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読むギャラリー #02 フィンセント・ファン・ゴッホは、夜を青く塗った。

    カノマコト



    第一節 ジャガイモを食べる人々――まだ土の色だった


    ゴッホの絵は、最初から黄色かったわけではない。
    むしろ、暗かった。
    土の色。
    煤けた壁の色。
    一日の仕事を終えた人間の服の色。
    一八八五年。
    オランダ南部、ニューネン。
    三十二歳のフィンセント・ファン・ゴッホは、農民の顔を描いていた。
    まだパリを知らない。
    南フランスの太陽も知らない。
    浮世絵も、ゴーギャンも、黄色い家もない。
    あるのは、畑と、農家と、そこで働く人々だった。
    フィンセントは農家へ通った。
    顔を描いた。
    手を描いた。
    また顔を描いた。
    冬のあいだ、それを繰り返した。
    彼は農民を美しく描こうとはしなかった。
    日に焼けた顔。
    太い指。
    節くれだった手。
    疲れた身体。
    それでよかった。
    いや、そうでなければならなかった。
    彼が描きたかったのは、「農民らしい農民」ではない。
    土から帰ってきた人間だった。
    ある夜、五人の一家が小さなランプの下に集まった。
    食卓にはジャガイモがある。
    それだけである。
    豪華な料理はない。
    白いテーブルクロスもない。
    五人は、昼間、自分たちが掘ったものを、
    夜、自分たちの手で食べる。
    フィンセントは、その手を見ていた。
    弟テオへの手紙で、彼はこの絵について繰り返し説明している。
    皿に伸ばしているその手は、昼間、土を耕した手なのだ。
    だからこの人たちは、自分たちが働いて得た食べ物を、
    自分たちで食べているのだ、と。
    フィンセントにとって、
    そこが大事だった。
    貧しい人間を描きたかったのではない。
    働いている人間を描きたかった。
    同情ではない。
    敬意だった。
    そして出来上がったのが、
    《ジャガイモを食べる人々》。

    ――ここで、一度絵を見てほしい。

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    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《ジャガイモを食べる人々》1885年

    暗い。
    私たちが知っているゴッホとは、
    ずいぶん違う。
    《ひまわり》の黄色はない。
    《星月夜》の青もない。
    人物の顔は美しくない。
    手は大きい。
    部屋は狭い。
    ランプは灯っているのに、
    暖かそうにも見えない。
    そして、誰も笑っていない。
    一見すると、ずいぶん不器用な絵である。
    だが、フィンセントはこの一枚を、自分が画家として世に出るための作品にしようとしていた。
    そのために、農民の頭を描いた。
    手を描いた。
    何度も描いた。
    習作を重ねた。
    つまり、たまたま出来上がった暗い絵ではない。
    彼は考えていた。
    準備していた。
    そして、しつこいほど描いた。
    この「しつこさ」は、この先もフィンセントについて回る。
    人を好きになる。
    好きになりすぎる。
    何かを信じる。
    信じすぎる。
    誰かの役に立とうとする。
    やりすぎる。
    絵を描く。
    描きすぎる。
    フィンセント・ファン・ゴッホという人間は、
    だいたいいつも、少し多い。
    そのために、人とうまくいかないこともあった。
    だが、絵についてだけは、
    その「少し多い」が、やがて恐ろしい力になる。
    このころ、そのことを知っている人はほとんどいなかった。
    絵を買う客も、ほとんどいない。
    名声もない。
    仲間も少ない。
    フィンセントが、自分の絵について長い長い説明を送る相手は、
    いつも同じだった。
    弟のテオである。
    フィンセントが描く。
    テオへ手紙を書く。
    テオが読む。
    またフィンセントが描く。
    この兄弟のあいだを、これから何年も、
    絵と手紙が往復することになる。
    世界はまだ、ゴッホを知らない。
    だが、テオは知っていた。
    少なくとも、兄が何かを見つけようとしていることだけは、見続けていた。
    そして、もう一度、
    《ジャガイモを食べる人々》を見てみる。
    暗い。
    やはり暗い。
    だが最初に見たときより、
    この暗さが、少し違って見えないだろうか。
    これは、まだ色を知らなかった男の絵ではない。
    土の中にいる人間を、土の色で描こうとした男の絵である。
    私たちが知っている「あのゴッホ」は、まだここにはいない。
    夜を青く塗る男も。
    部屋いっぱいにひまわりを飾る男も。
    ここにいるのは、薄暗い農家の食卓の前で、
    人間の手を見つめている三十二歳の男だけだった。
    まだ、土の色だった。

