
特別企画28 中山道木曽路 すれ違いの儀
7人の街道仲間が、同じ街道ですれ違う日が数年に一度起こります。
その日を仲間内では、"すれ違いの儀"と呼び、各自が予定をやりくりしてその地に集結。
今回の舞台は中山道、最高の舞台で"すれ違いの儀"が、執り行われました。
2026.07.04
すれ違いの儀 2022年 東海道

旧見付学校
前回の"すれ違いの儀"は4年前の2022年6月11日、東海道見附宿。
東海道を日本橋から歩く久家さんと、京都から歩く東さんがその地ですれ違う日を、仲間で歩き大いに祝いました。

浜松宿
内田さん東さんと私は、浜松宿から出立。
浜松市内は空襲の影響で、遺構も街並みも道筋も何もかも残っていません。
軍事施設が多くあったため、空襲の被害が大きかったと思われます。

金原明善翁生家記念館
普段の街道歩きは孤独ですが、今回の道中は観光客の様に、楽しみながら歩けました。

天竜川橋
天竜川は広かったです。

旧見付学校
再会の場所は見附宿の中心部にある、旧見付学校。1875年に落成された、現存する日本最古の木造小学校校舎です。

先に到着したので、5階の窓から到着を待ち上から歓迎。

左:久家さん 右:東さん
すれ違う2人で記念撮影。
この後もそれぞれが西へ東へ出立していきます。

夜は浜松宿に再集合して盛大に打ち上げ。
結局この為に集まった様なものです。
東海道遠州すれ違いの儀の詳しい記録はこちら↓
すれ違いの儀 2026年 中山道

さいたま市浦和区
東海道遠州すれ違いの儀から4年の月日が経ちました。
本日の舞台は中山道の木曽路、日本の街道の最高峰といえる絶好の舞台です。
上の画像は自宅近くの中山道の木曽方面、この道が木曽路を経て京都まで繋がっています。


6時の東海道新幹線始発に乗ろうと改札口に向かったら、まだ開く前で人が並んでいます。人生で初めて改札口が開く前に並びました。

始発なので1号、1番は気持ちいいものですね。

自由席に乗りましたが、2両しかなく品川駅で満席に、早い時間から人々は動き出してます。

中央線に乗り換え、美濃坂本駅付近の大規模な工事現場が表れます。
リニア中央新幹線、岐阜県内の駅の工事現場でした。
中津川宿

石碑のレプリカ
中山道沿いにある、これより北木曽路の石碑のレプリカが駅構内に飾られています。
中津川市を代表する観光資源、中山道の存在感が駅の中にまで浸透しています。

発祥の地は中津川市以外に、同じ岐阜県の八百津町との説もあります。
中津川では、江戸時代から続く栗の食べ方が進化し、明治時代に現在の形になったと言われています。

リニアが開通したら、中山道を歩く観光客が増えそうです。
本日の合流の儀、私は西から歩いてくる東さんと、馬籠宿付近で合流して、目的地の大妻籠を目指します。
大妻籠とは、妻籠宿から西に約2km山道を登る途中にある集落。今夜はそこにある宿に集まります。

早く着いたので、5年前に歩いた際に立ち寄れなかった、中山道歴史資料を見学します。






これから歩く宿場町を、木曽海道六十九次の浮世絵を見ながらイメージトレーニング。
中津川から徐々に山深くなっていく様子が、絵から伝わって来ます。




中津川の街中には何件も古民家を改装した宿泊施設がありました。
江戸時代の宿場町の如く、宿泊産業が復活しています。





栗きんとんをこのベンチで食べたかったのですが、栗の季節には早く実現できず。

古民家カフェ。
四年前に歩いた時も営業をしてました。

古民家カフェの前身は肥料屋だったと思われます。芸術的なホーロー看板が、大切に残されていました。


目の前に広がる、圧倒的な高さの木曽の山々に向かって歩いている中、すみれの花に心惹かれて詠った春の句だと思われます。
山路来て なにやらゆかし すみれ草
この句が詠われた野ざらし紀行とは、1684年8月から1685年4月にかけて、同行者の千里(ちり)と、江戸から東海道経由で故郷の伊賀上野へ戻り畿内を巡礼し、中山道 甲州道中経由で江戸へと戻った約2,000kmの旅です。
芭蕉41歳、9ヶ月で歩行距離が約2,000kmなので、1ヶ月で200km程度なので、ゆったりとした旅だったのですね。

