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教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞊巻・第十五章 ゞャルゞョヌムンの橋ボヌゞャンシヌの戊い

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

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【この章のポむント】
- ãƒ©ãƒŽã‚¡ãƒ«å…„匟ずの出䌚いずゞャンヌのカリスマ性
- ãƒ­ãƒ¯ãƒŒãƒ«å¥ªé‚„戊の進展ずゞャンヌの予芋
- ãƒªãƒƒã‚·ãƒ¥ãƒ¢ãƒ³å€§å…ƒåž¥ã®åˆæµãšã‚ªãƒ«ãƒ¬ã‚¢ãƒ³å…¬ãžã®æƒ³ã„

15.1 ゲクランの未亡人の孫、ギヌずアンドレ兄匟

 月日の月曜日、囜王はセル・アン・ベリヌ珟圚のセル・シュル・シェヌル近郊のサンテニャンに宿泊した。[1179]

 随行する貎族たちの䞭に、未亡人ずなったラノァル倫人アンヌ・ド・ラノァル息子二人がいた。圌女はか぀お、土地を持たない貎族の末息子を愛するずいう愚行を犯した。

 匟のアンドレ・ド・ラノァルは二十歳で、圓時ほずんどすべおの貎族が経隓した「䞍名誉の圱捕虜になるこず、階士ずしおの䞍名誉」をかぶったばかりだった。圌の祖母ゞャンヌ・ド・ラノァル倫人の倫、ベルトラン・デュ・ゲクラン卿も、それを䜕床か経隓しおいる。

 ゞョン・タルボットによっおラノァル城に捕らえられたアンドレは、身代金ずしお䞇゚キュドヌル金貚を甚意するために倚額の借金を負っおいた。[1180]

⚠ラノァル家に぀いお賢明王シャルル五䞖に仕えた名将ベルトラン・デュ・ゲクランの番目の劻がゞャンヌ・ド・ラノァル倫人。二人の間に子はなく、ゞャンヌ倫人は再婚しお嚘アンヌをもうける。アンヌは秘密裏に結婚しお、ギヌずアンドレ兄匟がうたれる。詳现は、䞊巻・第十四章「14.12 ゞャンヌの厇拝者たちゲクランの劻」参照。

 ようするに、ラノァル兄匟は金目圓おでシャルル䞃䞖に奉仕を申し出た。
 王はラノァル兄匟を快く迎えたが金貚は䞎えず、代わりに乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルを玹介するず蚀った。

 王は圌らずずもにサンテニャンからセルぞ向かう途䞭、聖女を呌んだ。[1181]
 ゞャンヌは頭以倖の党身を甲冑で固め、槍を手に持ち、すぐに銬を乗り出しお王のもずに駆け぀けた。

 ゞャンヌは二人の若い貎族ラノァル兄匟を心から歓迎し、圌らずずもにセルぞ戻った。

 長男のギヌ・ド・ラノァル卿を、ゞャンヌは教䌚の向かいにある滞圚先の宿で迎え、ワむンを頌んだ。それが王䟯貎族の習慣だった。ワむンの入った杯が運ばれ、客はそれに゜ップず呌ばれるパンのスラむスを浞した。[1182]

⚠゜ップsoupes䞭䞖の食習慣で、ワむンにパンを浞しお食べる。

 ゞャンヌは、ギヌ・ド・ラノァルに酒杯を差し出しながら「近いうちにパリで飲たせおあげたしょう」ず蚀った。

 それから、䞉日前にゞャンヌ・ド・ラノァル倫人兄匟の祖母に金の指茪を莈ったこずを䌝えた。さらに、芪切に付け加えた。

「それは小さなものでした。ラノァル倫人の名声を考えれば、もっず䟡倀のあるものを莈りたかったのですが」[1183]



 その倜のミサの時間に、ゞャンヌはブサック元垥が指揮する倚数の兵士および民兵ずずもに、セルからロモランタンに向けお出発した。托鉢修道士たちに囲たれ、圌女の兄匟のひずりも同行しおいた。

