
ワヤカグラ‼︎ 第一幕 「桃色夜叉」編 #8 自・作演業得戒滅
#8 自・作演業得戒滅
BARアラモット劇場には、変わった客が集まる。
よくよく考えたら当たり前の話だった。
一応、申し訳程度にBARとは書いてあるが、どこのサラリーマンが“アラモット劇場”なんて飲み屋に気付くのだろうか。ましてや開店時間は夜十時過ぎ。夕方は二日酔いと戦っているのだから、商店街が賑わうゴールデンタイムに間に合うはずもない。
元々、BARなんて洒落たものをやるのが気恥ずかしくて、酔った勢いで本名の“アライ・モトヒコ”をもじってつけた、ふざけた名前だ。
仲間内で作った秘密基地。
そんな場所だった。
今では飲んだくれ親父と変な客だけが集まる、“隠れた名店”みたいになってしまった。
……うん。
名店ではないな。
隠れてるだけだ。
今日は珍しく、いつもの連中がいない。
私は仕方なく。
そう、仕方なく。
緊張しないように酒を飲む。
お客に恥をかかせるくらいなら、自分がかいてやろうじゃないか。
「ぷはぁーっ! うまい! 二日酔いにはビールが効くねぇ!」
さてさて。
今日は誰がこの劇場で踊ってくれるんだろうか。
⸻
「これがアライっちゅーやつなんか! うまいのぉ!」
「それはただの刺身じゃ! 誰が商売道具捌くんな!」
釣り堀の奥にある小さな事務所では、宴会が始まっていた。
ことの発端は三時間ほど前に遡る。
突然釣り堀へやってきて、喧嘩を売ってきた広島の若いガキ。
その話し合いの席を設けるため、舎弟頭であるワシ――そう、この武志様が腕によりをかけた海鮮料理を振る舞ってやったのである。

「おい武志! ビール空いとるぞ! はよせんか!」
「へい! ただいま!」
どうやらこのガタイのええ兄ちゃんは、“狂楽會”っちゅー組織の頭らしい。
最近のコレもんは礼儀がなっとらん。
「はい! ビール! 兄ちゃんも飲むか?」
「わしはサイダーでええわ! 単車転がして来とるし、バレる前に帰らんとバコに叱られてしまう! まぁ、もう二週間ちこー空けとるけカンカンじゃろうけどな!」
なんやこいつ。
サイダーで酔っ払い親父どもの相手しとったんかい。
陽気なやっちゃ。
空いた皿を片付けながら、精いっぱいガンを飛ばす。
「で、話っちゅーんは何じゃったんな」
年中甚平姿のジョーの兄貴が切り込んだ。
いくらハレの国とは言え、この岡山で一年通して薄着で過ごしとるんは、若頭っつっても若くはねぇが鮫島丈司ことジョーの兄貴かモネールくらいなもんやろ。
「あー! そうじゃったそうじゃった!」
兄ちゃんは豪快に笑いながら頭を掻く。
「最近この町で幅利かせとるチームがおるって聞いてのぉ。なんか知らんか?」
「そん名前知ってどうするつもりじゃ」
達磨の兄さんがジョッキを机へ叩きつける。
「いやいや。うちの下のもんが、この町で調子こいとったみたいでな。お灸据えに来たら、もうコテンパンにやられた後じゃったんよ」
兄ちゃんは笑ったまま続ける。
「せっかくじゃけぇ、挨拶くらいはしとこう思ってな」
「最近名前が上がるん言うたら……小町の廃城。“温羅蓮華”の“鬼姫”ですかね、親父」
パコン!
親父のお玉がジョージの頭でいい音を鳴らした。
「余計な口滑らすな」
「ほぉ~。ウラレンゲっちゅーんか」
兄ちゃんは楽しそうに目を細める。
「しかも頭は鬼のお姫さんかいな。こりゃ地元帰る前に挨拶せんとなぁ」
親父がジョーの兄貴を睨みつける。
いい気味や。
「坊主。鬼姫には気ぃつけぇよ。ありゃ人間じゃ敵わん」
「なんや? ホンマに鬼なんか?」
兄ちゃんはサイダーを飲み干す。
「なら吉備団子でも持っていかんとあかんなぁ! がはははは!」
「おい武志。これホンマにサイダーなんよな?」
親父が完全に引いとる。
珍しいもん見れたわ。
「ま、詳しく町のこと知りたいんなら、来る場所間違えとる。ワシらはもう身ぃ引いとるけぇな」
親父はタバコへ火をつける。
「今、一番よう知っとるんはこの店じゃ」
そう言って、一枚のマッチを机へ滑らせた。
そこには。
“BARアラモット劇場”
と書かれていた。
「おう! ありがとうな!」
兄ちゃんは嬉しそうにマッチを拾い上げる。
「迷惑かけんけ! また飯おごってな!」
豪快に笑う姿を見ながら、ワシはなんだか昔を思い出していた。
ホンマ。
快活な男じゃわ。
まるで昔のヤクザが、そのままタイムスリップしてきたみたいじゃった。
⸻
「「「かんせい~~!!!」」」
更衣室に、キラキラした声が響く。
「ほら! やっぱピンクのリップ似合うのよ!」
「美容院で整えたの正解だったわねぇ」
「素材が違うもの。羨ましいわぁ」
パイプ椅子に座らされるがまま。
人生初の化粧。
人生初のスカート。
ショートパンツ付きとはいえ、落ち着かない。
「あとはジャケット羽織れば完璧! これ使って! 返さなくていいから!」
「ほら時間ない! イオリくん待ってるわよ!」
急かされるまま靴を履き替える。
「あ、待って!」
呼び止められ、肩を掴まれた。
レジ前の大きな鏡。
「ほら、トウカちゃん」
鏡の中。
そこには、知らない女の子がいた。
「あなた、最高に可愛いわ」

