メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「代読屋ははざまを繙く」第二話

    紫藤市

    懸想文(二)

     慎重な手つきで典ふみ也やは三つ折りになっていた便箋を開いた。
     市販の真っ白い便箋には、万年筆で明らかに女性が書いたとわかる丁寧な文字が並んでいる。
    『拝啓 親愛なる方へ』
     なぜか手紙の冒頭には、飯いい尾お大ひろ志しの名が書かれていなかった。
    「名前が、書いていないんだね」
     便箋と封筒を見比べながら、典也が軽く目を細める。
     封筒の表にも、飯尾の名はなく空白だ。
    「この手紙が第三者の目に触れることがあるといけないので、飯尾さんのお名前は書かないと千ち代よ子こさんはおっしゃっていました」
     せっせと枇杷を食べながら董とう子こが答える。
    「もし間違って誰かがこの手紙を読んだとしても、久く我が千代子嬢が誰に宛てて書いた手紙なのか知っているのは四人だけ、ということか」
    「そういうことです」
    「飯尾君も同じようにしているのかな」
    「はい。僕も手紙の本文には千代子さんの名前は書きません。そういう約束で始めた文通です。封筒の裏には名字だけを書いています。名字だけであれば男からの手紙であるとわからないだろうから、と言われました」
    「まったくわからないことはないと思うけどな。飯尾君は、女性のような柔らかい字を書くのかい?」
    「いえ……字はあまり上手くなくて……」
     恥じるように飯尾は顔を赤らめた。
    「男らしい字、女らしい字というものを明確に区別できるものではないけれど、字を見ればなんとなく男女の判別はできるものだよ。男でも嫋たおやかな字や繊細な字を書く人もいるだろうけれど」
    「飯尾さんの字は、どちらかといえば勇ましい感じですね」
    「なるほど」
     董子の口ぶりから、典也は概ね察したようだ。
    「久我千代子嬢は、受け取った手紙をどうしているのかな。差出人の名前が名字しか書いていないとはいえ、明らかに男の字とわかる手紙が何通も彼女の部屋にあることに家族が気づいたら、咎められるんじゃないかな」
    「その辺りは、どうしているのかは聞いていないのでわかりませんわ」
     董子は首を傾げ、飯尾も同意を示すように頷いた。
    「そう…………この手紙は、しばらく預からせて貰っても良いのかな」
    「はい。構いません。よろしくお願いいたします」
     飯尾は深々と頭を下げると同時に「けほっ」と咳き込んだ。
    「飯尾さん。お風邪ですか? もしかして、桂けい太た郎ろうさんのがうつったとか」
    「いえ、少々喉がいがらっぽくなっただけですから、ご心配なく」
     気遣う董子に遠慮するように飯尾は首を横に振ったが、さらに咳き込んだ。
    「夏風邪は、早めに直しておかないと長引きますよ」
     董子が忠告すると、飯尾は素直に頷いた。
    「あ、これは桂太郎君から預かってきたものです」
     思い出したように飯尾は鞄から二冊の本を取り出した。
    「こちらのお店で借りた本だから返しておいて欲しい、と言われまして」
     春夏冬あきない堂は貸本屋や図書館ではないのだが、桂太郎は店の棚に自分が読みたい本があると祖父に断って持ち出すのだ。
    「アンデルセンの『即興詩人』ですね。祖父に返しておきます」
     董子が本を受け取る。
     本を渡し終えると、すべての用事は終わったといった様子で飯尾は「寮の門限があるので」と断ってそそくさと部屋を出て行った。
    「飯尾君は真面目そうな人柄だね」
    「そうですね」
     まだ枇杷を食べ続けている董子が適当な相づちを打つ。
    「なんで彼を連れてきたの? 代読屋の貼り紙については、まぁ普通に代読するだけで賃仕事になるかもしれないからってことで了承したけれど」
