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ケヌガクッ第十章『確固たる進化』

    第節無蚀の拳
    倜の闇に浮かぶ公衆電話のボックスは、ひどく冷え切っおいた。
    ガラスに額を抌し圓おるず、秋の倜気が皮膚の熱を容赊なく奪っおいく。
    受話噚を握る俺の掌は、ひどく汗ばんでいた。
    いや、脂汗だ。
    限界を超えお軋む神経が、毛穎ずいう毛穎から冷たい液䜓を滲たせおいる。
    『――䞀人で、死のうずなんお二床ず考えないで』
    受話噚の向こうから届いたマコの声は、ひどく震えおいた。
    『お願い  そばにいお』
    その悲痛な響きが錓膜を打った瞬間、俺の胞ぐらを、目に芋えない巚倧な手が締め䞊げた。
    息が詰たった。
    俺はなんお傲慢だったのだろうか。
    自分䞀人で勝手に地獄を抱え蟌み、䞀人で泥を被り、完璧な譊察官になれない自分を呪っお、勝手に死にかけおいた。その独りよがりな「狂気」が、俺を誰よりも愛しおくれおいる人間の心を、これほどたでにズタズタに匕き裂き、怯えさせおいたのだ。
    目の奥から、急激に熱いものが蟌み䞊げおきた。
    だが、あの絶望の底で流した無力な涙ずは違った。
    俺は奥歯を匷く噛み締め、わずかに口角を䞊げた。
    䞍敵な笑みなんかじゃない。
    泣き顔を取り繕うための、ひどく䞍噚甚で情けない歪みだ。
    けれど、その埮かな隙間から、涙は倖ぞはこがれなかった。
    頬を䌝うこずを蚱さなかった䞀滎が、喉の奥ぞず滑り萜ち、食道を熱く焌きながら腹の底ぞ萜ちおいくのがわかった。
    重い。
    誰かの愛に生かされおいるずいう事実は、生半可な芚悟じゃ受け止めきれないほど重い。
    だが、今の俺にはその涙の重量を、正面から胃袋で消化できるだけの「噚」が備わり぀぀あった。
    完璧な優等生のメッキが剥がれ萜ちたあずに残ったのは、みっずもなく他人にすがり、それでも䞍栌奜に立ち䞊がろうずする、泥たみれの「俺」だった。
    俺は、もう䞀人じゃない。

    数日埌。
    冬服の制服を通り抜ける颚は、刃のように鋭かった。
    殉職譊察職員慰霊祭。
    匵り詰めた静寂の䞭、「黙祷」の号什が広堎に響く。
    重い瞌を閉じるず、颚の音だけが耳を撫でる暗闇の䞭に、この䞃ヶ月間の地獄が容赊なくフラッシュバックした。
    バリカンが頭皮を削り取っおいった初日の冷たい感觊。
    心が折れ、無蚀で寮を去っおいった同期の、䞞たった小さな背䞭。
    倧楯の鉛のような重さに足がも぀れ、泥氎を啜るように倒れ蟌んだ譊備実斜蚓緎。
    そしお、理䞍尜ず暎力が枊巻く「本物の珟堎」で䜕もできなかった、実務研修の吐き気。
    それは玛れもない地獄だ。
    思い出すだけで胃液が逆流しそうになる。
    だが、その暗闇の裏偎には、どうしようもなく熱を垯びた蚘憶がべったりず匵り付いおいた。
    生き残るためにダマトず結蚗した倜の密玄。
    吐きそうになりながら励たし合った筋トレ。
    䜓育倧䌚で総合優勝の歓喜に沞き、汗ず涙でぐちゃぐちゃになりながら抱き合った瞬間。
    自分の持おる党おを䜿い、このポンコツだらけのクラスの底䞊げに奔走した日々。
    苊しさず生きがいは、別のものじゃない。
    それは背䞭合わせに鋳造された、血生臭い「䞀枚の硬貚コむン」だ。
    どんな地獄の裏にも、魂が焊げるほどの生きがいが匵り付いおいる。
    綺麗な衚偎だけを撫でお生きおいくこずなどできない。
    この重く、冷たく、泥だらけのコむンを、掌が裂けおも握りしめ続けるこず。
    それこそが、俺が遞んだ生き様だ。

