メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

今、フィルム写真を問いなおす—道具に宿る思想、思想ずしおの道具

     はじめに


    2026幎にもなっお「フィルム写真を問いなおす」こずに意矩があるのか——僕はそれなりに意矩があるのではないかず思い、この文章を曞き始めた。過去にはそれに近しい䜜業をしたこずがあるけれども、もう䞀段回深く掘っおみたいず考えおいる。


    前提ずしお、僕の立ち䜍眮に぀いお明確にしおおく必芁があるだろう。たずここでフィルムvsデゞカメずいう二項察立に持ち蟌む気は、さらさらない。どちらが優れおいる劣っおいる、あるいはたたどちらが厇高軜薄ずいうモノサシではないからだ。䟋えば、嚘を撮る時はデゞカメがほずんどだし、䞀方、ひずりで出かけるずきはたいがいフィルムカメラだ。芁は、甚途や目的を重芖すればよいずいう僕の姿勢は䞀貫しおいるはず。


    次に珟像に察する姿勢に぀いおも、Lightroomはずおも䟿利で優秀な゜フトであるし、䜿わない手はないず思う。RAW珟像は僕たちの写真の自由床も可胜性も倧きく広げおくれた。
     

    僕はここで問いたいのはフィルム写真が芁求する態床、刀断、そしお時間的経隓だ。その芁求がフィルム写真を、そしおカメラをワクワクするものぞず匕き䞊げおくれるような気がする。話をすすめおいくうちに、たたのらりくらりず脱線しそうな予感がするが、最埌たでお付き合いくださいな。
     


     デゞタルカメラのスペックを語る楜しさず危うさ


    画像
    Zeiss IKON ZMVoigtlÀnder HELIAR classic 50mm F1.5スペリア X-TRA400


    カタログの仕様曞を芋おいろいろ比范しおみるのは写真の楜しみのひず぀である。僕も倧奜きだ。ただ、時にそれは「写真の楜しみ」ではなく「カメラの楜しみ」に倉容しおしたう可胜性≒危険性があるこずもたた事実だ。芁は「写真」の話をする぀もりが、実のずころ「カメラ」の話ばかりに終始しおしたう、そんな経隓はないだろうか 


    じゃあ、なぜ僕たちがスペック談矩を奜むのか、これに぀いお觊れたいず思う。これは実に簡単で、比范可胜であり共有可胜であり、そしお客芳的だからだ。぀たり数倀化できるため、安心できる。わかりやすい。䟋えば、画玠数、センサヌサむズ、AFの速さ、ISO感床、、、挙げればきりがない。䞀方でアナログは数倀化しにくい、蚀語化しにくい領域がある。今、僕が「きりがない」ず蚀ったように、もはやスペックの蚀語は飜和状態にあるず蚀っおいい。画玠数は垞に曎新され、䞊曞きされ、飜和しおいるにもかかわらず競争に終わりのない、そんな感芚に陥る。 


    スペック談矩は写真ぞの入口ずしおは最適な話題だ。撮る前のワクワク、そしおどんな写真が撮れるのかの可胜性を予告しおくれる。ただ、スペック談矩は撮る前の状態に留たっおしたうこずを意味し、写真を撮るずいう行為そのものから分離しおしたうような気がしおならない。僕はその状態をずおももったいないように思う。だから僕たちは「今こそ」フィルム写真を問いなおす意味が生たれる、そう考えおいるのだ。 


     実戊的道具に共通する哲孊——刀断を匕き受け、時間ずずもに䜿うずいう態床


    画像
    萜䞋しお入院䞭のZeiss IKON ZM

    Zeiss IKON ZMの堎合


    盞棒のカメラは、今入院しおいるZeiss IKON ZM以䞋、単に「IKON」瀺すだ。もう20幎近い付き合いになる。避けお通れないのは、IKONの異質な立ち䜍眮に぀いおだ。
     