    第二節 黄色い家――ゴッホは「日本」を探していた


    三年後。
    その土の色が、
    消える。
    では、次の絵へ行こう。
    一八八六年。
    フィンセントは弟テオを頼って、パリへ出た。
    そこで彼は、
    明るい絵を見た。
    印象派を見た。
    新しい画家たちに会った。
    そして、日本を見た。
    正確には、日本の浮世絵を見た。
    フィンセントは夢中になった。
    平らな色。
    大胆な構図。
    途中で切れる木。
    画面の端へ追いやられた人物。
    西洋絵画とは、世界の切り取り方そのものが違っていた。
    彼は浮世絵を集めた。
    壁に飾った。
    模写までした。
    そして、まだ一度も行ったことのない国について、だんだん詳しくなった。
    ――つもりになった。
    フィンセントの頭の中には、一つの「日本」が出来上がっていった。
    明るい。
    自然が豊かだ。
    人々は自然とともに暮らしている。
    画家たちは互いに助け合いながら絵を描いている。
    もちろん、かなりフィンセント製の日本である。
    本当の日本とは、
    だいぶ違う。
    だが彼は、
    そういうことにはあまりめげない。
    一八八八年。
    フィンセントはパリを離れ、
    南フランスのアルルへ向かった。
    そこで、
    強い太陽を見た。
    青い空を見た。
    果樹園を見た。
    乾いた土地を見た。
    そして思った。
    ここだ。
    日本だ。
    もちろん、
    アルルは日本ではない。
    だがフィンセントには、
    そう見えた。
    人間は、ときどき、探していたものを、自分の見たい場所に見つける。
    フィンセントは、南フランスで日本を見つけた。
    すると、絵の色が変わった。
    黄色。
    青。
    緑。
    赤。
    《ジャガイモを食べる人々》のころ、
    色は土の中に沈んでいた。
    いま、色が外へ飛び出してくる。
    そのころフィンセントは、
    アルル駅の近くに一軒の家を借りた。
    壁が黄色かった。
    だから、黄色い家。
    名前はそのままである。
    だが彼にとって、ただの住居ではなかった。
    ここに、画家を集める。
    一緒に暮らす。
    絵を描く。
    食事をする。
    夜まで芸術について話す。
    そしてまた、次の日も描く。
    フィンセントは、画家たちの共同体を作ろうとしていた。
    彼が頭の中で作り上げた、あの「日本」のように。
    まだ、誰も来ていない。それでもフィンセントは、
    家を用意した。
    家具を置いた。
    部屋を整えた。
    そして、待った。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

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    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《黄色い家》1888年

    明るい。
    第一節の絵を思い出してほしい。
    暗い農家。
    小さなランプ。
    土の色。
    それが、
    三年でこうなった。
    黄色い壁。
    青い空。
    緑の鎧戸。
    道を歩く人。
    遠くには列車まで走っている。
    同じ画家である。
    けれど、
    世界が違う。
    《ジャガイモを食べる人々》では、
    一つのランプが、
    暗い部屋を照らしていた。
    ここでは、
    外の世界そのものが光っている。
    ただし、
    この家を「ゴッホが住んでいた家」とだけ見ると、
    少しもったいない。
    フィンセントが描いているのは、
    まだ始まっていない生活でもある。
    ここへ画家が来る。
    朝、一緒に出かける。
    それぞれ絵を描く。
    夕方、帰ってくる。
    食事をする。
    絵について話す。
    明日また描く。
    そんな日々を、
    彼は先に見ていた。
    現実には、まだ誰もいない。
    だから、この絵には少し妙なところがある。
    明るいのに、待っている。
    人がいるのに、まだ足りない。
    家は建っているのに、フィンセントが本当に欲しかったものは、
    まだ中にない。
    仲間である。
    三年前、彼が描いていたのは、
    一日の仕事を終えた人々が囲む食卓だった。
    そして今、自分も、誰かと食卓を囲みたがっている。
    そう思ってもう一度《黄色い家》を見ると、
    黄色が少し違って見える。
    ただ明るい色ではない。
    これは、
    期待の色なのかもしれない。
    フィンセントは待った。
    だが、
    なかなか誰も来ない。
    そしてようやく、
    一人の画家がやって来る。
    ポール・ゴーギャン。
    フィンセントは、
    その男が来ると決まると、
    もっと張り切った。
    客室を飾ろうとした。
    何を飾るか。
    花である。
    黄色い家に、
    黄色い花。
    彼は、
    ひまわりを描き始めた。
    もちろん、
    一枚では終わらなかった。
    フィンセントという男は、
    やはり、
    少し多い。
    次の展示は、
    《ひまわり》。