 ゞャンヌは癜い鎧を身に぀け、フヌドをかぶっおいた。

 倧きな黒い軍銬が宿の戞口に連れおこられたが、ゞャンヌが乗るこずを頑なに拒んだ。ゞャンヌは教䌚の向かいの道端にある十字架たで銬を匕いおいき、そこで鞍に飛び乗った。倧きな軍銬がたるで瞛り぀けられたかのようにじっず動かないのを芋お、ギヌ・ド・ラノァルは驚愕した。

 ゞャンヌは銬の頭を教䌚の入り口に向けるず、柄んだ女性の声で叫んだ。

「叞祭ず聖職者よ、神に祈りながら行列を組んで歩きなさい」

 そしお、倧通りに出るず「進め、進め」ず蚀った。
 ゞャンヌは手に小さな斧を持ち、巻いた軍旗を小姓が運んでいた。[1184]

15.2 ゞャルゞョヌの戊い軍の線成ず軍資金

 軍勢の集合堎所はオルレアンだった。
 月日朚曜日の倕方、ゞャンヌは月日に枡ったあの倧橋を再び枡った。
 11日の土曜日、フランス軍はゞャルゞョヌに向けお出発した。[1185]

 今回の軍勢は、アラン゜ン公、ノァンドヌム䌯、オルレアンの私生児卿、ブサック元垥、ラ・むル隊長、フロラン・ディリ゚卿、ゞャメ・デュ・ティレむ卿、ブルタヌニュのテュダル・ド・ケルモワザン卿が率いる階兵隊ず、各コミュヌンから掟遣された郚隊で構成され、おそらく総勢8000人の戊闘員がいた。圌らの倚くは、槍、斧、クロスボり、鉛の槌で歊装しおいた。[1186]

 若きアラン゜ン公爵が指揮官に任呜された。
 圌は知略に優れた人物ではなかった。[1187]
 だが、銬術の心埗があり、圓時はそれが将軍栌に欠かせない唯䞀の技量だった。

 今回もたた、オルレアンの人々が遠埁の費甚を負担した。
 兵士の絊料ずしお3000リヌブル、食料ずしお穀物暜分を提䟛した。
 オルレアンの人々からの芁請を受けお、囜王は3000リヌブルの新たな課皎タむナ皎を課した。[1188]

 圌らは、石工、倧工、鍛冶屋など、あらゆる分野の職人を自費で掟遣した。オルレアンが所有する倧砲も貞し出した。カルバリン砲、カノン砲、ラ・ベルゞェヌル砲、そしお頭の銬に匕かれた倧型の臌砲を、砲手のメグレずゞャン・ボワむ゚ノずずもに送り出した。[1189]

 圌らはたた、匟薬、攻城兵噚、矢、はしご、぀るはし、シャベル、マトック぀るはしの䞀皮。片方が鍬くわ、もう片方が斧になっおおり穎掘りも切断もできるを提䟛した。オルレアンの人々は几垳面だったので、すべおの物資に印を付けた。

 包囲戊に必芁な物資はすべお、乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルに送られた。

 今回の戊いも、オルレアンの人々が指揮官ず認めおいるのは、アラン゜ン公でもなければ、自分たちの領䞻オルレアン公の立掟な異母匟である私生児卿でもなく、ゞャンヌただ䞀人だった。

 オルレアンの䜏民にずっお、ゞャンヌは包囲戊の指導者であり、これから包囲される町ゞャルゞョヌに向けお、ゞャン・ルクレヌルずフラン゜ワ・ゞョアシャンずいう垂民人を掟遣した。[1190]

 オルレアン垂民に次いで、ゞャルゞョヌ包囲戊の軍資金にもっずも貢献したのはゞル・ド・レ卿だった。[1191]

 この䞍幞な貎族は、無分別に金銭を浪費し、その䞀方で、裕犏な垂民はゞル・ド・レ卿に高利で金を貞し付けお莫倧な利益をあげた。圌の悲惚な財政状況は、やがお悪魔に魂を捧げお状況を立お盎そうず詊みるたでになる。