服装に気を遣って。
メイクをして。
そんなの、自分とは別世界の話だと思っていた。
「かわいい……」
気づけば、口から零れていた。
この姿を、あいつらが見たら笑うだろうか。
いや。
たぶんパニックになる。
じゃあ。
イオリくんは。
……なんて言うだろう。
「ほら早く! 置いてかれちゃうわよ!」
背中を押される。
「あ、あの! ……ありがとうございました!」
自然に出た言葉だった。
マニュアルじゃない。
本当のありがとう。
佐藤は無言でガッツポーズをし、他の二人もそれぞれ喜びを爆発させている。
そんな彼女たちを横目に。
トウカは自転車へ跨った。
⸻
公園の入り口。
川沿いの街灯の下で、一つの影が手を振っていた。
イオリくんだ。
心なしか、ペダルが重い。
このまま進んでいいんだろうか。
変じゃないだろうか。
似合っているだろうか。
小さな不安が波みたいに押し寄せてくる。
それでも車輪は止まらない。
影が少しずつ大きくなる。
そして。
一つだった影が、二つになった。
いや。
三つ。
四つ。
「……え?」
影はイオリを飲み込み、そのまま公園の奥へ消えていく。
ブレーキを握る。
タイヤが悲鳴を上げた。
自転車を放り出すように飛び降り、公園へ駆け込む。
「イオリくん!!」
返事はない。
そこにあったのは。
倒れたイオリの自転車。
散らばったバッグ。
それだけだった。
心臓が嫌な音を立てる。
いる。
まだ近くにいる。
トウカは弾かれたように振り返る。

公園の反対側。
市道へ抜ける出口。
黒い影が四つ。
その先に停まる黒いバン。
テールランプの赤い光が、一瞬だけイオリの顔を照らした。
間に合う。
トウカは自転車を掴み上げた。
軽かった。
自分の自転車とは思えないほど。
「かえせぇぇぇぇぇ!!!」
投げる。
自転車が宙を裂き、黒い影を飛び越え、そのままバンへ激突した。
ガシャアアアン!!!
砕けるガラス。
悲鳴。
急発進。
黒いバンは白煙を撒き散らしながら大通りへ飛び出した。
間に合う。
トウカは地面を蹴る。
その瞬間。
心臓が大きく跳ねた。
ドクン。

全身へ熱が走る。
肺が膨らみ、血が巡る。
視界が鋭く細まり、夜の景色が流れ始めた。
速い。
もっと。
もっと前へ。
信号が後ろへ吹き飛ぶ。
風が頬を裂く。
バンの後部ガラスに、自分の顔が映った。
追いついた。
「ば、化け物ッ!?」
車内の叫び声。
知るか。
そんなことより。
イオリを。
その瞬間。
世界が横に回転した。
キィィィィィッ!!!
耳を裂くブレーキ音。
白い光。
空。
街灯。
アスファルト。
何が起きたのか分からないまま。
身体が地面を跳ねる。
鈍い衝撃。
遅れて熱が走った。
「や、やべぇ!! うしろ!! 当たっちまったよ!!!」
「人なわけねぇだろ!! 車に追いつく人間がいるか!!」
「いいから出せ!! 早よ出せぇ!!」
黒いバンは再び走り出す。
赤いテールランプが遠ざかる。
届かなかった。
あと、一歩。手の届く距離だったのに。
「クソがぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
少女の慟哭が、夜の街へ響き渡った。
⸻
「トウカちゃん上手くいったかなぁ」
「アレは反則よ。惚れない男なんかいないわ」
「もしそんな奴いたら、こう! こうよ!」
ルパンでは、佐藤がボクシングみたいなシャドーを披露していた。
ガタンッ!!!
「「えっ?」」
店の扉が乱暴に開かれる。
全員の動きが止まった。
入口。
そこに立っていたのは、先ほど出て行ったはずのトウカだった。
白い脚。
裂けた服。
血。