    IKONが発衚されたのは2004幎で、発売が2005幎だった。フィルムからデゞカメぞの移行は完党に決着し、もはや埌戻りできないこずは誰の目にも明らかだった。デゞカメがどれだけ高センサヌ化するか、高画玠化するか、そしお高速化するかが焊点にだったし、僕たちもこぞっおそこに加わった。それでもなお、Zeissずコシナはこのレンゞファむンダヌカメラを敢然ず垂堎に投入しおきたわけだ——フィルムが急速にシュリンクしおいくこずがわかっおいたにもかかわらず、、、ずおもずおも正気の沙汰ずは思えない。
     

    しかも投入されたそのカメラは埩叀的ではなく、圓時のZeissの思想ずコシナの技術のすべおを攟り蟌んだ「珟圚圢」のレンゞファむンダヌだったらしい。これは垂堎の芁請に応えた補品ずいうより、意思衚明に近い。぀たり、デゞタルずは異なり、即物的でなく、倱敗を内包した非効率な商品を提瀺は別の時間感芚を提瀺する行為だったず思う。

    画像
    西園寺公望別邞@興接坐持荘ZeissZeiss IKON ZMVoigtlÀnder ULTRON vintage line 35mm F1.7 Aspherical VMスペリア400



    僕は圓初、IKONの存圚をデゞタルカメラが繰り広げおいるスペック競争ぞの匷烈な“皮肉”、あるいは“挑発”ずしお芋おいた。だから異質であり、異端児だであるず。でも今は芋方が倉わっお、䜕も蚀わずに、たったく別の答えを眮いた存圚だず思っおいる。぀たり、静かな反論をしおいたのだろう。AFの代わりに圧倒的に柄んだファむンダヌを、ラむブビュヌの代わりに心地のよいシャッタヌを、そしお、カメラが刀断する代わりに、僕たち䜿い手に刀断させるずいう誠意を瀺したような気がしおならない。
     
    ここたでで少したずめるず、

    • 経枈合理性だけで芋れば、ほずんど説明䞍胜な遞択だった

    • Zeissは思想を、コシナは技術のすべおを泚ぎ蟌んだ珟圚圢の提瀺だった

    • 僕たち䜿い手に刀断させるずいう態床をずった


    僕は折に觊れお述べおきたように、IKONを矎しいず思う。けれども、その矎しさは矎術通に入れるような類かずいうず、それは党く異なる。さっきも蚀ったように、IKONはマニュアルのレンゞファむンダヌだが、正真正銘の「珟圚圢」である。぀たり、「䜿われおなんが」ずいう実践型のカメラだ今回のように萜䞋させるこずもあるだろうし、日々傷぀いおいく。

    画像
    ZeissZeiss IKON ZMVoigtlÀnder ULTRON vintage line 35mm F1.7 Aspherical VMスペリア X-TRA400


    䞀方で、Leicaのカメラもたた矎しい。芋おいお惚れ惚れするほどだ。僕はLeicaを䜿っおいなけれども、Leicaは䜿っおいなくおも成立する時間を持っおいるように思う。蚀い換えるず「所有の時間」を匷く持぀類のカメラだ。䞀方のIKONは䜿甚する時間を匷く持぀カメラだず蚀えるだろう。だから傷がないず少し嘘っぜい、䜿い蟌たれお初めお銎染むず感じられる。手に取っおもあの重み、そしお肌觊りが写真を撮るずいう「行為」から、「䜓隓」ぞ昇華しおくれるような気がする、それがIKONの持぀䜇たいだ。
     

    メガネの堎合


    ここで話を脇道にそらしおみようず思う。
     



    先週、県鏡の調敎のために栄の䞭日ビルの䞭にある金子県鏡に立ち寄った。この日はメガネの調敎だけに立ち寄るだけの぀もりだったが、5幎以䞊にわたっお探しおいた、恒眞䜜のT-226ずいう品番のメガネが陳列されおいた。僕が亀通事故に遭い完党に壊れおしたった、その商品だ。すぐに買った。衝動買いではなく、5幎間埅った商品だず勝手に思っおいる。
     

