
ワヤカグラ‼ 第一幕 「桃色夜叉」編 #7 喧噪前夜
#7 喧噪前夜
初めて、助手席に座った。
車内には、一昔前のロックバンドの曲が流れている。
名前は知らない。
ただ、どこか懐かしいリズムだった。
一定のテンポを刻むドラムが、自分の心臓の音と妙に重なる。
「音楽、うるさかったですか?」
イオリがボリュームを下げながらこちらを見る。
「いや! 別に! ただ……懐かしいなって」
普通に喋れない。
普段から口数が多い方ではないが、それにしたって酷かった。
普通ってなんだ。
普通の女の子は、こういう時なんて言うんだろう。
今度、佐藤さん達に聞いてみよう。
「ですよね。俺も最近まで知らなかったんですよ。知り合いの店でずっと流れてて、気づいたらハマっちゃってました」
知り合いの店。
私には想像もつかない。
きっと、いろんな場所に知り合いがいるんだろう。
もしかしたら。
「先輩? 大丈夫ですか?」
気づけば、ずっと足元ばかり見ていた。
イオリは心配そうにこちらを見ながら、国道二号線沿いのコンビニへ車を停める。
「だ、大丈夫! それより、先輩って言うのやめない!? ほら、浦上さんの方が年上だし、仕事すごいし」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだろ」
イオリは少し考える素振りを見せる。
「トウカさん、とか? ちょっとやり過ぎですかね」
その笑顔には嫌味がなかった。
下の名前で呼ばれたことが。
少し、嬉しい。
「うん。それでいいよ。ありがと」
「じゃあ俺のことはイオリでお願いします。実は自分の苗字、あんまり好きじゃないんですよ」
別に、変な苗字ではないと思う。
それより。
下の名前で呼べと?
普通なら断るんだろうか。
でも、先にお願いしたのは私だし。
「い、イオリさん」
「さんは無しでいいですよ。トウカさん“先輩”なんですから」
痛いところを突かれた。
このままでは、ずっと“先輩”と呼ばれてしまう。
「い、イオリくん」
「ありがとうございます。その方が助かる」
嬉しそうに笑う。
その顔をまともに見れなくて、私は窓の外へ視線を逃がした。

「せっかくコンビニ寄ったし、何か飲みます? 買ってきますよ」
「コーヒーで。あ、お金は後から払う! ……払います」
慣れない敬語が口の中で転がる。
イオリは少し笑った。
「カフェオレでいいですか?」
「うん。あ、はい。それで」
「了解。ちょっと待っててください」
ドアが閉まる。
コンビニの自動ドアが開き、イオリは白い光の中へ消えていった。
静かな車内。
ロックバンドの曲だけが流れている。
これが。
普通、なのかな。
答えの出ない問いは、懐かしい音楽にかき消されていった。
◇
玉島ハーバーブリッジへ向かう産業道路沿い。
使われなくなった廃倉庫には、今夜も若者達が集まっていた。
数年前まで運送会社が管理していた建物だが、今ではシャッターに『貸出可』と書かれているだけだ。
夜になると暴走族の溜まり場になる。
「ほんまにやるんすかタイガさん」
坊主頭の少年が、タイガと呼ばれる男の煙草へ火をつけながら尋ねる。
「やるしかねかろーが」
タイガは、武者震いのように肩を揺らしていた。
焦った姿は、かろうじて助かった仲間達の不安を煽る。