    第三節 ひまわり――誰かを待っていた花


    では、次の絵へ行こう。
    《ひまわり》。
    たぶん、ゴッホの名前を知らなくても、
    この花は知っている。
    ポスターになる。
    絵葉書になる。
    カレンダーになる。
    マグカップにもなる。
    世界でもっとも有名な花の一つである。
    有名になりすぎると、
    絵は少し困ったことになる。
    見なくても、知っている気になる。
    黄色い背景。
    黄色い花瓶。
    黄色い花。
    ゴッホ。
    はい、知っている。
    それで終わってしまう。
    だが、
    少し前へ戻ろう。
    フィンセントは、
    黄色い家で誰かを待っていた。
    画家を集めたかった。
    一緒に暮らしたかった。
    一緒に絵を描きたかった。
    しかし、
    なかなか誰も来ない。
    そこへ、
    ようやく一人、
    来てくれることになった。
    ポール・ゴーギャン。
    フィンセントは喜んだ。
    かなり喜んだ。
    部屋を整えた。
    家具を用意した。
    そして、
    壁に飾る絵まで考えた。
    普通なら、ここまでで十分である
    だが、フィンセントには、十分ではなかった。
    花を描こう。
    ひまわりを。
    一八八八年八月。
    アルルは暑かった。
    ひまわりは咲く。そして、すぐに萎れる。
    だからフィンセントは、朝から描いた。花を用意する。
    描く。
    次の花を用意する。
    また描く。
    何枚も描く。
    客が一人来るだけなのだが、歓迎にも、手加減がない。
    フィンセントという男は、やはり、少し多い。
    彼の頭の中では、もう共同生活が始まっていた。
    黄色い家。
    黄色い部屋。
    黄色い花。
    そこへ、ゴーギャンが来る。
    これから毎日、二人で絵を描く。
    やがて、もっと画家が集まる。
    フィンセントが夢見た「南のアトリエ」がここから始まる。
    まだ始まっていない。
    だが、彼にはもう見えていた。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

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    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《ひまわり》1888年

    黄色い。本当に、黄色い。
    背景も。
    花瓶も。
    花も。だが、同じ黄色ではない。
    明るい黄色。
    濁った黄色。
    緑に近い黄色。
    茶色へ向かう黄色。そして、花も同じではない。
    大きく開いたもの。
    まだ若いもの。
    花びらを失い始めたもの。
    種をつけたもの。
    咲いている花と、
    咲き終わろうとしている花が、
    一緒に入っている。
    近づいて見ると、
    さらに騒がしい。
    花びらには、筆の跡が残っている。
    種のところには、絵の具が厚く置かれている。
    静物画なのに、あまり静かではない。
    フィンセントが、急いでいるようにも見える。
    花が萎れる前に。
    ゴーギャンが来る前に。
    これから始まる生活に、間に合わせるために。
    そして実際に、《ひまわり》は、ゴーギャンを迎える部屋を飾った。
    ここで、もう一度見てみる。
    すると、少し違って見えないだろうか。
    これは、ただ花を描いた絵ではない。
    誰かを迎えるために描いた絵である。
    そう思うと、黄色まで違って見える。
    明るい。
    派手だ。
    生命力がある。
    だが、それだけではない。
    少し、健気である。
    三年前。
    フィンセントは、暗い農家で、五人の家族が囲む食卓を描いた。
    そして今、自分も、誰かと食卓を囲みたがっている。
    家を借りた。
    部屋を整えた。
    花まで描いた。あとは、友人が来ればいい。
    一八八八年十月。
    ゴーギャンは、本当に来た。
    黄色い家の扉を、開けた。
    その瞬間だけを見れば、フィンセントの夢は、
    叶ったことになる。
    少なくとも、一人は来た。
    だが、人間は、絵のようにはいかない。
    花は、好きな場所へ置ける。
    色も、好きなように並べられる。
    けれど、人間はそうではない。
    フィンセントとゴーギャンは、同じ家で暮らし始める。
    そして、同じ家にいながら、少しずつ、別の場所へ向かっていく。
    次の展示室には、花はない。
    人もいない。
    あるのは、一脚の椅子だけである。
    《ゴーギャンの椅子》。

    第四節 空っぽの椅子――ゴーギャン


    ゴーギャンは、本当に来た。
    一八八八年十月。フィンセントが待ち続けた男が、黄色い家へやって来た。これで、夢が始まる。
    少なくとも、フィンセントはそう思った。
    朝、絵を描く。
    夜、絵について話す。
    また朝になれば、絵を描く。
    やがて、ほかの画家も来る。
    黄色い家が、画家たちの家になる。
    ずっと考えていたことが、ようやく現実になった。
    だが、夢というものは、始まるまでのほうが、うまくできていることがある。
    フィンセントとゴーギャンは、ずいぶん違う二人だった。
    フィンセントは、目の前にあるものを見たかった。
    外へ出る。
    畑を見る。
    木を見る。
    空を見る。
    その場で描く。
    ゴーギャンは、必ずしもそうではない。
    見たものを、いったん自分の中へ持ち帰る。
    記憶する。
    考える。
    そして、そこにないものまで加えて描く。
    フィンセントは、そんなゴーギャンを尊敬していた。
    だから、話したかった。もっと話したかった。
    違う意見が出れば、なおさら話したかった。
    問題は、ゴーギャンが同じ量だけ話したかったかどうかである。
    好きな相手ほど、近づきすぎる。
    フィンセントには、そういうところがある。
    友情についても、やはり、少し多い。
    二人は絵について話した。描いた。
    議論した。
    また描いた。同じ家に住んでいるのに、同じ絵を目指しているわけではなかった。
    そのころ、フィンセントは二脚の椅子を描いている。
    一脚は、自分の椅子。
    簡素な木の椅子だった。
    座面には、パイプと煙草入れ。
    昼の光。
    もう一脚は、ゴーギャンの椅子。
    こちらは、少し立派な肘掛け椅子である。
    夜。
    座面には本。
    その上には、灯り。
    同じ黄色い家にある、二つの椅子。
    だが、見比べると、まるで違う。
    フィンセントは、家具を描いていたのではない。
    人間を、椅子で描いていた。
    自分は、素朴な木の椅子。
    ゴーギャンは、夜の中の肘掛け椅子。
    自分には、パイプ。
    ゴーギャンには、本と灯り。
    二人は同じ家にいる。
    けれど、フィンセントの目には、これほど違って見えていた。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