15.3 ゞャルゞョヌの戊い行軍ず軍議

 ゞャルゞョヌの町は厳しい包囲戊の末に間もなく陥萜するのだが、前幎の10月日に抵抗するこずなくむングランド軍に降䌏しおいた。[1192]

⚠ゞャルゞョヌJargeau珟圚はゞャルゎヌ衚蚘が倚いが、歎史孊ではゞャルゞョヌの戊い。オルレアンの䞊流、玄キロ地点にあるロワヌル川南岞の町。

 ロワヌル川を挟んで、ボヌス平野の岞蟺ず町を぀なぐ橋には、぀の小城芁塞が備え぀けられおいた。[1193]

 町自䜓は、城壁ず塔に囲たれおいるものの、匷固に芁塞化されおいたわけではなかった。しかし、むングランド軍によっお防衛手段が匷化されおいた。

 フランス王の軍隊がゞャルゞョヌの町を包囲しに来るず知らせを受け、むングランド軍のサフォヌク䌯は人の兄匟ずずもに、500人の階士、埓階士、その他の戊闘員、そしお粟鋭の匓兵200人を率いお町に立おこもった。[1194]

 アラン゜ン公爵はゞャンヌずずもに、階兵600階を率いお先頭にいた。
 最初の倜、圌らは森で野営した。[1195]

 翌朝、倜明けずずもに、オルレアンの私生児卿、フロラン・ディリ゚卿、その他数名の隊長が合流した。圌らは早くゞャルゞョヌに到着しようず行軍を急いでいた。

 そこぞ突然、あのゞョン・ファストルフがパリから兵士2000人を率いお、ゞャルゞョヌに物資ず倧砲を運んでやっお来るずいう知らせが入った。[1196]

 これは、ゞャンヌが月日に䞍安を感じおいた軍隊だ。
 圌女の聖人たちが、ファストルフの居堎所を教えおくれなかったからだ。

 隊長たちは軍議を開いた。倚くの者が「包囲を䞭止し、ファストルフを迎え撃぀べきだ」ず考えた。実際、すぐに出発した者もいた。

 だが、ゞャンヌは兵士たちに「ゞャルゞョヌぞの行軍を続ける」よう説埗した。ゞョン・ファストルフの軍隊がどこにいるのか、ゞャンヌは他の者たちず同じく䜕も知らなかった。圌女の理屈は、この䞖のものではなかった。

 ゞャンヌは「いかなる歊装集団も恐れるな」ず蚀った。

「むングランド軍を攻撃するこずをためらうな。なぜなら、神があなた方を導いおくださるからだ」

 そしお、さらにこう蚀った。

「もし神が導いおくださるず確信できないなら、こんな倧きな危険を冒すよりも、矊飌いをしおいた方がたしだ」

 アラン゜ン公は、オルレアンの指導者たちの誰よりも、ゞャンヌの蚀うこずをよく聞いた。[1197]  先走っおファストルフ隊を迎撃しに行った者は呌び戻され、ゞャルゞョヌぞの行軍は続けられた。[1198]



 町の郊倖は無防備に芋えた。しかし、フランス王の兵士たちが近づくず、むングランド軍が建物の前に陣取っおいるのを発芋したため、退华を䜙儀なくされた。

 しかし、これを芋た乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルは軍旗を぀かんで敵に向かっお突撃し、兵士たちに勇気を奮い起こすよう呌びかけた。

 その倜、フランス王の兵士たちは町の郊倖で野営するこずができた。[1199]

 圌らは譊戒を怠っおいたが、アラン゜ン公爵自身の告癜によれば、もしむングランド軍が奇襲をかけおいれば非垞に危険な状況に陥っおいただろう。[1200]

 乙女の刀断は、圌女が予想しおいた以䞊に完党に正しかった。
 ゞャンヌの軍隊の運呜はすべお、神の恩寵にかかっおいた。

 翌日の朝、包囲軍は攻城兵噚ず臌砲を城壁たで運んだ。
 オルレアンが貞し出した倧砲が、ゞャルゞョヌの町に倧きな損害を䞎えた。
 ラ・ベルゞェヌル砲が攟った発の砲撃で、芁塞小城の最も倧きな塔が砎壊された。[1201]

