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ワヤカグラ‼第一幕 「桃色夜叉」編 #9 三途の川のほとりで

    #9 三途の川のほとりで

          ◇

     男は、苛立ちと恐怖の狭間にいた。

     これから向かう場所が怖いわけじゃない。

     怖いのは、あの人の信頼を失うことだった。

     岡山制圧。

     その大役を任された。

     なのに。

     どうしてこうなった。

     いや、俺は間違えてない。

     現場を知らん奴らに何が分かる。

     ガクさんなら、きっと分かってくれる。

     男は広島駅からタクシーを拾い、流川と薬研堀の境にあるクラブ前で降りた。

     キャッチの声。

     漏れ出る爆音。

     酔っ払いの笑い声。

     ネオンに濡れた広島の夜は、岡山とはまた違う熱気を持っていた。

     黒服達が一斉に頭を下げる。

     男は軽く手を上げ、そのまま店内へ入っていく。

     重厚な扉。

     関係者用通路。

     狭い階段を登る。

     辿り着いたのは、ガラス張りの一室だった。

     クラブ全体を見下ろせるVIPルーム。

     だが。

     防音が効きすぎているせいか、部屋の中だけ異様に静かだった。

    「よぉ、ケンタ。遅かったのぉ」

     低い声。

     部屋の奥。

     革張りのソファに座る男が、書類から目を離さず言った。

    「これでも急いで来たんですけど。用件は――」

     言い終わる前だった。

     背後の男達に腕を取られ、床へ叩き伏せられる。

    「ッ……なんすか!!」

     ケンタは顔を上げ、ソファの男を睨みつけた。

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     狂楽會副総長。

     馬越 一。

     総長・難波 楽に代わり、実質的に組織を回している男だった。

     馬越は煙草へ火をつける。

    「用件も何も、お前」

     紫煙を吐く。

    「何してくれとんな」

     感情のない声。

     だからこそ、怖い。

    「ガクにお使い頼まれたからゆーて、天狗にでもなったつもりか?」

     馬越が軽く目配せをする。

     ケンタの腕が乱暴に机へ押しつけられた。

    「勝手なことしくさって。わしらの顔に泥塗るんか」

     チリチリと火が燃える。

     次の瞬間。

     煙草が、ケンタの手の甲へ押しつけられた。

    「ぐぅっ……!!」

     焦げた臭いが室内へ広がる。

    「外人共と手ぇ組んで、好き勝手やったそうじゃなぁ」

     ぐり、と煙草が捻られる。

    「無断で。勝手に。 なめとんか。」

     ケンタは歯を食いしばる。

     現場を知らないくせに。

     そう怒鳴りたかった。

     だが。

     言った瞬間、終わる。

    「飼い犬でいたいんなら、飼い主の言うことくらい聞けぇや」

     馬越は煙草を灰皿へ押し潰した。

    「まぁ、ええ」

     立ち上がり、奥のデスクへ向かう。

     並べられた酒瓶からウイスキーを注ぐ。

    「ほとぼり冷めるまで、お前は広島おれ」

     氷が鳴る。

    「処分はガクが戻ってきてからじゃ」

     その言葉だけで、ケンタの背筋が冷えた。

    「それまでは、駄犬の躾直しじゃな」

     ケンタは黒服達に引き摺られていく。

     扉が閉まる。

     静寂。

     馬越は眉間を摘んだ。

    「……ガクの阿呆はどこほっつき歩いとんじゃ」


          ◇


     玉島ハーバーブリッジへ続く産業道路。

     一台の黒いバンが、深夜の工業地帯を走っていた。

     昼間は大型トラックで溢れる道も、今は人気がない。

     水島海岸通り沿いの工場群だけが、まばらに白い光を吐き出している。

     バンが急停止した。

     扉が開く。

     男達が転がるように飛び出してきた。

    「タ、タイガさん!!」

    「どうした!! 失敗したんか!?」

     タイガは怪我より先に結果を聞いた。

    「なんであいつがおるんすか!!」

    「あいつ?」

    「鬼姫っすよ!!」

     タイガの顔から血の気が引く。

    「はぁ!?」

    「俺らが聞きたいっすよ!!」

     男は半泣きだった。

    「親父から借りた車ボロボロにっ!!」

     タイガは外へ飛び出す。