    画像
    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《ゴーギャンの椅子》1888年

    人はいない。
    椅子だけがある。
    赤。
    緑。
    黄色。
    色は、かなり強い。
    それなのに、静かである。
    座面には本がある。
    灯りもある。
    だから、つい、誰かが戻ってくるような気もする。
    けれど、誰もいない。
    ここで一つ、大事なことがある。
    この絵を描いたとき、ゴーギャンはまだ黄色い家にいた。
    つまりこれは、最初から「去った友人の椅子」として描かれた絵ではない。フィンセントは、そこにいるゴーギャンを、椅子によって描こうとした。
    だから、この空席には、まだ別れの意味はなかった。
    少なくとも、そのときは。
    ところが、私たちは、このあとのことを知っている。
    二人の共同生活は、長く続かなかった。
    十二月。
    関係は決定的に崩れ、フィンセントには、後世まで語られる「耳の事件」が起きる。
    ゴーギャンは、アルルを去った。
    黄色い家へ、戻ってくることはなかった。
    そこで、もう一度、椅子を見てみる。
    何も変わっていない。
    椅子。
    本。
    灯り。
    床。
    壁。
    絵は、さっきと同じである。
    それなのに、少し違って見えないだろうか。
    空席が、急に寂しくなる。
    だが、椅子が未来を予言したわけではない。
    私たちが、未来を知ってしまっただけである。
    絵というものは、不思議である。
    描かれたあとに起きた出来事まで、吸い込んでしまうことがある。
    《ひまわり》は、誰かが来るのを待っていた絵だった。
    《ゴーギャンの椅子》は、あとから、誰かがいなくなった絵になった。
    フィンセントは、仲間を欲しがった。
    家を借りた。
    部屋を整えた。
    花を描いた。
    そして、本当に友人が来た。
    それでも、一緒にはいられなかった。
    少し、皮肉である。
    欲しかったものが手に入れば、人は満足するとは限らない。
    ときには、手に入ってからのほうが、難しい。ゴーギャンが去ったあと、黄色い家には、フィンセントが残った。
    そして、しばらくして、彼はまた絵を描く。
    今度のモデルは、友人ではない。
    自分自身だった。
    鏡を見る。
    帽子をかぶる。
    包帯をした自分が、そこにいる。
    その後ろには、彼がずっと憧れてきた、日本の浮世絵が掛かっている。
    そして、もう一枚。
    まだ描きかけのキャンバス。

    次の展示は、《耳に包帯をした自画像》。
    夢は壊れた。だが、絵は、まだ終わっていない。


    第五節 耳に包帯をした自画像――それでも描く


    ゴーギャンは去った。
    黄色い家に残ったのは、フィンセントだった。
    一八八八年十二月。
    二人の共同生活が壊れた夜、後世まで語られることになる「耳の事件」が起きた。
    この出来事は、あまりにも有名になった。
    ゴッホ。
    耳。
    狂気。
    三つを並べれば、それだけで一人の画家を説明できるような気さえする。
    だが、人間は、それほど簡単ではない。
    フィンセントは治療を受けた。
    そして、また黄色い家へ戻った。
    ゴーギャンはいない。
    画家たちの共同体もない。
    《ひまわり》を描いたころに思い描いていた未来も、もうない。
    では、何をしたのか。
    絵を描いた。
    ここが、フィンセントという人の少し変なところである。
    うまくいかない。
    傷つく。
    落ち込む。
    それでも、しばらくすると絵の前へ戻る。
    描くことについても、やはり少し多い。
    一八八九年一月。
    フィンセントは鏡の前に立った。
    帽子をかぶっている。
    厚い上着を着ている。
    頭には包帯がある。
    そして、その自分を描いた。
    普通なら、あまり残しておきたくない姿かもしれない。
    フィンセントは残した。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

