
こんふぃちゅ~る-でこぼこさんのひみつの場所-
※エッセイをもとにした短編小説です。発達障害児の育児で大変なお母さんに読んでもらえたら嬉しいです。
「お手続きは以上になります」
息子の療育手帳の受け取りの日。
事務的に渡された書類数枚と―障害福祉のあんない―という分厚い冊子を抱えて
私は逃げるように区役所の階段を下りた。
「お迎え、間に合うかな」そういいながら自転車置き場へ急ぐと
一階のロビーの一角で小さなイベントが開かれていることに気づく。
ふと、立ち止まって目をやる。
「い、いらっしゃいませ、バザー、やってます」
小さな声で売り子の女の子が言う。
(障害のある方だ)
少し親近感をいだきながらも目をやる。
後ろには付き添いの職員だろうか少し年配の女性が
「よかったら、この子の作った作品もあるので見ていってくださいね」
と後押しするように続ける。
私は急いでいることも忘れて、思わず近づいた。
手編みのクッション、缶バッチ、造花の壁飾り。
よく見るとひとつひとつに「B型作業所ホットスペース」と小さな紙が貼ってある。
「あ」
ふと手作りのビーズのブレスレットに目が留まる。
淡い水色の中にところどころにミルクのような白いビーズが通されている。
優しく晴れた空のようだ。
「これください」
思わず手に取り、考えるよりも先に言葉がでる。
「ありがとうございます」
女の子が恥ずかしそうに笑う。
「そ、それ私が作ったんです。」
―三日後。
幼稚園のお迎え。
園庭は賑やかだ。遊具で遊ぶ子、音楽で踊る子、追いかけっこをする子。
いくつかの輪になり話す保護者達。
その中のどこでもない教室の隅っこ。
赤ちゃんがあそぶ大きなタイヤの木のおもちゃを、加配の先生が
「ほら、ぶーぶーだよ」
とひとりの男の子にみせている。
男の子は背中を向けてうずくまる。
「かえる」小さな声で言う。
息子だ。
「早く連れて帰らなきゃ」 軽く息を吸って園庭で談笑する
他の保護者たちの目を見ずに会釈しながら早足で息子の方へむかう。
その時。
「そうくんのお母さん」
呼ばれて振り返ると園長先生が立っていた。
「こんにちは、いつもお世話になります」
私がそういい終わるや否やかぶさるようにして彼女は早口で言う。
「この前も話したと思いますが、そうくん、他の園に行くこと考えてくれていますか?うちの園小さいでしょ?手がまわらなくて。
正直ね、そうくんのような子のこと、理解するって思ったより難しいんですよ。
今日もお歌の練習中、大声をあげて―」
「ねえ、お母さん。うちより、もっとそうくんに合う場所があるんじゃないかしら」
身体がこわばる。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
通える範囲の他の園や区役所にも問い合わせているのですがなかなか…」
申し訳ありません。ごめんなさい。すみません。
息子のために一体私は何回謝ってきただろう。
園長先生はため息をついて踵を返す。
その後ろ姿に軽く会釈をし、
少し離れた場所でいまだ亀のようにうずくまっている息子のもとへ走った。
「ご迷惑おかけします。今日もありがとうございました。」
手持ち無沙汰そうに車のおもちゃを持っている加配の先生にお礼と挨拶をする。
先生は少しほっとした様子でうなずいた。
「そうた、帰ろう」
うずくまる息子の背中に軽く手をおき声をかける。
「かえる」
息子がいう。
「うん、帰るよ、さ、行こう」
息子は動かない。
嫌な予感。
「よし、だっこだ」
床から引き剥がすように息子の体をもちあげようとした次の瞬間。
「もういっかい!!ようちえんー!!」
叫び声を上げながら息子が転がり、背負っていた通園バッグを園庭に投げた。
「ようちえん!!あー!!もういっかい!!」
声はどんどん大きくなる。
園庭の、保護者達がこちらをみる。
様々な表情。
うちの子じゃなくてよかったという安堵。
迷惑そうな表情。
困ったような同情。
健常児の親の、視線。
「ほら、もう今日は幼稚園、おしまい」
精一杯気にしないふりをする。
鼓動が速くなる。
冷や汗が背中をつたう。
大丈夫。いつものこと。
まずは早く、早くここを出なくちゃ。
転がって泣き叫んでいる息子を抱え込む。
「嫌だ!!」
鼻をひっかかれて赤い血が、ポタッと床に落ちる。
私は何も言わず息子の手を強く握り、体を引きずるようにひっぱり歩き出す。
通園バッグを拾い肩にかけ、自分にいいきかせる。
なんでもない、こんなこと。
なんでも。
叫び続ける息子の顔をちらり、と見る。
でも。
でも、もしもこのまま。 幼稚園の門をでたらそのまま。
どこか遠くへ行ってしまうことはできるだろうか。
どこか誰も私達を知らない場所へ。
そしてそこで消えてしまえたら楽になれるだろうか。
それとも誰か、
誰か。
そのあと、どれくらい歩いただろうか。
5分だったようにも、2時間だったようにも思える。
夕方なのか雨なのか空の色すらわからない。
ただ、右手につけたあのビーズブレスレットだけが優しく晴れている。
息子は泣きつかれてぐったりしている。
暴れて、引きずられて泥だらけだ。
「ねえ、歩ける?」
彼は思いきり首を振る。
私は息子を抱えあげた。
「帰らなきゃ。でも、どこだ、ここ」
近所のはずなのに見慣れない景色に戸惑う。
ふと、少し先に白っぽい煉瓦造りの小さな建物がみえる。
「看板がある。お店かな?道を教えてくれるかも」
近づくと、看板にはこう書いてある。
『こんふぃちゅーる
でこぼこさんだいかんげい』
こんふぃちゅ〜
る。でこぼこさん。
でこぼこさん。
ちらりとまた息子をみる。
発達の凸凹(でこぼこ)があることを発達障害、というけれど、
だとしたら歓迎されていると考えていいのだろうか。
「幼稚園には歓迎されていないけれど」
自虐を呟きながら藁をも掴む思いでドアをあける。
すると小さなロビーに、パッチワークのカラフルで大きなソファが目にはいった。
その横のアンティーク調のテーブルにはこれまたカラフルな小瓶が丁寧に積み上げられている。
カフェ?