15.4 ゞャルゞョヌの戊い私生児ずアラン゜ン公の䞍和

 民兵隊は、11日の土曜日にいち早くゞャルゞョヌに到着した。
 圌らはすぐに、䜕の盞談もせずにいきなり塹壕に向かい、攻撃を開始したが、圌らの熱意は空回りした。結果的にうたく戊うこずができず、正芏の兵士からの揎助も受けられず、混乱のうちに远い返された。[1202]

 同日の土曜日の倜、戊う前に敵に降䌏をすすめるのが垞だった乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルは、堀に近づくず、むングランド軍に向かっお叫んだ。

「倩の王ずシャルル王に町を明け枡し、立ち去れ。さもないず、あなたたちにずっお最悪の事態になるだろう」[1203]

 むングランド軍はゞャンヌの呌びかけに耳を貞さなかったが、䜕らかの折り合いを぀けお合意したいず匷く望んでいた。サフォヌク䌯は、オルレアンの私生児卿のもずを蚪れ、「もし攻撃を控えおくれるなら町を明け枡す」ず䌝えた。

 むングランド軍は週間の猶予を求め、その期間が過ぎたら、ただちに撀退しお町を匕き枡すず玄束した。ただし、その時点たでに救揎が来なかった堎合に限るこずは蚀うたでもない。[1204]

 圓時、このような条件付き降䌏は、双方にずっお䞀般的だった。

 以前、ゞャンヌがノォヌクルヌルに到着する盎前に、ボヌドリクヌルは同様の条件で降䌏文曞に眲名しおいた。[1205]

 今回の堎合、ゞョン・ファストルフが砲兵隊ず補絊物資を運んで迫っおいる、たさにその時に、フランス軍にそのような合意を求めるのは単なる時間皌ぎの策略だった。[1206]

 このずき、オルレアンの私生児卿は、サフォヌクの眠にかかったず蚀われおいるが信じ難い。隙されるどころか、圌はこういう策に関しお非垞に狡猟なこずで知られおいる。

 翌日12日の日曜日、町の攻略に぀いお軍議を開いおいたアラン゜ン公ず貎族たちは、ラ・むル隊長がサフォヌク䌯ず亀枉しおいるず知らされた。

 アラン゜ン公たちは倧いに䞍快感を感じた。[1207]
 ラ・むル隊長傭兵隊長は将軍ではなかったため、独断で亀枉するこずはできない。おそらくオルレアンの私生児卿から暩限を䞎えられおいたのだろう。

 私生児卿は、むングランドの捕虜ずなっおいる兄のオルレアン公のために指揮を執り、アラン゜ン公は囜王のために指揮を執っおいる。そのため、䞡者の間で意芋の盞違が生じた。

⚠オルレアンの私生児ずアラン゜ン公に぀いお補足私生児はその名が衚すように、オルレアン公の異母匟庶子の子。アラン゜ン公は、オルレアン公の䞀人嚘ず結婚しおおり、オルレアン公の嚘婿である。そのため、この二人は「オルレアン公の名代」ずしお䞻導暩を争っおいるず考えられる。

⚠アラン゜ン公に぀いお著者アナトヌル・フランスは「アラン゜ン公は囜王のために指揮を執っおいる」ず曞いおいるが、その埌の動向フランスを裏切りむングランドに内通するからシャルル䞃䞖に忠誠心を持っおいるずは考えにくい。たた、アラン゜ン公は「ゞャンヌに愛された戊友」ずいわれおいるが、オルレアンでの乙女の人気にあやかっお、自分の地䜍を匷化するために利甚しおいる可胜性がある。

15.5 ゞャルゞョヌの戊い九死に䞀生を埗る

 降䌏する者には垞に慈悲をかけ、同時に、戊う甚意もしおいた乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルはこう蚀った。

「もし圌らが望むなら、鎧を着たたた、呜だけは助けおゞャルゞョヌから立ち去らせよ もしそうしないなら、町を攻撃するのみ」[1208]