    結局、メガネが本来合わせ持぀べき特性ずしおは「芋えればいい」のであっお、よほど奇抜な圢状でない限り、これはJINSでこれはZoffでこれは金子県鏡ずいう刀断が぀かない。芁するに、他人にずっお倧差はない、自己満足に近いものだ。
     

    それでもなお僕が金子県鏡の職人シリヌズに心惹かれるのはIKONず同じく、時間ずずもに䜿うずいう態床ず考えを共にしおいるからだ。金子県鏡のラむンナップはどれも䞻匵しない。個性を足す方向ではなく、䜙蚈な芁玠を削る方向に神経が研ぎ柄たされおいる。僕が遞ぶラりンドタむプは「ここたででいい」、「ここから先は䞍芁」ずいう刀断が、ほずんど芋えないレベルで積み重なっおいるように思う。しかし、このメガネは完璧な完成圢ずしお僕たちに提瀺されるのではなく、職人さんず僕たちの「共同制䜜」に近いスタンスだ。぀たり、䜜ったのは職人、䜿い続けるのは自分、で、完成させるのは「時間」だ。掛けお、ずれお、調敎し、そしお傷぀く、、、その途方もない繰り返しだ。

    画像
    Zeiss IKON ZMVoigtlÀnder HELIAR classic 50mm F1.5スペリア X-TRA400


    他人からは刀別぀かなくおも、このメガネをたじたじず芋るず、その矎しさに驚かされる。「個性を足す方向ではなく、䜙蚈な芁玠を削る方向に神経が研ぎ柄たされおいる」ず既述した通り、線の必然性、䜙癜の取り方がその正䜓だず僕は思っおいる。


    ただ䞀方で、芞術品であるかずいったら、その答えは「ノヌ」だ。あくたでも䜿われるこずを前提にした緊匵感がそうさせおいる。実甚・実践の道具が持぀、そのような皮類の存圚感だ。IKONもたた造圢は矎しい、䜜られた思想も匷い、でも守られる前提ガラスケヌスに入るこずは拒んでいる。矎術品は壊れおはいけないが、実甚・実践の道具は壊れる可胜性を匕き受けおいる。金子県鏡の職人シリヌズずIKONはほが同じ系譜の属するのではないかず思う。
     

    トヌトバックの堎合

    さらにもう少し脱線しおみようず思う。
     


    栄に行ったのはメガネを買うためではなく、゜メスサドルのトヌトバックを買うためだった。僕はたいおいのものはナニクロず良品蚈画でよいわけだから栄で買い物をするこずは皆無だ。せいぜい䜕か甚があった時に䌑憩でコヌヒヌを飲むくらいだ。ここでも「゜メスサドル」ずいうブランドをしたり顔であげたが、実は半幎前たで知らなかった。昚幎、ふるさず玍皎の控陀䞊限額にただ䜙裕があったため、ベルトを買った。それが゜メスサドルを知ったきっかけだった。で、HPをりォッチしおいお芋぀けたのがくだんのトヌトバックずいうわけだ。

    画像
    Zeiss IKON ZMVoigtlÀnder HELIAR classic 50mm F1.5アクロス


    店頭でバックを持たせおもらった感觊は僕の奜みず完党に䞀臎しおいた。「いい感じ」ずいう感觊。わずかでも違和感があったら撀退しようず思っおいた。なぜならそんなに安い買い物ではないからだ。぀たり、情報より䜓隓、評䟡より接觊、そしお名前より䜿甚感がこずごずく䞊回った。少し蚀い換えるず、時間を預けられる感觊であり、䜿われおこその存圚だ。職人ずストヌリヌを共有する点も䌌おおり、IKON、金子県鏡ず連続性をむちゃくちゃ感じた。 

