メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byvanishment

【短編小説】 海辺の観覧車

    ほんの数年前まで、この場所にはとても大きな観覧車が回っていた。

    観覧車の麓には広大なショッピングモールが広がり、多くの家族連れやカップルでいつも賑わっていた。初めてここを訪れたのは私が幼い頃、両親に連れられてできたばかりのこの施設に遊びに来た時だと思う。数少ない、幼い頃の鮮明な記憶の一つになっている。

    私はこの場所から数キロ離れた下町で生まれて育った。たくさんの小料理屋やもんじゃ焼き屋などが並ぶ商店街から一つ裏道に入ったところに私の家はあった。中学生になると、その観覧車まで自転車で行けるくらいの距離になった。仲の良い友達と放課後に部活をサボって自転車でよく来たが、もっと好きだったのは一人で夕方の海を見に来ることだった。あまり波の音のしない海だったが、歓声の中に聴こえる観覧車が回るウオオオーンという物寂しい音が好きだった。視界の開けた海からは夕日が差し込み、カラフルな観覧車はおもちゃ箱のようにキラキラしていた。

    やがてそれは習慣になり、月に一度は一人で自転車を漕いで放課後のこの場所にやってくるようになった。あるとき、何年にも渡った片思いが実らず失恋をした私は、いつものようにこの場所に来て、初めて一人で観覧車に乗ったことがある。上空の観覧車の中は不思議なほど音がせず、そこには静かな静かな時間があった。悲しくなったらいつでもおいで。どこからともなくそんな声が聴こえた気がした。涙を拭いて、地上に降りたときには私の心は雨上がりの空のように透き通っていた。

    頻度は減ったもののそんな習慣は高校生になっても続き、時々一人になりたいときなどに制服のまま自転車を漕いでこの場所に来た。気づくとショッピングモールの店は何度か替わり、中学生の友達とよく来たカフェも無くなって新しい店ができていた。遠目には同じように見えても、その中身はどんどん変わってゆくのだった。そして私自身も変わっていった。この施設は変化の激しい私の思春期の成長と共に時代を過ごし、私の歴史の一部のようになっていった。


    その後、私は大学生になり、就職をし、恋をし、別れを経験し、また新たな出会いをし、結婚して家族も増えた。大きな失敗もし、また大きな喜びを得たこともあった。そんな私の人生の要所要所で私たちは何度もこの観覧車に乗り、思い出は増えていった。


    その観覧車は今はもう無い。数年後に何か新しい商業施設ができるのだという。更地になったその場所に行ってみるとひっそりとクレマチスの花が咲いていた。

    いずれそこに新しくできるであろう何かには、きっとまた誰かを励まし、勇気づけ、喜びをともにし、人生を支えてくれる存在になって欲しいと願った。


    ありがとう、そしてさようなら。私の好きだった観覧車。

    おわり。

    ピアノ独奏曲 第7番/嬰ヘ短調「クレマチス・アーマンディの城跡」をイメージした創作です。


     
     

    misuz

     
     
    名前は残らなくていいから何か作品を残したい、そう思って作曲したり文を書いたりしています。短編小説は私の実体験がベースになっています。記事はすべて無料です。ピアノ曲作品集 https://note.com/seewheniseeyou/n/n7da0275712bd

    あなたへのおすすめ