出ようかどうしようか迷う。
でも疲れた。
ちょっとだけ、あのソファに座らせてもらおう。
そしたら、帰るから。
お金ならあとで払えばいい。
そんなことを考えながらふらふらとソファに近づくと
「ふかふかなんですよ、そのソファ。」
後ろから声がして私はとびあがった。
ふりむくとデニムのエプロン姿のやわらかな雰囲気の女性が立っている。
どこかであったことがある気がする。
でも思い出せない。
「す、すみません。少し休みたくて。」
女性はうなずいて
「どうぞ、どうぞ」
と慣れているかのように促す。
そして息子に目をやった。
「あなたも、眠そうだね。少しこっちで休もうか」
ぐったりしていた息子は初めての環境に身構えて黙り込む。
「ここはね、でこぼこさんのための場所なの」
そういってソファの横の木のドアをあける。
「わぁ…」
息子より先に私が声を出す。
小さな部屋。
優しいクリーム色の壁。天窓から差し込む光。
そしてきれいに並べられている沢山のおもちゃ。
「…ようちえん」
息子がつぶやく。
「そうだね、幼稚園もっといたかったね。」
女性がさらりと言う。
私は驚いた。
「どうして、」
どうして、知っているの?
「あそぶ」
私の言葉を遮るように息子がいい、部屋に入っていく。
「ドアはあけておくね」
女性が息子に声をかける。
「さ、おかあさんも座ってください」
無料ですから安心してくださいね、と女性は笑った。
罪を許されたような気がしてゆっくり、ソファに体を沈める。
本当にふかふかだ。
くたくたの体がゆったり包まれる。
正面にある小さな椅子に女性も腰かけた。
「あの、ここは…」
「でこぼこさんのための施設なんです。
今日は午後、お休みだから静かですけどいつもは賑やかなんですよ」
「でこぼこさんって」
「いわゆる、障害者です、とくに発達障害ですね」
きっぱりと女性は言う。
表情は読み取れない。
「療育施設ですか?それとも作業所?」
「ただの居場所なんです。」
女性の声、やっぱりどこかで聞いたことがある。
私は考えながら、おもちゃで夢中にあそぶ息子に目をやる。
「笑っちゃいますよね」
女性が言う。
ん?笑っちゃう?なにが?
怒りにも似た気持ちがこみあげてきて女性を見る。
「でこぼこさんといると大変すぎて。理解してくれる人がすくなすぎて。」
居場所がなさ過ぎて。
不安すぎて。
ぽつ、ぽつと女性が続ける。
「もう泣くを通り越して笑えてきちゃう時って、ありますよね」
私は何も答えなかった。
ただ鼻のひっかき傷をひとなでして、
静かに泣いた。
ふと、気が付くと窓が夕日でオレンジ色に染まりかけていた。
窓辺で白い猫が丸くなって寝ていることに初めて気がつく。
いつのまにか息子は疲れておもちゃに囲まれて眠ってしまっている。
あの場所にいた私は泣いていたのか、話を聞いてもらっていたのか、
息子とおもちゃで遊んだのか、おぼろげにしか覚えていない。
けれどその時、私と息子の居場所が確かにそこにあった。
「あの、そろそろ帰ります。本当にありがとうございました」
女性に言う。
あと、道を教えてもらえませんか、
といいかけてスマホで確認すればいいことに気づいて言葉を飲み込む。
そんなことすら思いつかなかった。
「あ、ちょっとだけ待ってください」
女性はテーブルの上に並んだカラフルな小瓶の山から一番上の赤い瓶を手に取る。
「これね、この前でこぼこさんたちと一緒に行ったいちご狩りで採れたいちごで作ったジャムなんです。よかったらお土産に」
私は手に取る。ルビーみたいに光っている。
「疲れたときにね、スプーンですくってお湯に溶かして飲んでみてくださいね」
私は毎日飲んでいるの、と女性はいたずらっぽく笑った。
「ありがとうございます」
お礼を言う私の足元を白猫が通り過ぎて行く。
スマホで道を確認するとだいぶ家から離れていたが、気にならなかった。
「帰りますね」
息子をおんぶする。
「ジャムを作るときはね、砂糖と果物をことこと煮るでしょう」
女性がゆっくり言う。
「そんな風にことことゆっくりいきましょう」
「はい」
ことこと。ことこと。息子の寝顔をみる。
丸いほっぺに長いまつげ。
かわいい。
どれくらいぶりにそう思っただろう。
寝息に合わせて心で呟く。
ことこと。ゆっくり。
その時、白猫がひらりとテーブルの上に飛び乗った。
色とりどりの小瓶の山が崩れ、床にころころと落ちていく。
赤、黄色、オレンジ、紫。
黄緑、青、ピンク、白。
ころころ、ことこと。思い思いの速さで転がっていく小瓶たち。
そんな光景を見て、
私は少しだけ笑った。