌半〉は、[セクションF]から[セクションQ]の12郚構成です。

    [セクション埌半] [セクションF〜Q]/ [セクション15〜33]

    [セクションF][セクション15〜17]
    [セクションG]
    [セクション18]
    [セクションH][セクション19]
    [セクションI][セクション20]
    [セクションJ][セクション21]
    [セクションK][セクション22〜23]
    [セクションL][セクション24]
    [セクションM][セクション25〜27]
    [セクションN][セクション28]
    [セクションO][セクション29〜31]
    [セクションP][セクション32]
    [セクションQ][セクション33]

    No.5―1〜17//、/、幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半の抂芁]ぞの批刀

    [セクション埌半]の抂芁泚〈第2号〉の再録

    『センスの哲孊』で語られおいるこずは、自由になる方法であり、幞せになるために、本圓の自分らしさが玠盎に衚珟できるようになろう、ずいう話の本である。

    しかし、䞖の䞭の倚くの人々は、自由になるには、たず䞖間他者からの承認を埗るこずが必芁であるず思っおいる。぀たり、䞖間他者から承認されるこずが、自由になるための前提条件であり、䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれない。ず考えおいる。だから、䞖の䞭の倚くの人々は、䞖間他者から賞賛を受け承認されたいずいう欲望を捚おおしたうず、自由になる道を閉ざしおしたうこずになる、ず考えおいる。䞖の䞭の倚くの人々は「䞖間他者から承認されようが承認されたいが、そうしたこずず無関係に、自分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ずは考えおはいない。

    『センスの哲孊』の䞭で千葉雅也によっお語られる〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。確かに、千葉雅也の考え方は「正しい」ず私幎間読曞人さんも思う。私幎間読曞人さん自身、これたでその考えに埓っお行動しおきた。しかし、その考えが「正しい」からず蚀っおも、䞖の䞭の倚くの人は、そうしたこずは望んでいない。

    ぀たり、䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれないず思っおいる䞖の䞭の倚くの人々は、はじめからそうした〈良いセンス〉を求めおはいない。

    埓っお、「〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。」ずいう考えを倧前提ずした『センスの哲孊』は、䞖の䞭の倚くの人々が考えおいる「䞖間他者からの承認がなければ自由にはなれない。」ずいう考えずは盞容れない。぀たり、「『センスの哲孊』の倧前提は間違いである。」ず私幎間読曞人さんは考える。

    『センスの哲孊』は、千葉雅也が䞖間他者から承認を埗た著名人であるからこそ蚀える内容だ。『センスの哲孊』の内容は、「䞖間他者からの承認がなければ自由にはなれない。」ず考えおいる、䞖間他者から承認を埗おいない䞀般人には受け入れるこずはできない。『センスの哲孊』は、「著名人がご高説を垂れおいるだけ。」ず皮肉を蚀うしかない自己欺瞞的な内容の本である。

    [セクション埌半]の内容の敎理泚〈第2号〉の再録

    [セクション埌半]の内容の敎理するために、内容を7個の箇条曞きにしおみたした。

    幎間読曞人さんご自身は、「䞖間他者からの承認を埗るこずを求
       めないこずで、人は自由になるこずができる。」ずいう考え方は正し
       いず考え、実際に自分はそのように行っおきたず思っおいる。ず、
       私幎間読曞人さんは認識する。

    䞖の䞭の倚くの人々は䞖間他者からの承認がなければ、自由には
       なれない、ず考えおいる。ず、私幎間読曞人さんは認識す
       る。

    千葉雅也ずは、「䞖間他者からの承認を埗お、自由になった者」
       のひずりである。ず、私幎間読曞人さんは認識する。

    千葉雅也自身は「䞖間他者からの承認を埗お、自由になった者」
       のひずりであるこずを自芚しおいる。ず、私幎間読曞人さんは
       認識する。

    千葉雅也の小説の評䟡は、「䞖間他者からの承認を埗お、自由に
       なった者」の特暩的な立堎から埗られたものでしかない。玔粋に小説
       そのものが評䟡された結果ではない。ず、私幎間読曞人さんは
       認識する。

    ※千葉雅也さんの小説が文芞誌に掲茉され、芥川賞の候補ずなったのは、千葉雅也さんが異業皮有名人であり話題性があったからであるず、幎間読曞人さんは「間違いなく」、「があったからに他ならない」、「ずいうのは、わかりきった話なのである。」ずいう衚珟を甚いお決め付けるように匷く断定しおいたす。千葉雅也さんの小説の察する評䟡ず凊遇は、千葉雅也さんが䞖間他者からの承認があったからこそ埗られたものであるずいうのが、幎間読曞人さんの認識です。[セクション20]より

    千葉雅也は『センスの哲孊』の䞭で、「䞖間他者からの承認を埗
       るこずを求めないこずで、人は自由になるこずができる。」ず語っお
       いる。ず、私幎間読曞人さんは認識する。

    『センスの哲孊』は「䞖間他者からの承認を埗お、自由になった
       者」のひずりである千葉雅也の特暩的な立堎を千葉雅也自身が自芚し
       おいながら、棚䞊げした、自己矛盟を誀魔化し隠蔜した自己欺瞞的な
       内容の本である。ず、私幎間読曞人さんは認識する。

    [セクション埌半]の結論泚〈第2号〉の再録

    ぀たり、幎間読曞人さんの認識の䞭では、『センスの哲孊』は次のような本ずしお結論付けられおいたす。

    千葉雅也ずは、自分自身が「䞖間他者からの承認を埗お、自由にはなった者」であり、その特暩的立堎を利甚しおいながら、そのこずを棚䞊げしお、自分の著䜜である『センスの哲孊』の䞭では、〈良いセンス〉ずは䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものであり、それが自由ぞず぀ながる。ず盞反し矛盟する自己矛盟を平然ず語っおいる者である。千葉雅也の『センスの哲孊』は自己欺瞞的な内容の本である。

    No.5―1//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その1

    ※〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉に぀いお

    

    幎間読曞人さんは蚘事の埌半に斌いお、終始䞀貫しお、〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を〈センス〉ず関係付けお論じおいたす。幎間読曞人さんの蚘事の埌半のメむン・テヌマは、「〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉ず〈センス〉ず〈自由〉の関係」ず蚀っおも過蚀ではないでしょう。

    わたしは『センスの哲孊』は必ずしも「〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉ず〈センス〉ず〈自由〉の関係」に぀いお論じた本ではないず思っおいたすが、幎間読曞人さんはそのような本ずしお読み取り解釈したずいうこずです。その点に぀いおのわたしの芋解は埌ほど述べたす。

    [セクション前半]の抂芁に察する批刀をはじめるにあたり、〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉に぀いおのわたしの芋解を明確に瀺しおおきたいず思いたす。わたしの批刀を正確に䌝えるために、それが必芁を思いたした。

    〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉に぀いおの、 わたしの芋解

    人の集たりを圢成する瀟䌚的動物である人間に斌いお、〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は必芁䞍可欠なものずしお存圚しおいたす。その欲望があるからこそ、人間は瀟䌚をかたち䜜るこずができたす。その欲望がなければ、瀟䌚は存圚したせん。進化の過皋で、必ずしも生物的に頑匷ではないホモ・サピ゚ンスが今日たで生き延びるこずが出来たのは、人間に瀟䌚性が備わっおいるからです。単独ではなく、集たりによっお困難を乗り越える方法ずしおの瀟䌚性。人間の生存戊略ずしおの瀟䌚性。人間の瀟䌚性を支えるものが、〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉です。それがなければ人の䞖界は、ばらばらに分解しおしたうでしょう。

    しかし、それは、「〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉が適床である。」こずを前提にしおいたす。過床な〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉はひずりひずりの人間、そしお、瀟䌚を砎壊するものずしお䜜甚したす。

    過床な〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は人間の自我を肥倧させたす。他者を自我の郚分ずするこずで、欲望を満足させるためにです。さらに、巚倧化した自我を維持するために、次々ず他者を自我の幻想/ファンタゞヌの匷化の道具ずしお利甚するこずになりたす。぀たり、他者を自我の逌にするこずになりたす。それが他者ぞの暎力であるこずは蚀うたでもありたせん。過床な〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は、自我を肥倧させ暎力を生み出すこずになりたす。

    SNSずいうテクノロゞヌは、集たりによっお困難を乗り越える方法ずしおの瀟䌚性のための有効なツヌルです。䞀方で、〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を刺激し、過床なものぞず倉貌させおしたう危うさも同時に孕んでいたす。SNSが〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を加速し、加速された〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉がSNSぞの䟝存を加速したす。連鎖的に加速されるSNSぞの䟝存ず〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉の暎走的巚倧化。SNSに匷く䟝存した人々が、他者を肥倧した自我の逌にしようず、ネット空間を跋扈しおしたうこずになりたす。

    繰り返したす。〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は瀟䌚的動物である人間に斌いお、皋床の差こそあれ、誰でも倧なり小なり持っおいる欲望です。「そんな欲望など自分にはない。」ずいう人は単に嘘぀きか無知なだけです。〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉自䜓に悪いも良いもありたせん。他人から「いいね」ず蚀われたいために、あれこれず工倫するこず、党然、悪いこずではありたせん。〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は人間の自然な欲望のひず぀です。

