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「代読屋ははざまを繙く」第三話

    紫藤市

    懸想文(三)

     土曜日の午後、典ふみ也やは春夏冬あきない堂の店番をしていた。
     店主は出かけていて不在だ。
     朝から小糠雨が降り続いており、上野広小路を歩く傘を差した人々は皆足早に店の前を通り過ぎていく。
     客がいない店内は、市電が通るたびに店の扉がガタガタと揺れる以外は静まりかえっている。
     帳場の椅子に座った典也は、先日飯いい尾お大ひろ志しが置いていったアンデルセンの『即興詩人』を読んでいた。森鴎外が翻訳したものだ。
     文学部国文学科の典也は、外国語が苦手だ。英語は受験勉強として学んだので読み書きはそれなりにできるが、会話はからっきしだ。英吉利イギリス文学、独ド逸イツ文学、仏フ蘭ラン西ス文学といった外国文学を学んでいる同級生たちとは異なり、国語と国文学を主に学んでいる。
     以前、一度だけ英語で書かれた手紙を読んで書き手の声をその文面から聞き取ったことがあるが、聞こえてきた言葉はすべて英語だった。当然といえば当然だが、早口過ぎてなにを言っているのかまったく聞き取れなかった。なので、春夏冬堂の店先に貼っている代読屋の貼り紙には『但シ日本語ニ限ル』と董とう子こに書いて貰ったのだ。声が聞こえても、なにを喋っているのか聞き取れないのであれば代読屋は名乗れない。
     印刷した文字からは、一切声が聞こえない。
     なので、書籍は安心して読むことができる。
     古書の中には時々鉛筆などで書き込みがされていることがある。それらの手書きの文字から声が聞こえてくることはあるが、鉛筆で書かれたものであれば消しゴムで消してしまえばすぐに聞こえなくなる。
    「『朱の唇に觸れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。戀こいせよ、汝の心の猶少わかく、汝の血の猶熱き間に。』か。飯尾君は文学は苦手だと言っていたけれど、これは読んだのかな」
     ページをめくりながら典也は思わず声に出して呟いた。
     久く我が千ち代よ子この手紙に書かれた日付から聞こえたとおぼしき声は、『即興詩人』の一説を唱えていた。
     この本は董子の兄である安あ芸き桂けい太た郎ろうが春夏冬堂から持ち出したと言っていたが、本は学生寮の部屋に置いていたのだろう。
     典也は、手紙から飯尾の声が聞こえたことは董子に黙っていた。言えば、どんな言葉が聞こえたのかと彼女が知りたがることはわかっていたからだ。
    「彼に『いのち短し恋せよ乙女』と歌っている声が聞こえたということはないと思うけれど――」
     飯尾大志が自分と同じように文字から声を聞く異能を持っていれば、董子に勧められるままわざわざこの手紙を持って自分を訪ねてきたりすることはないはずだ、と考えたときだった。
    「どうも」
     雨が降り込んでくると本が濡れるため閉めてあった扉を開けて、白いシャツに黒いズボン、学生帽に眼鏡という格好の男子学生が入ってきた。
    「いらっしゃい」
     本から視線を上げた典也は、軒先で傘を畳んでいるのが桂太郎であることに気づいた。
     第一高等学校の二年生である彼は常に眼鏡を掛けている。
     土曜日の午前中の授業が終わると彼は麹町にある実家へ帰るのだが、その際に春夏冬堂に立ち寄ることが多い。本郷にある学生寮からここまでは、十代の若者が歩く分にはそう遠い距離ではないのだ。
    「爺さんはいますか」
    「出かけてるよ」
     桂太郎は鴈がん治じ郎ろうに用事があるのだろうと思いながら典也が答えると、「それはちょうど良かった」と言いながら桂太郎は傘を店先に立てかけて奥へと歩いてきた。
    「先日、董子が飯尾をここに連れて来たと思うんですけど」
    「水曜日に来たよ。桂太郎君は風邪を引いていたと聞いたけど、もう良くなったのかな」
     典也は桂太郎が苦手だ。
     どうも桂太郎に嫌われているような様子が以前からあり、言葉の端々や態度からそれを感じ取ってしまうせいか、典也は彼に対して董子のように親しく接することができずにいた。
