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2025年にご寄贈いただいた大量の戦前絵葉書、整理つきましたー貴重品ですので、「絵葉書マガジン」を作って公開します

 2025年の展示会に来られた群馬県の方から昨年、昭和初期から日中戦争初期ころに発行されたとみられる、大量の絵はがきをご寄贈いただいたことを、以前報告させていただきました。寄贈者のお父様がまだ子どものころ、ご両親と中国の済南市に暮らしていたということで、現地で集められたものが多いかもしれないとのことで、タトウの残っていた軍隊関係のもの、軍隊漫画絵はがき、合わせて200枚ほどは整理をつけていましたが、それ以外の400枚ほどは未整理でした。下のリンクがそのときのものです。

 実は一度分類をやり始めたのですが、内容は特に風景写真は地名がばらばら、軍隊関係もいろいろで多岐にわたって断念し、そのまま時を過ごしていましたが、ようやく、まとめることができました。今度は、絵はがきの絵の方からではなく、反対側の絵はがきのあて名を書く欄の形式で分類することを思いつき、さっそく実践してみました。

書式で分類された絵はがき

 おお、だいぶ種類がまとまりました。多いのも少ないのも、いろいろですが、まずは少ないものをちょっと表向きにします。八咫烏をデザインしてあるから、軍隊ものだろうと予想をつけたところ…

 おお、満州に駐屯していた歩兵第28連隊の絵はがきのセットでした。予想通りです。

 では、こちらはどうでしょうか。

 山東出兵で青島に上陸した部隊の絵はがきでした。

 こうした軍隊絵はがきも新たに発掘し、次は風景写真や風俗写真を分類しました。これが本日、やっと終わりました。

分類を終えた風景絵はがき

 だいたい、裏側のデザインで区別でき、捗りました。中国関係の風景写真で、ご寄贈いただいたお父様が住んでおられた済南、そして済南につながる港町の青島、上海が少しありました。次いで日露戦争の結果、日本が中国から長期間の租借をしていた遼東半島の関連では、港町の大連、古戦場を含めた旅順が多数ありました。そして既に満州国が建国されていた満州関連では、奉天、有名な撫順炭鉱、鞍山製鉄所が出てきました。あとは、朝鮮半島の平壌関連のものもありました。

 いずれも、当時の雰囲気を伝える大事な資料です。特に、地名や建物の名前が入っている絵はがきは、何を写したものかがはっきりしますので貴重です。順次、こちらのnoteに新しくマガジンを設けて、逐次noteで紹介しては収容して、アーカイブになるようにしたいと思います。これは、これまでもバラバラに紹介してきたものもまとめられればと思います。ぼちぼちやっていきます。
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 さて、今回見ていた中で、日本がいかに中国に浸食していたかを示す象徴的な絵はがきをいくつかお見せします。まずは神社です。こちら、青島神社。中国の領土ですが、堂々としたものです。どういう名目で土地を入手したか、興味深いですが、質問欄で解説を入れて頂いたので、後日調べます。

青島神社

 そしてこちら、満洲国の撫順神社です。石炭でにぎわった街だけに、大変立派な作りです。逆に、日本が手離さないぞという意思を示すかのようです。

撫順神社

 そして、こちらは満州国の奉天の中央広場。中心にそびえるのが「明治三十七八年役記念碑」です。市街地の中心に、日本の戦勝を記念するこんな立派な記念碑があったのですね。これが「満州は日本人が血を流してロシアから奪い取ったものだ」という理屈で、同格扱いを求める満州国の人をねじ伏せてきた、ひとつの象徴ともいえるものでしょう。

奉天中央広場

 こうして日本は、その勢いを中国に広げていたのです。現地の人にとっては、こうした神社や記念碑は、ある意味、抑圧の象徴と映ったことでしょう。独裁者が自身の銅像をあちこちにつくったり大きなポスターを張り巡らすのと似ている気がします。
 五族共和、東亜建設などと言う言葉の空虚さを表すようです。日本による、日本人のための戦争であったのです。そんな歴史を覚えておかないと、国際社会の付き合いもうまくいかないのではないでしょうか。絵はがきのアーカイブをつくるのも、その一助にと思っています。

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