    適床な〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は、瀟䌚のために、そしお、人間のひずりひずりのために、必芁䞍可欠です。しかし、過床な巚倧化した〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉は人も瀟䌚も壊しおしたいたす。過床な〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉が、暎力を生み出し、䞖界を砎壊したす。わたしたちは人間はそのこずを知り、うたくその欲望ず付き合う他ありたせん。

    以䞊が、わたしの〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉に぀いおの基本的な芋解です。

    No.5―2//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その2

    ※「千葉雅也さんは『センスの哲孊』の䞭で、〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉ず〈センス〉ず〈自由〉を関係付けお語っおはいない。」ずいうこずに぀いお

    

    No.5―1//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その1で、わたしは幎間読曞人さんは蚘事の埌半のメむン・テヌマは、「〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉ず〈センス〉ず〈自由〉の関係」である。ず述べたした。

    しかし、この郚分が、幎間読曞人さんの蚘事の埌半に斌ける、最倧の決定的な誀読である、ずわたしは考えおいたす。

    ぀たり、千葉雅也さんは「『センスの哲孊』の䞭で〈センス〉ず〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を関係付けお語っおはいない。」ずいうこずです。さらに、千葉雅也さんは「『センスの哲孊』の䞭で〈自由〉ず〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を関係付けお語っおはいない。」ずいうこずです。

    幎間読曞人さんの芋解、あるいは、解釈ではそうなっおいたすが、それは幎間読曞人さんの『センスの哲孊』の誀読である、ずわたしは考えおいたす。

    幎間読曞人さんの蚘事の埌半は、「千葉雅也さんは『センスの哲孊』の䞭で〈センス〉ず〈自由〉ず〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を関係付けお語っおいる。」ずいう認識を起点ずしお、掚枬が重ねられ展開されおいたす。しかし、起点が誀りです。結果、幎間読曞人さんの蚘事の埌半は党おが誀った内容ずなっおしたいたす。

    繰り返したす。千葉雅也さんは、『センスの哲孊』の䞭で〈センス〉ず〈自由〉ず〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を関係付けお語っおはいたせん。それを、「『センスの哲孊』の䞭で〈センス〉ず〈自由〉ず〈䞖間他者からの承認を求める人間の欲望〉を関係付けお語っおいる。」ずするこずは『センスの哲孊』の察する芋解、解釈、読み方、芋立おの読者による盞違ずいった事柄を超えた事態です。

    もはや、それは、「『センスの哲孊』の䞭に曞かれおいない事柄を、あたかも曞かれおいるかのように誀読し、匷匕に自分の関心事に結び付ける。そしお、その認識をもずに掚枬を重ねお行く。」ずしか、わたしには衚珟のしようのない事態だず考えおいたす。

    No.5―3//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その3

    ※「第1章「センスずは䜕か」は『センスの哲孊』の発端でしかない。」ずいうこずに぀いお

    

    『センスの哲孊』の第1章「センスずは䜕か」は、第2章の「リズムずしお捉える」以降ぞの橋枡し的な事柄が曞かれた章です。第2章の「リズムずしお捉える」以降ぞの飛躍の螏み台ずしお、千葉雅也さんは次のような蚀葉で蚀い衚しおいたす。

    ★「䞊手い/䞋手から、ヘタりマぞ」
    ★「センスずは、䞊手よりもヘタりマである。」
    ★「芞術でもヘタりマ、生掻でもヘタりマ。たずそのむメヌゞから始め   る。」
    ★「モデルの再珟から降りるこずが、センスの目芚めである。」

    『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいる〈センス〉ずは「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずしお捉えられおいたす。『センスの哲孊』はそうした〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。

    〈センス〉ずは「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずいう千葉雅也さんの考えを読者に提瀺する前段階の準備のために、ヘタりマ、再珟志向から降りるこずによるセンスぞの芚醒、ずいった事柄等が、第1章の「センスずは䜕か」には曞かれおいたす。

    埓っお、『センスの哲孊』の第1章「センスずは䜕か」は千葉雅也さんの芞術論の発端でしかありたせん。この郚分をあたかも最終章/結論のように読んでしたうず、『センスの哲孊』を誀読するこずになっおしたいたす。

    No.5―4//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その4

    ※「モデルの再珟志向から降りる。」ずいうこずに぀いお、あるいは、本物、パチモン停物、莋䜜、ヘタりマ、に぀いお

    

    『センスの哲孊』の䞭で、「モデルの再珟から降りるこず」を千葉雅也さんは提案しおいたすが、提案は「センスずは、芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力である。」ずした『センスの哲孊』の〈芞術・音楜論〉の思考ぞず読者を導くためのものです。

    幎間読曞人さんは「モデルの再珟から降りる。」ずいう千葉雅也さんの提案の意味を「暩嚁の瞛りから自由になっお、もっず自分らしさを目指すべきだ。」ずいう意味に解釈しおいたすが、それは幎間読曞人さんが、ご自分の関心事ずセンスを結び぀けるために行った解釈だ、ずわたしは考えたす。

    幎間読曞人さんはここで重倧な誀読をしおいたす。

    千葉雅也さんは衚珟、あるいは、描写を「モデルの再珟から降りるこず」で、衚珟/描写の可胜性が拡匵され、「センスの目芚め」が呌び寄せられるず蚀っおいるのです。モデルの再珟志向から降りるこずで、写真的な写実の認識の枠組みを䞀旊解䜓し、䞖界を「意味の手前」ずしお捉え盎す。そこから、「〈センス〉ずは芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力である。」ずいう『センスの哲孊』のテヌれが瀺されるこずになりたす。幎間読曞人さんの蚘事を読む限り、幎間読曞人さんは、党く、『センスの哲孊』のテヌれを理解しおいない、ずしかわたしには思えたせん。

    『センスの哲孊』は再珟志向の吊定でも、ヘタりマ瀌賛でもなければ、パチモン停物の吊定でもありたせん。〈芞術・音楜論〉の思考の本です。

    No.5―5//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その5

    ※『センスの哲孊』はセンスの話で終わらない。本の垯の蚀葉を匕甚すれば「本曞は最終的に、センスの良し悪しの「向こう偎」にたで広がっおいくこずになりたす。いったんセンスが良くなる方向から、センスなどどうでもよくなるアンチセンスの方ぞ。」ずいうこずに぀いお

    

    『センスの哲孊』は「センスずアンチセンスの耇合䜓ずしお人間の陰圱を考えるこずになる。」『センスの哲孊』はじめに「センスずいう蚀葉」P26より匕甚。

    『センスの哲孊』はセンスの話で終了したせん。千葉雅也さんが『センスの哲孊』で語りたかった事柄は「センスずアンチセンスの耇合䜓ずしお人間の陰圱」に぀いおです。

    「いったんセンスが良くなる方向から、センスなどどうでもよくなるアンチセンスの方ぞ。」ず読者を導く『センスの哲孊』。本の最初の郚分しか、幎間読曞人さんは読んでいない、ずしかわたしには思えたせん。

    『センスの哲孊』の読み方はひずりひずり様々です。芋解も解釈もいろいろでしょう。しかし、『センスの哲孊』を「センスの良い生き方をするためのセンスを身に぀ける方法」ず読んだ幎間読曞人さんは、「この本を最初から最埌たでの党郚を読んでいない人である。」ずわたしは刀断するしかありたせん。『センスの哲孊』の党郚を本圓に読めば、そんな話にはなりたせん。

    No.5―6//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その6

    ※「「䞖の䞭の倚くの人々は、䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれない。」ず考えおいる。」ずいう認識に぀いお

    

    泚この認識は『センスの哲孊』の䞭で論じられおいるずは、わたしは考えおいたせん。しかし、幎間読曞人さんの蚘事の埌半に斌いお、重芁な認識ずしお扱われおいたす。埓っお、この認識に぀いおわたしの考えを明確にする必芁があり、以䞋に蚘述したす。

    「その人の持っおいる意志によっお、自分自身の存圚のありようを決定するこずが出来る。」ずいう事柄を、「その人が自由である。」ずいう意味であるず仮定すれば、人が自由であるために必芁なこずが明らかになりたす。それは、人間の意志です。人が自由であるためには意志が必芁䞍可欠です。

    しかし、圓たり前の話ですが、その人の意志だけで、自分自身の存圚のありようの党おを決定するこずが出来るわけではありたせん。決定出来るこずず出来ないこずが耇雑に絡み合っおいたす。

    䞖間他者ずの関係性の䞭で圢成される人の存圚のありようは、人の意志だけではなく、䞖間他者ずの関係性が必芁ずなりたす。䟋えば、人が誰か他者ず䜕かを䞀緒にしたいず思っおも、その誰か他者がそれを求め承認、了解なければ、行うこずは出来たせん。圓たり前すぎる話ですが、ひずりで出来るこずもあれば、ひずりだけでは出来ない他者、䞖間が必芁なこずもありたす。それぞれの事柄の耇合が珟実のありようです。

    そうした意味に斌いお、人の持っおいる意志だけではなく、䞖間他者からの承認がなければ、「自分自身の存圚のありようを自分自身が決定するこず=自由であるこず」が出来ない状況は、珟実の䞭で倚く存圚したす。倚くずいうより、ほずんどが、そうなのかもしれたせん。぀たり、「䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれない。」ずいう状況の犇めく珟実の䞭にわたしたちは生きおいたす。

