
境界の内側<2>大丈夫って大丈夫じゃない
第2話 大丈夫って大丈夫じゃない
4月下旬。
福岡空港から地下鉄で、ホテルのある駅までやってきた。
ここにくるのは、妊娠中の時以来か。
あの時は、講師の仕事で呼ばれて福岡に行った。
妊娠が発覚してまもなくの時だったから、緊張しつつ、現地の人には内緒のままで終えたことを思い出した。
その時以来だから、もう博多がどんな街だったか、あまり覚えていなかった。
…暑い…
4月なのに、駅にはもう半袖の人が目立っていた。
まだ陽は高く、人はまばらだ。
きっと、夜になったら、猥雑になるんだろうと思いながら、繁華街独特の昼の風景が広がる路地を、スマホ片手に歩く。
大浴場で選んだその宿は、歓楽街のど真ん中にあったが、部屋は意外と静かで、寛げそうだった。
コンビニで缶ビールとおつまみの買い出しの後、ホテルの展望大浴場へ。
全面ガラスで展望は良さそうだったが、湯気で外の風景は全然見えなかった。口まで湯に浸かってじっと窓を見つめる。
⸻明日、あの『彼さん』と初めて会う。
……腹の中読めないタイプか、
はたまた神経質か。偉そうな初老だよねきっと。
柔らかそうで、絶対に、私の意見は聞いてくれない。
まぁ、明日会ってから、どうやったら仲良くできるか考えよう。
ザバーッと勢い良く風呂から立ち上がった。
翌朝土曜日。
タクシーが捕まらなかったらどうしようと思い、早めに出たら早く着きすぎた。
海沿いの大きな工業団地。空き地が多いように見えるが、今後の発展が期待される場所らしい。
…まだ、コンビニも無いけど。
正門前で待機。携帯のTeamsで、着きましたって書こうかどうか。
別に時間になれば来るはずだし、と、思っているうちに、車がやってきた。
彼が声をかけてきた。
「私さんですか?」
「はい、私です。彼さんですか?」
「はい、よろしくお願いします」
上下作業着に身を包んで私の前に現れた彼。
背が高くて、
少しがっしりしていて⸻
え?
思ってたより若い。
それに、思ってたより優しそう。
⸻少し、拍子抜けだった。
経験豊富だから定年間近か、少なくとも私より年上の人だと思ってた。実際、もう1人彼の横に初老の男性がいたが、そちらの方の方が彼さんでは?って思ってた。
そのうち、エンジニアの山さんがタクシーに乗ってやってきた。残業ワーストで有名な山さん、今日も朝から疲れてそうだ。大丈夫かな。
朝、彼がお客様に、調査する部屋順を説明し、その後、彼が私に調査内容を説明してくれた。
前回の調査から日が経っているため、改めて2つの観点で調査しますね、とのこと。
調査が始まった。
前回資料を見ながら変更点が無いか確認。
「ここ、こうやって変更しますからね。メモしといてください」
「はい」
赤ペンで図面に情報を書き込む。すぐに図面は埋まって裏面にも書き込む。
最初は彼のペースについていくのがやっとだったが、そのうち慣れてきて、図面での疑問を聞いたりもできるくらいに。
そうこうしてるうちに、私も何度も当たった課題がある場所に来た。構造的な問題が発生しそう。ちゃんと測定してから決めませんか?
私は彼に提案してみた。
すると、
「え…?なんで?いいじゃん」
ふにゃっとした笑顔で、そう言った。
この分野で、
ここまで真っ向から否定されたのは初めてだった。
エビデンスの私さん、と自負していたのに、丸ごと否定されて、内心、かなりショックだ。
「測定器、使わないんですか?私はいつも測定して、後でエビデンスを出していましたが。」
「そんなの見ればわかるでしょ。だいたいこのメーカーの素材なら、見なくてもわかります。」
私には到底理解できなかった。エビデンスは?顧客との合意は?それで通すつもりなのか。
「不具合残ったらどうするんですか?」
「今回御社から測定調査費もらってないからやらないだけです。大丈夫ですって。」
「そうですか…」
私はそれ以上言えずにいた。
「大丈夫です」って…
そう言うけど、
何かあった時に責任を取るのは、私だ。
彼に、もっと詰め寄りたかった。
が、そこまで言い切れなかった。
この案件は、最初から彼の考えで動いている。
本来、うちがやるべきことまで。
拠点全体の最適化観点も含めて考えてる。
丸投げしてるうちの会社がある意味悪い。
それにしても…
「大丈夫ですよ」
⸻何、この人。
いや、今は、信じるしかない。
もしかしたら、信じていいのかもしれない。
なんとなく、そう、思ってしまった。