     そして絶句した。

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     後部ガラスは粉々。

     右スライドドアには、くっきりと自転車が跡が残っていた。

    「……クソが」

     額から汗が落ちる。

    「金は!? あの女はいつ来る!?」

    「零時っす!! ここで取引のはずで……!」

    「あと一時間半か……」

     タイガは震える膝を殴りつけた。

    「てめぇら、いつでも出られる準備しとけ。金受け取ったら即ずらかるぞ」

    「先輩……今からでもケンタさんに――」

    「馬鹿野郎!!」

     怒号。

    「兄貴は今、広島じゃろーが!!」

     唾を飛ばしながら叫ぶ。

    「その間に俺らで片付けるんじゃ!!」

     自分へ言い聞かせるみたいに。

    「人数集めろ!! 外人でも何でも使え!!」

    「でも俺ら、鬼姫一人に三十人以上――」

    「なら倍じゃ!!!」

     叫び声が倉庫へ響いた。


          ◇


     BARアラモット劇場には、珍しく静かなロックが流れていた。

     客は一人。

     そしてマスター。

    (気まずい)

     景気づけに飲んだ酒は、何の意味もなかった。

     カウンターに座る男。

     ジャージ。

     古びたちゃんちゃんこ。

     山帰りの匂い。

     泉守 甚哉。

     通称、ジンヤ。客からはそう呼ばれている。
     俺も酔っていれば呼べる。酔っていれば。

     月に数回だけ山から降りてくる男だった。

     いつもならジビエを抱えて現れ、そのまま鍋が始まる。

     だが今日は違う。

     二人きり。

     静寂が重い。

    「……おかわり、出します?」

     勇気を振り絞った接客。

     レンジは軽く頷き、ロックを飲み干した。

     氷が鳴る。

     カランカラン。

     ドアベル。

     入ってきた女は、ジンヤを見た。

     そして。

     勢いよく扉を閉めた。

    「待って!! 待ってシオンちゃん!!」

     マスターは泣きながら外へ飛び出す。

    「お願い!! 今だけ付き合って!!」

     数秒後。

     シオンは呆れ顔で戻ってきた。

    「……で? なんでアンタしかいないのよ」

    「知らん……」

    「やっぱ帰るわ」

    「お願いじゃって!!」

     シオンは深いため息をつき、レンジから少し距離を空けて座った。

    「あんたさ。周りに合わせる気ないわけ?」

    「……」

    「臭いし。山降りてくるならシャワーくらい浴びなさいよ」

     ジンヤは鼻で笑った。

    「はぁ!? 何その態度!!」

     シオンはロックを一気に煽る。

    「友達おらんの!? 自然がお友達なの!?」

    「お前もな」

     短い反撃。

    「あんたねぇ!!」

     酒。

     罵声。

     ため息。

     マスターは静かにテキーラを流し込んだ。

     しばらくして。

     シオンが煙草へ火をつける。

    「そういや、あんたんとこのパピー。変なのに目ぇつけられてるわよ」

     ジンヤの頭上に疑問符が浮かぶ。

    「だからトウカちゃんよ」

    「……トウカなら問題ない。強い」

    「いやそうじゃなくて!!」

     シオンが頭を抱える。

    「相変わらず鈍いわね!!」

     カランカラン。

    「おぉ! えらい雰囲気ええのぉ!」

     陽気な声。

     三人が入口を見る。

    「お! べっぴんさんまでおるやないか!」

     麦わら帽子の大男が豪快に笑いながら二人の間へ座った。

     マスターは静かに天井を見上げる。

    (なんで今日に限って……)


          ◇


     ゴッ!!

     ボウリング場へ鈍い音が響いた。

     吹き飛んだ男がレーン脇へ突っ込む。

    「姐さん!! 分かりました!!」

    「おせぇ」

     トウカは振り返らない。

    「どこ」

    「玉島の倉庫街です!! 事故ったバンがそっち逃げたって!!」

     温羅蓮華による捜索開始から、一時間。

     集会場。

     ゲーセン。

     コンビニ。

     夜の不良どもの溜まり場は、片っ端から潰されていた。

    「行くぞ」

     トウカは足元のボウリング玉を見下ろした。

     そして。

     ガンッ!!