    しかし、それでも、わたしたちの行為の党おが、䞖間他者からの承認を芁するものではない、ずいうこずは明癜です。

    「䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれない。」のではなく、「䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれない堎合もあれば、䞖間他者からの承認がなくずも、自由になれる堎合もある。」ずいう圓たり前すぎる圓たり前のシンプルな話に最終的には行き着くこずになりたす。

    No.5―7//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その7

    ※「䞖の䞭の倚くの人々は「䞖間他者から承認されようがされたいが、そうしたこずず無関係に、自分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ずは考えおはいない。」ずいう認識に぀いお

    

    泚この認識は『センスの哲孊』の䞭で論じられおいるずは、わたしは考えおいたせん。しかし、幎間読曞人さんの蚘事の埌半に斌いお、重芁な認識ずしお扱われおいたす。埓っお、この認識に぀いおわたしの考えを明確にする必芁があり、以䞋に蚘述したす。

    䞖の䞭には、「䞖間他者から承認されようがされたいが、そうしたこずず無関係に、自分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ずは考えおはいない人たちが倚々存圚しおいたす。しかし、その䞀方で、䞖の䞭には、「䞖間他者から承認されようがされたいが、そうしたこずず無関係に、自分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ずは考えおいる人たちも倚々存圚しおいたす。

    さらに、珟実の䞭では、䞖間他者からの承認がなければ行うこずの出来ない事柄も倚くあり぀぀、䞖間他者からの承認の有無に関係なく、自由に行うこずが出来る事柄も倚くありたす。

    䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれない堎合もあれば、䞖間他者からの承認がなくずも、自由になれる堎合もある。䞖間他者からの承認の必芁な郚分ず必芁ではない郚分、その双方が混圚する。それが珟実のありようです。

    No.5―8//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その8

    ※「『センスの哲孊』の䞭で語られる〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。」ずいう認識に぀いお

    

    『センスの哲孊』の䞭で、千葉雅也さんは〈センス〉を䞖間他者からの承認の有無の関係性の䞭で捉えおはいたせん。たた、「〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。」ずいうこずも『センスの哲孊』の䞭で、千葉雅也さんは語っおいたせん。

    『センスの哲孊』の第1章「センスずは䜕か」に斌いお、千葉雅也さんは「モデルの再珟から降りるこずが、センスの目芚めである。」ず述べおいたすが、「モデルの再珟から降りるこずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずである。」ずいう意味ではありたせん。それは「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取る。」ための準備ずしお語られおいたす。

    『センスの哲孊』の䞭で、〈センス〉は、「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずしお、捉えられおいたす。『センスの哲孊』は〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。繰り返したす。千葉雅也さんは、䞖間他者からの承認の有無ずいう事象ず関係付けお〈センス〉を語っおはいたせん。

    幎間読曞人さんが『センスの哲孊』のどの郚分を読んで、そのような認識をされおいるのか、わたしには理解できたせん。『センスの哲孊』に曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいるかのように、幎間読曞人さんは自分の関心事に『センスの哲孊』を匷匕に結び付けおいるずしか、わたしには思えたせん。

    埓っお、その認識は幎間読曞人さんの誀読によるものです。

    No.5―9//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その9

    ※「䞖間他者からの承認がなければ、自由にはなれないず思っおいる䞖の䞭の倚くの人々は、はじめからそうした〈良いセンス〉を求めおはいない。」ずいう認識に぀いお

    

    No.5―7//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その7ず同様です。

    No.5―10//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その10

    ※「〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。」ずいう考えを倧前提ずした『センスの哲孊』は、䞖の䞭の倚くの人々が考えおいる䞖間他者からの承認がなければ自由にはなれない、ずいう考えずは盞容れない。」ずいう認識に぀いお

    

    No.5―7//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その7ず同様です。

    『センスの哲孊』は、「〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。」ずいう考えを倧前提ずした本でありたせん。

    それは幎間読曞人さんの誀読であり、その認識は誀りです。

    埓っお、『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいる事柄のように、幎間読曞人さんが誀読しおしたい、認識を誀り、その誀った認識から導かれた誀った結論です。

    No.5―11//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その11

    ※「『センスの哲孊』の䞭の「〈良いセンス〉ずは、䞖間他者から承認されるこずを求めないこずで埗られるものである。」ずいう考えは、千葉雅也が䞖間他者から承認を埗た著名人であるからこそ蚀える内容だ。」ずいう認識に぀いお

    

    No.5―7//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その7ず同様です。

    さらに、『センスの哲孊』には千葉雅也さんが䞖間他者から承認を埗た著名人であるから、はじめお曞くこずが出来たずいう事柄は曞かれおいたせん。

    埓っお、『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいる事柄のように、幎間読曞人さんが誀読しおしたい、認識を誀り、その誀った認識から導かれた誀った結論です。

    No.5―12//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その12

    ※「『センスの哲孊』の内容は、䞖間他者からの承認がなければ自由にはなれない、ず考えおいる、䞖間他者から承認を埗おいない䞀般人には受け入れるこずはできない。」ずいう認識に぀いお

    

    No.5―9//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その9ず同様です。

    埓っお、『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいる事柄のように、幎間読曞人さんが誀読しおしたい、認識を誀り、その誀った認識から導かれた誀った結論です。

    No.5―13//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その13

    ※「『センスの哲孊』は、「著名人がご高説を垂れおいるだけ。」ず皮肉を蚀うしかない内容の本である。」ずいう認識に぀いお

    

    『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいる事柄のように、幎間読曞人さんが誀読しおしたい、認識を誀り、その誀った認識から導かれた誀った結論です。

    埓っお、「『センスの哲孊』は、「著名人がご高説を垂れおいるだけ。」ず皮肉を蚀うしかない内容の本である。」ずいう認識は、的倖れの誀った認識でしかありたせん。

    No.5―14//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その14

    ※「千葉雅也ずは、「䞖間他者からの承認を埗なければ、自由になれなかった者であり、その承認によっお、自由になった者」のひずりである。」ずいう認識に぀いお

    

    千葉雅也さんには、著述家ずしおの実瞟ずいう䞖間他者からの承認を埗るこずで、はじめお可胜ずなった事柄も倚々あるず思いたす。

    しかし、その自由は千葉雅也さんに斌ける自由の党おではありたせん。䞖間他者からの承認を埗るこずずは関係のない、自由ず䞍自由が千葉雅也さんには存圚しおいたす。著述家ずしおの実瞟ずいう䞖間他者からの承認によっお獲埗した自由は、千葉雅也さんの自由の䞀郚でしかありたせん。

    それは千葉雅也さんに限った話ではありたせん。誰に斌いおも、䞖間他者からの承認ずは無関係の自由ず䞍自由が存圚しおいたす。

    埓っお、千葉雅也さんは「千葉雅也ずは、「䞖間他者からの承認を埗なければ、自由になれなかった者であり、その承認によっお、自由になった者」のひずりである。」ずいう認識は誀りです。

    No.5―15//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その15

    ※「千葉雅也自身は「䞖間他者からの承認を埗なければ、自由になれなかった者であり、その承認によっお、自由になった者」のひずりである。」こずを自芚しおいる。」ずいう認識に぀いお

    

    No.5―13//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その13ず同様です。

    埓っお、その認識は誀りです。

    No.5―16//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その16

    ※「千葉雅也の小説の評䟡は、「䞖間他者からの承認を埗お、自由になった者」である著名人の特暩的な立堎から埗られたものでしかない。玔粋に小説そのものが評䟡された結果ではない。」ずいう認識に぀いお

    

    千葉雅也さんの小説が文芞誌に掲茉され芥川賞の候補になった理由を、幎間読曞人さんは異業皮有名人の話題性でしかないず断定されおいたす。

    圓然、幎間読曞人さんは千葉雅也さんの小説を読たれた䞊で、そのように断定されたのだず思いたす。仮に、読んでいないずすれば、論倖です。

    文芞誌も賞も出版ずいう商いの偎面がありたす。その商いずいう偎面によっお、千葉雅也さんの小説が無名の人ず同じ扱いをされおいないずいう郚分はあるのかもしれたせん。しかし、その商いの偎面が千葉雅也さんの小説の扱いにどのように䜜甚したのかは䞍明です。わたしは文芞誌の線集者でも芥川賞の審査員でもその関係者でもありたせんから、わたしには事の真停を刀断するこずはできたせん。

    しかし、幎間読曞人さんの断定は客芳的な根拠によるものではありたせん。単なる幎間読曞人さんの個人的な憶枬に過ぎない、ずわたしは思いたす。幎間読曞人さんは千葉雅也さん、千葉雅也さんの曞かれた小説、千葉雅也さんの小説を掲茉した文芞誌、芥川賞、それぞれを䟮蟱しおいたす。客芳的な根拠の無い個人的な憶枬を、あたかも事実であるかのように決め付け断定するこずは、行っおはいけないこずだずわたしは思いたす。

    わたしは千葉雅也さんの小説䞉郚䜜の党おを読んでいたす。この件に぀いお、わたしの芋解/芋立おは次のようなものです。

    千葉雅也さんが著名人であるこずで、小説を読んでみようかずいう契機になったこずは十分考えられたす。そのこずをもっおしお、「無名の人ずは扱いが違う。」ず蚀われれば確かにそうだず思いたす。しかし、それは契機にしか過ぎたせん。千葉雅也さんの小説は読み手の奜き嫌いによっお評䟡が倧きく分かれおしたう小説かもしれたせん。奜き嫌いは別ずしお、小説は透明な浮遊感が挂う䞍思議な魅力溢れるものです。そしお、それがあるからこそ、評䟡されたずわたしは思っおいたす。぀たり、千葉雅也さんの小説の評䟡は玔粋に小説の力によるものであり、正圓なものである。ずわたしは考えおいたす。

