AIAI叫ばれるのに、疲れませんか?「手に職」と言われて真面目に走ってきた専門職の人へ
朝、PCを開いて社内のSlackを覗くと、誰かが「この新機能、生成AIで自動化できないか」と投稿している。
X(旧Twitter)を開けば、「最新のAIツール10選」「これを知らないエンジニアは危険」といった見出しがタイムラインを埋め尽くしている。
午後の定例ミーティングでも、経営層から「うちのチームでもっとAIを活用した業務効率化のロードマップを出してほしい」という打診があった。
正直なところ、少しだけため息が出ませんか。
「またか」「もうお腹いっぱいだな」
そんな言葉が喉の奥まで出かかって、でもそれを口にすると「時代の変化についていけない古い人間」と思われるのが怖くて、結局「検討してみます」と苦笑いで返してしまう。
「せっかくここまで苦労して技術を習得したのに、また、新しいものを追いかけなきゃいけないのか」
「『手に職をつければ一生安泰だ』と言われて長年真面目にやってきたのに、あれは嘘だったのか」
胸の奥に広がる、そんな言葉にならない深い虚無感や徒労感。
もし今、あなたがそんな密かな疲労感を抱えているとしたら、まず最初にお伝えしたいことがあります。
それは決して、あなたが勉強不足だからでも、技術に対する情熱が冷めてしまったからでもない、ということです。
私は未経験でIT業界に飛び込み、プログラマーからキャリアをスタートさせ、システムエンジニア、PM、PMOと見える範囲を広げ、今はエンジニア組織づくりと、現場に長く関わっています。
日々、現場のエンジニアやプロジェクトのメンバーと話をしていると、画面の向こうから、あるいは会議室の空気から、じわじわと伝わってくる「疲れ」があります。
その疲れの正体は、AIそのものに対する嫌悪感ではありません。
「せっかく苦労して積み上げてきたのに、また振り出しに戻されるのか」
そう思いながら、これまで何度も何度も走ってきた足が、少し重くなっているだけなのだと思うのです。
私たちは、ずっと走り続けてきた
少しだけ、これまでのことを振り返ってみてください。
今、現場で活躍しているエンジニアの皆さんは、AIが騒がれ始めるずっと前から、とてつもないスピードで変化する技術の波を追いかけ続けてきたはずです。
私がこの業界に入った頃から振り返ってみても、覚えるべきものは途切れることなく増え続けてきました。
かつては、オンプレミスのサーバーをいじるのが当たり前だった時代から、一気に「クラウド」の時代がやってきました。
AWSやGCP、Azureの仕様を覚え、IAMの設定に頭を悩ませ、アーキテクチャ図を描き直す日々。
と思ったら、次はコンテナ技術です。
Dockerが登場し、「これからはKubernetesが使えないと」と言われ、マニフェストファイルと格闘するようになりました。
フロントエンドに目を向ければ、jQueryからAngular、React、Vue、Next.jsへと目まぐるしくトレンドが移り変わり、少し目を離すと「その書き方はもう古い」と言われる。
データベースもRDBだけでは足らず、NoSQL、グラフDB、ベクトルDBとバリエーションが増えていく。開発手法だって、ウォーターフォールからアジャイル、Scrum、DevOps……。
エンジニアという仕事は、最初から「学び続けなければいけない職種」でした。
週末になれば技術書を開き、QiitaやZennのトレンド記事を追いかけ、Qiitaアドベントカレンダーをチェックし、新しいフレームワークのチュートリアルを動かしてみる。
業務外の時間を削って、自分のスキルをアップデートし続けてきた。そうやって「波に取り残されないように」必死で泳いできた歴史があります。
誰に強制されたわけでもないかもしれないけれど、「技術が好きだから」という思いと、「ついていかないと価値がなくなる」というささやかな焦迫観念の狭間で、真面目に、愚直に走ってきた。
そこへ、彗星のごとく現れたのが「生成AI」でした。
これまでの波だけでも相当な息切れを起こしていたところに、巨大な津波のようにAIが押し寄せてきたのです。
「また新しい言語を覚えるのか」
「また新しいインフラ構造を理解するのか」
「また新しい設計思想を叩き込まなければいけないのか」
そう思った矢先に、「今回はプログラミングそのもののあり方が変わる」と言われる。