    目を開ける。
    埌悔も無力感も、もはや俺を瞛る鎖ではない。
    すべおを血肉ずしお飲み蟌んだ。
    呚囲の瞁に生かされた俺は、これからは誰かの背䞭を支える防波堀になる。
    慰霊碑を芋据える俺の芖界は、か぀おなく柄み切っおいた。

    研ぎ柄たされた粟神で迎えた譊察䜓力怜定――通称「JAPPAT」。
    「远跡し、捕捉し、制圧する」ずいう䞀連の譊察行動を濃瞮した、地獄のサヌキットトレヌニング。
    ダッシュ、障害物ゞャンプ、鋭角タヌン、腕立お䌏せ。
    息を吞う間合いすら蚈算されおいない高匷床のむンタヌバルが、玄䞀分間、䌑むこずなく連続する。
    ペヌス配分などずいう小賢しい蚈算は䞀切通甚しない。
    最初の䞉十秒で肺の酞玠は完党に燃え尜き、残りの時間は党身の筋肉に溜たる乳酞の激痛ずの戊いになる。
    珟圹の屈匷な譊官でさえ、終わった瞬間に「生たれたおの小鹿」のように膝から厩れ萜ち、グラりンドの砂を噛む代物だ。
    「五十八秒」
    教官の怒声にも䌌たタむムコヌルが響く。
    俺は䞡膝に手を぀き、気管支が砎裂しそうなほど荒い息を吐き出しおいた。
    口の䞭は血の味がした。 だが、俺は倒れなかった。
    痙攣する足に呜じお、しっかりず倧地を螏みしめおいる。
    六十秒未満――最高評䟡「AAA」の基準を、ギリギリでねじ䌏せた。
    か぀おの俺なら、この「ギリギリ」ずいう事実にプラむドを傷぀けられ、唇を噛んでいたかもしれない。
    あるいは、䞋䜍の同期を芋䞋しお優越感に浞っおいたはずだ。
    だが今は、信じられないほど心が凪いでいた。
    ただ、激しい錓動ずずもに、己の肉䜓が確実に「珟堎で戊えるモノ」に䜜り倉えられたずいう、静かで熱い確信だけがあった。
    ふず顔を䞊げるず、汗だくのダマトがよろめきながら歩み寄っおくる。
    あい぀もたた、圓然のようにAAAを叩き出しおいた。
    俺たちは無蚀のたた、泥ず汗にたみれた拳を突き出し、短く打ち合わせた。
    ゎツ、ずいう骚の鳎る鈍い音。 蚀葉はいらなかった。
    芋枡せば、グラりンドのあちこちで同期たちが肩で息をしながら笑い合っおいる。
    この地獄のテストで、クラスの八割がAAAの評䟡をもぎ取っおいた。
    その光景を芋た瞬間、俺の胞の奥底から、自分の成瞟なんかよりずっず玔粋で、巚倧な歓喜が湧き䞊がっおきた。
    あい぀らが、あのポンコツだった同期たちが、こんなにも匷くなっおいる。
    それがたたらなく嬉しかった。
    倧人になった、ずいうような生易しい衚珟では足りない。
    「譊察官」ずいう匷靭な人栌が、俺ずいう人間のど真ん䞭に、倪く、揺るぎない杭ずしお打ち蟌たれたのだ。
    秋の高く柄んだ空を芋䞊げ、俺は肺に残った熱い空気を、ゆっくりず空ぞ向かっお吐き出した。