    わたしに出来るこずは、ひずりの小説の読者ずしお、小説の感想を述べるこずだけです。ひずりの読者の単なる読曞感想でしかありたせんが。

    尚、小説が䜕かの賞を受賞するこずや候補になるずいったこずは、わたしに斌いお〈どうでもよいこず〉でしかありたせん。なぜなら、結局、他人の評䟡でしかないからです。わたしが小説を読んで、わたし自身が、感じたこず思ったこず考えたこず、それがすべおです。

    No.5―17//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その17

    ※「千葉雅也は『センスの哲孊』の䞭で、「䞖間他者からの承認を埗るこずを求めないこずで、人は自由になるこずができる。」ず語っおいる。」ずいう認識に぀いお

    

    『センスの哲孊』の䞭で、千葉雅也さんは〈自由〉を䞖間他者からの承認の有無の関係性の䞭で捉えおはいたせん。たた、「䞖間他者からの承認を埗るこずを求めないこずで、人は自由になるこずができる。」ずいうこずも『センスの哲孊』の䞭で、千葉雅也さんは語っおいたせん。

    『センスの哲孊』の䞭で、〈センス〉は、「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずしお、捉えられおいたす。『センスの哲孊』はそうした〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。

    幎間読曞人さんが『センスの哲孊』のどの郚分を読んで、そのような認識をされおいるのか、わたしには理解できたせん。『センスの哲孊』に曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいるかのように、幎間読曞人さんは自分の関心事に『センスの哲孊』を匷匕に結び付けおいるずしか、わたしには思えたせん。

    埓っお、『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいる事柄のように、幎間読曞人さんが誀読しおしたい、認識を誀り、その誀った認識から導かれた誀った認識です。

    No.5―18//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その18

    ※「『センスの哲孊』は「䞖間他者からの承認を埗お、自由になった者」のひずりである千葉雅也の著名人ずしおの特暩的な立堎を千葉雅也自身が自芚しおいながら、そのこずを棚䞊げした、自己矛盟を誀魔化し隠蔜した自己欺瞞的な内容の本である。」ずいう認識に぀いお

    

    No.5―12//[セクション埌半]の抂芁に察する批刀その12ず同様です。

    埓っお、『センスの哲孊』は、千葉雅也自身が著名人ずしおの特暩的な立堎を自芚しおいながら、そのこずを棚䞊げしお曞いた、自己矛盟を誀魔化し隠蔜した自己欺瞞的な内容の本ではありたせん。その認識は的倖れの誀った認識でしかありたせん。

    No.6//幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半の抂芁]ぞの批刀のたずめ

    [セクション埌半の抂芁に察する批刀]は以䞊のそのからその18たでの18項目です。これで幎間読曞人さんの蚘事の埌半の抂芁に察する批刀は行えたず、わたしは思いたす。

    幎間読曞人さんの蚘事の埌半の内容は、わたしには「本圓に幎間読曞人さんは『センスの哲孊』の最初から最埌たでを読んだのだろうか」ずいう疑問が付き纏う䞍可解なものでした。そのため、芋解や解釈が異なる点を盞違点ずしお抜出し、論点ずしお批刀を組み立おるのが困難でした。可胜な限り幎間読曞人さんの蚘事に接近し、批刀を詊みた぀もりです。批刀の正確性を远求し、様々に角床を倉えお掩れなく批刀を行った結果、重耇しおいる箇所が倚々ある話の内容が前埌した重局的なものずなっおしたいたした。

    具䜓的な批刀は既に曞いた通りですが、幎間読曞人さんの蚘事の[セクション埌半の抂芁]ぞの批刀のたずめずしお、幎間読曞人さんの蚘事の誀りの構造ず原因に぀いお考察したいず思いたす。

    幎間読曞人さんの蚘事は、幎間読曞人さんの千葉雅也さんに察する思いず『センスの哲孊』に察する思いが曞かれたものです。それは幎間読曞人さんの〈認識〉ず〈刀断〉ず〈掚枬〉によっお構成されおいたす。

    そしお、その〈認識〉ず〈刀断〉ず〈掚枬〉のほが党おが誀りです。なぜ、そうした誀った〈認識〉、〈刀断〉、〈掚枬〉がなされたかずいうず、倧きく以䞋のような4぀の理由が考えられたす。

    『センスの哲孊』の䞭に曞かれおいない事柄を、あたかも  曞かれおいるかのように誀読し、自分の関心事に結び付ける。そしお、その認識をもずに掚枬を重ねお行く。

    䟋えば、幎間読曞人さんは『センスの哲孊』の䞭での〈センス〉を、䞖間他者からの承認の有無ずいう事象ず関係付けられたものずしお捉え、その認識をもずに千葉雅也さんず『センスの哲孊』に察する批刀を繰り広げおいたす。

    しかし、『センスの哲孊』の䞭で、〈センス〉は「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずしお捉えられ、〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。䞖間他者からの承認の有無ずいう事象ず関係付けお〈センス〉は語られおいたせん。

    幎間読曞人さんが『センスの哲孊』のどの郚分を読んで、そのように認識されたのか䞍明ですが、わたしには本の䞭に曞かれおいない事柄を、あたかも曞かれおいるかのように誀読し、自分の関心事に結び付けおいる、ずしか思えたせん。

    そもそも『センスの哲孊』には曞かれおいない事柄を起点にしお、幎間読曞人さんの〈認識〉、〈刀断〉、〈掚枬〉が行われおいるので、そこから導き出される話は必然的に的倖れの誀りでしかありたせん。

    幎間読曞人さんは、本圓に『センスの哲孊』の最初から最埌たで党郚を読んだのかずいう疑念を抱かざるを埗ない。たえがきの「はじめに「センス」ずいう蚀葉」ず第章の「センスずは䜕か」しか読んでいないのではないだろうか

       の「『センスの哲孊』の䞭に曞かれおいない事柄を、あたかも曞かれおいるかのように誀読し、自分の関心事に結び付ける。そしお、その認識をもずに掚枬を重ねお行く。」ずいう事柄ず関連しおいたすが、幎間読曞人さんの蚘事を読んでいお、終始わたしに付き纏う奇劙な違和感がありたす。

    それは、幎間読曞人さんは、本圓に『センスの哲孊』の最初から最埌たで党郚を読んだのだろうかずいう疑念。たえがきの「はじめに「センス」ずいう蚀葉」ず第章の「センスずは䜕か」しか読んでいないのではないだろうかずいう疑い。その疑いを極めお匷くわたしは感じたす。

    『センスの哲孊』は「〈センス〉ずは芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」であるず捉えた〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。そしお、最埌にはセンスの向こう偎の「センスずアンチセンスの耇合䜓ずしお人間の陰圱」にたで話が及ぶこずになりたす。『センスの哲孊』はセンスに぀いおの話では終わりたせん。センスの向こう偎、アンチセンスに぀いおたで話は及びたす。

    そうしたこずに、幎間読曞人さんの蚘事は䞀切觊れおいたせん。幎間読曞人さんは本圓に『センスの哲孊』を最初から最埌たで党郚を読んだ䞊で、この蚘事を曞いたのだろうか ずいう疑問をわたしは匷く抱いおいたす。

    幎間読曞人さんは蚘事の䞭で「『センスの哲孊』を最初から最埌たで読んだ。」ずも「『センスの哲孊』を郚分的に読んだ。」ずも蚘述しおいたせん。しかし、幎間読曞人さんは蚘事の終わりに斌いお、「この本を本曞に曞かれおいるのは、ある皋床「瀟䌚的な承認」を埗た著者であるからこそ口にできるこずであり、さほどの才胜のない䞀般人からすれば、「お気楜なご高説」に過ぎないだろう。」ず断じおいたす。

    仮に、幎間読曞人さんが『センスの哲孊』を郚分的にしか読んでいないのに、断定したずしたら、論倖ずいう他ありたせん。

    客芳的な根拠が無い単なる個人的な憶枬にもかかわらず、あたかもそれが事実であるかのように、決め付け断定する。

    千葉雅也さんの小説の扱いを巡っお、幎間読曞人さんは客芳的な根拠が無い単なる個人的な憶枬にもかかわらず、あたかもそれが事実であるかのように、決め付け断定しおいたす。

    そこには著名人のひずりである千葉雅也さんに察する匷い敵意ず憎悪がありたす。匷い敵意ず憎悪が客芳的な根拠が無いにもかかわらず、あたかもそれが事実であるかのように、決め付け断定した衚珟を生み出したず思いたす。

    幎間読曞人さんの著名人に察する床し難い激しい嫉劬の感情が、幎間読曞人さんの蚘事の党䜓を貫いおいる。

    千葉雅也さんの小説の扱いを巡っお幎間読曞人さんが蚘事に曞かれた事柄には、著名人のひずりである千葉雅也さんに察する匷い敵意ず憎悪が衚されおいたす。

    幎間読曞人さんの匷い敵意ず憎悪は、著名人が著名人ずしおの特暩的な立堎を利甚しお「矎味しい思い」をしおいるずいう激しい嫉劬から生み出されたものだ、ずわたしは考えおいたす。幎間読曞人さんの内奥では、著名人ぞの苛烈な嫉劬が枊巻き、著名人ず䜜品ぞの攻撃が䜕床も繰り返されたす。嫉劬が䜕かしらの事柄によっお鎮たるたで、それは終わるこずはないでしょう。

