
1年3ヶ月ニートした結果がこれ|令和のこころあとがき
昨日で夏目漱石の「こころ」を令和にタイムスリップさせてみる試み、「令和のこころ」の執筆が終わりました。
まさかこんなことを始めるなんて、半年前の自分は微塵も思ってませんでした。
正直全く読まれていません(泣)
でも書かざるを得なかったというか、途中で止めるのも気持ち悪かったですし、何かに突き動かされていた感覚がありました。
半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
まさにこの心理状態でした。
ではなぜこんなことを始めたのかというと、自分でもよくわかりません。
ただ一年と三ヶ月の間、何もしてなかったことが関係してるんじゃないかと思います。
俗にいうニートでした。
ほとんど人と関わっていませんでした。
ニートになって一年が経とうとしていた頃、そろそろ働かないとやばい、と思い始めた矢先、急にこのアイデアが降って湧いてきてしまったのです。
ニート期間の振り返りと、「こころ」という小説と自分との関係について、令和のこころのあとがきとして、思いつくままに書いてみようと思います。
ニート誕生から「こころ」の再読まで
去年の四月に人生で初めてニートになりました。
三月末で仕事を退職し、それまでの人間関係もほとんどなくなりました。
社会的に見れば病気の診断がつくのかもしれませんが、自覚はなかったですし、社会生活を妨げるような自他の障害も無かったですし、純粋な選択のつもりでした。
走り続けたこれまでの人生を一度立ち止まってみたかった、というと、いかにもニートらしい言い訳に聞こえますが、そんな感じです。
小学生から始まった勉強、受験、就職、仕事における競争を、レールに乗ってある程度やり切って、このまま続けた時に希望が見えなくなったんだと思います。
責任も、人間関係も、どんどん積み重なっていって、キャパオーバーを迎えてしまいました。
ニートになって三ヶ月くらいは、これまでになく快適な生活でした。
決まった時間に起きなくて良いし、友人と旅行にも行ったし、仕事や人間関係で抱えるようなストレスが0なのは本当に楽でした。
段々としんどさを感じ始めたのは、半年くらい経った頃からです。
仕事を辞めてからもある程度続いていた人間関係もなくなり、一人で旅行する気もなくなり、貯金は減っていく一方で、日に日に基礎体力とやる気が目減していくのを感じました。
何もやることがないと、内面世界にどんどん潜っていくことになります。
せっかくのニート期間なんだからと、ノート二冊分くらい自己分析や各種ワークと、これまでの人生の棚卸しをしてみたり。
その時、ふと読む気になったのが「こころ」だったのです。
「こころ」と私の人生
「こころ」は不思議な小説です。
初めて読んだのは高校生の授業の時でした。
この時は主に、先生とKとお嬢さんの三角関係について焦点が当てられたり、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」みたいな名言をわかりやすく説明しましょう、みたいな授業的な読み方をしていました。
そもそも上編と中編はほとんど読んでないですし、下編もテストで出てくる箇所以外ほとんど覚えてなかったので、全くと言っていいほど話の内容は把握していませんでした。
それでも、その時から何か胸にひっかかるものがあったんだと思います。
次に読んだのは大学生の時でした。
自分は別の本を選んだのですが、大学の授業の読書感想文の課題図書の1つに選ばれていたのがきっかけだったように思います。
なんとなく再読してみようと思いました。
その当時は、勉強のプレッシャーや、親からの進路(就活)のプレッシャーなどがあり、自分の状況をKに重ねて読んでたのをよく覚えています。
中編は昔と同じく全く頭に入ってこずに、Kに同情し、先生に憧れていたような読み方をしていました。
憧れと理解とは最も遠い感情というように、先生のことは全く理解できなかったように思います。
そして三度目の読書が、今回のニート期間のタイミングでした。
この時の読書は本当に驚きました。
大学生から社会人にかけて多少小説を読んできたのもあってか、やっと「こころ」の全貌が掴めるようになっていたのです。
それだけではありません。
「こころ」のストーリーが、主人公が、Kが、先生が、全員自分の中にいることに気付きました。
人生悟った風に人間不信を語る謎の金持ちニートの先生に憧れる主人公。
自分が決めた道を誰の助けも借りずに歩もうとして耐えられなくなってしまうK。
両親を亡くし叔父に騙されたことを恨み続けた結果、友人を騙し自分も叔父と同じ人間だったことを悟ってしまう先生。
全員自分の中にいたのです。
いたというより、全く同じことを体験してきた人生でした。
特に、ニート期の直前に、自分はずっと被害者だと思って生きてたつもりだったのに、ふとしたきっかけで同じような加害者になっていた、という事件が起きたのです。
このショックは相当のものでした。自分が被害者だと思ってる間は、自分の加害性に無自覚なんですよね。
「こころ」という小説が人間の普遍的な心理や人生経験を扱っているのか、はたまた夏目漱石の人生(これも割と自分の人生にリンクしてる)と自分の人生がたまたま親和性が高かっただけなのか。
どちらにせよ、「こころ」という小説の奥深さというか、普遍性みたいなものを、ニート歴半年だった私は体験したのです。
その時は結局読みっぱなしで、特に何を書くでもありませんでした。
夏目漱石のwikipediaだけは熟読したような気がします。
ニートの終わりと「令和のこころ」の始まり
ニート歴半年から一年の間は本当につらかったです。
金銭的なつらさもありましたが、何より人と関わらない生活がこんなに虚しいものだとは思いませんでした。