    「飯尾さんには、迫はざ間まさんのことは他言無用と伝えてあります。彼はとても謹厳実直な方ですから、他の人に迫間さんの能力のことをべらべら喋ったりしませんよ」
     手拭いで指先に付いた枇杷の汁やかすを拭いながら董子は告げる。
    「僕は、千里眼じゃないんだよ」
     やれやれ、と典也はため息をつく。
    「わかっています」
     にこりと微笑んだ董子は、典也のぼやきを受け流した。
    「この手紙を迫間さんに読んで貰おうと飯尾さんに言ったのは、わたしが気になったからです」
     まっすぐに典也を見つめて董子が告げる。
    「董子さんが? それは、久我千代子嬢の行方が、ということ? さっき飯尾君にも言ったけど、僕にわかることはこの手紙を書いた当時の久我千代子嬢だよ。彼女が学校を休むようになったのは、この手紙を書いてから一週間以上経っているんだよね? その一週間で、彼女の気持ちに様々な変化が起きていると考えると、この手紙から読み取ったことが彼女の現在の居場所を突き止める手がかりになるとは思えないよ」
    「はい。それはわかっています。わたしは、千代子さんがいまどこでなにをしているのかはあまり興味がないんです。飯尾さんは千代子さんの身を心配していましたが、わたしはあまり……。薄情だと思います?」
    「いや……薄情だとは……。学友との付き合い方や距離感は人それぞれだからね。ただ、久我嬢は董子さんの家に遊びに来るほど親しかったのではないの?」
    「どうなんでしょうね」
     よくわかっていないのか、当の本人である董子が考え込んだ。
    「去年、急に千代子さんがうちに遊びに来たいとおっしゃったので、お招きしたんです。千代子さんはお金持ちのお嬢さんだからか、少々『思い立ったが吉日』みたいに行動するところがおありなんです」
     遠回しではあるが、久我千代子は自分本位の言動が多いことをほのめかした。
    「久我家は元は千葉の豪農で、二十年ほど前に千代子さんのお父様が東京に出てきて貿易商のお屋敷で書生として住み込んでいたところ、その家のお嬢さんに気に入られてそのまま結婚したのだそうです。お父様は現在、奥様のご実家のお商売を手伝われていて羽振りがよろしいようなんですけどね」
    「なるほど」
     典也は便箋の文字に目を走らせた。
     黒いインクで丁寧に書かれた字で綴られているのは、上野で開催された博覧会を家族で観に行ったことと、最近読んだ本の話だ。近況報告のような内容で終始しており、飯尾に対しての気持ちがなにか書かれているわけではない。
     裕福な家の令嬢としての一面が手紙から読み取れるが、それだけだ。
    「これは確かに、僕が読んでも支障がない内容だな」
     本当にただの文通だ。
    「飯尾君と久我嬢の交際は手紙だけ?」
     字面に目を凝らしながら典也は確認する。
    「はい。おふたりが顔を合わせたのは、わたしが知る限りでは我が家で会った一度きりです。兄にも確認したのですが、兄もおふたりがその後どこかで逢い引きした様子はないと話していました」
    「それにしては、飯尾君は久我嬢にとても執心していたように見えたけど」
    「わたしもそう思います。わたしが飯尾さんにお目にかかったのは今日が三度目ですが、千代子さんのことを本当に心配しているように見えました。ふたりはたった一度会ったきりなのに」
     飯尾が持ってきた手紙は一通だけだった。
     他の手紙の内容が、今回と同じものであるかどうかはこの一通からは判断できない。
    「そうなのか…………あ、なにか、歌が聞こえる」
     じっと便箋を睨み、典也は呟く。
     一度目を閉じ、文字を視界から消してさきほど聞こえた声が途絶えたことを確認してから、もう一度瞼を開けて文字を見る。
    「聞こえますか」
    「聞こえるよ」
     董子が便箋を覗き込んできた。
     典也は文字を視界に入れていないと、その文字に込められた念を聞き取ることはできない。目で読んだ文字と文字の間、行間や字間にあるなにかが、音に変換され声として聞こえているのだ。