    「治りました」
     一言だけ桂太郎は返した。声は普段よりもかすれているように聞こえるが、変声期だからなのか風邪がまだ直りきっていないのかはわからない。
    「飯尾君は風邪気味の様だったけど大丈夫かな。彼の手紙を預かっているから、できれば彼に直接返したいと思っているんだ」
    「飯尾は……一昨日から熱が高くなったものだから、寝込んでます」
     視線をわずかに典也からずらした桂太郎は、決まり悪そうな表情を浮かべてぼそぼそと答える。
     どうやら、飯尾に風邪を移した自覚があるようだ。
    「そうかい。それは気の毒なことだね」
     普段は、風邪で寝込めばゆっくりと読書をする時間ができるのに、と考えながら講義を受けたり賃仕事をしたりする典也だが、いざ体調を崩すと本を読む気力も失われてただただ布団の中で熱に浮かされたことを思い出しつつ、桂太郎には慰めにもならない言葉をかけた。
    「……飯尾と文通していた女の居場所がわかったのか、知りませんか」
     しばらく口を開け閉めしていた桂太郎は、意を決した様子で尋ねた。
    「董子さんからはなにも聞いていないよ。僕も董子さんとは水曜日以降は会っていないからね」
     典也が即座に答えると、桂太郎は「そうですか」と呟いた。
     董子は学校帰りに毎日春夏冬堂に立ち寄るわけではない。二日に一度くらいの頻度で訪ねて来ているようではあるが、典也も毎回顔を合わせるわけではない。大学の講義や賃仕事で日没後に帰宅することもある。
     昨日帰宅すると、勝手口の三和土たたきに千代紙で折った花が置いてあった。開いてみると董子の字で『未ダ行方知レズ』とだけ書いてあった。主語は書いていなかったが、典也はこれだけでわかると思ったのだろう。
     万が一、鴈治郎に中身を読まれた場合を考えて簡潔な内容にしたのだろうが、面倒臭がりな店主は折り紙をわざわざ開いて中身を読もうとはしないものだ。
     典也は董子の書き置きの文字をじっくりと見つめてみたが、なにも声は聞こえなかった。彼女が書く文字からは滅多に声が聞こえることはない。もし聞こえたとしても、聞き取ることが難しいか細い声なのでなにを言っているのかわからない。
    「あの女は、飯尾を弄もてあそんで捨てたんです」
     桂太郎は吐き捨てた。
    「へぇ、そうなんだ」
     どうやら桂太郎は『久我千代子』の名を口にしたくないようだ。
     典也は一通の手紙からしか久我千代子を知ることができないため、曖昧な相づちを打つことしかしなかった。
    「董子は、あの女のことを褒めそやしていたけれど、女同士ってのは案外本性を見せないもんなんですよ。迫はざ間まさんは女きょうだいっていますか」
     表情が険しい桂太郎は、千代子に対する印象がかなり悪いようだ。
     女学校内での学友としての顔と交際相手に見せる顔が違う、という桂太郎の意見には典也も心の中で賛同した。
     手紙を読む限り、千代子は文通する中で飯尾大志に胸の内を明かしたりはしていないように思われた。彼女はただ淡々と日常の出来事を便箋に綴っているだけだ。まるで日記の延長のような文面からは、交際相手になにを伝えたいのかはわからない。
     なのに、典也にはあの手紙に込められた声が『恋せよ乙女』と歌っていることが気になっていた。日常を記しただけの文面とはまったく異なる声と熱が、あの便箋には籠もっている。
     飯尾の『戀せよ』という声だけではなく、千代子の声は恋情に耽ふけるような熱が宿っていた。
     あの手紙は、便箋に記された文字からは読み取れないものの、間違いなく懸想文だ。
    「姉がひとりいるよ」
    「どんな方ですか」
     桂太郎がどんな答えを期待しているのか想定できた典也は、相手に合わせた答えを口にした。
    「弟は顎でこき使わないと損だと思っているような人だよ」
     それは姉の一面でしかないが、三男である典也は実家にいた頃は姉に頭が上がらなかった。なにしろ、忙しい両親に代わって彼の世話を焼いてくれたのは姉だけだったからだ。