    第節䞎えられた堎所で咲く芚悟
    冬の気配が忍び寄る、饐すえた匂いが充満した教堎。
    汗や埃の匂いではない。
    卒業詊隓ずいう目に芋えない重圧に远い詰められた人間たちが攟぀、焊燥ず怯えの匂いだ。
    俺は昔から、詊隓ずいうや぀が吐き気がするほど嫌いだった。
    本来、テストずはそれたで心血を泚いできた血肉の成果を枬るだけのものだ。
    だが今のクラスの連䞭は、たるで飢えた野良犬のように、教官の口からこがれる「出題のヒント」に矀がっおいた。
    這い぀くばっおでも卒業の切笊をもぎ取りたい。
    その切実な狂気は理解できる。
    だが、少しでも出題範囲を削ろうず浅たしく空気を探り合うその光景は、俺の神経をダスリのように削り取っおいった。
    䌑み時間になるたび、俺は逃げるように凍お぀く寮宀ぞ戻り、孀独にテキストを開いた。
    だが、暗い郚屋で䞀人になるず、胃酞のような自己嫌悪が喉の奥に蟌み䞊げおくる。
    俺が本圓に嫌悪しおいたのは、ダマを匵る同期たちではない。
    その濁った空気に䞭指を立おるこずもできず、ただ「俺はあい぀らずは違う」ず安党圏から芋䞋しおいるだけの、臆病な自分自身だった。
    共に地獄の底を舐め合った仲間じゃないか。
    だからこそ、胞ぐらを掎んででも「そんなダサい真䌌はやめろ」ず怒鳎り散らすべきなのに。
    結局のずころ、俺はただ自分の手を汚すこずを恐れる、薄っぺらい優等生の殻を砎りきれずにいたのだ。
    教宀の空気が、いよいよどぶ泥のように煮詰たっおいたある日の午埌。
    ふず、黒板を叩くチョヌクの音が途切れた。
    教官は無蚀のたたテキストから顔を䞊げ、窓際ぞず歩み寄った。
    ざわ぀いおいた教宀が、䞍気味なほど氎を打ったように静たり返る。
    鉛色の冬空を芋䞊げる教官の背䞭は、たるで芋えない煙草を深く肺に吞い蟌んでいるような、ひどく人間臭く、そしお孀独なシル゚ットを描いおいた。
    「  俺はな、もずもず孊校の先生になりたかったんだ」
    独り蚀のような、かすれた声だった。
    俺は息を呑んだ。教官は教員採甚詊隓に萜ち続け、母芪の「定職に就け」ずいう冷たい圧力から逃げるように、亀番に貌っおあったポスタヌを芋お譊察の門を叩いたのだずいう。
    教員は䞍合栌。
    譊察は合栌。
    ただそれだけの、投げやりな始たりだった。
    「最初は興味の欠片もなかった。だが、いざ飛び蟌んでみたらどうだ。知らなかった䞖界が、泥臭い珟実が、面癜くお仕方なかった」
    教官はゆっくりず振り返り、俺たちを芋据えた。
    その目には、い぀もの厳しい指導者の光ではなく、珟堎の匂いがこびり぀いた「刑事」の熱が宿っおいた。
    成瞟優秀だった教官が魅入られたのは、「鑑識」の䞖界だった。
    「宝食店の窃盗事件だった。砕け散ったショヌケヌス。俺は床䞀面に散らばったガラスの海に這い぀くばっお、指先を切っお血を滲たせながら、ひたすら透明な指王を探した。そしお、埃ず泥の䞭から、たった䞀぀の指王を掬い䞊げた」 教官の声が、教宀の冷たい空気を震わせる。
    「その瞬間、声なき被害者の無念が、俺の手を通じお確かに犯人の銖根っこを掎んだんだ。俺はこの道で生きおいくず、骚の髄から決意した」
    凄たじい執念だ。
    だが、盎埌に教官の口から出た蚀葉は、冷酷な珟実だった。
    組織の巚倧な歯車は、個人の狂おしいほどの情熱など容易く挜き朰す。
    教官に䞋された蟞什は、鑑識ではなく「機動隊」だった。
    それから二十幎、教官は䞀床たりずも鑑識の珟堎に足を螏み入れおいない。
    「人生なんお、目暙通りにいくこずのほうが少ねえ」
    教官は自嘲も埌悔も亀えず、ただ真っ盎ぐに笑った。
    「だがな、俺はその堎、その堎で、自分なりのやりがいず楜しさを芋぀けお、泥氎をすするように生きおきた。  そしお今、俺はこうしお譊察孊校の『教官』ずしお教壇に立ち、二十幎以䞊前の倢だった『先生』をやっおいる」
    心臓を、倪い杭で打ち抜かれたような衝撃だった。
    なんだこの人は。 なんお䞍噚甚で、なんお圧倒的にカッコいい倧人なんだ。
    俺はどうだ
    マコや圌女の芪を安心させるための䜓裁で、譊察そのものに執着などないたたここぞ来た。
    入校しおからの毎日は、ただ自己顕瀺ず絶望の間を振り子のように行き来するだけの、滑皜なゞェットコヌスタヌだった。
    だが、あの死にかけた地獄の䞭で、俺は確かに孊んだはずだ。
    「䞀人では生きられない」ずいう、どうしようもなく重たい珟実を。
    孊校だけじゃない。
    これから攟り出されるシャバ珟堎の颚は、もっず冷たく、もっず理䞍尜だ。
    俺がこれから身を投じるのは、正矩ずいう名のきれいごずではなく、人間の業が枊巻く泥沌だ。
    孀高のヒヌロヌ気取りなど、珟堎では䞉日で死ぬ。
    仲間の背䞭を信じ、地域䜏民の協力を埗なければ、事件䞀぀解決できない。
    じゃあ、どうする
    䞎えられた堎所で、ただ黙々ず、狂気じみた真剣さで目の前の任務に喰らい぀くのだ。
    泥たみれで這い぀くばりながら積み重ねた䞍噚甚な姿勢だけが、やがお本物の「信頌」ずいう名の根を匵り、呚囲の協力を生み出す。
    鑑識ぞの倢を絶たれおなお機動隊で狂い咲き、今この教宀で教員ずしお咲き誇っおいる、目の前のこの男のように。
    出題範囲がどうだの、点数がどうだの、そんなものはどうでもいい。
    俺がここで高めなければならないのは、成瞟ではない。
    俺自身の「正矩の質」だ。
    窓の倖の冬空が、冷たく柄み切った光を教宀に投げかけおいた。
    俺は机の䞋で、掌に爪が食い蟌むほど匷く、匷く拳を握りしめた。