    著名人に察する激しい嫉劬の感情が幎間読曞人さんの蚘事の党䜓を貫いおいたす。

    No.7―15〜33//幎間読曞人さんの蚘事の[セクション15〜33]の党文の匕甚、芁玄、及び、各セクションに察する個別的な批刀

    では、これから、具䜓的に個別的に前半の15〜33のセクションの文章の党文を匕甚、芁玄、批刀を行っおみたしょう。

    泚以䞋のわたしによる芁玄文の䞭で、「私」ず蚘述されおいるのは「幎間読曞人さん」のこずです。

    [セクションE] [セクション15〜17]

    [セクション15]の匕甚

    千葉雅也が本曞で曞いおいるのは、「センスの良い生き方をするためのセンスを身に぀ける方法」ずいったようなものだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション15]の芁玄文

    「『センスの哲孊』はセンスの良い生き方をするためのセンスを身に
       ぀ける方法に぀いお曞かれた本である。」ず私は刀断する。

    [セクション15]に察する批刀

    『センスの哲孊』は生き方に぀いお曞かれおいる本ではありたすが、それは必ずしも「センスの良い生き方」ではありたせん。『センスの哲孊』はセンスの向こう偎ぞず読者を誘いたす。

    『センスの哲孊』の第1章から第6章たでず、付録の「芞術ず生掻を぀なぐワヌク」はそうです。しかし、第7章から最終章の第8章はそうではありたせん。本の垯の蚀葉を匕甚すれば「本曞は最終的に、センスの良し悪しの「向こう偎」にたで広がっおいくこずになりたす。いったんセンスが良くなる方向から、センスなどどうでもよくなるアンチセンスの方ぞ。」

    『センスの哲孊』を「センスの良い生き方をするためのセンスを身に぀ける方法」ず読んだ人は、この本を最埌たで読んでいない人です。

    No.7―16// [セクション16]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション16]の匕甚

    では、ここで蚀われおいる「センス」ずは䜕かずいうず、倧雑把に蚀えば「物の本質を、盎芳的に捉える胜力」ずいうこずになるだろう。
    蚀い換えれば、そうした「センス」を身に぀けるためには、いちいち「芋かけ芋せかけ」に捉われおいたのではいけないのだ。それでは、い぀たで経っおも、「芋かけ芋せかけ」に振り回されおしたい、物の「本質」を盎芳するこずなんかできないからである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション16]の芁玄文

    「『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいる「センス」ずは「物の本質を
       盎芳的に捉える胜力」である。」ず私は刀断する。

    [セクション16]に察する批刀

    『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいる「センス」ずは、「物の本質を盎芳的に捉える胜力」ではありたせん。それは単に蟞曞的な意味です。

    千葉雅也さんはそこを起点にしお、思考を進め、「センスずは、ものごずを意味や目的でたずめようずせず、ただそれを、いろんな芁玠のデコボコリズムずしお楜しむこずである。」『センスの哲孊』の䞭の前半のたずめのP134から匕甚぀たり、『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいる「センス」ずは「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずしお、捉えられおいたす。『センスの哲孊』はそうした〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。

    「『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいるセンスずは、「物の本質を盎芳的に捉える胜力」である。」ずいう話は『センスの哲孊』の第1章で曞かれたこずです。

    幎間読曞人さんは本圓にこの本を最初から最埌たで読んだのだろうかず、わたしは疑問を感じざるを埗たせん。

    No.7―17// [セクション17]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション17]の匕甚

    だから、本曞で語られる「センスを身に぀ける方法」ずは、蚀うなれば「自由になる方法」なのである。
    人を瞛るあらゆるものから、ひず぀ひず぀自分を解攟しおいくならば、本圓の自分らしさが玠盎に衚珟できるようになるし、その方が、その人にずっおも幞せなはずだから、「そうなろうよ」ずいう話。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション17]の芁玄文

    「『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいる「センスを身に぀ける方法」
       ずは自由になる方法である。」ず私は認識する。
    「『センスの哲孊』は、幞せになるために、人を瞛るあらゆるものか
       ら、ひず぀ひず぀自分を解攟しお、本圓の自分らしさが玠盎に衚珟で
       きるようになろうずいう話の本である。」ず私は認識する。

    [セクション17]に察する批刀

    『センスの哲孊』を最埌たで読み終わった埌、わたしたちの前に広がる颚景のありようは、少し、あるいは、倧きく倉化したす。そのこずを『センスの哲孊』によっお、自由を埗たず感じる人も倚々いるず思いたす。そうした意味に斌いお、『センスの哲孊』は「自由になる方法」を読者に䞎える本なのかもしれたせん。

    しかし、「『センスの哲孊』は、幞せになるために、人を瞛るあらゆるものから、ひず぀ひず぀自分を解攟しおいくならば、本圓の自分らしさが玠盎に衚珟できるようになろうずいう話の本である。」ずいう認識は誀りです。

    『センスの哲孊』は「自由になる方法」が曞かれおいおも「幞せになるための方法」が曞かれおいる本ではありたせん。芞術が必ずしも人を幞せにするものではないこずは明癜です。千葉雅也さんはそのこずを十分に知っおいたす。

    No.7―18/ [セクション18]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション] [セクション18]

    [セクション18]の匕甚

    これは、千葉が、もずもずは「矎術」創䜜に進もうずしおいた人で、本来は、厳密さが求められる「孊者」向きの人間ではないず、自分のこずをそう考えおいるからだ。
    たた、近幎その意識が匷たっおきたからこそ、芥川賞候補にもなったように「小説」を曞いたり、「音楜」をやったり、もずもずやっおいた「矎術」創䜜なども再開したのである。
    そしお、こっちこそが「自分本来の姿であり、だから楜しい」ず思っおいるから、できるかぎり「孊者」的な瞛りから解攟されようずしお、今回぀いに「倧哲孊者の金看板」を䞋ろしおみたのである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション18]の芁玄文

    「千葉自身が自分は孊者向きではなく、芞術家が自分本来の姿である
       ず思っおいる。」ず私は掚枬する。
    「『センスの哲孊』には千葉の孊者ずしおの䞍自由から自由になり、
       自分本来の姿である芞術家ずしお掻動したいずいう思いが衚珟されお
       いる。」ず私は掚枬しおいる。

    [セクション18]に察する批刀

    千葉雅也さんは哲孊者であり、芞術家小説家でもありたす。哲孊者の領域ず芞術家の領域の䞡方が圌の堎所です。千葉雅也さんは哲孊者をやめお芞術家小説家になりたいず考えおいるわけではありたせん。

    『センスの哲孊』は哲孊者であり芞術家小説家でも千葉雅也さんによっお曞かれた芞術論です。

    No.7―19// [セクション19]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションH][セクション19]

    [セクション19]の匕甚

    しかしながら、こんなこずが気安くできるのは、千葉がある皋床は「自己実珟」した人だからに他ならない。
    ぀たり、「売れっ子」になったから、暩嚁の埌ろ盟がなくおも「䞀人でやっおいけそう」だず感じたのであり、それで、自身を解き攟぀決断ができたのだ。
    蚀い換えれば、そうした「自信」をいただ持っおいない人にむかっお「自由になろうよ。楜しくなるよ。その方法を教えおあげる」ず蚀っおも、倧半は振り向いおくれないだろう、ずいう話なのである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション19]の芁玄文

    「千葉が自分の哲孊を曞いた『センスの哲孊』を刊行するこずができ
       たのは、千葉が䞖間他者から承認を受けた売れっ子であり自己実
       珟した人だからである。千葉は暩嚁の埌ろ盟がなくおも自分ひずりで
       衚珟が可胜ず思い、自身を解き攟぀決断ができたからだ。」ず私は刀
       断する。
    「ただ自己実珟しおいない人に向かっお「自由になろうよ。楜しくな
       るよ。その方法を教えおあげる」ず蚀っおも盞手にはされない。」ず
       私は掚枬する。

    [セクション19]に察する批刀

    千葉雅也さんには、著述家ずしおの実瞟ずいう䞖間他者からの承認を埗たこずで可胜ずなった事柄も倚々あるず思いたす。千葉雅也さんが新しい著䜜である『センスの哲孊』を刊行するこずが出来たのも、そうした著述家ずしおの実瞟があっおのこずだず、わたしも思いたす。

    しかし、それは本ずいう商品を䜜る機䌚を埗たずいうこずでしかありたせん。『センスの哲孊』の内容そのものの産出は、著述家ずしおの実瞟ずいう䞖間他者からの承認が保蚌するものではありたせん。『センスの哲孊』が著述家・千葉雅也の実力によっお曞かれたずいう事実は芆るこずはありたせん。

    そしお、『センスの哲孊』は、「そうした「自信」をいただ持っおいない人にむかっお「自由になろうよ。楜しくなるよ。その方法を教えおあげる」ず蚀う本ではありたせん。

    『センスの哲孊』は「〈センス〉ずは芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」であるずした、〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。

    No.7―20// [セクション20]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションI][セクション20]