     だから、便箋に触れているだけではなにも聞こえてこない。
    「いーのちーみじぃかしー」
     かすかな声を聞き逃さないように典也は聞こえてきた歌を口ずさむ。
    「こいせよおとめー」
    「ゴンドラの唄うた、ですか」
     節は少々外れていたが、歌詞を聞いて董子は歌の題名を当てた。
    「そのようだね」
     音痴である自覚がある典也は、少々恥ずかしそうにしながらも聞こえてきたままに歌う。
    「あーかきぃくちぃびるーあーせぬーまにー」
    「ゴンドラの唄は、千代子さんの座右の銘です」
     思い出したように董子が告げる。
    「座右の銘? この歌が?」
    「はい。恋せよ乙女、が千代子さんの口癖で、よく裁縫の授業中にゴンドラの唄を歌っていました。授業で浴衣を自分で縫ったりするんですけど、黙々と針仕事をしているとなんか眠くなるからって千代子さんはよくおっしゃっていました」
     ゴンドラの唄は数年前に流行った歌謡曲だ。
    「ふうん。僕は姉がよく歌っていたのを聞いて覚えたけど、レコードでは聴いたことがないから、自分の音程が合っているのかどうかもよくわからないな」
    「大体合ってますよ」
    「大体……ね」
     微妙な面持ちで典也は肩を落とした。
    「わたしもレコードで聴いたのは一度か二度なので、千代子さんが歌っているのを聞いて覚えたようなものです。千代子さんのお家には蓄音機があって、レコードもたくさんお持ちなんだそうです」
    「へぇ、それは凄いね」
     音楽にはほとんど興味がない典也の反応は薄い。
     文学青年である彼は、春夏冬堂や二度ほど訪ねたことがある安芸教授の自宅の膨大な蔵書の方が関心があるのだ。
    「千代子さんは歌うのがお好きなようで、学校でも休み時間によく歌っていました。ご家族でお芝居を観に行くことがよくあるそうですが、ゴンドラの唄が歌われる演目はとてもお気に入りだと話していらしたのを聞いたことがあります」
    「ふうん。僕は演劇についてはまったくの素人だから、どういう物語の中で『恋せよ乙女』って歌うのかは知らないのだけど――」
    「わたしは、一度だけ千代子さんからお芝居の内容を聞いたことがあるのですが、よく理解できなかったんです。確か、エレーナという女主人公が誰かと恋に落ちて、勝手に結婚して、周囲に反対されるって話だったと思うのですが」
    「シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』かな……あ、エレーナだから違うか」
     うろ覚えの董子の説明では、芝居のあらすじはよくある悲恋物にしか聞こえないが、ロシアの作家ツルゲーネフの小説『その前夜』が元になっているものだ。クリミア戦争が始まる直前のロシアを舞台にしたもので、『ゴンドラの唄』は劇中歌謡曲として流行した。
    「わたしは、お芝居は子供の頃に祖母がよく連れて行ってくれた浄瑠璃を見たくらいです」
     一口に芝居と言っても、人形浄瑠璃と演劇ではかなり異なる。
    「その祖母のお友達に三味線のお師匠さんがいらっしゃって、一番上の姉はそのお師匠さんから三味線を習っていたんです。なので、我が家で唄といえば長唄です。歌うのはもっぱら姉だけですが」
     歌については、唱歌と校歌くらいしか歌えない典也は口を噤んでおいた。聞いた通りに喋ることはできても、聞いた通りの旋律で歌うのはなかなか難しい。
    「そういえば、千代子さんがうちに遊びにいらした際、飯尾さんといろんな音楽の話をしていました。飯尾さんのお家にも蓄音機があるんだそうです。飯尾さんのお家は横浜で生糸の輸出をしているとかで、かなり羽振りが良いように聞きました。飯尾さんのお家のお商売については、兄から聞いた話なんですけどね」
    「飯尾君と桂太郎君は、頻繁にお互いの実家を訪問し合っているのかな」
     便箋に書かれた文字を繰り返し読みながら典也が尋ねる。
