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Photo bydragon_god_will

守られたかった子どもの記憶

    私は幼い頃から、両親の苦労話を母からよく聞かされて育った。

    父は早くに実母を亡くし、その後、継母が三人変わったという。
    けれど、どの家庭にも落ち着くことができず、厄介者のように扱われ、親戚の家を転々としたらしい。幼少期は、とても苦労したのだと聞かされた。

    母もまた、家が貧しく、本当は進学したかったけれど、その思いを口にすることができなかったという。
    家計を助けるため、長い間、家業を手伝ってきたのだと話していた。

    幼い私にとって、それはただの昔話ではなかった。

    かわいそうな生い立ちの両親。
    苦労してきた父と母。
    だからこそ、今は幸せでいてほしいと思った。

    そして、いつの間にか私は、こう感じるようになっていた。

    「私のせいで、両親を不幸せにしてはいけない。
    私が、両親を幸せにしなくてはいけない。」

    母は、憤りを抱えやすい人でもあった。

    父の散財の話。
    義父への愚痴。
    思うようにならなかった人生への悲しみや諦め。

    そうした話も、私はよく聞かされていた。

    父がどれだけお金を使ったのか。
    そのことで、母がどれほど苦労したのか。
    そんな話を聞くたびに、私は子どもながらに、これ以上負担をかけてはいけないと思った。

    欲しいものがあっても、欲しいと気軽には言えなかった。
    何かをねだることが、母をまた困らせることのように感じた。
    自分の希望を口にすることさえ、どこか悪いことのように思えていた。

    また、母からこんなことを言われたこともあった。

    「痩せていて、難民のようだと近所の人に噂された」

    母は、私を責めるつもりで言ったわけではなかったのかもしれない。
    けれど、その言葉は幼い私の中に深く残った。

    私は、自分が痩せていることで、母に迷惑をかけてしまったのだと思った。
    母を恥ずかしい思いにさせてしまったのだと思った。

    本当なら、子どもの体型や成長は、子ども自身が責任を背負うものではない。
    けれど、その頃の私は、そんなふうには考えられなかった。

    母が困っている。
    母が怒っている。
    母が恥ずかしい思いをしている。

    その原因が、どこか自分にあるような気がしていた。

    もちろん、母に子どもを苦しめる意図があったとは思わない。

    自分の中に抱えていた不満や怒りを、ただ誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
    一番近くにいた私に、自然とこぼしていただけだったのかもしれない。

    けれど、子どもは大人が思う以上に、親の言葉を深く受け取る。

    親の悲しみを聞けば、悲しくなる。
    親の苦労を知れば、何とかしてあげたくなる。
    親が怒っていれば、自分が悪いのではないかと感じてしまう。
    親が幸せでなさそうに見えれば、自分がその原因なのではないかと思ってしまうこともある。

    よく、「お母さんが幸せでいることが、子どもの幸せにつながる」と聞く。

    私も、本当にそう思う。

    親が自分の人生を少しでも肯定できていること。
    苦労はあったけれど、それでも今は幸せだと思えていること。
    子どもにとって、それは大きな安心になる。

    母の苦労話や愚痴が、最後にそう結ばれていたなら、私の受け取り方は少し違っていたのかもしれない。

    あなたがいてくれて幸せだよ、
    そんなひと言があれば、私は両親の人生を、自分の責任として抱え込まずに済んだのかもしれない。

    けれど、現実にはそう簡単にはいかなかった。

    両親の苦労も、母の憤りも、日々の愚痴も、いつしか私の深いところに刻まれていった。
    そして、親を幸せにしなくてはいけないという思いは、静かに形を変え、やがて私の足かせのようになっていった。

    大人になった今でも、その感情との折り合いをつけながら生きている。

    親を大切に思う気持ち。
    親をかわいそうだと思う気持ち。
    親を助けたいと思う気持ち。
    親に迷惑をかけてはいけないと思う気持ち。

    そのどれもが、間違っているわけではない。

    けれど、親の人生を子どもが背負い続ける必要はない。
    親の悲しみを、子どもが幸せに変えなければならないわけでもない。
    親の怒りや不満の受け皿に、子どもがなり続ける必要もない。

    親とは、本来、子どもを守る存在なのだと思う。
    子どもには、安心して甘え、頼り、守られる権利がある。

    けれど現実には、子どもが親の精神的な支えになっていることも少なくない。
    本人が望んだわけでも、誰かにそう言われたわけでもないのに、親の悲しみや苦労を受け止め、親を守ろうとしてしまう子どもがいる。

    私自身も、そうだったのだと思う。

    守られるはずだった子どもが、いつの間にか親を守ろうとしていた。
    迷惑をかけないように、負担にならないように、親の顔色を見ながら、小さな心で必死に生きていた。

    その健気さに気づいたとき、私はようやく、自分自身にも少し優しくなれる気がしている。

    親を思う気持ちと、
    親の人生まで背負わないこと。

    私は今、その境目を少しずつ探している。
    親を愛しながら、
    自分の人生を自分のものとして生きていくために。

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