    画像
    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《耳に包帯をした自画像》1889年


    まず、顔を見る。
    どうしても、そこを見る。
    何があったあとなのか、私たちは知っているからである。
    疲れているようにも見える。
    固い表情にも見える。
    何を考えているのかは、よく分からない。
    だが、少しだけ顔から目を離してみる。
    後ろを見る。
    右側には、日本の浮世絵がある。
    左側には、キャンバスがある。
    ここまで一緒に歩いてきた人なら、もう分かると思う。
    日本である。
    あの、フィンセント製の日本。
    パリで浮世絵を見て、アルルまで探しに来た、彼の頭の中の日本が、まだ後ろに掛かっている。
    そして反対側には、次に描くためのキャンバス。
    夢は壊れた。
    友人も去った。
    それでも、日本と、絵は残っている。
    そう思って、もう一度この自画像を見る。
    すると、少し意味が変わる。
    これは「耳の事件を起こした画家の肖像」だけではない。
    事件のあとも、絵の前へ戻ってきた画家の肖像でもある。
    フィンセントは、自分を英雄には描かなかった。
    悲劇の主人公にもしていない。
    帽子。
    上着。
    包帯。
    疲れた顔。
    そのままである。
    ここには、後世の私たちが作った「狂気の天才ゴッホ」は、まだいない。
    いるのは、何かが壊れたあとで、それでも鏡の前に立ち、自分を描いている一人の男である。
    それだけだ。
    だが、その「それだけ」が、妙に強い。
    第一節で、フィンセントは農民の手を見ていた。
    第二節では、日本を見つけたつもりになった。
    第三節では、友人を迎える花を描いた。
    第四節では、その友人を椅子で描いた。
    そして今度は、自分を見る。
    フィンセントの絵は、だんだん内側へ入っていく。
    黄色い家で始めようとした生活は、続かなかった。
    アルルでの暮らしも、やがて終わる。
    一八八九年五月。
    フィンセントはサン=レミの療養院へ移った。
    そこには、もう黄色い家はない。
    ゴーギャンもいない。
    窓がある。
    その向こうに、木がある。
    山がある。
    そして、夜がある。
    普通なら、夜は黒い。
    だがフィンセントは、そうは見なかった。
    次の展示は、《星月夜》。
    黄色い家を失った男は、今度は、夜を青く塗る。


    第六節 星月夜――夜は黒くなかった

    一八八九年五月。
    フィンセントはアルルを離れ、サン=レミの療養院へ入った。
    黄色い家はない。
    ゴーギャンもいない。
    画家たちの共同体という夢も、もうない。
    あるのは、部屋と窓だった。
    窓の向こうには、オリーブの木がある。
    糸杉がある。
    低い山がある。
    そして、空がある。
    フィンセントは、朝早く窓の外を見た。
    まだ太陽が昇る前だった。
    暗い空に、ひときわ明るい星が見えた。
    金星だったと考えられている。
    普通なら、それを見たまま描けばいい。
    だが、フィンセントはそうしなかった。
    これから見る《星月夜》は、窓の外の風景をそのまま写した絵ではない。
    画面の下にある村は、窓からは見えなかった。
    教会も、実際にそこに見えていたものではない。
    木の位置も変えている。
    空も、もちろんあんなふうには渦巻いていない。
    つまりフィンセントは、見たものだけでは足りなかった。
    見たものに、記憶を足した。
    想像を足した。
    そして、自分の中にある何かまで足した。
    第一節のころとは、ずいぶん違う。
    あのころは、土を耕した手を描こうとしていた。
    目の前にいる農民を、できるだけ農民らしく描こうとしていた。
    それから四年。
    今度は、夜空そのものを作ろうとしている。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

    画像
    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《星月夜》1889年


    青い。
    まず、青い。
    夜なのに、黒くない。
    深い青。
    白に近い青。
    緑を含んだ青。
    その中に、黄色い星がある。
    月がある。
    光の輪がある。
    そして、空が動いている。
    渦を巻く。
    流れる。
    膨らむ。
    静かな夜空ではない。
    まるで空そのものが、生き物のようである。
    ここで少し、不思議なことがある。
    夜は暗い。
    誰でも知っている。
    だが、フィンセントにとって、暗いことと、色がないことは同じではなかった。
    彼は手紙の中で、夜には昼より豊かな色があるように感じることがある、と書いている。
    紫。
    青。
    緑。
    星にも、さまざまな色がある。
    夜になると、色が消えるのではない。
    昼には見えなかった色が、出てくる。
    そういう見方をする人だった。
    だから、この絵を「ゴッホには本当にこう見えていた」と考える必要はない。
    たぶん、そうではない。
    彼は見えたものを描いた。
    そして、見えなかったものも描いた。
    現実をいったん自分の中へ入れて、別のものにして外へ出した。
    ここまで来ると、絵は記録ではない。
    フィンセントが夜をどう感じたか、そのほうが大事になっている。
    もう一度、《星月夜》を見る。
    夜は黒い。
    それでも、黒く描く必要はない。
    フィンセントは青を置いた。
    さらに青を置いた。
    そこへ黄色を置いた。
    世界にある色を写したのではなく、自分が必要だと思った色を置いた。
    第一節を思い出してほしい。
    あの男は、土の色を描いていた。
    四年後。
    同じ男が、空いっぱいの青を描いている。
    人生が明るくなったわけではない。
    苦しいことがなくなったわけでもない。
    それでも、絵から色は消えなかった。
    むしろ、増えた。
    ここに、フィンセントという画家の妙な強さがある。
    暗い場所にいるからといって、暗い色しか見えないわけではない。
    夜だからといって、黒しかないわけでもない。
    フィンセント・ファン・ゴッホは、夜を青く塗った。
    そして、その青い夜を描いていたころ。
    遠く離れたパリでは、弟テオの人生にも新しい出来事が起きようとしていた。
    テオには、妻がいた。
    ヨーという。
    やがて二人のあいだに、一人の男の子が生まれる。
    つけられた名前は、フィンセント。
    伯父と同じ名前だった。
    フィンセントは、その知らせを喜んだ。
    そして、生まれたばかりの小さな命のために、一枚の絵を描く。
    今度の青は、渦巻かない。
    静かな空色である。
    その青の中に、白い花が咲く。
    次の展示は、《花咲くアーモンドの木の枝》。