    「兄が飯尾さんを家に招いたのは去年の夏休みの一度だけです。その日はちょうど近所の神社で夏祭りがあったので、兄は学校の親しい友達をお祭りに誘っていたんです。で、一高生が五人ほど家に遊びに来るというので、わたしは千代子さんに声をかけたんです」
    「…………え?」
    「恋をしたいけれど出会いがないって千代子さんが嘆いていたので、出会いの場を提供したんです」
    「さきほどの説明では、偶然出会って意気投合したみたいな話だったけど……」
    「飯尾さんは・そう思っています。もちろんわたしは兄がどのような友人を連れてくるかは知りませんでしたから、たまたま我が家に遊びにきていた飯尾さんが千代子さんと知り合ったのは偶然と言えば偶然です」
    「つまり、まぁまぁ仕組まれた出会いだったわけだね」
     納得しつつも典也は軽く肩をすくめる。
    「そうなりますね。千代子さんって清楚で美人なお嬢様なので、男きょうだいばかりの家で育って、いまは男子校で学んでいる女子にほとんど免疫がない飯尾さんが一目惚れするのは必然だ、って兄は言っていました。兄は姉がふたりとわたしともうひとり妹がいる環境なので、女性の見た目や口先に騙されないというか、女性に対してとっても警戒心が強いんです」
    「僕にも姉がいるから桂太郎君の気持ちは理解できるように思うよ」
     遠い目をして典也は桂太郎に同情した。
     彼は董子の姉たちとは面識がないが、大体の想像はついたらしい。
    「兄の友人たちの中で、千代子さんに惹かれなかったのは兄だけなんですけどね。兄は、千代子さんがおしとやかな女学生のふりをして皆を騙しているって言うんです。失礼だと思いませんか?」
    「騙している、というのは――」
    「千代子さんは純情可憐な女学生を演じているけれど、本性はまったく違うって言うんです。性悪だとか、嘘つきだとかいろいろと悪く言うんです。千代子さんは本当に素敵な人なのに」
     桂太郎が千代子の良さを理解できないことが、董子は納得できない様子だ。
    「もちろん、千代子さんは目が覚めてから寝るまで一日中純情可憐な女学生をしているってわけじゃないでしょうから、それは千代子さんの一面であってすべてではないです。でも、迫間さんだって一日中代読屋をしているわけではないですし、ずっと帝大生の顔をしているわけでもないでしょう? 春夏冬堂の店番をしている顔だったり、家庭教師の顔だったり、いろんな面があると思うんです」
    「それはもちろん、そうだね」
    「だから、千代子さんが四六時中純情可憐な女学生じゃなくても良いはずなのに、ひとつやふたつ違う顔があるとすぐに『騙された』って兄は言うんです。理想の千代子さん像を勝手に自分の中で妄想しておきながら、理想とは違う言動をして見せた途端に詐欺だのなんだのって騒ぐんです」
     眉間にしわを寄せて董子がぼやく。
    「それは、兄に限った話ではないのでしょうけれど」
    「世の中の大多数の男が同じ、ということはないはずだよ」
     董子に対して典也はやんわりと反論する。
    「もちろん、わたしだって誰もが兄と同じようだとは思っていません。多分、飯尾さんは兄と違って、千代子さんの別の一面を見たところで彼女に幻滅することはないんじゃないかと思うんです。わたしが、勝手にそう思っているだけで、飯尾さんに聞いたわけではないのですが」
    「うん。それについては、僕も同意できるな」
     さきほどの飯尾の態度を思い返しながら、典也は頷いた。
     一度会ったきりの文通相手が姿を消したことを心の底から心配している飯尾は、久我千代子を心酔して崇拝しているようにすら見えた。
    「飯尾君のさきほどの様子と、この手紙の内容を比較すると、飯尾君が一方的に久我嬢に熱を上げているように思えるけれど、その点については董子さんはどう思う?」
    「それは……迫間さんのおっしゃる通りだと思います」
     こくりと董子は頷いた。
    「でも、それって駄目なんですか? 恋って相手に想われたら、同じ熱量で想い返さないといけないんですか?」
    「そこについては、僕にはなんとも言えないな」