これまでの努力の延長線上にある学習なら、まだ心の準備ができたかもしれません。
しかし今回は、「コードを書くこと自体が不要になるかもしれない」「AIに指示を出すスキルのほうが重要だ」といった極端な言葉まで飛び交う。
これでは、フルマラソンの40キロ地点を過ぎたあたりで、「ここからは競技が水泳に変わります」と言われたようなものです。疲れて当然ではないでしょうか。
デジャブのような「AI狂騒曲」と、テクノロジーの振り子
今のこの熱狂と、どこか殺伐とした空気を感じていると、私はある既視感(デジャブ)を覚えます。
少し前のことを思い出してみてください。リモートワークが一気に普及した頃の狂騒曲を。
新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時期、世の中は一気に「オンラインシフト」へ舵を切りました。
「これからは全員フルリモートの時代だ」
「オフィスを解約しない経営者は頭が古い」
「出社を強いる会社はオワコンだ」
猫も杓子もZoom飲み会を開き、画面越しのコミュニケーションこそがスマートで現代的な働き方なのだと、テレビもネットも大騒ぎしていました。
当時のタイムラインは、「いかに快適なリモート環境を作るか」「どのWeb会議ツールが優れているか」という話題で埋め尽くされていたはずです。
しかし、数年が経った今、どうなっているでしょうか。
あれほど「オフィスなんていらない」と叫んでいた企業が次々と出社回帰をはじめ、起業家やクリエイターたちも「やっぱりリアルのイベントや対面で話す熱量が一番大切だ」と語り始めています。
画面越しではどうしても拾いきれないニュアンス、雑談から生まれる予期せぬアイデア、新人育成における空気感の共有など、「リアルの価値」が見直されるようになりました。
これって、「リモートワークという技術がダメだった」ということでしょうか。あるいは「昔の出社スタイルが完全に正しかった」ということでしょうか。
違いますよね。
ただ「新しい技術に一回極端に飛びついて盛り上がったあと、現実的な適材適所のハイブリッドへと落ち着いた」というだけの話です。
テクノロジーや新しい働き方のトレンドというものは、いつも大きな「振り子」のように極端から極端へと揺れ動きます。
最初は目新しさと可能性に目を奪われ、振り子が一番端っこまで振れ切ってしまう。
今、私たちが晒されている「AIAI言われる空気」は、まさにこの「AI狂騒曲」とも呼ぶべき振り子が一番極端な位置に振り切れている瞬間なのだと思うのです。
「え、まだAI使ってないの?」という空気の正体
この狂騒曲の真っ最中にいると、周囲の「空気感」だけで心がすり減っていきます。
最近、現場でよく見かける光景があります。
誰かが「この作業、AIにやらせたら一瞬じゃないですか?」と軽いトーンで口にする。
あるいは、エンジニア同士の雑談で「最近何のLLM使ってる?」「プロンプトどう組んでる?」という会話が、まるで朝の挨拶のように交わされる。
そこで「いや、うちはまだ普通のスクリプトで組んでるよ」とか、「手作業でコード追いかけてるよ」と答えると、かすかに漂う「え、まだそんなことやってるの?」という空気。
あの独特のアウェイ感は何なのでしょうか。
AIを使っていることが「イケている」「効率的である」「優秀である」という記号になり、使っていないこと、あるいは慎重になっていることが「遅れている」「勉強不足である」というレッテルに直結してしまうような空気感。
この空気に煽られて、多くのエンジニアが「とにかくAIを使わなきゃ」と焦り始めています。
GitHub Copilotを導入し、ChatGPTにプロンプトを打ち込み、最新のAIエージェントの動向を追いかける。それ自体は悪いことではありません。
しかし、私が現場で観察していて違和感を覚えるのは、「最新技術を知っていること、使っていること自体が目的化し、それが評価の基準になってしまっている場面」が増えていることです。
たとえば、こんなプロジェクトがありました。
あるチームで「AIを活用した社内業務の効率化」というテーマが立ち上がりました。
メンバーは意気揚々と最新のLLMを組み込み、複雑なRAG(検索拡張生成)の構成を設計し、精度の高い回答を生成するためのプロンプトエンジニアリングに何週間も費やしました。