「え!? トウカちゃん!? 何があったの!!」
悲鳴を無視して、トウカは電話の受話器を掴む。
震える指で番号を押した。
呼び出し音。
『トウカか? どうしたんだ?』
「集合」
小さな声だった。
『あ?』
「今すぐ人数集めろ」
『だから何の――』
「黙って聞けやァ!!!!!」
怒声。
店内の空気が震えた。
「今すぐウラレンのメンツ揃えろ!!」
息を吸う。
血の混じった唾を吐き捨てる。
「殴り込みじゃァァァァ!!!!」
ガチャン!!
受話器が揺れる。
電話の向こうでは。
次々とエンジン音が響き始めていた。
ノソノソと足を引きずりながら店を出ようとするトウカ。
「ごめんなさい」
小さく。
消え入りそうな声だった。
「待ちなさい!」
佐藤が両手を広げ、トウカの前へ立つ。
「どいて」
「いいから待ちなさい!!」
怒号。
その一声で、トウカはようやく我に返った。
「詳しくは聞かない。でも、まず座りなさい」
半ば強引にソファへ座らされる。
佐藤は慣れた手つきで救急箱を広げた。
「正直ね。最初は怖い子なのかなーって思ってた」
止血。
消毒。
包帯。
手際が良すぎる。
「でも、一緒にいたら分かるのよ。トウカちゃん、ただの女の子なんだもん」
割れた唇へリップが塗られる。
「必死に隠そうとしてるところとか、可愛くってさ」
佐藤は笑う。
「私も昔ちょっとやんちゃしてたから分かるの。でも、だからこそ言える」
トウカの前へしゃがみ込む。
「女の子はね」
リップの蓋を閉じる。
「勝負の時ほど、キメていくのよ」
トウカは目を見開いた。
この人は。
ちゃんと自分を見てくれていた。
鬼でも。
怪物でもなく。
一人の女の子として。
「さ、立って」
佐藤は不格好なシャドーを始める。
「今から勝負なんでしょ?」
拳を突き出す。
「なら――必ず勝って帰ってきなさい!」
ドンッ!
気合いを入れるみたいに、トウカの背中を叩く。
一瞬だけ。
呼吸が戻った。
「……押忍」

⸻
喫茶ルパンの駐車場。
七台の単車が並んでいた。
白煙。
紫煙。
爆音。
夜の空気が震えている。
「トウカ!!」
先頭の男が叫ぶ。
「呼びかけに応えて!! 温羅蓮華総勢七名!! 馳せ参じましたァ!!!」
「押忍!!!」
野太い怒号が響き渡る。
トウカは血で汚れたシャツを脱ぎ捨てた。
その背へ。
純白の特攻服が羽織られる。
サラシで巻かれた身体が熱を帯びていた。
街灯の光を吸い込み、白が淡く桃色に染まっていく。
鬼姫。
その名に相応しい姿だった。
「いいか、てめぇら」
静かな声。
それだけで全員が黙る。
「敵は、ダチを攫いやがった」
血のついた拳を握る。
「おまけに、この有様だ」
視線が鋭く細まる。
「――生かしちゃおけねぇなァ?」
「「「押忍!!!!」」」
アクセルが唸る。
「バンだ。黒いバン」
トウカはゆっくり息を吐いた。
「このワタシとぶつかったんだ。
向こうもタダじゃ済んでねぇ」
一歩前へ出る。
「今すぐ見つけ出せ」
鬼が笑う。
「見つけたら――この足元まで引きずってこい」
「「「押忍!!!!」」」
「邪魔する奴ァ全部潰せ」
「「「押忍!!!!」」」
特攻服が夜風に鳴る。
血。
怒気。
熱気。
その中心で。
トウカは夜を睨みつけた。
「血祭りじゃァ!!!!」
ヘッドライトが一斉に点灯する。
駐車場が白煙に包まれた。
「行くぞ、温羅蓮華ァ!!!!」
「「「押忍ゥゥゥゥ!!!!」」」
その熱に呑まれるように。
「……頑張れ! トウカ!!」
気づけば佐藤が叫んでいた。
「「「押忍ゥゥゥゥ!!!!」」」
喫茶ルパンの面々まで声を張り上げる。
鬼姫は振り返らない。
ただ真っ直ぐ。
夜の闇だけを見据えていた。