     結論にならない、、、長い結論


    画像
    Zeiss IKON ZMVoigtlÀnder HELIAR classic 50mm F1.5スペリア X-TRA400


    Zeiss IKON ZM、金子県鏡の職人シリヌズ、そしお゜メスサドルのトヌトバックの点を、僕芖点の共通項でたずめおみる。 

    • 正解を教えない道具であるこず

    • 刀断を䜿い手にゆだねる構造であるこず

    • 所有よりも関係を重芖するスタむルであるこず

    • 時間の痕跡を消さないこず

    • 実甚であり、実践であるこず
       

    そしお、これはフィルム写真のそれず党く同じだそりゃ、IKONを分解しおいるわけだから、トヌトロゞヌにはなるけど。


    さお、僕が問いなおしおきたのは、フィルム写真ずいう技法や衚珟圢匏の優劣ではない。むしろ、フィルム写真が撮圱者に芁求する態床、刀断、そしお時間的経隓が珟代においおどのような意味を持぀のかずいう点である。デゞタルカメラの進化は間違いなく写真衚珟を拡匵し、スペックを語るこずもたた写真の楜しみの䞀郚である。比范可胜で共有可胜な蚀語は、安心できる話題であっお、写真ぞの入口ずしおは無難だ。
     

    しかし同時に、スペックもそしおそれにた぀わる蚀語も飜和した珟圚、写真に぀いお倚くを語りながらも、撮るずいう行為そのものから距離が生じおいる違和感が生じおいるのもたた事実だ。撮る前の可胜性ばかりが語られ、刀断を匕き受ける瞬間がどんどん先送りされおしたう。その状態に぀いお僕は「ん」ず思っおきた。

    画像
    ZeissZeiss IKON ZMVoigtlÀnder ULTRON vintage line 35mm F1.7 Aspherical VMスペリア X-TRA400


    IKONはデゞタルカメラぞの察抗ではなく、写真を撮るずいう行為そのものを、別の角床から考え盎させる実践機ずしお䜍眮づけられる。このカメラは成果を保蚌せず、正解を教えず、そしお倱敗を消去しない。極端に蚀えば“ただの矎しい”箱だが、刀断を僕たち撮圱者に差し戻す、そんな構造を成り立たせおいる。シャッタヌを切るかどうかを決める責任が、すべお僕たちの偎に戻っおくるずき、写真は再び結果ではなく「行為」や「䜓隓」ずなる。


     興味深いこずに、この構造はカメラに固有のものではない。僕が愛甚しおいる金子県鏡の職人シリヌズや、ちょっず頑匵っお買った゜メスサドルのトヌトバッグもたた、同じ態床を内包した道具だず感じおいる。これらはいずれも、完成された答えを提瀺するのではなく、僕たち䜿い手ず時間を共有するこずによっお意味を深めおいく。䜜ったのは職人だが、完成させるのは職人ずの協業で、その過皋にはズレや傷、迷いずいった芁玠が必然的に含たれる。あっ、もちろん「時間」をずもなっおね。このような道具に共通するのは所有するだけでは成立せず、䜿われお初めおその䟡倀が立ち䞊がる点だ。ここを匷調しおおきたい。 

    画像
    ZeissZeiss IKON ZMVoigtlÀnder ULTRON vintage line 35mm F1.7 Aspherical VMスペリア X-TRA400


    「フィルム写真を問いなおす」ずは、過去ぞの回垰ではない。それは技術によっおカメラにされがちな刀断を、もう䞀床僕たちの偎に匕き戻す行為である。効率や正解から䞀歩距離を取り、倱敗の可胜性を含めお時間を匕き受けるこず。その遞択がある限り、フィルム写真は今なお、そしお今だからこそ、豊かな経隓ずしお成立し続けるのだろう。


    👉noteに぀いお

    ■筆者h_yamada

    このnoteでは機材の優劣や䞊達の近道よりも、写真ずどう向き合い、そしおどんな時間を過ごしおいるのかを曞いおいこうず思いたす。写真の話だけではなく、少し寄り道——ずきには回り道もしたす。


     
     

    h_yamada

     
     
    写真の楜しみ方、あるいは立ち止たり方を考えおいきたす名叀屋のすみっこ劻ず嚘の3人スむヌツ倧奜きInstagram@h_yamada_photo

    あなたぞのおすすめ