     振り下ろされた踵が、ボウリング玉を叩き割る。

     乾いた破裂音。

     砕けた破片がレーンへ飛び散った。

     一瞬。

     場が静まり返る。

    「押忍!!!」

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          ◇

     七台の単車が倉庫街へ雪崩れ込む。

    「なんだてめぇら!!」

     見張りが叫ぶ。

    「邪魔」

     トウカは真っ直ぐ歩き出した。

    「押忍!! 大将の通り道だ!! 掃除しろ!!」

     久我修司の号令。

     五人が飛び出す。

     拳。

     蹴り。

     掌底。

     悲鳴すら上がらない。

     武器はいらない。

     必要ない。

     トウカは止まらない。
     歩みを進める先は、次々と開けていく。

     助けたい。

     無事でいてほしい。

     もし。

     イオリが自分のせいで巻き込まれたのなら。

     胸が苦しい。

     それでも。

     やるしかない。

     私が。

     ヤル。

     気づけば倉庫前だった。

    「……ボウリング、してぇな」

     トウカが呟く。

    「たま、用意して」

    「わかった」

     久我が前へ出る。

    「リン。お前は左を」

    「うるせぇ。指図すんな」

     早瀬 凛が気怠そうに返した。

    「1分だ」

     二人が走る。

     鈍い音。

     呻き声。

     数十秒後。

     敵達が綺麗に並べられていた。

          ◇

     倉庫内。

    「来た……!!」

     シャッターへ衝撃。

     バァン!!

     人型が浮かぶ。

     一つ。

     また一つ。

     また一つ。

     誰も動けなかった。

     そして。

     ガシャァァン!!!

     シャッターが吹き飛ぶ。

    「よっ! ナイス! ストライク!!」

     外から凛の声。

     砕けたシャッターの向こう。

     月明かり。

     熱気。

     そして。

     あの女が入ってくる。

     純白の特攻服。

     赤く染まった肌。

     湯気みたいな熱。

     鬼姫。

     温羅蓮華総長 城代 桃花 が。

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     トウカは倉庫中央で立ち止まり、周囲を見渡した。

     そして。

     イオリを見つける。

     縄で縛られている。

     顔も腫れている。

     それでも、生きていた。

     その瞬間だけ。

     鬼姫の顔から力が抜けた。

     よかった。

     口元が少し緩む。

     タイガは、その笑みを見た。

     背筋が凍る。

    「スゥゥゥ……」

     鬼が息を吸う。

    「よぉ」

     八重歯が光った。

    「てめぇ、小銭持っとるか?」

     理解できない。

     だが。

     もう逃げられない。

    「うぉぉぉぉぉ!!!!」

     タイガ金属バットを振り被り、勢いに任せ突っ込んでいく。
     雄たけびを上げていないと、今にでも逃げ出しそうだった。

     瞬間。

     トウカが消えた。

    「――は?」

     目の前。

     鬼の顔。

     ドォッ!!!

     拳がみぞおちへ突き刺さる。

     骨が軋む。

     景色が吹き飛ぶ。

     鉄骨。

     ドラム缶。

     コンテナ。

     全部薙ぎ倒しながら、タイガの身体が壁へ叩きつけられた。

     ゴバァッ!!

     血飛沫。

     壁が割れる。

     周囲の男達は一斉に逃げ出した。

     だが。

     久我と凛が塞いでいる。

     壁から崩れ落ちるタイガ。

     鬼は止まらない。

     チャリン。

     チャリン。

     小銭が転がる。

     トウカが見下ろしていた。

    「小銭ないなら貸したげる」

     右脚が、ゆっくり天へ伸びる。

     月を背負ったその姿は。

     まるで処刑人だった。

    「渡し賃じゃ」

     踵が振り下ろされる。

     ドゴォォォォン!!!!

     倉庫全体が揺れた。

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         ◇

    「姐さん、めっちゃキレとったな……」

    「あぁ……」

    「南無阿弥陀……」

     誰かが手を合わせる。

    「おい!!」

     倉庫内からトウカの声。

    「どうした」

     久我が戻る。

    「コイツを茶店まで送れ」

     視線の先。

     意識を失ったイオリ。

    「わかった」

     久我は軽々と担ぎ上げた。

    「姐さんもずらかりましょう」

     凛がポケットへ手を突っ込んだまま言う。

    「……少し一人にしろ」

    「……後で迎え来ますね」

     単車の音が遠ざかる。


          ◇


     トウカは防波堤へ腰掛け、月を見ていた。

    「よかった……」

     小さな声。

    「イオリくん……」

     鬼はいない。

     そこにいたのは、一人の少女だった。

    「無事で、よかった……」

     膝へ額を押し当てる。

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     そして。

     ぽつりと呟く。

    「……見られて、ないよね」

     遠くから、迎えの単車の音が近づいてくる。

     春の夜風は、少しだけ冷たかった。




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    おまけ
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    持ってません…
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    言うこと聞かないチャッピーめ!
     
     
    ようこそ、ブルーモカヘ。 ここは、珈琲の香りとため息の間にある小さな喫茶店。 笑いも愚痴も、全部ひと口のエッセイに。 熱すぎず、冷めすぎず、そんな文章をお出しします。

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