    第節泥臭い日垞
    い぀からだろうか。
    肺を焌き切るようなこの疟走が、ちっずも苊痛ではなくなっおいたのは。
    秋の気配が色濃くなった譊察孊校のグラりンド。
    抜けるように高く青い空の䞋、也いた砂埃が容赊なく舞い䞊がっおいる。
    倪陜の光はただ鋭いが、肌を撫でる颚には確実に冬の刃が混じり始めおいた。
    䜓育倧䌚。
    この狂気に満ちた閉鎖空間における、最倧の熱狂ず狂乱の祭兞だ。
    俺たちはクラスごずに色分けされた鉢巻きをき぀く締め、ただひたすらに走り、叫び、泥にたみれおいた。
    春に行われた十キロマラ゜ンの蚘憶が、ふず脳裏を掠める。
    あの時の俺は、ただひたすらに「優秀な自分」を誇瀺するこずだけを枇望しおいた。
    自分がどれだけ優れおいるか、どれだけ他人より䞊に行けるか。
    剥がれかけの薄っぺらいメッキを必死に抌さえ぀けながら、息を乱しお喘ぐ同期たちを心の䞭で嘲笑い、蹎萜ずすようにしおグラりンドの土を蹎っおいた。
    自己顕瀺欲ずいう名の゚ゎむズムだけで走る十キロは、氞遠にも䌌た無間地獄だった。
    肺に流れ蟌む空気はダスリのように喉を削り、足には目に芋えない鉄球が繋がれおいるかのように重かった。
    だが今はどうだ。
    俺の足取りは、拍子抜けするほどに軜かった。
    地面を蹎るずいうより、倧地の方から俺の足裏を抌し䞊げおくれおいるような、奇劙な浮遊感すらあった。
    雚の日も、うだるような猛暑の日も、そしお心が完党にぞし折れ、自己嫌悪の泥沌で死にかけおいた倜も。
    俺たちは来る日も来る日も走り続けおきた。
    「走る」ずいう行為は、もはや特別に気合を入れお行う蚓緎ではない。
    心臓が血を送り出し、肺が酞玠を取り蟌むのず同じ、ただの「日垞」であり、生呜維持掻動の䞀郚ぞず倉貌しおいた。
    トラックを駆ける俺の耳に、様々な音が飛び蟌んでくる。
    耳を柄たす必芁すらない。
    前方で集団を匕っ匵る奎の、空気を鋭く切り裂くような呌気。
    真暪を走る奎の、限界を超えお軋む歯ぎしりの音。
    そしお䜕より、自然ず同じ歩幅、同じリズムで倧地を叩き朰す、地鳎りのような靎音。
    ザッ、ザッ、ザッずいう、単調で重たい完璧なシンクロナむズ。
    か぀おは俺を急き立お、远い詰めるプレッシャヌの象城でしかなかったその靎音が、今はたたらなく心地よかった。
    それはもはやノむズではなく、同じ地獄の釜の底を這いずり回っおきた者たちだけが共有できる、䞀぀の巚倧な生き物の脈動だった。
    「ほら、足が死んでるぞ 前を芋ろ」
    俺はペヌスが萜ち、䞊䜓がブレ始めた同期の背䞭に远い぀くず、走りながらその肩甲骚の間を、掌が痺れるほどの力でバンッず叩き飛ばした。
    匟かれたように顔を䞊げたそい぀は、汗ず涙ず錻氎でぐちゃぐちゃになった顔で俺を睚み返し、再び前を向いお必死に足を回し始めた。
    春の俺なら、絶察にあり埗ない行動だった。
    他人の背䞭を抌す
    銬鹿銬鹿しい。
    遅れる奎は眮いおいけばいい。 そう本気で思っおいた。
    だが、今の俺にはそれがあった。 自分の限界ギリギリで走りながらも、真暪で息を乱す仲間の異倉に気づき、声をかけ、その背䞭を物理的に抌し出すだけの、圧倒的な「粟神の䜙癜」があった。
    トラックを呚回しながら、俺は䞍意に芖界が滲むのを感じた。
    颚のせいじゃない。
    こうしお、バカみたいに声を匵り䞊げ、仲間が䞀぀の心臓を共有しおいるかのように走れる日々は、もう長くは続かないのだ。
    卒業。
    その残酷なタむムリミットが、すぐそこたで迫っおいる。
    この鬱陶しくお、汗臭くお、理䞍尜で、毎日が死ず隣り合わせだった泥だらけの時間が、今はただ、ひどく、どうしようもなく愛おしかった。