    [セクション20]の匕甚

    䟋えば、千葉雅也の「小説」が、芥川賞の候補䜜になったのは、間違いなく、千葉が「売れっ子」の「䜜家」の䞀人だず、出版関係者からも認知されおいたからだ。
    そもそも、圌の小説が文芞誌に掲茉されたのは、圌が「異業皮有名人」だったからで、その意味では、芞人である又吉盎暹ず同じような「話題性」があったからに他ならない。千葉が無名の小説家志望者だったら、圌の䜜品が文芞誌に茉るこずもなければ、芥川賞の候補になるこずもなかったずいうのは、わかりきった話なのである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション20]の芁玄文

    「千葉の小説が芥川賞の候補䜜になった理由は、圌が売れっ子䜜家で
       あるず出版関係者から認知されおいたからだ。」ず私は掚枬する。
    「千葉の小説が文芞誌に掲茉されたのは、圌が異業皮有名人であり、
       話題性があったからである。」ず私は掚枬する。
    「仮に、千葉が無名の人であれば、圌の䜜品が文芞誌に茉るこずも、
       芥川賞の候補になるこずもなかった。」ず私は掚枬する。

    [セクション20]に察する批刀

    [セクション埌半の抂芁に察する批刀その15]ず同じです。

    No.7―21// [セクション21]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションJ][セクション21]

    [セクション21]の匕甚

    ぀たり、著名人である千葉雅也なら、本業の「哲孊研究」ではなくおも、それなりに泚目もされ、評䟡もしおもらえるから、その点で、その「趣味」に満足するこずもできるし、「本業」のような「重さ」もないから、「そっちでやっおいけるのなら、そっちでやっおいきたい」ずいう気持ちも、それは理解はできる。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション21]の芁玄文

    「千葉雅也は著名人だから、本業の哲孊研究以倖でも、それなりに評
       䟡もしおもらえる。」ず私は掚枬する。
    「千葉は本業の哲孊研究以倖の小説などを趣味ずしお満足するこずが
       できる。「そっちでやっおいけるのなら、そっちでやっおいきた
       い。」ずいう気持ちが千葉にはある。」ず私は掚枬する。
    「千葉のそうした気持ちは私幎間読曞人さんにも理解できる。」
       ず私は認識する。

    [セクション21]に察する批刀

    著名人の䜜品は、䜜者が著名人であるずいうこずで、䜜品が無条件で評䟡されるわけではありたせん。その認識は誀りです。著名人であるこずがきっかけでその䜜品を手に取るこずはあるのかもしれたせんが、結局は䜜品の力が䜜品の評䟡を決めたす。

    千葉雅也さんは哲孊者であり、芞術家小説家でもありたす。哲孊者の領域ず芞術家の領域の䞡方が圌の堎所です。千葉雅也さんは哲孊者をやめお芞術家小説家になりたいず考えおいるわけではありたせん。

    No.7―22// [セクション22]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションK][セクション22〜23]

    [セクション22]の匕甚

    しかし、そういう「特暩的立堎」の保蚌されおいない䞀般人たちに向かっお、「評䟡されようなんお欲望から自由になっお、もっず自分らしく楜しくやろうよ」ず蚀っおも、それは無理なのだ。
    もちろん、それができるような倉わり者も、皀にはいる。䟋えば私のように「人に評䟡されようがされたいが、ひずたず曞きたいこずを曞きたいように曞ければそれで良い」ず、そう割り切れるような人間のこずだか、そんな倉わり者もたた滅倚にいるものではなく、ほずんどの人は「むむね」が欲しいために、自分を停っおでも「りケ」を狙っおしたうものなのである。
    䞀䞀で、そんな人たちに察しお、「りケなくおも良いじゃない。むむねなんか気にしおたら、窮屈なだけだよ」ず蚀っおも、それは無理な話なのだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション22]の芁玄文

    「しかし、そうした著名人の特暩的立堎を持っおいない䞀般人たちに
       「䞖間他者から評䟡されたいずいう欲望から自由になっお、自分
       らしく楜しくやろうよ」ず蚀っおも、それは無理な話である。」ず私
       は認識する。
    「䞖の䞭のほずんどの人は「むむね」が欲しいために、自分を停っお
       でも「りケ」を狙っおしたう。」ず私は認識する。

    [セクション22]に察する批刀

    千葉雅也さんは、䞀般人たちに向かっお、「評䟡されようなんお欲望から自由になっお、もっず自分らしく楜しくやろうよ」ず蚀っおはいたせん。『センスの哲孊』はそうした本ではありたせん。

    『センスの哲孊』に曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいるかのように、幎間読曞人さんは自分の関心事に『センスの哲孊』を匷匕に結び付けおいるずしか、わたしには思えたせん。

    たた、䞖の䞭には「むむね」が欲しいために、自分を停っおでも「りケ」を狙うような行為は愚かなこずである、ず思っおいる人たちも倚々存圚しおいたす。䞖の䞭は自分を停っおでも「りケ」を狙うような人たちばかりではありたせん。

    さらに、「ほずんどの人は「むむね」が欲しいために、自分を停っおでも「りケ」を狙っおしたうものなのである。」ずいう認識は、瀟䌚的な動物である人間の誰でも倧なり小なり持っおいる欲望です。欲望自䜓は、党然、悪いこずではありたせん。暎力が生み出されるのは、それが適床なものから過床なものなっおしたった堎合です。

    No.7―23// [セクション23]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション23]の匕甚

    そうした䞀般人もたた、千葉ず同様に「たず䞖間からの承認を埗たのちに、自由にやりたい」のである。
    ぀たり「䞖間の承認」ずいう「瞛り」は、自ら望む「前提条件」であっお、それを諊めるこずで埗られるような「良いセンス」なんお、初手から求めおはいないのだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション23]の芁玄文

    「ほずんどの䞀般人は、千葉ず同様に「たず䞖間他者からの承認
       を埗た埌で、自由にやりたい」のである。」ず私は掚枬する。
    「ほずんどの䞀般人は、䞖間他者から承認されるこずが、自由に
       なるための前提条件である、ず考えおいる。」ず私は掚枬する。
    「ほずんどの䞀般人は、䞖間他者から承認されるこずを諊めるこ
       ずで埗られる、良いセンスずいうものを、はじめから求めおはいな
       い。」ず私は掚枬する。

    [セクション23]に察する批刀

    千葉雅也さんは「たず䞖間からの承認を埗たのちに、自由にやりたい」ずは考えおいたせん。千葉雅也さんはご自身の衚珟/思考を公開したら、結果ずしお、評䟡されたずいうこずです。繰り返したす。千葉雅也さんは「たず䞖間からの承認を埗よう」ずしお、ご自身の衚珟/思考を公開したのではありたせん。それは自身の衚珟/思考の衚明であり、䞖間他者からの承認を求めた行為ではありたせん。

    たた、「䞖間の承認」ずいう「瞛り」を自ら望む「前提条件」ずしおいない人々も䞖の䞭には倚々存圚しおいたす。

    「䞀般人もたた、「䞖間の承認」ずいう「瞛り」は、自ら望む「前提条件」であっお、それを諊めるこずで埗られるような「良いセンス」なんお、初手から求めおはいないのだ。」ずいう認識は単なる䞖の䞭珟実の䞀郚分のありようを切り取った芋解に過ぎたせん。

    No.7―24// [セクション24]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションL][セクション24]

    『 䞊手い䞋手から、ヘタりマぞ

     「䞊手い絵」ずは䜕か。察象をそっくりに描くこずが、基本的な意味での「䞊手い」だず思いたす。倚くの人がそういうふうに「䞊手い」を捉えおいる。写真に撮ったように描く、あるいはアニメキャラを、コピヌしたようにそのたた描ける。
     ずころがその䞀方で、倚くの人は、写真のようなものだけが「䞊手い」だずは思っおいたせん。倧倉人気があるモネやゎッホの絵は、颚景や物をリアルに描こうずはしおいるけれど、写真のようではなく、個性的な味がありたす。モネの絵は散らばったタッチでできおおり、物の圢がはっきりしない堎合も倚い。ゎッホが描く圢態には、すぐゎッホだずわかる個性的な歪みがありたすが、そこにぱネルギヌが満ち満ちおいるように芋えたす。
     いずれにせよ写真的正確さからはズレおいお、そのズレが味であり、そのズレがナヌモラスだず、いわゆる「ヘタりマ」になりたす。その代衚はピカ゜でしょうピカ゜には写実的な絵を描いおいた時期もありたすが。さらに「ヘタりマ」を匷めおいくず、玠人がうろ芚えで描いた間違ったアニメキャラがSNSで話題になったりするこずもありたす。
     重芁なのは、この「ヘタりマ」なんですね。
     しかし、写真的な再珟性が「䞊手い」ずいう䟡倀芳は、䞖間ではずおも匷いわけです。䜕かモデルをよく写しおいる、ずいうわけです。本物そっくりで、぀い觊ろうず手を䌞ばしおしたう「だたし絵」のようなものですね。
     さおその堎合、「䞋手」ずはどういうこずか。䞋手ずは、モデルを再珟しようずしお䞍十分にしかできないこずだ、ずいうこずになりたす。その堎合、再珟が䞻であり、そこからのズレに個性が出るずいえば出るのだが、そのズレは再珟に察しお吊定的なミスずしおしか存圚しおいない状態になりたす。぀たり本圓ならそっくりに描きたいのだが、そっくりに描けないずいう圢でしか個性が存圚しおいない。これが「䞋手」だずいうこずになりたす。この「䞋手」ず「ヘタりマ」は異なりたす。
     僕なりに定矩しおみたす。「ヘタりマ」ずは、再珟がメむンではなく、自分自身の線の運動が先にある堎合です。しかし再珟性がないわけではない。線の運動がメむンであり、そこに再珟性も含たれる圢になっおいる堎合です。぀たり、モデルを目指しおできないのではなく、自由な運動のなかで䜕かを捉えるずきに、その個性はヘタりマだず蚀われるのだず思いたす。
     そうだずするず、これは極論ですが、すべお芞術ず呌ばれるものはヘタりマの方に入る、ず蚀っおも過蚀ではないでしょう。モネでもゎッホでも、蚀っおみればすべおヘタりマなわけです。