    「あぁ、迫間さんのお姉さんもうちと似たような感じですね。弟がいると、皆そんな風になるものなんでしょうかね」
     典也の返事に気を良くしたのか、桂太郎は声を弾ませた。
     桂太郎の姉たちについては、董子から何度か話を聞いたことがあるので典也も知っている。
     長姉と次姉は、同じきょうだいでも桂太郎と董子に対する態度はかなり違うらしい。
     姉たちは「桂太郎さんは長男だから」と口癖のように言うが、それは贔屓をしているわけではなく、「長男なのだからもっとしっかりしろ」「学校では、帝大教授である父の顔に泥を塗らないような成績を維持しろ」「男がべそをかいたり、うだうだと言い訳をするな」となかなか厳しいそうだ。
     それを聞いた典也は、桂太郎にいたく同情した。
     頑張っているのに、さらに頑張れと言われるのはなかなか精神的に厳しいものがある。
     ただ、安芸家では勉学に励む董子に「男勝りと言われても気にするな。負ける男の遠吠えだ」「女だてらにと言われても胸を張れ。世の中の半分は女だ」「平塚らいてう先生は『原始、女性は太陽だった』と言っておられるのだから、太陽でいろ。月にはなるな」と発破を掛けているらしい。
     典也には、桂太郎も董子も家族からは似たような言葉で励まされているように聞こえるのだが、桂太郎は違うらしい。
    「飯尾は女きょうだいがいなくて、おしとやかな母親くらいしか身近に女がいないから、あの女の本性を見抜けないんですよ」
     まるで自分は久我千代子の本性を見抜いているとばかりに、桂太郎は告げる。
    「飯尾君は、久我嬢が母親のような優しい女性だと思って惹かれたのかな」
    「……それはどうかは聞いたことがないのでわかりませんけど」
     典也の指摘に桂太郎は言いよどむ。
    「まぁ、飯尾君は董子さんに言われるまま春夏冬堂ここに来た様子だったから、女性の言いなりになりがちではあるかもしれないね」
    「董子は強引なところがあるので……」
     一歳違いの妹に常に振り回されている自覚がある桂太郎は口籠もった。
    「久我嬢が飯尾君を弄んだのかどうかはわからないけれど、飯尾君は久我嬢に捨てられたとは思っていないようだし、もし本当に捨てられたのだとしてもそのことで久我嬢を恨んだりはしないんじゃないかな」
     先日の飯尾の態度を思い出しながら典也が指摘すると、桂太郎は頷いた。
    「あいつはお人好しだから」
    「飯尾君の心配をしている桂太郎君だって、十分お人好しだと思うよ」
    「別に俺は……。董子が飯尾にあの女を紹介したりするから、兄として愚妹の尻拭いをしなきゃいけないって思ってるだけです」
     桂太郎から愚妹呼ばわりされていることを董子が知ったら激昂するだろう、と思いつつ典也は「そう」とだけ呟いた。
    「飯尾はあの女のことを心配しすぎて、勉強に手が付かなくなっただけでなく体調を崩して寝込んだっていうのに」
    「飯尾君が寝込んだのは久我嬢のせいなんだ?」
    「絶対そうですよ。俺の風邪がうつったせいじゃないですよ」
     董子が聞いたら「え? 桂太郎さんのせいに決まってるじゃないですか。なんでもかんでも千代子さんのせいにしないでください」と言い返しただろうが、典也は黙っておくことにした。
    「女と文通なんかして浮かれているから成績だって下がるし、寮の階段から落ちるし、風邪を引くんですよ」
     桂太郎の中で、久我千代子は疫病神扱いになっている。
    「女学生と文通してるってだけで、同級生たちは飯尾をうらやんでいましたけど、あの女が行方不明になったって聞いた途端に『弄ばれてた』だの『騙されてた』だの『これだから経験がない奴は』だの言って笑ってるんですよ。飯尾の不幸を嘲笑うような馬鹿な連中がたくさんいるんです。あの女が飯尾に声をかけたりしなければ、あいつがあんな風に同級生たちから揶か揄らかわれることだってなかったはずなのに」
    「それは、久我嬢に責任転嫁してるだけじゃないかな」
     典也が指摘すると、桂太郎は険しい表情を浮かべた。
    「飯尾君は、久我嬢と文通をしたことを後悔してるのかな」