あの夜。
意気揚々と強襲をかけた俺たちは、当初の計画通り圧倒的な数の差で相手を追い詰めた。
――そう、あの鬼が現れるまでは。
「でも、流石にこれは言い逃れできないっすよ」
「わーっとるわ!」
男は怒鳴る。
「なんじゃ、ポリ公相手にビビっとんのか! それともあれか。本部の制裁が怖いっちゅーんか!」
煙草を握ったまま顔を近づける。
少年は小さく肩を震わせた。
「もう後には引けんのじゃ。ケンタの兄貴が帰ってきたときに格好がつかんじゃろーが! たった一人の女に兵隊のほとんど病院送りにされました。助けてください。って泣きつくんか! そーなったら、ワシもお前らも。兄貴も終いじゃ!」
金髪はドラム缶へ煙草を投げ捨てる。
「あのアンゴウども潰すには人数が足りん。人数集めるんも金がいるんじゃ!」
声は次第に熱を帯び、最後には叫びに変わっていた。
「あの胡散臭ぇ女の話に乗るしかねぇ。車用意せぇ」
額には脂汗。
虎の名を借り、威張るだけの男はもう後戻りできない。
◇
休日の釣り堀は、子供達の遊び場になっていた。
水面に浮かぶウキを、小さな手が真剣な顔で見つめている。
この店では、“オヤブン”と呼ばれる巨大なニゴイを釣ると駄菓子が貰えた。
もっとも。
結局最後は全員で駄菓子パーティーになるのだが。
「おい、爺さん。これ、わしもモローてええか?」
駄菓子を囲む机に、大きな影が落ちる。
見上げると、麦わら帽子を被ったタンクトップ姿の大男が立っていた。
「なんじゃおめー。その口の聞き方は!」
甚平姿の老人が立ち上がろうとする。
「えぇ。ジョージ座っとれ」
だが、小柄な老人――鯉のじっちゃん。がそれを制した。
「これはチビ助どものじゃ。ガキは家帰って、ママにでも分けてもらえ」
「おいおい爺さん。ひでぇこと言うなや」
男は豪快に笑いながら、小さな老人の肩へ手を置く。
「てめぇ!」
ジョージが再び立ち上がりかける。
だが男は気にした様子もなく、静かな声で続けた。
「こちとら広島からわざわざ来たんじゃ。ちぃとばかし話聞かせてもらえませんかねぇ。瀬戸内一家の親分。網代鯉蔵さん」
空気が止まる。
アジロの親父とジョージは、一瞬だけ顔を見合わせた。
看板を捨てたわけではない。
だが、今どきこんな若造がその名前を口にするとは思ってもいなかった。
「ここじゃなんじゃ。事務所で話そうか」
アジロは肩の手を払い、そのまま奥を指差す。
「クーラー効いとるか!? お、このサイダー貰ってええんやろか?」
男は子供みたいに笑いながら、引き戸を開けて奥へ消えていった。

数分後。
便所サンダルを鳴らしながら、初老の男が戻ってくる。
「すんません! 買ってきましたよ! ビールと追加の駄菓子でさぁ!」
辺りを見回す。
「……あれ? 親父? ジョーさん? チビ達もおらん」
誰もいないことを確認すると、男は缶ビールを勢いよく開けた。
「くぁーー! 美味ぇ!」
春の日差し。
照りつける太陽。
短い自由を満喫していた、その時。
「おい! たけし! はよ来い! どこで油売っとんじゃ!」
ジョージの怒号が、事務所の奥から響いた。
平和は、終わった。
◇
車での送迎が始まって、一週間が経とうとしていた。
とはいえ、送りだけだ。
行きは変わらず自転車。
イオリが朝から入るのは土日だけで、平日はディナータイムからのシフトだった。
朝も送るよ、と言われたけれど。
申し訳ないし。
何より、心が休まらない。
行きは自転車。
帰りは車へ積み込んでもらい、一緒に帰る。
そんな生活が続いていた。
会話はそこまで多くない。
それでも、イオリは話を繋いでくれた。
『髪、切りました?』
そんな些細な変化にまで気づいてくる。
普通の男の子って、みんなそうなんだろうか。
初めて美容室で髪を切った私ですら、自分の変化なんてよく分からなかったのに。
ディナータイム五分前。
今日は珍しく、イオリの出勤が遅かった。
どうやら車検の日を忘れていたらしい。
今日は急遽、自転車で来たのだという。
閉店後。
後片付けも終わった頃だった。
「ごめんなさいトウカさん。今日、自転車なんですけど。一緒に帰ってもいいですか?」
予想外だった。
てっきり今日は無いものだと思っていたのに。
「もちろんよねぇ!?」
背後から佐藤さんの声が飛んできた。
「イオリくん。店出たら裏の公園で待っててくれる?」
佐藤さんがニヤニヤしながら言った。
「トウカちゃんと少し話があるのよ。ガールズトーク! 十分くらいで終わるから、一服して待っててねー」
イオリが返事をする前に。
私は更衣室へ連行された。
「さてトウカちゃん。十分よ。十分で仕上げるからじっとしてなさい」
佐藤さんが腕まくりをする。
「林さん、三村さん。準備はいいわね」
「「ええ。バッチリよ」」
ニヤニヤと迫ってくる同僚達。
私は、この日初めて。
あのヒト以外の人間に恐怖を覚えた。

