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【小説】花泥棒と秘密の猿たち 〈第37話〉 最終回

    18=10/15-11/13

     7188氏との別れから一週間後、叔父の容体は急変した。彼はあっけなく亡くなった。母は二ヶ月のあいだに夫を含めて喪主を二回務めた。終わったあとは抜け殻のようになっていた。
     周囲の人間は母の度重なる不幸に同情して胸を痛めた。だが、僕ら家族に現実的な問題として立ちはだかったのが葬儀費用だ。叔父は家族葬で執り行われたものの、父が残した貯金はだいぶ目減りしてしまった。
     警察は父の死を自殺だと判断したが、失踪した弟も重要参考人として話を聞く必要があるというスタンスをとっているため捜査はまだ打ち切られていない。懸命な捜索活動を経ていても見つからない現状は、もう捜査の及ばないほど遠くへ行ってしまっている可能性が高い。その現実は母を悲しませた。
     僕が大学へ進学するだけの金銭的余裕はあると母は話したが、いささか信憑性に欠けていた。自殺の場合、積み立てた保険金について免責期間は二・三年を要する。捜査が終わるまでに無事支払われる保証はどこにもなかった。進学するにせよ奨学金を狙わなければならないし、就職するにせよ進路を定めなければならない。
     僕は喫緊で決断を迫られていた。
     当然のように家の中は荒れ果てるようになった。自暴自棄になった母親は日中のほとんどを縁側の藤椅子に座って過ごし、献身的に世話をしていたバラに手を入れるのもやめ、家事の一切を放棄した。もっとも彼女を責めるわけにもいかない。伴侶である父と血を分けた弟である叔父が死に、溺愛していた息子である裕喜が姿を消したのだ。喪失感は彼女の精神を破壊した。身重である彼女をそれ以上苦しめようだとは、誰しも思えるはずがなかった。
     暫定的に、僕がこれから家のすべてを取り仕切るようになった。
     王様になるという叔父の予言は少なくとも、はずれることはなくなった。

     花村とのバンド練習とそのあとにおこなった年末年始に向けたライブ企画の打ち合わせを終えて、帰宅したのは夜十時過ぎだった。
     居間の照明とテレビがつけっぱなしになっている。母親がいると思ったら、例によってすぐそばにある縁側の藤椅子に座り、どうやら寝息をたてているようだ。
     寝室から毛布を持ってきた僕は、食卓をふと見やる。
     何ヶ月か前まで、ここでは僕ら家族五人が一緒に食事をしていた。
     神経質そうな顔で父が朝食を食べていた。
     夕食時に父は欠席しがちだったけれど、弟も確かにここにいた。叔父はおしゃべりで、テレビの音なんかかき消されて聞こえないほどだった。
     男手がいなくなってしまったこの家がとても広いように感じた。どうでもいいテレビのバラエティ番組がやけにうるさくなってしまった。

     藤椅子に座って眠る母に毛布をかけようとすると、長いまつ毛を揺らして彼女は目を覚ました。母はごめんねと言って軽く伸びをする。
    「ちゃんと暖かくして寝て。もう一人のからだじゃないんだから」
     気遣った僕に母はふくれっ面で「生意気言わないの。翼に言われるとかなんだか変な感じがするわ」と応える。
    「でも、翼の言うとおりね。お父さんが残してくれた命だもの」
     あくまで母は嘘を貫くつもりだった。彼女は嘘で塗り固めた自分の世界を真実だと捉え、これからの余生を過ごすだろう。しかしそれも彼女の意思だ。僕は彼女の哲学を曲げられない。だからただ口角を引き上げて、母を安心させようとした。それから黙って、その場を離れた。
     何も食べていないというので母のために夜食の準備に取り掛かる。台所に向かい、白米を一合だけ早炊きにしてセットした。冷蔵庫を確認する。わかめと豆腐の味噌汁を作ろうとした。

      今わたしの願いごとが
      かなうならば翼が欲しい

    「翼をください」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)

     ——縁側から歌声が聴こえてきた。沸騰させたお湯で味噌をといたあと、豆腐を手のひらでサイの目で切っているときだ。僕はその歌がなんだかわかった。

      この大空に翼を広げ飛んでゆきたいよ
      悲しみのない自由な空へ翼はためかせゆきたい

    「翼をください」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)

    母は透き通った歌声を持っていた。きっと何も。僕は思った。きっと僕が何も知らなかったならば、素直な気持ちでその歌を聴けただろうに。
     僕はエプロンの前掛け部分で濡れた手を拭いてから母のもとへ近づき、かたわらに腰を下ろした。
    「あなたが生まれてきたころを思い出していたの」と母ははにかむような笑みを浮かべて僕を見つめる。お腹はすこし大きくなっているみたいだ。
    「どんな感じだった?」
    「そうね……。お父さんがそばにいたわ。ふたり一緒に、どんな子になるんだろうねって、話してた」
     母は微笑んだままお腹をゆっくりとさする。
    「今日、超音波検査に行ったの。この子は女の子で、あなたの妹よ。女ばかりで、かしましくなるかもしれないね」
     僕は想像する。やがて家族の一員となる女の子のことを。彼女の未来がどうか平穏なものであればいいと思った。
     お腹の中の子供が産まれてやがて大きくなったとき、ひょっとしたら父親について僕に聞くかもしれない。真実を知りたいと、僕に願うかもしれない。そのとき僕はどうするだろうか。きっと叔父が僕にしてくれたように、その子の道しるべになろうとするだろう。楽しい出来事があればともに喜び、悲しい出来事があればともに泣こうとするだろう。自分に出来ることがあるとするならば、それぐらいしか思いつかなかった。
     数ヶ月先に生まれるはずの赤ん坊の未来にはすべて受け入れる強い心が必要だった。
     それはきっと僕自身にも言えるのだと思った。
     母は生まれてくる赤ん坊の名前を決めかねているようで、僕に相談した。
    「女の子らしい名前がいいよ」と僕は言った。






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    働きながら文筆業・編集制作。小説の読み書きと猫が好き。小説『覗き見るもの』第55回新潮新人賞最終候補。THE ROYAL NINE MINUTES、Mrs.queezeなどでドラム・パーカッション担当。 NAYUTA、少年憧憬社代表。お仕事のご相談はDMください。

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