 アラン゜ン公は降䌏の条件を尋ねるこずさえせず、ラ・むル隊長を呌び戻した。
 圌が戻っおくるず、すぐにはしごが運ばれおきた。䌝什たちはラッパを鳎らしお「攻撃開始」ず号什をかけた。

 ゞャンヌは軍旗を広げ、党身歊装しお、頭にはシャペリンず呌ばれる軜装の兜をかぶり、王の兵士や民兵隊ずずもに、矢や砲匟の射皋圏内にある堀ぞず降りおいった。

 アラン゜ン公のそばに寄り添いながら、「進め 矎しい公爵さた、攻撃開始」ず蚀った。

 アラン゜ン公はゞャンヌほど勇敢ではなかったので、圌女の行動は性急すぎるず感じ、そのこずをそれずなく䌝えた。するず、ゞャンヌは圌を励たした。

「恐れないで。神が決めた時こそが正しい時です。神が望んだ時に、あなたは攻撃しなければなりたせん。進みなさい。神が道を甚意しおくれたす」

 アラン゜ン公に自信がないのを芋お、ゞャンヌは最近、サン・フロラン・レ・゜ミュヌル修道院で圌に぀いお玄束したこずを思い出させた。

「ああ、矎しい公爵さた 怖がっおいるの 私があなたの奥様に『あなたを無事に連れお垰る』ず玄束したこずを芚えおないの」[1210]

 攻撃の真っ最䞭、ゞャンヌは城壁に、装填方法から尻蟌め砲ず呌ばれる、现長い臌砲があるこずに気づいた。それが「王の矎しいいずこアラン゜ン公」が立っおいるたさにその堎所に、石匟を砲撃しおいるのを芋お、ゞャンヌは危険を察知した。それは自分のためではなかった。

⚠王の矎しいいずこゞャンヌがアラン゜ン公ず初めお察面した時、シャルル䞃䞖は「いずこ」ず玹介したが血の繋がりはない。

「離れお」

 ゞャンヌは急いで蚀った。

「あの砲匟があなたを殺す」

 アラン゜ン公が数ダヌドも移動しないうちに、アンゞュヌの貎族であるリュド卿が、今しがた公爵が離れたその堎所に立ったために、同じ砲匟に撃たれお死亡した。[1211]

 アラン゜ン公爵は、ゞャンヌの予蚀の才胜に驚嘆した。乙女は圌を救うために遣わされたのであり、リュド卿を救うために遣わされたのではないず確信した。

 神の倩䜿は、ある者を救うために、たたは、ある者を滅がすために遣わされる。

 フランス王の兵士たちが城壁に到達するず、サフォヌク䌯はアラン゜ン公ず亀枉したいず叫んだ。しかし、圌の蚀うこずは聞き入れられず、攻撃は続いた。[1212]

15.6 ゞャルゞョヌの戊いサフォヌク䌯の降䌏

 攻撃は時間続き[1213]、ゞャンヌは軍旗を手に、城壁に立おかけられたはしごを登った。
 そのずき、倧砲から発射された石がゞャンヌの兜に圓たり、王章が刻たれた食り板もろずも兜を頭から吹き飛ばした。人々はゞャンヌが抌し぀ぶされたず思ったが、圌女はすぐに立ち䞊がり、兵士たちに叫んだ。

「立お、友よ、立お 神はむングランド人を滅がすず定められた。圌らは今や我々のものだ。やる気を出せ」[1214]

 城壁は突砎され、フランス王の兵士たちは町に䟵入した。
 むングランド軍はボヌス平野に逃げ蟌み、フランス軍は圌らを远撃した。
 オヌノェルニュの埓階士ギペヌム・ルニョヌは橋の䞊でサフォヌク䌯に远い぀き、捕虜にした。

 サフォヌク䌯は「あなたは玳士階玚か」ず尋ねた。

「そうだ」
「では、あなたは階士か」
「違う」

 サフォヌク䌯は、圌をその堎で階士に叙任しおから降䌏した。[1215]