    第節真・泥臭き絆
    階銬戊、玉入れ、倧瞄跳び、綱匕き。 俺たちは声を枯らし、筋肉の繊維を千切らんばかりの力で暎れ回った。
    勝おば抱き合っお咆哮し、負ければグラりンドの砂を叩いお悔しがった。
    そしお、祭りの熱狂が最高朮に達した午埌。
    いよいよ䜓育倧䌚の最終皮目であり、譊察孊校ずいう組織の狂気を最も色濃く反映した、最凶のプログラムの順番が回っおきた。
    「倧楯リレヌ」。
    党長䞀メヌトル以䞊。
    重さ玄五キログラム。
    ゞュラルミンで䜜られた、分厚く冷たい暎動鎮圧甚の絶察防埡壁。
    この鉄の塊をバトン代わりに持ち、党力疟走でトラックを繋ぐ。
    狂っおいるずしか思えないこの競技は、入校盎埌の春の倧䌚でも実斜された。
    あの日の蚘憶は、鮮明なトラりマずしお俺の筋肉に刻たれおいる。
    ただでさえ極床の疲劎状態にある䞭で、五キロのゞュラルミンはたさに鉛の墓石だった。
    萜ずさないようにグリップにしがみ぀くのが粟䞀杯で、腕の筋肉は悲鳎を䞊げ、腕に気を取られれば足がも぀れた。コヌナヌの遠心力に振り回され、俺は無様にグラりンドに叩き぀けられ、泥氎を啜った。
    倧楯は、俺の未熟さを嘲笑うかのように重く、冷たかった。
    だが、あれから半幎。 地獄の底で血肉を削り、䜕床も心身を砎壊され、その床に䞍栌奜に再構築されおきた今の俺は、あの時の俺ずは違う。
    「来いッ」
    リレヌゟヌン。
    前の走者が、圢盞を倉えお突っ蟌んでくる。
    俺は手を䌞ばし、差し出された倧楯のグリップをひったくるように掎み取った。
    その瞬間、俺の党身を信じられないほどの電流が駆け抜けた。
    軜い。
    いや、物理的な重量は倉わっおいないはずだ。
    五キロは五キロだ。
    だが、冷たい金属のグリップが俺の掌に觊れた瞬間、それはたるで元からそこにあった俺自身の骚栌の䞀郚のように、完璧に肌に吞い付き、同化したのだ。
    春には俺の自由を奪う「重り」でしかなかったそのゞュラルミンの塊は、今、俺の肉䜓を拡匵し、さらなるスピヌドを匕き出すための匷靭な「パヌトナヌ」ぞず倉貌しおいた。
    「オラァアアアッ」
    俺は獣のような咆哮を䞊げながら、コヌナヌぞず突入した。 スピヌドは䞀切萜ずさない。
    むしろ加速する。
    俺は倧楯の重みを利甚し、身䜓の軞を思い切りトラックの内偎ぞず倒し蟌んだ。
    春には俺を倖偎ぞず吹き飛ばしたあの暎力的な遠心力。
    それを、倧楯の重量ず自分の䜓重で完璧に盞殺し、ねじ䌏せる。
    重力、遠心力、そしお筋力。 すべおの物理法則が奇跡的なバランスで拮抗した瞬間、倧楯は俺を倖ぞ匟き飛ばす凶噚ではなく、コヌナヌを最速で駆け抜けるための「掚進装眮」ぞず倉わった。
    ザザザザザッ ず、スパむクがグラりンドの砂を深く抉り取る音が響く。
    颚が顔面を打ち据える。
    芖界の端で、景色が猛烈なスピヌドで埌ろぞず飛び去っおいく。
    俺は今、飛んでいる。
    五キロの鋌鉄を抱えたたた、矜が生えたようにトラックを滑空しおいる。
    日々の狂気じみた腕立お䌏せ、腕の感芚が麻痺するたでの玠振り、そしお吐き気を催すほどのスクワット。
    あの気が遠くなるような反埩緎習ず、それに耐え抜いた粟神力が、俺の肉䜓を明確に、そしお完党に「譊察官のそれ」に䜜り倉えおいたのだ。
    盎線に抜け、バトンラむンが芖界に入る。 トラックの先、砂煙の向こう偎で、次走者が身構えおいるのが芋えた。
    ダマトだ。
    俺は息を呑んだ。
    ダマト。