    「後悔は……していないと思います。董子のことも、親身に話を聞いてくれる優しい子って言うくらいの奴なんで。話を聞くついでに董子にカフェーでコーヒーとドーナツを奢らされたことに気づいていないくらいだし」
    「それくらいは別に奢っても良いんじゃないかな」
     飯尾の懐事情は知らないが、父親が生糸商ならばそれなりに小遣いは貰っているだろうから、カフェーで奢るくらいはたいした出費ではないはずだ。
    「黙って姿を消すくらいなら、別れの手紙の一通くらい送ってくれれば良かったんですよ。そうしたら、飯尾だって気持ちの整理ができたはずなんです。未練は残ったかもしれませんが」
    「そう簡単にけじめがつくかどうかは怪しいけれど、まぁ、彼が董子さんに相談することはなかっただろうね」
     どういういきさつで董子が飯尾に代読屋の話をしたのかはわからないが、千代子が姿を消して手紙の遣り取りが途絶えたことについて飯尾が気にしたことはほぼ間違いないだろう、と典也は推察した。
     飯尾は桂太郎に事情を聞き、桂太郎は董子から聞いた千代子の話をしたはずだ。その結果、桂太郎の話に納得できなかった飯尾は董子から直接話を聞くためにカフェーで会った。
     千代子が姿を消した事情を正確に知りたいと食い下がる飯尾を、董子は上手く言いくるめることができなかったのだろう。もしくは、言いくるめるのが面倒になったのかもしれない。
     おとなしそうに見えた飯尾だが、桂太郎よりも口達者な董子の説明にも納得しなかったのであれば、相当しつこい性格のはずだ。
    「飯尾は少々思い込みが強いところがあって」
    「へぇ」
    「あいつの手紙の内容が少し気持ちが暴走しているところがあるというか」
    「――読んだことがあるんだ?」
    「最初の手紙の下書きを見せてきて『こんな内容でどうかな』って相談されたから読んだだけなんですけど」
    「あぁ……」
    「董子に手紙の内容を喋ったら、なんか無言のまま生理的に受け付けないみたいな目で睨まれたんで、さすがに手紙は全部書き直しさせたことがあるんです」
    「ただの文通なのに検閲があったんだ……」
     表現の自由は友人を介した文通には存在しないらしい。
    「下手すると、手紙が董子の手に渡った時点で燃えさかる竈に放り込まれる可能性があったんで、誰が読んでも支障がない内容にさせたんです。それで、あの女は飯尾を弄べると思ったんじゃないかと」
    「……返事が貰えないような手紙を書くよりはましだと思うよ」
     董子はもしかしたら、千代子が飯尾との文通を嫌々していたのではないかと気にしていたのかもしれない。
     だから、姿を消した千代子を心配する飯尾の相談に乗る素振りをしながら、千代子の手紙を飯尾に持ってこさせて典也に代読させようと考えたのだろう。
     ただの文通かと思いきや、一筋縄ではいかない手紙の遣り取りだったようだ。
    「ところで、手紙を君や董子さんを介して遣り取りするというのは、桂太郎君的には面倒ではなかったのかな。文通するならふたりで勝手にって思ったりしなかったのかな」
    「結果的には、検閲を通すみたいな格好になって良かったと思ってます。飯尾のあの下書きの内容がそのままあの女の手に渡っていたらと考えると……」
     桂太郎がわざわざ董子に相談したくらいだから、よほど問題がある文面だったようだ。
    「手紙は、俺や董子が読むかもしれないって思って飯尾はいつも書いていたのかもしれません。もちろん最初の手紙以外は俺も董子も内容は見ていないんですが、あの女から毎回返事が送られてきていたので多分飯尾の手紙は無難な内容だったんだろうと思っています」
    「それって、飯尾君としては文通をしていて楽しかったのかな」
    「楽しかったみたいですよ。俺があの女からの手紙を渡すといつも顔を真っ赤にしながら嬉しそうに受け取っていましたから。なんて言うか、初心うぶな奴だから」
     まるで自分は世間慣れしていると言わんばかりの口調で桂太郎は答えた。
    「あいつ、文章を書くのは苦手だって言いながら毎回手紙を書いていたんです。どんな言葉を使ったらいいかわからないとか、国語の教科書に載ってる言葉以外はあまり知らないとか言うんで、本を貸してやったりとか」