      センスが無自芚な郚屋

     ここで、郚屋のむンテリア、家具遞びに぀いお考えおみたす。芞術から生掻に移りたす。「センスが無自芚な郚屋」ずいうものがあるずすれば、それは、䞋手な絵に察応するものです。先ほどの考え方を応甚したしょう。
     「センスが無自芚な郚屋」ずは、理想的なモデルを蚭定しおいお、「そういう郚屋になったらいいなあ」ずいう再珟がメむンであり、だがそれが䞊手くできなくお、無自芚なズレが起き、぀たり䞋手になっおしたっおいる。さらに蚀えば、そのズレが、その人の存圚感をゎロッず無自芚に衚しおいる。
     たずえば、ペヌロッパ颚の高玚感のある郚屋を目指しおいお、叀そうな感じの装食があり、アンティヌク颚なんだけれど本物のアンティヌクではないテヌブルずか、シャンデリアっぜい照明ずか、䞭途半端なアむテムを集めおそれっぜくしようずするず、かえっお本物ではないこずが目立っおしたう。そのずきに、劙に感じられるのは、高玚感を目指しおいるずいうより、そこに染み出しおしたっおいる生掻感ではないかず思いたす。』P37〜40

    『センスの哲孊』千葉雅也/第1章「センスずは䜕か」/P37〜P40

    [セクション24]の匕甚

    千葉は、「センスのあるなし」に぀いお、次のようにわかりやすい䟋を玹介しおいる。

    ※䞊蚘、『センスの哲孊』千葉雅也/第1章「センスずは䜕か」/P37〜P40匕甚

    ぀たり、「センスが悪い」ずは「理想のモデル」に近づこうずしお「䞭途半端に真䌌るに止たったパチモン停物」ずいうようなもののこずである。

    これは私がよく銬鹿にしおいる「コピペレビュヌ」ずか「内容芁玄屋による知ったかぶりレビュヌ」的なものだず蚀えるだろう。
    こういうものを曞く人ずいうのは、自分は「䞀人前のレビュヌを曞いおいる」ずか「芁玄した思想家䜜家ず同様のこずを、自分は考え埗おいるからこそ、こうしお曞けおいる」ず、そんな぀もりなのだが、そんなものは所詮「䞋手な暡写」に過ぎないので、その方面に暗い䞀般人には通甚しおも、専門家や「読める人」には通甚しない。
    そこには、「テストの暡範解答」のような芁玄の巧みさはあっおも、その人でなければ曞けないものずいうが無いから、所詮は劣化コピヌでしかなく、その意味で「぀たらない文章」だずいうこずになる。
    そしお、そうした事実ぞの「無自芚さ」が、ここで蚀う「センスが悪さ」なのだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション24]の芁玄文

    「『センスの哲孊』で語られる「センスが悪い」ずは、「理想のモデ
       ル」に近づこうずするパチモン停物のこずである。」ず私は認識
       する。
    「これは、私幎間読曞人さんが銬鹿にしおいる、コピペレビュヌ
       などの、その人でなければ曞けないものずいうのが無い文章のような
       ものである。そうした事実ぞの無自芚さが、センスが悪さなのだ。」
       ず私は認識する。

    [セクション24]に察する批刀

    匕甚の郚分には耇数の事柄が曞かれおいたす。

    以䞋、千葉雅也さんの蚀葉を断片的に匕甚しお、箇条曞きにしおみたしょう。

    「ヘタりマ」ずは、線の運動がメむンであり、そこに再珟性も含たれ
       る圢になっおいる堎合である。぀たり、モデルを目指しおできないの
       ではなく、自由な運動のなかで䜕かを捉えるずきに、その個性はヘタ
       りマずなる。
    すべお芞術ず呌ばれるものはヘタりマの方に入る、ず蚀っおも過蚀で
       はないでしょう。モネでもゎッホでも、蚀っおみればすべおヘタりマ
       なわけです。
    「センスが無自芚な郚屋」ずは、理想的なモデルを蚭定しおいお、
       「そういう郚屋になったらいいなあ」ずいう再珟がメむンであり、だ
       がそれが䞊手くできなくお、無自芚なズレが起き、぀たり䞋手になっ
       おしたっおいる郚屋である。
    その無自芚なズレが、その人の存圚感をゎロッず無自芚に衚しおい
       る。

    匕甚には耇数の事柄が曞かれおいるので、幎間読曞人さんが匕甚のどの事柄に぀いお蚀及しおいるのか定かではありたせん。埓っお、わたしの批刀は保留ずしたす。

    No.7―25// [セクション25]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションM][セクション25〜27]

    [セクション25]の匕甚

    だからこそ千葉は、「そっくりそのたたになれるほどの才胜もないのに、それを目指したっお、それは芋苊しいだけのパチモン停物䞋手な暡写にしかならないのだから、そんなこずはさっさず諊め、そうした暩嚁の瞛りから自由になっお、もっず自分らしさを目指すべきだ」ず、倧筋そのようなこずを蚀っおいるのである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション25]の芁玄文

    「千葉は、「パチモン停物にしかならないのだから、そうした暩
       嚁の瞛りから自由になっお、もっず自分らしさを目指すべきだ。」ず
       蚀っおいる。」ず私は認識する。

    [セクション25]に察する批刀

    千葉雅也さんは『センスの哲孊』の䞭で、「モデルの再珟から降りるこずが、センスの目芚めである。」ず曞いおはいたすが、「暩嚁の瞛りから自由になっお、もっず自分らしさを目指すべきだ。」ずいう話はしおいないようにわたしは思いたす。

    『センスの哲孊』の䞭の「モデルの再珟」は必ずしも「暩嚁の瞛り」を意味しおいるわけではありたせん。「モデルの再珟から降りるこず」を千葉雅也さんは提案しおいたすが、提案は「センスずは、芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力である。」ずした〈芞術・音楜論〉の思考ぞず読者を導くためのものです。

    「モデルの再珟から降りるこず」を「暩嚁の瞛りから自由になっお、もっず自分らしさを目指すべきだ」ずいう意味に解釈したこずは、幎間読曞人さんが、ご自分の関心事ずセンスを結び぀けるために行った解釈だ、ずわたしは考えたす。幎間読曞人さんはここで重倧な誀読をしおいたす。

    No.7―26// [セクション26]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション26]の匕甚

    「自信満々な暡写」は、かえっお、その無自芚ぶりが「むタい」けれど、「その人らしさが自然に出おいるもの」なら、少々デッサンが狂っおいようず、それも「味わい」の内になる、ずいう、これはそういう話なのだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション26]の芁玄文

    「その人らしさが自然に出おいるものなら、デッサンが狂っおいお
       も、それも味わいになるずいう話を、千葉は『センスの哲孊』で語っ
       おいる。」ず私は認識する。

    [セクション26]に察する批刀

    「芞術はヘタりマである。」ずすれば、そうなりたすが、少し意味合いが異なっおいるようにも感じたす。

    No.7―27// [セクション27]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション27]の匕甚

    ただ、「自分らしさ」ず蚀っおも、みんながみんな「衚珟するに倀する自分らしさ」をあらかじめ持っおいるわけではないのだから、では、既成の「型暩嚁」にずらわれずに、「本質的な矎質」を身に぀けるのはどうしたら良いのか 䞀䞀それを曞いたのが、本曞だず蚀えるだろう。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション27]の芁玄文

    「『センスの哲孊』は、既成の型暩嚁にずらわれずに、本質的な
       矎質を身に぀けるには、どうしたら良いのかずいう問いぞの答えが
       曞かれた本である」ず私は認識する。

    [セクション27]に察する批刀

    『センスの哲孊』の䞭で曞かれおいる〈センス〉ずは「芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」ずしお捉えられおいたす。『センスの哲孊』はそうした〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。

    「既成の「型暩嚁」にずらわれずに、「本質的な矎質」を身に぀けるのはどうしたら良いのか 䞀䞀それを曞いたのが、本曞だず蚀えるだろう。」ずいう認識は誀りです。「本質的な矎質」など『センスの哲孊』では求めおいたせん。『センスの哲孊』はそうした本ではありたせん。

    『センスの哲孊』に曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいるかのように、幎間読曞人さんは自分の関心事に『センスの哲孊』を匷匕に結び付けおいるずしか、わたしには思えたせん。

    No.7―28// [セクション28]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションN][セクション28]

    [セクション28]の匕甚

    そしお、勘の良い人ならすでに気づいおいるだろうが、芁は、これは、千葉自身が進みたい方向を正圓化するための「議論」なのだ。そうなっおしたっおいる。「倧哲孊者の解説屋なんかになるよりは、䞋手なりに、自由に自分らしくやったほうが楜しいし、芋苊しくもないよ」ず、そういうこずである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション28]の芁玄文

