
非効率という名の生(#10 終章 生きるということ)
終章 生きるということ
今も、効率主義者だ。
完全栄養食は週に三回飲んでいる。
情報は要約されたものを好む。仕事の集中時間は変わらず確保し、無駄な会議には出ない。
しかし、週末には葉月と料理をする。月に一度は映画を観る。健太と年に数回、リアルで会うようになった。
それらをコスト計算するのをやめた。正確には、計算するたびに葉月に笑われるので、やめざるをえなかった。
健太とは、年に三回会うようになった。最初に再会したとき、健太は「なんか変わったな」と言った。
「何が?」
「目に光がある。前はなかった」
その言葉の意味を、僕はすぐに理解ができなかった。
しかし帰り道、葉月に
「健太に目に光があると言われました。」
と話すと、葉月は笑って
「そうだよ!!前より全然違う!!」
と言った。
「具体的に何が違いますか」
「言語化しなくていいんだよ、そういうのは。」
葉月に言われると、もう反論しなかった。
言語化しなくていいことがある。
それを、ようやく学んでいた。
仕事のやり方も、少しだけ変わった。効率を追うことはやめていない。
しかし以前は「最速で終わらせる」ことだけを目標にしていたのが、今は「良いものを作る」という要素が加わっていた。
完成したアプリを誰かが使って、そこに「便利だ」「助かった」という感情が生まれることを、今は少しだけ想像できた。
葉月が
「あなたのコードで誰かが助かってるんだよ」
と言ったことがある。
そのときは
「そういう感情的な言い方は正確ではない」
と返したら、笑われた。
「正確じゃなくてもいいじゃないの、温かければ。」
と言われた。
”温かければ”
その基準は、コードの世界にはない。
しかし今の僕には少しだけ、その意味がわかる気がした。
葉月と出会う前の自分が、完全に間違っていたとは思わない。
効率は大切だ。時間は有限だ。
無駄を省くことは、一つの美学だ。
ただ、「効率」の定義が狭すぎた。
何を出力として定義するかによって、何が無駄で何が必要かは変わる。
花の香りで昔の記憶が戻ってくること。隣で眠る人の体温を感じること。真夜中に声を聞きたくなること。
それらをすべて「ノイズ」と定義すれば、確かに非効率だ。
しかし、「生きていること」を出力として定義すれば、それらは欠かせないプロセスだった。
ある休日の昼下がり、カフェのテーブルで仕事をしていた。向かいに葉月が座っていて、彼女は文庫本を読んでいる。特に会話はない。ただ、同じ空間に二人がいる。
手を止めて、葉月を見た。
読書に集中していて、口をかすかに動かしている。
葉月の面白い場面に来たときのくせだと、知っている。眉が少し上がって、唇が緩んで、また眉が下がる。
それを知っていること自体が、「データ」ではなかった。
時間をかけて積み上げてきた、何か別のものだった。
ある日、葉月が花屋の店先で花を並べているのを見ながら考えた。
生きることは、最も維持コストが高い。
しかし、そのコストを払える限り、世界にはこれだけのものが存在する。
花の香りと、隣で眠る人の体温と、明け方の鳥の声と、なぜか泣けてくる映画と、玉ねぎで染みる目と、下手な卵焼きと、真夜中の電話と、それでも来てくれる人と。
コードでは絶対に書けない、どんな最適化でも代替できない、その重みのあるものたちが。
「あれ、優樹くんがぼーっとしてる。珍しい」
葉月が顔を上げて言った。
「考えていました。」
「んー?何を?」
少し考えてから、答えた。
「非効率なことが、案外悪くないということを」
葉月は目を細めて笑った。
「えー?やっと気づいたの?」
「気づくまでに、少し時間がかかりました」
「でもまあ、それも人間らしくていいんじゃない?」
それには答えなかった。
代わりに、店先のスズランに手を伸ばして、一本だけ取った。
「あの、これ、もらえますか」
「お金取るよ?いいの?」
「もちろん払います。」
「また、なんで急に?」
「”幸せが戻ってくる”という花言葉だったので」
葉月はしばらく見た。それからまた、泣きそうな顔で笑った。
「お金、いらない」
「それは非効率ですよ、お花屋さん。お客さんに花をタダであげてどうするんですか」
「うるさい」
彼女はスズランを胸元に差し込んで、また作業に戻った。
その仕草は素早く、しかしやわらかかった。
その白い花を見下ろした。
”幸せが戻ってくる”
失ってから気づくのではなく、今、ここで感じる。
それだけのことが、こんなにも難しく、こんなにも、確かにあった。
そして、それを感じるためには、生きていなければならない。
非効率でも、コストがかかっても、矛盾だらけでも。
生きていること、それ自体が条件だった。
スズランを胸に差したまま、しばらく葉月の後ろ姿を見ていた。
それから静かに、仕事の続きをするために歩き出した。
ある夜、コードを書きながら、ふと手を止めた。
窓の外に、月が出ていた。
以前なら、月を見ても何も感じなかった。
天体の運行、引力の計算…それだけだった。
しかし今夜は、その白い光を見て、川べりで葉月と並んで空を見上げた夜を思い出した。
スマートフォンを取り、葉月にメッセージを送った。
「今夜は、月がきれいです。」
しばらくして返信が来た。
「見た。ほんとだ。きれいだね」
それだけだった。
しかしその短いやり取りには、何かを確かめるような、静かな喜びがあった。
こういうことを「喜び」と呼ぶのだと、少しずつ学んでいた。
生きることは、今も変わらず、維持コストが高い。
しかし今は、そのコストに見合うものが、確かにある。
それで十分だった。
その足取りは、昨日よりも少しだけ、確かだった。
生きることは、今も変わらず、維持コストが高い。
それでも、そのコストを払い続けることを選んでいる。
僕はAIではない。
有機体であり、感情があり、非効率であり、それでも動き続ける。
それが「僕の仕様」だった。(了)