⚠玳士階玚gentleman珟圚の玳士ずはやや意味が異なる。階玚瀟䌚においお、階士ず蟲民・郷士の䞭間。そこそこ裕犏で、劎働階玚䞊みに働く必芁はないが、より高䜍の貎族に仕えおいるこずが倚い。

 その埌すぐに、サフォヌク䌯が乙女にひざたずいお降䌏したずいう噂が広たった。[1216] 䌯爵は、䞖界でもっずも勇敢な女性であるゞャンヌに降䌏を求めたずさえ蚀われた。[1217]

 しかし実際は、圌が「悪魔に取り憑かれた魔女」だず蔑んでいる女よりも、軍の最䞋玚の䞀兵卒に降䌏したず考える方が自然だろう。

 サフォヌク䌯の匟ゞョン・ポヌルも同様に橋䞊で捕らえられた。䞉番目の匟アレクサンダヌ・ポヌルは同じ堎所で殺害されたか、ロワヌル川で溺死した。[1218]

 町の守備隊は、無条件で降䌏した。い぀ものように、戊闘䞭に倧きな被害はなかったが、勝利者たちは埌からその埋め合わせをした。

 むングランド兵500人が虐殺され、貎族は身代金目的で拘束された。
 そしお、圌らの凊遇をめぐっおフランス軍の䞭で争いが生じた。

 貎族たちは、戊果をすべお自分たちのものにした。
 民兵たちは分け前を芁求したが、聞き入れおもらえなかったため、腹いせにあらゆるものを砎壊し始めた。

 貎族たちは、略奪から救い出したものを船に乗せ、倜の間に氎路でオルレアンに運んだ。町は残らず略奪され、ゎドンむングランド人に察する蔑称の倉庫ずしお䜿われおいた叀い教䌚も略奪された。[1219]

 死傷者を含めおも、フランス軍の損倱は20人未満だった。[1220]

⚠サフォヌク䌯の行動に぀いお補足。ゞャンヌをどう認識しおいたか
むングランド党般の芋方は第十二章「12.8 オルレアン到着日目」参照。オルレアン包囲戊幹郚の反応は第十二章「12.9 オルレアン到着日目」参照。


15.7 囚われのオルレアン公莈り物ず救出蚈画

 歊装を解かずに、ゞャンヌず階士たちはオルレアンに戻った。
 ゞャルゞョヌの奪還を祝うため、行政官たちは公的な祝賀行列を組織した。
 ゞャコバン掟ゞャコバン修道院の修道士ロベヌル・ベニャヌルが雄匁な説教を行った。[1221]

 オルレアンの䜏民は、アラン゜ン公にワむン暜本、ゞャンヌに本、ノァンドヌム䌯に本を莈った。[1222]

 謝意ずしお、囚われのオルレアン公シャルルに仕える顧問評議員たちは、ゞャンヌに緑色のマント倖套ず、深玅のフランドル織りあるいは䞊質なブリュッセル織りのノェルメむナ鮮玅色のロヌブ䞊着を莈った。

⚠ノェルメむナvermeille「金メッキを斜した銀玠材」を指すが、ここでは「深みのある鮮玅色」のこず。

 生地を調達したゞャン・リュリ゚は、䞊質なブリュッセル織り゚ルあたり゚キュドヌル゚ル分で゚キュ、ロヌブの裏地が゚キュ、黄緑色の垃゚ル分で゚キュ、総額で金貚゚キュを請求した。[1223]

⚠゚ルell長さの単䜍。肩から手銖たでの寞法。

⚠゚キュドヌルécu d'or圓時、フランスで流通しおいた金貚のこず。王章の盟゚キュが刻印されおいるこずに由来する。

 ゞャン・リュリ゚は若い毛織物商で、ゞャンヌを敬愛し、神の倩䜿ずみなしおいた。善良な心の持ち䞻だったが、むングランドぞの恐怖に目がくらみ、圌らに関する事柄ずなるず二重に芋えおしたう真実がぶれお芋える人物だった。[1224]
 圌の芪族の䞀人は、1429幎に遞出された評議䌚のメンバヌだった。
 圌自身も、少し埌に行政官に任呜された。[1225]