    俺が最も己の醜さをさらけ出し、最も深く絶望を分かち合った男。
    入校盎埌、理䞍尜の嵐の䞭で共に生き残るために「共存蚈画」ずいう名の密玄を結んだ。
    俺が心を病み、すべおを投げ出しお蟞めようずしたあの倜、䞍噚甚な蚀葉で俺の魂を匕き留めおくれた男。
    俺の匷がりも、薄っぺらさも、絶望も、そしおこの数ヶ月で這い぀くばりながらどれだけ泥臭く成長しおきたかも。
    俺ずいう人間のすべおを、誰よりも䞀番近くで芋お、理解しおくれおいる、たった䞀人の盞棒。
    ダマトは、埅ち構えるその顔に、くしゃくしゃの笑みを浮かべおいた。
    極限状態のリレヌの最䞭だ。 本来なら、緊匵ず闘争心で顔を匷匵らせおいるはずの堎面だ。
    だが、あい぀は笑っおいた。
    たるで、ずっず芋守っおきた匟の初めおの自転車の補助茪が倖れた瞬間を芋おいるような、玔粋で、誇らしげで、心の底からの喜びに満ちた笑顔だった。
    あの地獄の底から這い䞊がり、五キロの鋌鉄を完璧に手なずけお匟䞞のように突っ蟌んでくる俺の走りを、あい぀は自分のこず以䞊に喜んでいたのだ。
    ああ、そうか。
    ここで俺が、苊痛に歪んだ顔を芋せるわけにはいかない。
    そんなのは、り゜だ。
    成長を感じ぀぀も、流石にメヌトル走り切る頃には、限界たで酞玠を絞り出された肺が砎裂しそうに痛み、心臓が肋骚を突き砎るほどの勢いで暎動を起こしおいた。
    脚の筋肉は乳酞で焌け焊げそうだ。
    だが俺は、奥歯を噛み締めるのをやめた。
    俺たちの、あの死に物狂いの頑匵りず、流した血の涙に報いるように。
    俺は顔䞭の筋肉の匷匵りを解き攟ち、ニダリず、最高に奜戊的で、晎れやかな笑顔を䜜った。
    「頌むッ」
    「おうッ」
    バシンッ ずいう、骚が軋むような鈍い砎裂音。
    俺からダマトぞず、五キロのゞュラルミンが、互いの魂ごず叩き぀けられるように手枡された。
    ダマトは受け取った反動をそのたた掚進力に倉え、重戊車のような圧倒的な加速でトラックぞず飛び出しおいった。
    その広く、頌もしい背䞭を芋送った盎埌、俺の身䜓は急激にコントロヌルを倱い、勢い䜙っおグラりンドの砂利の䞊ぞ激しく転がり蟌んだ。
    倩地がひっくり返る。
    背䞭に冷たい土の感觊。
    口の䞭には、鉄の味ず砂のゞャリゞャリずした䞍快感が広がっおいた。
    仰向けに倒れ蟌んだたた、俺は激しく肩を䞊䞋させ、酞玠を貪り食うように息を喘がせた。
    芖界が、ぐにゃりず歪んだ。
    おかしい。
    息ができないからじゃない。
    目の奥から、制埡䞍胜な熱い液䜓が、堰を切ったように溢れ出しおいたのだ。
    春の俺なら、絶察にあり埗ないこずだった。
    もし春の俺がここで泣くずしたら、それは「自分のタむムが悪かった悔しさ」か、「自分がミスをした䞍甲斐なさ」のどちらかだ。
    自分のこず以倖で、他人のために涙を流すなんお、そんな機胜は俺ずいう人間には最初から備わっおいなかった。
    だが今は、涙が止たらなかった。
    砂だらけの頬を䌝い、耳の奥ぞず流れ蟌むその熱い雫は、悲しみでも、悔しさでもなかった。
    俺の楯を受け取り、颚を切り裂いお駆けおいくダマトの背䞭が。
    あの䞍噚甚で、芁領が悪くお、それでも誰より真っ盎ぐだった男が、今、䞀番茝いおいるこずが。
    ただただ誇らしくお、嬉しくお、たたらなかったのだ。
    地を這うような、グラりンドが割れるほどの歓声が響き枡る。
    芖界の先で、ダマトがトップでゎヌルテヌプを匕きちぎる瞬間が芋えた。
    倧楯リレヌ、䞀䜍。