参考までに、奥の細道は、1689年3月から8月にかけて、同行者の曾良(そら)と東北・北陸を巡り、岐阜県の大垣までの旅。
芭蕉46歳、5ヶ月で歩行距離が約2,400kmなので、1ヶ月で約500kmと、結構な距離を歩いた旅だった様です。


地下道の壁に種田山頭火の句が飾られていました。1934年に長野県阿智村を訪れた際に詠んでいます。
山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる
飲ミタイ水ガ音タテテヰタ
山しづかなれば笠をぬぐ




落合宿

美濃路から木曽路に近づくにつれ、街道は少しづつ標高を上げていきます。



美濃路の東の風景。
広々とした景色はこの付近で見納め。
この先の風景は、両脇から迫り来る木曽路の険しい稜線に変わっていきます。



5年前にもおやすみ処を撮影してました。









落合の石畳に入る手前の集落では、注連飾りを軒先に乾る慣わしがある様です。
前後の集落ではその様な慣わしが見られませんでしたので、面白いですね。

美しく力強い清流、これが木曽路の風景です。






落合の石畳。
前回歩いた時はこの石段を下って来ました。雨上がりでつるつると滑り、ずっと苦痛でしたが、今回は晴れで登りなのでストレスなく上りきりました。
馬籠宿

これより北 木曽路。
いよいよ木曽路に入ります。
この石碑のレプリカが、中津川駅構内にありました。
中山道を日本橋から歩いてくると、本山宿と贄川宿の間に、是より南木曽路の石碑が建っています。

是より南 木曽路 石碑
この石碑のを見た時は、いよいよ往時の旅人が苦労して歩いた木曽路に入るのかと、身が引き締まる思いをしたものです。



桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな
1891年に正岡子規が故郷松山に帰る途中に詠んだ句です。
5年前に私が木曽路から美濃路に入ったときの、水田の眩さを思い出しました。

上の画像が、木曽路の西の端から美濃を眺めた風景です。
正岡子規の句碑の近くに東屋があったので、昼寝をしながら後から来る東さんを待ちます。

本日のすれ違いの儀の主役、東さんが登って来ました。
只今の気温は30℃、久しぶりの真夏日に私もそうですが東さんも辛そうです。


馬籠宿中心部に入りました。
15:00を過ぎていたせいか、観光客の数がまばらでした。


坂道にある宿場町は珍しく、何故馬籠宿が坂道にあるかというと、産業がない地域で、平地は耕作地にした方が金になるから宿場町が坂道にあるそうです。



渋皮の 剥けし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物
十返舎一九曰く、この地には好みの女がいませんでしたが、栗ご飯は美味しかった様です。


妻籠宿

立場茶屋後の古民家に、訪れた国々の旅人が、チョークで国旗を描いてます。
ワールドカップ期間中なので、予選リーグの組合せ表に見えてきました。

神居木(かもいぎ)。
樹齢約300年〜350年のサワラの大木。枝が両側に腕のように張り出した木には、神様や天狗が腰掛けると言われ、木こりなどの杣人(そまびと)、は切り落とすと祟りがあると恐れられ大切に保護されてきました。