 仕立お屋のゞャン・ブルゞョワは、ロヌブずマントの仕立お代、および癜いサテン光沢のある絹織物、タフタ絹の平織物、その他の生地の提䟛代ずしお゚キュドヌルを請求した。[1226]

 町は以前も、ゞャンヌが「むラクサ」のガりンを仕立おるために、パリ貚35スヌ盞圓の䟡倀がある色の緑色の垃地を0.5゚ル分莈っおいた。[1227] むラクサはオルレアン公の意匠deviceで、緑、玫、深玅が圌の色だった。[1228]

 むラクサの緑色は、以前のように明るい色ではなく、家運が傟くに぀れお埐々に暗くなっおいった。 最初は鮮やかな緑色で、次第に茶色がかった色合いに倉化し、最終的には悲嘆ず哀悌を意味する黒みを垯びた玫色、぀たり色耪せた葉の色になる。

 ゞャンヌに莈られたものはフィナモヌル枯葉色だった。
 ゞャンヌは、公爵領の圹人や民兵団の兵士たちず同じようにオルレアンのお仕着せを身に぀けた。ある意味、圌らはゞャンヌをオルレアンの王章官、あるいは王章の倩䜿にしたかったのだ。

⚠フィナモヌルfeuillemort『翻蚳できない䞖界のこずば』に収録されおいるフランス語。枯葉のように色が薄れゆくこず。

 黄色がかった緑のマント倖套ずむラクサの刺繍が斜されたロヌブ䞊着を、ゞャンヌは喜んで身に぀けたに違いない。むングランド人がひどい扱いをしおきたシャルル公ぞの愛ゆえに。

 囚われの王子の遺産を守るためにオルレアンたでやっお来たゞャンヌは、む゚スの名においお、善良なオルレアン公のこずを気にかけおおり、「必ず圌を救い出す」ず語った。[1229]

 ゞャンヌの蚈画では、たずむングランド人にオルレアン公を匕き枡すよう呌びかけ、もし拒吊された堎合は、海を枡り、軍隊を率いおむングランドで圌を探し出す぀もりだった。[1230]

 この方法がうたくいかなかった堎合に備えお、ゞャンヌは聖人たちの蚱可を埗お、別の方法も考えおいた。それは、囜王に捕虜を捕らえさせおくれるよう頌み、ゞャンヌの手でオルレアン公ず亀換するのに十分な捕虜を確保しおみせるず信じるこずだった。[1231]

 聖カタリナず聖マルガリヌタは、この方法ならオルレアン公救出たでに幎以䞊幎未満しかかからないず玄束しおくれたずいう。[1232]

 これらはたさしく、村の鐘の音を子守唄にしお眠りに぀いた子䟛の敬虔な倢物語だ

 ゞャンヌは、王子たちを苊難ず疲劎から救うために苊劎しお働くのは圓然だず考えおおり、善良なしもべらしいこずを蚀った。

「肉䜓的な安楜に぀いお、神は私よりも、囜王ずオルレアン公を愛しおおられるこずを知っおいたす。啓瀺によっお、私はそのこずを知りたした」[1233]

 そしお、囚われの公爵に関しおは、こう蚀うのが垞だった。

「私の『声』は、オルレアン公シャルルに぀いお倚くのこずを明らかにしたした。圌は、私の囜王を陀き、生きおいる誰よりも頻繁に私に啓瀺を瀺しおくれる察象でした」[1234]

 実際には、聖カタリナず聖マルガリヌタがしたこずは、王子のよく知られた䞍幞に぀いおゞャンヌに語っただけだった。

 ミラノのノァレンティヌヌの息子オルレアン公ず、むザベル・ロメの嚘ゞャンヌは、二人の間にある海よりも広く深い溝によっお隔おられおいた。圌らは魂の䞖界の正反察の堎所に䜏んでおり、倩囜の聖人すべおを動員しおも、互いを理解させるこずはできなかっただろう。

⚠ミラノのノァレンティヌヌオルレアン公シャルルの母、ノァランティヌヌ・ノィスコンティのこず。ミラノ公の嚘。

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