    第七節 花咲くアーモンドの木の枝――新しい命


    一八九〇年一月。
    パリで、一人の赤ん坊が生まれた。
    父親はテオ。
    母親はヨー。
    二人は、その子に名前をつけた。
    フィンセント・ウィレム。
    伯父と同じ、フィンセントだった。
    知らせを受け取ったフィンセントは、喜んだ。
    ずっと自分を支えてきた弟に、子どもが生まれた。
    画材の金を送り。
    手紙を読み。
    絵の話を聞き。
    何度失敗しても、兄との関係を切らなかった弟に。
    何かを贈りたかった。
    フィンセントが贈れるものは、やはり絵だった。
    ちょうどそのころ、南フランスでは春が近づいていた。
    アーモンドは、ほかの木より早く花を咲かせる。
    まだ寒さの残る空に、白い花が開く。
    冬が終わる前に、春を知らせる。
    フィンセントは、その枝を描いた。
    ここまで見てきた絵とは、少し違う。
    《ジャガイモを食べる人々》の土の色はない。
    《ひまわり》の激しい黄色もない。
    《星月夜》の渦巻く空もない。
    もっと静かである。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

    画像
    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《花咲くアーモンドの木の枝》1890年


    青い。
    だが、《星月夜》とは、まるで違う青である。
    空は静かだ。
    渦巻かない。
    その青の中へ、枝が伸びている。
    白い花が咲いている。
    地面はない。
    山もない。
    家もない。
    空と。
    枝と。
    花だけ。
    木の下に立って、顔を上げたような構図である。
    ここにも、フィンセントが好きだった日本の浮世絵の影響がある。
    大胆に切られた枝。
    平らに広がる空。
    画面の端で突然切れる木。
    第二節で、フィンセントは南フランスに「日本」を探していた。
    あの憧れは、まだここに残っている。
    だが、今度は少し違う。
    自分のためではない。
    生まれたばかりの甥のためだった。
    そう知ってから、もう一度この絵を見る。
    すると、白い花が少し違って見える。
    ただ春を描いた絵ではない。
    誰かの始まりを祝った絵である。
    ゴッホという画家について、私たちは暗い話を先に知っている。
    孤独。
    病。
    ゴーギャンとの別れ。
    耳の事件。
    療養院。
    だから、絵まで暗い人生の証拠として見たくなる。
    だが、この絵の前では、少し困る。
    フィンセントは、誰かが生まれたことを喜んでいる。
    未来を祝っている。
    しかも、自分と同じ名前をもらった小さな子どものために。
    《星月夜》では、夜を青く塗った。
    ここでは、同じ青の中に、白い花を咲かせた。
    人生が急に楽になったわけではない。
    問題が消えたわけでもない。
    それでも、誰かの幸福を喜ぶ場所は残っていた。
    フィンセントという男は、人を求めすぎることがある。
    近づきすぎることもある。
    だが、その「少し多い」は、こういうところにも出る。
    喜ぶときも、ちゃんと多い。
    そして、この絵から、もう一人の人物が見えてくる。
    ヨー。
    テオの妻。
    この赤ん坊の母親である。
    今はまだ、物語の端にいる。
    だが、やがてフィンセントがいなくなり。
    テオまでいなくなったあと。
    大量の絵と。
    大量の手紙が。
    彼女のところに残る。
    そのとき、ヨーは動き始める。
    私たちが今、「ゴッホ」という名前を知っている理由の一つになる。
    だが、その前に。
    もう一枚、見ておきたい絵がある。
    空色の春から、夏の麦畑へ。
    黄色い麦。
    暗い空。
    飛ぶカラス。
    次の展示は、《カラスのいる麦畑》。
    長いあいだ、「ゴッホ最後の絵」と思われてきた一枚である。
    けれど。
    ゴッホの最後について、私たちは本当に、どこまで知っているのだろう。


    第八節 カラスのいる麦畑――最後の風景


    一八九〇年五月。
    フィンセントはサン=レミを出て、オーヴェル=シュル=オワーズへ移った。
    パリから、そう遠くない。
    田畑の広がる小さな町だった。
    ここでも、フィンセントは描いた。
    家を描く。
    庭を描く。
    木を描く。
    畑を描く。
    空を描く。
    相変わらずである。
    最後まで、やはり少し多い。
    私たちは、この時期の絵を見ると、どうしても「最後」という言葉を探してしまう。
    最後の町。
    最後の夏。
    最後の空。
    そして、最後の絵。
    そのイメージと、長いあいだ強く結びついてきた作品がある。
    《カラスのいる麦畑》。
    黄色い麦。
    暗い空。
    黒い鳥。
    三本の道。
    あまりにも、「最後の絵」らしい。
    だから、この作品は長いあいだ、ゴッホの絶筆だと思われてきた。