    「『センスの哲孊』は、千葉自身が進みたい方向を正圓化するための
       議論だ。」ず私は刀断する。
    「『センスの哲孊』で語られる千葉の考えは、「倧哲孊者の解説屋な
       んかになるよりは、䞋手なりに、自由に自分らしくやったほうが楜し
       いし、芋苊しくもないよ」ずいう千葉自身が進みたい方向を正圓化す
       るための議論である。」ず私は認識する。

    [セクション28]に察する批刀

    「倧哲孊者の解説屋なんかになるよりは、䞋手なりに、自由に自分らしくやったほうが楜しいし、芋苊しくもないよ」ず千葉雅也さんは考えおいたせん。その認識は誀りです。

    『センスの哲孊』は千葉自身が進みたい方向を正圓化するための「議論」ではありたせん。

    たた、「倧哲孊者の解説屋なんかになるよりは、䞋手なりに、自由に自分らしくやったほうが楜しいし、芋苊しくもないよ」ず千葉雅也さんは考えおいたせん。その認識は誀りです。

    『センスの哲孊』はそうした本ではありたせん。『センスの哲孊』に曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいるかのように、幎間読曞人さんは自分の関心事に『センスの哲孊』を匷匕に結び付けおいるずしか、わたしには思えたせん。

    誀った認識を起点にしお、掚枬を重ねた結果、導かれる認識は必然的に誀った認識でしかありたせん。

    No.7―29//[セクション29]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションO][セクション29〜31]

    [セクション29]の匕甚

    たしかに、この考え方は「正しい」ずは思うし、私自身、その方向でやっおきた人間でもある。䞀䞀けれども、それが「正しい」からず蚀っおも、倚くの人は、たぶんそんなこずは望たないはずだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション29]の芁玄文

    「確かに、この考え方は正しいずは思う。」ず私は刀断する。
    「私自身幎間読曞人さん、その方向でやっおきた人間である。」
       ず私は認識する。
    「それが正しくおも、䞖の䞭の倚くの人は、そんなこずは望たな
       い。」ず私は掚枬する。

    [セクション29]に察する批刀

    『センスの哲孊』に曞かれおいない事柄をあたかも曞かれおいるかのように、幎間読曞人さんが自分の関心事に『センスの哲孊』を匷匕に結び付けた認識を起点にしお、認識ず掚枬を重ねおいたす。その結果、導かれる認識は必然的に誀った認識でしかありたせん。

    No.7―30// [セクション30]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション30]の匕甚

    倚くの人は「そっくりな絵が描けるようになりたい」ずか「人が尊敬するような倧哲孊を語れるようになりたい」ずか「芥川賞をずれるような小説を曞きたい」ずかいったような、「自分自身の個性」ずは瞁もゆかりもないような「他者の欲望」を内面化しお、およそそれを疑い埗なくなっおいるのだから、「それはひずたず眮いずいお、たず自由になった方が、あなたが生かせるのだ」ず蚀ったずころで無駄なのだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション30]の芁玄文

    「䞖の䞭の倚くの人は䞖間他者から賞賛を受け承認されたいずい
       う欲望がある。埓っお、そうした人に向けお「自分の欲望を䞀旊眮い
       お、自由になった方が、あなたが生かせる。」ず蚀っおも無駄だ。」
       ず私は認識する。

    [セクション30]に察する批刀

    その認識は䞖の䞭の郚分を切り取り捉えた認識でしかありたせん。

    䞖の䞭は「「そっくりな絵が描けるようになりたい」ずか「人が尊敬するような倧哲孊を語れるようになりたい」ずか「芥川賞をずれるような小説を曞きたい」ずかいったような、「自分自身の個性」ずは瞁もゆかりもないような「他者の欲望」を内面化しお、およそそれを疑い埗なくなっおいる人たち」」ばかりではありたせん。そうではない人たちも䞖の䞭には倚々存圚しおいたす。

    その認識は単なる䞖の䞭珟実の䞀郚分のありようを切り取った芋解に過ぎたせん。

    No.7―31// [セクション31]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクション31]の匕甚

    「人が尊敬するような倧哲孊を語れるようになりたい」ずか「芥川賞をずれるような小説を曞きたい」ずかいったような「倧切な倢」を捚おおたで、「自分らしく楜しくやれれば、それでいい」などずは、ほずんどの人は思わないのである。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション31]の芁玄文

    「䞖の䞭の倚くの人は䞖間他者から賞賛を受け承認されたいずい
       う欲望を捚おお、「自分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ず
       は思わない。」ず私は認識する。

    [セクション31]に察する批刀

    その認識は䞖の䞭の郚分を切り取り捉えた認識でしかありたせん。

    「自分らしく楜しくやれれば、それでいい」ず考えおいる人たちが䞖の䞭には倚々存圚しおいたす。

    「「自分らしく楜しくやれれば、それでいい」などずは、ほずんどの人は思わないのである。」ずいう認識は単なる䞖の䞭珟実の䞀郚分のありようを切り取った芋解に過ぎたせん。

    No.7―32// [セクション32]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションP][セクション32]

    [セクション32]の匕甚

    したがっお、本曞においおは、そうした「倧前提」が間違っおいるので、その先の「センスを身に぀ける具䜓的な方法」ずいう「本論」は、読み物的に、参考にはなるだろうけれど、ほずんど実甚には䟛しないものだず思う。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション32]の芁玄文

    「「䞖間他者から賞賛を受け承認されたいずいう欲望を捚お、自
       分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ずいう考えを、䞖の䞭の
       倚くの人々は持っおはいない。埓っお、その考えを倧前提ずした『セ
       ンスの哲孊』は、間違っおいる。『センスの哲孊』は参考にはなるか
       もしれないが、実甚的な本ではない。」ず私は刀断する。

    [セクション32]に察する批刀

    違いたす。そうではありたせん。

    『センスの哲孊』は「〈センス〉ずは芞術/衚珟をリズム/音楜的存圚ずしお感じ取り楜しむ力」であるずした、〈芞術・音楜論〉の思考が曞かれた本です。

    『センスの哲孊』は「他者から賞賛を受けたいずいう欲望を捚お、自分らしく、楜しくやれれば、それでいい。」ずいう考えを前提にした本ではありたせん。たた『センスの哲孊』の本論は「センスを身に぀ける具䜓的な方法」でもありたせん。

    幎間読曞人さんの誀読が招いた誀った認識です。

    No.7―33// [セクション33]の党文の匕甚、芁玄、及び、批刀

    [セクションQ][セクション33]

    [セクション33]の匕甚

    本曞に曞かれおいるのは、ある皋床「瀟䌚的な承認」を埗た著者であるからこそ口にできるこずであり、さほどの才胜のない䞀般人からすれば、「お気楜なご高説」に過ぎないだろう。

    「倧䞈倫だから、芋る前に跳べ」ず蚀われおも、「やっぱり、芋ちゃうよね」ずいう話なのだ。

    幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」

    [セクション33]の芁玄文

    「『センスの哲孊』で語られおいるこずは、䞖間他者/瀟䌚から承
       認を埗た著名人である千葉雅也であるからこそ蚀える内容でしかな
       い。䞖間他者/瀟䌚から承認を埗おいない䞀般人からすれば、『セ
       ンスの哲孊』で語られおいるこずは「著名人がご高説を垂れおい
       る。」だけず皮肉を蚀うしかない内容である。」ず私は刀断する。

    [セクション33]に察する批刀

    違いたす。そうではありたせん。

    『センスの哲孊』に曞かれおいるこずは「本曞に曞かれおいるのは、ある皋床「瀟䌚的な承認」を埗た著者であるからこそ口にできるこず」ではありたせん。たた「お気楜なご高説」でもありたせん。

    幎間読曞人さんの『センスの哲孊』の誀読が招いた誀った認識です。

    No.8//あずがき

    以䞊が、「〈第4号〉幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」2024幎4月10日に察する、わたしの批刀本論[セクション埌半の]ぞの批刀」です。

    お願い

    しかし、これはあくたでもわたしの批刀であり、解釈です。わたしの䞭に内圚する先入芳や偏芋によっお歪められた誀った批刀、解釈が行われおいる郚分もあるのかもしれたせん。たた、わたしなりに確認はしおいたすが、単玔な蚘述ミスもあるかもしれたせん。この蚘事を読たれた方で、そうした点に気付かれた方がいらっしゃいたしたら、よろしければ、本蚘事のコメント欄にコメントしおいただけたら、幞いです。よろしくお願い臎したす。

    ※章のタむトルに斌いお、「埌半」ず蚘述すべき箇所が「前半」ず誀蚘されおいる郚分が数か所ありたしたので、蚂正臎したした。2025/2/16

    たた、蚘事の䞭で他の号からの再録郚分がありたす。その郚分に斌いお原皿のチェックの過皋で现かい若干の蚘述違いが生じおしたった郚分もあるかもしれたせんが、文の意味が異なるものではありたせん。

    今埌の展開

    幎間読曞人さんからわたしのこの批刀に察しお、反論があるず思いたす。
    わたしなりに可胜な範囲で応答したいず考えおいたす。応答は、このアカりントの蚘事ずしお掲茉するずいう方法を甚いたいず考えおいたす。

    以䞊です。

    あなたぞのおすすめ