     曖昧な表情で典也は答えた。
    「少なくとも僕は、駄目だとは思わないけれど」
     いのち短し恋せよ乙女、と歌う声が典也の頭の中で響く。
     久我千代子が書いた手紙は、内容こそ日常を記したもので、恋情を綿々と綴ったものではない。
     それでもこれは懸想文だ。
     文字として書かれていない部分に久我千代子の想いが含まれている。
    「千代子さんは、恋はしたいんだそうです。でもそれは、恋をして、告白して、お付き合いをして、結婚に至るってものではなかったはずです」
    「飯尾君だって、別に結婚まで考えてはいなかったと思う……あー、あれはどうかな。もしかしたら考えていたのかな……」
     思い詰めたような飯尾の目つきを思い出し、典也がうなる。
    「久我嬢が結婚を考えていないっていうのは、丙ひのえ午うまだから?」
    「多分、丙午年生まれであることは、結婚をしない理由付けだと思います。千代子さんのようなお嬢さんであれば、それが障害になることは多少はあっても、気にしないとおっしゃる方の方が多いはずですから」
     別に丙午年の生まれだからと言って良縁に巡り会えないわけではない。迷信にとらわれている人がこだわっているだけだ。ただ、その迷信が大正のいまも世に蔓は延びこってはいる。
    「千代子さんは、丙午年の生まれであることを自ら飯尾さんに話していました」
    「飯尾君の反応を見ていたってことかな。確かに、それを聞いただけで久我嬢を拒むような男であれば、最初からお断りだろうね」
    「反応というか、牽制していたようにわたしには聞こえました」
     当時の記憶を辿るような目をして、董子は答えた。
    「恋愛はするけれど、結婚は考えていないって飯尾さんに宣言しているような、そんな感じでした」
    「結婚はしない……したくない、ということかな」
    「どうなんでしょう。そういった込み入った話を千代子さんとしたことはないので」
     董子は困惑した表情を浮かべた。
    「飯尾君との交際が、久我嬢の失踪と関係あるのかどうかはわからないけれど、いまの董子さんの話を聞く限り、久我嬢は誰かと恋愛をしたかっただけのように思えるな」
    「…………はい」
     最初からそう思っていたのであろう董子は、肩を落とす。
     飯尾大志と久我千代子を引き合わせたのは兄と自分であるだけに、姿を消した千代子の身を案じる飯尾のおぼつかない有様に責任を感じているようだ。
    「千代子さんが飯尾さん宛てに別れの手紙を送ってくれていれば――」
    「別れの手紙を貰ったって、納得しない奴は納得しないよ?」
    「納得してくれなくても良いんです。飯尾さんが千代子さんのことを想い続けるのは自由ですから。ただ兄は飯尾さんに、自分を振った相手のことなんて忘れろって言うでしょうし、千代子さんを探すのはやめろって忠告してくれるはずです」
    「まぁ、そうだろうね」
    「こういう、終わったのか終わっていないのかわからない恋愛っていうのが、一番厄介な気がします。あぁ、なんか面倒臭いですね!」
     本当に考えるのが面倒になったらしく、董子は天井を仰ぐ。
    「そうだね」
     苦笑いをしながら典也がもう一度手紙に目を落とすと、突然手紙の片隅からぼそぼそと男の声が聞こえてきた。
    ――戀せよ、汝の心の猶少わかく、汝の血の猶熱き間に。
     手紙の左隅に、鉛筆で小さく日付が記されている。手紙の本文とは字が異なるので、多分飯尾大志が書いたものだろうと典也は推察した。久我千代子は手紙の最後に日付を入れていないので、受け取った飯尾が自分で書き込んだのだろう。
    「……やはり、青春だね」
     董子の手元の本に視線を向けながら典也がぼそりと呟くと「はい?」と董子が聞き返したが、彼は「独り言だよ」とだけ答えた。

    【次話に続く…】


     
     
     
    小説(ライト文芸、ミステリー、ファンタジー、歴史もの)は書くのも読むのも好き。

    あなたへのおすすめ