    ――では、ここで一度絵を見てほしい。

    画像
    フィンセント・ファン・ゴッホ
    《カラスのいる麦畑》1890年

    黄色い。
    だが、《ひまわり》の黄色とは違う。
    あの黄色には、誰かを迎える気持ちがあった。
    こちらの黄色は、もっと荒い。
    麦が揺れている。
    その上に、青黒い空がある。
    カラスが飛んでいる。
    そして、道がある。
    左へ行く道。
    右へ行く道。
    まっすぐ進む道。
    だが、中央の道は、麦畑の中へ消えていく。
    どこにも着かないように見える。
    ここで私たちは、つい考える。
    カラスには意味があるのではないか。
    道にも意味があるのではないか。
    暗い空は、フィンセントの心なのではないか。
    この絵は、自分の最後を予感して描いたものではないか。
    そう見たくなる。
    なにしろ私たちは、このあとのことを知っている。
    だが、ここで少し立ち止まる。
    《カラスのいる麦畑》は、現在ではフィンセント最後の作品とは考えられていない。
    このあとにも、彼は描いている。
    最後の作品として有力視されているのは、《木の根》という一枚である。
    つまり。
    この絵に「最後」という物語をつけたのは、フィンセントではない。
    私たちである。
    第四節の椅子と、少し似ている。
    《ゴーギャンの椅子》は、最初から別れを描いた絵ではなかった。
    ゴーギャンが去ったあとで、空席が寂しく見えるようになった。
    絵は変わっていない。
    見る側が、未来を知った。
    《カラスのいる麦畑》も同じである。
    カラスは、ただ飛んでいる。
    道は、ただそこにある。
    空は暗い。
    麦は黄色い。
    それでも私たちは、そこへ「最後」を読み込む。
    絵というものは、不思議である。
    描いた人の人生を知ると、あとから意味が増えていく。
    それは、ときに美しい。
    だが、ときに少し危うい。
    フィンセントの人生を、すべて「悲劇の天才」という一つの物語にしてしまうこともできるからである。
    ここまで一緒に見てきたフィンセントは、そんなに簡単な男ではなかった。
    農民の手を描いた。
    日本を夢見た。
    家を借りた。
    友人を待った。
    ひまわりを描いた。
    友人とぶつかった。
    自分を描いた。
    夜を青く塗った。
    甥の誕生を喜び、白い花を描いた。
    そして、最後まで。
    描いた。
    一八九〇年七月。
    フィンセント・ファン・ゴッホは、三十七歳で亡くなった。
    その最期の経緯については、今も議論が残っている。
    長く受け入れられてきた説明がある。
    後世には、別の可能性も提示された。
    百年以上たった今でも、すべてが完全に分かっているわけではない。
    だから、ここでは決めない。
    本人がもう説明できないことを、私たちが勝手に美しい結末へ整える必要もない。
    一つだけ確かなことがある。
    彼は、最後まで描いていた。
    土を。
    家を。
    花を。
    夜を。
    木を。
    畑を。
    空を。
    第一節を思い出してほしい。
    暗い農家の食卓だった。
    まだ、土の色だった。
    そこから、黄色が現れた。
    青が現れた。
    白い花が咲いた。
    そして最後まで、色は消えなかった。
    フィンセントの人生は、ここで終わる。
    だが。
    私たちが知っている「ゴッホ」の物語は、まだ始まっていない。
    なぜなら一八九〇年の夏、世界のほとんどは、まだフィンセント・ファン・ゴッホを知らなかったからである。
    絵は残った。
    手紙も残った。
    弟テオがいる。
    そして、その向こうに、ヨーがいる。
    次の展示室には、もう絵はいらない。
    ここから先は、描く人の話ではない。
    描かれたものを、世界へ運ぶ人の話である。