友達がたくさんいたり、自分からアクティブにコミュニティに飛び込んでいける勇気があれば、ニート生活も楽しく過ごせるのかもしれません。
そう考えたこともありますが、ニートという肩書きが、お前はそれをする資格がない男だ、と私を抑え付けてきたのです。
Kを裏切った先生みたいですね。
ニート以前は煩わしかった人間関係ですが、ニートになってしばらくすると、それが最も必要なものに感じました。
学生の頃はFIRE生活を夢見たり、AIの登場でベーシックインカムの導入なんかも夢見たりもしましたが、人間、人付き合いがなくなったら生きていけないな、ということを腹の底から実感することができました。
そうしてニート期間が一年になろうとした頃、就活を始めました。
社会と関わりたいという純粋な気持ちもありましたが、それ以上ニート期間が伸びると再就職もどんどん難しくなりそうですし、何より体力と気力がほぼ0に近づいていた恐怖からの行動でもありました。
その時でした。
急に「こころ」の小説を思い出したのです。
しかも令和版にして自分なりにアレンジして書いてみよう
なんて発想が降ってきてしまいました。就活を始めたばかりのタイミングです。
今思い返しても、やっぱり何のきっかけもないですし、不思議です。
就活を始めて頭がハイになっていたのか、全く何もしていなかったニート期間にせめてこれだけはやった、という実績が残したかったのか、わかりません。
そのアイデアが浮かんでからは、あっという間に三月が過ぎ去った気がします。
最初は移植のアイデアをAIと壁打ちしながら決めて、文章もチャッピーやgeminiに全部令和版に翻訳させようと思っていたのですが
やはりAI臭みたいな淡白さと、ストーリーはそれっぽいけど所々文脈が全然違っている、みたいなことが多発して、結局自力で令和版に移植することにしました。
たまに就活をして、夜から深夜にかけてはずっと執筆をしていました。
執筆といっても完全なオリジナルを0から生み出すわけではなかったので、英文の翻訳作業に近いような頭の使い方だったと思います。
一ヶ月をほとんど丸々使って大枠が完成したのですが、それが出来上がった後、謎にオリジナル要素を入れたくなってしまいました。
それが挿入した零話と五十七話です。
「令和のこころ」で描きたかったこと
ニート歴半年の時に「こころ」を読んだ時、初めに浮かんだ感想は、主人公も先生もKも、全員しょうもない、ということでした。
全員まだ子供で、甘えがあって、まだ社会人になる前なんだよな、と思いました。
私は、その三人と、その三人みたいな自分と、ニートの自分が嫌だったので、全員をこき下ろすことにしました。
主人公は、よくわからない金持ちインテリニート(先生)に感化されて、就職もせずに父親の死に目から逃げ出したクズでした。
だから令和のこころでは、虚業家の先生に騙されて、先生の自己顕示欲の塊である遺書と、プライバシーの塊であるKの遺書を高額で販売させられて、結果何も得られない、という結末にしました。
これを連載しながら本当読まれなくて、主人公と同じ心情になって非常に悔しい思いをしました笑。
「令和のこころ」は主人公がnoteにアップしてる設定のメタフィクションになっているのですが、結局書いてるのは自分な訳で、その設定にした自分の気持ち悪さにも苦しみました。
Kは、意気揚々と親の敷いたレールから飛び出した割に、誰にも助けを求められないようなコミュ障で、お嬢さんにも気持ちを伝えられず(というか最初から先生とできてたのに身を引けず)、先生からも裏切られてしまうという情けない男でした。
いくらハイスペでもそんな情けないKのこころの内を、全部AIに解剖してもおうと思い、五十七話を挿入しました。
ここだけ当時のgeminiにAIパートを担当してもらったのですが、めちゃくちゃ出来が良くて驚きました。
「こころ」とは過剰な一貫性が引き起こす摩擦熱の別名、という台詞は自分にもブッ刺さってつらかったです。
誰にも読まれないなら書くのをやめればいいのに、過剰な一貫性に苦しめられました。
先生は、叔父に騙されたと言いつつ、両親の葬儀後の手続きを叔父に丸投げして、地元の付き合いを全て放り出した癖に、利子だけで使い切れないくらいの資産はちゃっかり残っていたクズです。
その金銭的余裕からか、未亡人の奥さんとお嬢さんと仲良くなって、親友であるKを陥れたようなかたちになってしまいます。
ここまでならまだ救いようがあるのですが、謎に罪の意識に苦しんだ結果、妻を残して勝手に死んでしまうという、本物のクズです。
令和のこころでは、これといって先生をこき下ろすようなことはできなかったのですが、全体を通してクズっぷりが滲むようには書いてみました。
でも結局そんなクズな先生がかっこいいんだよな、と思っている自分に苦しみました。
この小説を書き切ったことで、自分の中の三人が成仏して、普通の社会生活が送れるようになってたらいいなと願っています。
まとめ
この記事を書いて私のニート期間は終わりました。
ニートは本当碌なもんじゃないです。
ニートの人を批判する気は一切ないですし、それで楽しんでる方はむしろ尊敬しますが、楽しそうだから、楽したいから、でニートになるのは心からおすすめできません。
「こころ」を誰よりも読み込んで、誰にも読まれない令和版のこころを書き切ったという、謎のプライドが一つ刻まれてしまったからです。
こういうのは本当に社会生活上不要な重りだなと、この執筆を通して感じました。矛盾してますね。
「令和のこころ」は一話に一曲もしくは何曲か、その話にあった音楽が歌詞として挿入されています。
この試みは本当に大変でしたけど、すごく楽しかったですし、自分の人生というか魂が乗ってる感じがします。
それが全く読まれないのはつらいですよね。
創作で承認欲求を満たそうとするのはやめて、順当に社会貢献しながら、普通の社会生活が送れるように頑張ろうと思います。