    「本って、これ?」
     典也は読みかけの『即興詩人』を持ち上げて桂太郎に見せる。
    「あ、はい。それです。あまり長い小説よりはいいかなって思ってそれを読むように薦めたんです」
    「なるほど。そういえば飯尾君は数学が得意だと言っていたよ」
    「飯尾は法科大学の経済学部を受験する予定なんです。でも、最近は勉強に身が入っていなくて成績が振るわないというか、先月の数学の試験で平均点以下だったわりに本人は焦っていなくて」
     大きなため息をついて桂太郎は渋い表情になる。
     その顔は、どことなく父親である安芸教授に似ていた。
    「ごきげんよう」
     華やかな声とともに春夏冬堂の扉が開き、董子が入ってきた。その手には新聞紙に包まれた紫陽花の花束がある。
    「あら、桂太郎さん」
     兄の姿を見つけ、董子は目を丸くする。
     普段は店を訪ねても鴈治郎や典也と話をすることなく、店内の本を熱心に見て回っている桂太郎が、典也と喋っていることに驚いた様子だ。
    「寄り道するなよ」
     兄の顔になった桂太郎は董子に注意する。
    「お祖父さんに紫陽花のお裾分けをしに来たの」
     はい、と董子は持っていた紫陽花の枝を束から一本だけ引き抜くと、典也に差し出した。青い大輪の花が五つ付いている枝だ。
    「あと、迫間さんにこれを見ていただこうと思って」
     残りの花束を桂太郎に持たせると、董子は鞄からひとつの封筒を取り出した。
    「これ、千代子さんと一緒に写した写真なんです」
     封筒から出てきたのは、台紙に挟まれたモノクロの写真だった。
     四人の女学生が着物に袴姿で写っている。
    「四月に、千代子さんが写真館で写真を撮りましょうっておっしゃって、わたしも誘ってくださったので一緒に行きましたの。こちらの方が千代子さんです」
     写真館の中らしき室内でいまとほとんど変わらない董子の他に、束髪にした少女、髪を垂らした少女、二つの三つ編みにした少女が写っている。
     その中で董子が指で示したのは、髪を垂らした少女だった。
     にこやかに微笑む千代子は、確かに美しかった。
    写真にちらっと視線を寄越した桂太郎は、天敵でも見つけたような表情を浮かべたが、口を開くことはなかった。さすがに董子の前で千代子の悪口を言うつもりはないらしい。
    「美人だね」
     典也が感想を述べると、董子は「そうでしょう」と嬉しそうに頷く。
     どうやら董子は美人の学友がいることが自慢らしい。
    「それで、久我嬢の入院先はわかったのかな」
     典也が尋ねると、残念そうに董子は首を横に振った。
    「千代子さんのお父様は、千代子さんの行方を隠していらっしゃるようなんです。それで、千代子さんは病気で入院したわけではなく、世間にはばかるような事情で姿を消したのではないかと学校では噂になってしまっているんです」
    「それは……どういう事情かな」
     顔を強張らせた桂太郎の様子を気にしつつ、典也が尋ねる。
    「駆け落ち、とか」
     董子が答えると、桂太郎がひゅっと息を飲む。
    「あくまでも学友たちの勝手な憶測ですけどね」
     困った表情をしつつ董子が付け加える。
    「こういうことって、噂に尾びれや背びれがついていつの間にかなってどこかに勝手に泳いでいってしまうものですから、あまり大きな声では言えないのですが」
     典也に聞かせるというよりは、桂太郎に言い含めるような口調だった。
     写真に目を遣った典也は、口角を上げて作り笑いを浮かべた千代子の姿をじっくりと眺めた。
     少し緊張気味の笑顔を浮かべた董子と並んで写る千代子は、美しくはあるが儚はかなさはない。
     どこか人形のような雰囲気を持つ少女だ、と典也は思った。

    【次話に続く…】


     
     
     
    小説(ライト文芸、ミステリー、ファンタジー、歴史もの)は書くのも読むのも好き。

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