
舌が探す『当たり前』
5日くらい前から、右下の奥歯に痛みを感じ始めた。
普段はまったく主張をしてこない右下奥歯がえらく、自分の存在を示してきた。
痛みは日に日に強くなり、一昨日は遂に眠っている間に強烈な痛みで目が覚めてしまうほどだった。
痛みを感じている奥歯は過去に虫歯の治療済みで、銀の被せものがしてある。
以前もそこに痛みを感じたことがあり、その時は被せものに少しズレが生じたので、歯医者でつけ直してもらった。
また同じような感じなんだろうな。
そう思った私は歯医者の予約を取り、今朝、診察してもらった。
やや関西弁混じりの先生は、私の歯のレントゲン写真を見ながら、「これはあれやね」と切り出した。
「菌が入り込んで、炎症を起こしていることが痛みの原因やね。被せ物をとって、一度洗浄する必要があるから、治療に時間はかかりそうだけど、どうします?抜くこともできるけど」と。
ことは思ったよりも深刻そうだった。ズレどころの話ではなさそうだ。
なるべく自歯であることを大事にしたい私は、治療をお願いした。
銀の被せ物を外してもらい、粘土のような仮の被せ物を被せてもらい、私は歯医者を後にした。
しかし、被せ物を外してから数時間。現時点で、奥歯に激しく違和感があるのだ。
痛みではない。違和感だ。いや、痛みはたしかにあるのだが。
こう書くと、先生の腕を疑うような書き方になってしまうが、そうではない。銀の被せ物が無いことへの違和感がすさまじいのだ。
当然のことなのだが、奥歯が空っぽなのだ。本来あったものが、無い感覚。
どことない寂しさを覚えて、さっきから舌でずっと奥歯に触れてしまっている。
普段は意識していなかったものが、突然、その存在が消えると、こんな心境になるものか。
たかが、奥歯の被せ物だ。
しかし、今まで強く主張してこなかった存在だからこそ、居なくなったときにその存在がいかに当たり前だったかを思い知らされる。
『当たり前』などこの世にないのだと、改めて気付かされる。
そうは言っても、当たり前にあるものを『当たり前』だと思ってしまうのが人間なのだろう。
右下の奥歯の被せ物に日々、感謝する人間など居ない。
しかし、『当たり前』が『当たり前』であることは、素晴らしいことだと思う。それだけその存在を取り巻く環境は変わらず、安定していたということなのだ。
平穏と安定を信条とする私からすれば、この上なく、羨ましい存在だ。
だからといって、『当たり前』を噛み締めて生きようなんてことは思わないが、せめて、当たり前でなくなった時くらいは、その存在に思いを馳せるくらいはしようと思う。
まぁ、思いを馳せているからこそ、今こうして、奥歯の被せ物への想いを綴っているわけなのだが。
『当たり前』が『当たり前』でいられることは尊い。
当たり前にやってくるであろう、私の明日はどうだろうか。
当たり前にやってきて、当たり前に終わっていく、何の変哲もない一日であることを願う。