雨上がりなので、男滝も女滝も迫力満点でした。

合流の儀の会場、旅籠つたむらやに到着。
皆さんは到着して草鞋を脱いで一杯やっている様です。

地の物の料理を頂きながら、濁酒や地酒を頂きましたので。
お隣は、デンマーク人とアメリカ人と千葉県民でした。

日が長く夕飯後もこの明るさ。

縁側に腰掛けながら目の前の街道を眺め、往時の旅人たちが通り過ぎていた様を想像していました。


近くに沢が流れているので、蛍を探しに散策に行きます。
ふわっと飛び交う蛍の姿に、子どもみたいに喜んでいました。

みんなで大部屋に泊まり飲むのは初めてでしたので、妙に楽しく新鮮で心地よい時間でした。
5年前に妻籠宿から中山道を西に向かって中津川宿まで歩いた時の記録はこちら↓



大高さんは、この後東海道を歩きに四日市に向かいました。

久家さんは西に向かい三条大橋を目指し、東さんは東に向かい日本橋を目指します。

久家さんには、内田さんと大谷さんが同行し、東さんには私が同行します。


妻籠宿に入りました。
朝早く店も閉まっており、人がほとんどいません。


昨日泊まった旅籠の縁側、内田さんとそこに腰掛け飲んでいた時の記憶が心地良過ぎて忘れられなかったので、街道で目にした縁側を記録してみます。




御宿大吉。
5年前に中山道を歩いた時に泊まった宿。
ちょうど女将さんが道を掃除していましたのでご挨拶。

上の画像は、御宿大吉を早朝に出立するので、静かに玄関を出ようとしたら、女将さんがお見送りに出てきてくださり、撮って貰った思い出の一枚です。

この暮の もの悲しきに わかくさの
妻よびたてて 小牡鹿鳴くも
江戸時代初期の歌人良寛の和歌。
夕暮れ時の寂しい時間帯に、雌を呼ぶ雄鹿の鳴き声が聞こえている様子を詠っています。


園原旧富(そのはらひさとみ)。
南木曽町出身で、木曽地方の歴史に関する本を多数執筆した学者です。
著書"木曽古道記"や"木曽名物記"は江戸時代中期の作品なので、往時の目線で中山道がどの様に書かれているか、読んでみたくなります。

三留野宿

三留野(みどの)宿には、木曽川に架かる桃介橋という素晴らしい橋があります。
橋の名の由来は、電力王と称された福沢桃介が、木曽川沿いの水力発電開発のために架けた吊橋。
福沢桃介は福沢諭吉の婿養子にあたります。

橋が完成したのは1922年、全長247mの日本最大級の木造橋です。
国内の木造橋の長さベスト5は、私が調べた範囲では以下の通りとなります。
国内木造橋長さベスト5
1位 蓬莱橋 897.4m/静岡県島田市
2位 流れ橋 356.5m/京都府八幡市
3位 鶴の舞橋 約300m/青森県鶴田町
4位 桃介橋 247m/長野県南木曽町
5位 錦帯橋 約210m/山口県岩国市


軌道の跡が残っています。
足元をよく見ると、木製なので定期的に修繕をしないと維持ができないと思われます。


上2枚の画像が前回訪れた時の桃介橋。
修繕工事中で渡る事ができず、いつか来ようと心に誓っており、今日がその日になりました。


一時は本格的な修繕が出来ず廃橋寸前になるも、保存の声が後押しになり、南木曽町有形文化財として復元。
後の1994年には国の重要文化財に指定されました。

離れた場所からふり返ると、その大きさがよくわかります。
街道歩きで印象的だった木橋を3つ紹介します。
甲州道中 猿橋

山梨県大月市

山梨県大月市
川越児玉往還 島田橋

埼玉県坂戸市

埼玉県坂戸市
山陽道 錦帯橋

山陽道 山口県岩国市

山陽道 山口県岩国市
中山道に戻ります。

立春大吉・鎮防火燭のお札を貼る家が多くみられます。
この習慣は、かつてから季節が変わる時に災いが起きると考えられており、立春の時期に玄関にお札を貼り邪気を払っているそうです。