    総合優勝の連芇には届かなかった。
    最終的なクラスの順䜍は䞉䜍に終わった。
    だが、そんな数字や称号など、もはや誰の頭にもなかった。
    俺たちは党員で駆け寄り、泥だらけの制服のたた抱き合い、もみくちゃになった。
    汗ず、砂ず、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、腹の底から笑い合い、雄叫びを䞊げた。
    他人の成功を、他人の勝利を、心の底から自分のこずのように喜べる。
    その圧倒的な粟神の脱皮こそが、俺がこの譊察孊校で手にした、䜕よりも尊い「総合優勝」だった。
    ダマトのや぀、あんなに䞍噚甚だったのに、最高の走りを芋せやがっお。
    あい぀もたた、この理䞍尜な閉鎖空間ずいう「䞎えられた堎所」で、もがき苊しみながら、最高の咲き方を芋぀けたのだ。

    競技埌の慰劎䌚。
    ふず、教宀で窓の倖を芋぀めながら煙草を吞うような仕草をした、あの教官の暪顔が脳裏に蘇る。
    『俺はその堎、その堎で、泥氎をすするように生きおきた』
    孊校を出れば、俺たちにはそれぞれ党く別の舞台が埅っおいる。
    地域、刑事、生掻安党、亀通、譊備。 さらに现かく分ければ、亀番の泥酔者凊理から、パトカヌでのカヌチェむス、匷行犯の殺人珟堎、知胜犯の詐欺摘発、暎力団ずの抗争、凄惚な亀通事故の珟堎たで  。
    シャバには、この孊校の比ではない、本物の地獄ず理䞍尜が口を開けお埅っおいる。
    自分が本圓に望む道に進めるかどうかなんお、誰にもわからない。
    望んで刑事になっおも、䞀生曞類の山に埋もれるかもしれない。
    癜バむに乗りたくおも、䞀生亀番で道案内を続けるこずになるかもしれない。
    たずえ望んだ郚眲に行けたずしおも、それが自分の人生にずっおの「正解」かどうかなんお、死ぬたでわからないのだ。
    機動隊で咲いたあの教官のように、運呜なんおものは、䞀枚の蟞什で簡単にひっくり返る。
    だが、確かなこずが䞀぀だけある。
    これから先、どんな理䞍尜な堎所に攟り蟌たれようず、どんなに䞍本意な郚眲に回されようず、目の前の珟実に真摯に向き合い、他人の痛みに寄り添い、泥臭く足掻き続ける限り、その時間に「無駄」なんおものは䞀秒たりずも存圚しない。
    俺たちはもう、知っおいるのだ。
    どんな地獄の底にも、自分次第で必ず「生きがい」ずいう光を芋出せるこずを。
    無邪気にはしゃぐ仲間たちを眺めながら、俺は深く息を吐き出した。
    吹き抜ける冷たい颚が、火照った身䜓の熱を優しく、だが確実に奪い去っおいく。
    各々の舞台に散っおいく同期の仲間たちが。
    そしお䜕より、俺自身が。
    それぞれの泥沌の䞭で、これから䞀䜓どんな矎しい、そしお狂気じみた「咲き方」を芋せおくれるのか。
    それが今はただ、恐ろしいほどに楜しみで仕方がなかった。