    終章   ゴッホを世界へ運んだ女――ヨー


    フィンセントが亡くなったあと。
    弟テオは、兄の絵を世に出そうとした。
    それは、ずっと彼がしてきたことでもあった。
    フィンセントが描く。
    テオが金を送る。
    フィンセントが手紙を書く。
    テオが読む。
    新しい絵が届く。
    テオが受け取る。
    二人のあいだを、絵と手紙が何年も往復した。
    フィンセントは、一人で絵を描いた。
    だが、一人で画家を続けていたわけではない。
    そのことを、私たちは忘れがちである。
    ところが。
    フィンセントの死から半年ほど後。
    一八九一年一月。
    テオも亡くなった。
    三十三歳だった。
    残されたのは、妻のヨー。
    そして、まだ幼い息子フィンセント。
    それから。
    大量の絵。
    大量の素描。
    大量の手紙。
    いまなら、とんでもない財産である。
    だが、当時は違った。
    世界はまだ、フィンセント・ファン・ゴッホをほとんど知らない。
    《ひまわり》も。
    《星月夜》も。
    いまのような「名画」ではなかった。
    若くして夫を失ったヨーのもとに残されたのは、有名画家の遺産ではない。
    ほとんど知られていない画家の、大量の絵だった。
    さて。
    どうするか。
    しまっておくこともできた。
    まとめて売ることもできた。
    生活のためなら、それでもおかしくない。
    だが、ヨーは別のことを始めた。
    絵を人に見せた。
    展覧会へ貸した。
    売った。
    紹介した。
    そして、ただ処分するようには売らなかった。
    どの作品を残すか。
    どこへ貸すか。
    誰に見せるか。
    フィンセントという画家が、どうすれば少しずつ知られていくのか。
    ヨーは考えながら動いた。
    そして。
    手紙を読んだ。
    フィンセントがテオへ送り続けた、あの手紙である。
    ここまで私たちも、その手紙を頼りに歩いてきた。
    なぜ農民の手を描いたのか。
    なぜ日本に憧れたのか。
    なぜ黄色い家を借りたのか。
    なぜゴーギャンを待ったのか。
    夜を、どんな色として見ていたのか。
    それが分かるのは、フィンセントが書いたからである。
    そして、テオが捨てなかったからである。
    さらに。
    ヨーが、それを世界へ見せたからである。
    一九〇五年。
    ヨーはアムステルダム市立美術館で、大規模なゴッホ展を実現させた。
    展示された作品は四百点を超えた。
    フィンセントが生きていたころには、考えられない規模だった。
    さらに一九一四年。
    ヨーは、フィンセントからテオへ送られた手紙をまとめて出版した。
    そこで人々は、絵の向こうにいた男の声を読むことになる。
    耳の事件を起こした画家。
    狂気の天才。
    不遇の芸術家。
    それだけではなかった。
    弟を頼る。
    友達を欲しがる。
    思い込む。
    失敗する。
    落ち込む。
    また描く。
    本を読む。
    色について考える。
    日本に憧れる。
    誰かが生まれれば、花を描いて祝う。
    ひどく不器用な一人の人間が、そこにいた。
    少し考えてみる。
    私たちが今日、フィンセントをこんなふうに知ることができるのは、絵が残ったからだけではない。
    手紙が残ったからでもある。
    そして、それを守り。
    見せ。
    読めるようにした人がいたからである。
    フィンセントが描いた。
    テオが支えた。
    ヨーが世界へ運んだ。
    三人のうち、誰か一人が欠けていたら。
    私たちが知っている「ゴッホ」は、今とは少し違っていたかもしれない。
    そして、その仕事は次の世代へ渡る。
    ヨーとテオの息子。
    フィンセント・ウィレム。
    第七節で生まれた、あの赤ん坊である。
    伯父フィンセントから《花咲くアーモンドの木の枝》を贈られた子どもは、やがて伯父の作品を守る側になる。
    のちにファン・ゴッホ財団の設立に関わり、作品群を未来へ残す仕事を受け継いだ。
    一九七三年。
    アムステルダムに、ファン・ゴッホ美術館が開館する。
    不思議な話である。
    一八九〇年。
    一人の画家が、生まれたばかりの甥のために、青い空へ白い花を描いた。
    八十年以上たって。
    その甥が守ってきた作品を、世界中の人が見に来るようになる。
    ここまで、八枚の絵を見てきた。
    暗い農家の食卓。
    黄色い家。
    ひまわり。
    空っぽの椅子。
    包帯をした自画像。
    青い夜。
    白いアーモンドの花。
    カラスの飛ぶ麦畑。
    最初に見たゴッホと。
    いまのゴッホは。
    同じだろうか。
    もし、少し違って見えているなら。
    この小さな展覧会は、ここで終わっていい。
    最後に置く絵はない。
    ただ、もう一度だけ。
    あの青い夜を思い出してほしい。
    フィンセントの人生には、暗い時間がたくさんあった。
    だが、彼は暗闇を黒だけでは描かなかった。
    青を置いた。
    その上に、黄色い星を置いた。
    そして、その絵を誰かが受け取った。
    誰かが守った。
    誰かが世界へ見せた。
    だから百年以上たった今。
    私たちは、その夜を見ることができる。
    フィンセント・ファン・ゴッホは、孤独な画家だった。
    だが。
    ゴッホという物語は、決して一人で作られたものではなかった。
    そして、彼が青く塗った夜は。
    いまもまだ。
    世界のどこかで、誰かに見つめられている。

    End

    ――――――

    注記
    本作は、フィンセント・ファン・ゴッホの書簡、伝記資料、美術館等の公開資料をもとに構成しています。人物の心理描写や場面のつなぎ、一部の表現には文学的な再構成を含みます。
    掲載している作品画像は、ゴッホの作品をもとにAIで制作した再現イメージであり、原画のデジタル画像ではありません。
    本作は史実を解説する美術論文ではなく、画家の人生と作品を物語としてたどる「読むギャラリー」です。

    主な参考資料
    Van Gogh Museum
    Van Gogh Letters
    The National Gallery, London
    The Museum of Modern Art(MoMA)
    The Courtauld Gallery


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    小説家・カノマコト。日常の小さな機微から、昭和の街、歴史の闇、AIの未来まで。短い物語と連載小説を書いています。絵画クイズなど、読んで、遊んで楽しめる企画も制作中。初めての方は固定記事へ。https://note.com/shu37564/n/n97768bf2b3ea

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