木曽川の風景を見ていると、よくぞこの険しい川の淵に街道を切り拓いたと感心します。
木曽川が氾濫する度に道が崩れ整備するを、長年に渡り繰り返してきたと思われます。
2021年に中山道の木曽路を歩き終えたすぐ後に、豪雨で荒れ狂う木曽川の濁流をニュースで見た瞬間、ぞっとした記憶が蘇りました。

中山道の参勤交代が舞台になっている浅田次郎の時代小説一路。
悪天候の中、木曽川の崖の淵を歩く際に、身の危険を察した一向が荷物を木曽川に捨てるシーンがありました。
場所はこの付近だったかと思われます。
この小説に出て来る次の一文が大好きです。
街道歩きは行軍なり
この本を読んでから、戦う意識で街道を歩いています。

羅天橋(らてんきょう)。
木曽路はすべて山の中である。
島崎藤村の小説"夜明け前"の冒頭の名文、
と描写した場所です。
野尻宿





祭りの準備をしています。
真っ赤な提灯は珍しく、魔除けの意味合いがあるのかもしれません。
準備している人に聞くと、祭りは来週でカッパ祭りと呼ばれており、祭りが終わると梅雨が明けるそうです。


人家や商店などが何もない場所にも赤提灯が飾られています。
中央線の乗客に向け祭りの予告をしている様に見受けられました。


須原宿

伊奈川橋。
1932年に架けられた美しいアーチ橋。
かつては、木曽の桟と並ぶ難所で、池田英泉の木曽街道六十九次では、伊奈川橋遠景として描かれています。

西尾酒造 木曽のかけはしの樽に、池田英泉の伊奈川橋遠景が描かれていました。



寝ぬ夜半を いかにあかさん 山里は 月いつるほとの 空たにもなし
眠れぬ夜に空を見上げるも、山里が山深過ぎでて月が見えな様子を、詠っています。


22歳の頃に立ち寄った際の様子が、石に刻まれていました。
名物に甘きものありて空腹に須原のとろゝ汁殊の外妙なるに飯幾杯か滑り込ませたる
上の一文は食事の話で、その後に襖越しの女性の声にときめいたら、漬物売りだった、様なことが書かれています。
幸田露伴といえば、奥州街道の二本松宿亀谷坂の上に、ペンネーム露伴誕生ゆかりの地がありました。
北海道から上京しようと汽車に乗って福島市まで南下するも、お金がなくなり歩いて辿り着いた地が二本松。なけなしの金で餅を買い、野宿をしながら詠んだ句がこちら。
里遠し いざ露と寝ん 草まくら
この2年後に文壇デビューの際に、露と伴に過ごした夜の状況をペンネームにしたそうです。

奥州街道 福島県二本松市

奥州街道 福島県二本松市

ここまで同行していた東さん、歩くのが速いのでお別れして私はのんびり進むことにしました。

昨日、宿の縁側でのんびり街道を眺めながら過ごした影響からか、街道沿いに家を構えて、縁側で夕方寛いで旅人に声をかける余生も良いなと思い始めました。




珍しい庚申塔がありました。
通常は庚申塔ではなく、"除三尸之罪"と刻まれています。

庚申塔とは、暦の上で60日毎にやって来る庚申の日に長寿を願う人々が集まる塔です。
▽願う理由
人の体内に宿る三尸(さんし)という虫が庚申の日の夜、人が寝ている間に天に昇り悪事を告げて、寿命を縮めるといわれています。
そうならない様に、庚申の夜は寝ずに塔の前に集まり起きていたそうです。
きっと朝まで飲んでいたのでしょうね。




倉本駅て歩き終え、名古屋に向かいます。
尾張で再集合

夜は名古屋で人気の中華料理店、味仙(みせん)で再集合。
辛いですが美味しい料理でした。




遠足の様な2日間、あっという間に終わりました。
次のすれ違いの儀は何年後になるか、楽しみです。
街道歩きの記録は他に定線観測という、巨樹・熊・桜・酒・鉄道など、様々なテーマをまとめた記録もあります。
詳しくは目次をご覧ください。