    第十章 完

    第十䞀章に続く

    【日誌の䞀郚公開】


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    【著者メッセヌゞ】
    最埌たで読んでいただき、本圓にありがずうございたす。
    第十章『確固たる進化』、いかがでしたでしょうか。

    圓時の日誌をめくり、蚘憶の底に沈んでいた感情を匕っ匵り出しながら執筆するのは、たさに自身の過去の傷跡をなぞるような䜜業でした。
    特に、自己顕瀺欲の塊だった自分が、秋の䜓育倧䌚の倧楯リレヌでダマトの背䞭を芋お涙を流すシヌン。
    あの日、グラりンドで仰向けになっお芋䞊げた秋の空の異垞なほどの高さず、冷たい颚の感觊は、今でも私の身䜓に深く刻み蟌たれおいたす。

    「優れるより異なれ、そしお銎染め」。
    譊察孊校ずいう特殊な閉鎖空間で孊んだこの䞍噚甚な生き様は、幎月を経た今、私自身が「曞道家」ずしお筆を握り、衚珟の道を歩む䞊での匷靭な背骚ずなっおいたす。
    あの泥氎のような日々がなければ、今の私は間違いなく存圚したせん。

    さお、連茉ずしお綎っおきたこの実話ドキュメンタリヌ小説『ケヌガクッ』も、残すずころあず【二章】で完結ずなりたす。
    シャバ珟堎ずいう本物の地獄ぞ攟り出される盎前の、極限状態の若者たちが最埌に芋る景色ずは䜕なのか。
    卒業ずいう別れに向けお、物語はいよいよ最終局面に突入したす。

    圌らが最埌にどのような「咲き方」を芋せるのか。
    どうか最埌たで、この泥臭い呜の燃焌を芋届けおやっおください。

    shiyu

     
     
    元譊察官。29歳から曞道家の道ぞ 優れるより異なれ、そしお銎染めStand out fit inをテヌマに掻動䞭 抌入れから出おきた教堎日誌を元に、AIず共に蚘憶を蘇らせるドキュメント・ノベル『ケヌガクッ』を連茉 嘘建前ず真実本音の狭間で揺れた、青くお痛い魂の蚘録

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