成果発表の場では、「こんな最新構成でAIを動かしています」というスライドが誇らしげに映し出されました。
しかし、実際に現場のユーザーが困っていたのは、「入力フォームの項目が多すぎて探すのが面倒」という画面デザイン(UI)の単純な問題だったのです。
AIを使うまでもなく、フォームの項目を整理して3つ削るだけで、業務時間は半減したはずでした。
最新のAI技術を使って構築されたシステムは、見た目こそスマートでしたが、運用コストが高く、時々嘘の回答(ハルシネーション)を混入させるため、結局誰も使わなくなってしまった。
このとき、評価されたのは何だったのでしょうか。
「AIという最新技術をキャッチアップして動かしたこと」は称賛されました。けれど、「現場の課題を解決したか」という視点で見れば、残念ながら失敗と言わざるを得ません。
ここに、私が感じている違和感の本質があります。
「AIを使えること」や「最新のツールを知っていること」と、「目の前の目的に対して最適な技術を選び、価値を生み出せること」は、まったく別の能力です。
けれど今の世の中の空気は、この2つを恐ろしいほどごちゃ混ぜにしています。
技術を知っていることそのものが「正義」であり、「価値」であるかのように振る舞われている。
それに振り回されているからこそ、私たちはこんなにも疲れてしまうのではないでしょうか。
AIを否定したいわけではない
誤解していただきたくないのですが、私はAIという技術を全く否定していません。むしろ、とても便利で画期的な道具だと思っています。
私自身、記事の構成案をブレインストーミングする時にAIに壁打ち相手になってもらうこともありますし、雑多なデータの整理や、簡単なスクリプトのひな形作成など、日々の業務でAIの恩恵を存分に受けています。
「こんなに面倒な作業を一瞬でやってくれるなんて、本当にありがたい」と感動することも日常茶飯事です。
AIは、優れた電卓であり、優秀な助手であり、強力なプレハブ小屋製造機です。
面倒な定型コードを書く時間を減らしてくれるし、エラーログの解読を手助けしてくれる。
英語のドキュメントを素早く解読するのにも重宝します。
これを使わない手はありません。使えるものはどんどん使えばいい。
問題は、AIそのものではなく、「AIを使うこと」が思考の出発点になってしまうことです。
いつの間にか、私たちの思考プロセスが逆転していないでしょうか。
本来の設計の順序はこうだったはずです。
誰が、何に困っているのか(課題)
それを解決するために、何を達成すべきか(目的)
そのためには、どんな手段が最も適しているか(手段の選択)
この「手段の選択」の引き出しの中に、RDBがあり、APIがあり、クラウドがあり、そして新しく「AI」という強力な道具が加わった。それだけのことです。
課題によっては、「データベースのインデックスを1つ貼る」のが最善かもしれない。
「ExcelのVLOOKUP関数を1つ組む」のが最も安くて早いかもしれない。
あるいは「担当者同士が一度立ち話をして運用ルールを決める」だけで解決することだってあります。
しかし、今の「AIAIと言われる空気」の中にいると、思考の順番がこうなってしまいます。
AIという凄い技術がある(手段)
このAIをどうやって使おうか(目的の捏造)
使えそうな課題を無理やり探してくる(課題の当てはめ)
手段が目的を追い越してしまっているのです。
道具に使われている、と言ってもいいかもしれません。
高級で最新の電動工具を手に入れた大工さんが、ただその工具を使いたいがために、本当は釘を1本打てば済むだけの柱に、わざわざ大掛かりな電動ドリルで穴を開けて補強パーツを取り付けようとしている。
そんな歪さが、いまIT業界の至るところで起きている気がしてならないのです。
あなたは、何のために、コードを書いてきたのですか?
ここで、私たちがこれまでエンジニアとして働いてきた根底にあるものに、もう一度目を向けてみたいのです。
あなたはなぜ、エンジニアになったのでしょうか。
なぜ、休日を潰してまで新しい言語やフレームワークを勉強してきたのでしょうか。
きっと、「最新技術のオタクになりたかったから」だけではないはずです(もちろん、技術純粋の面白さに魅せられた側面もあるでしょうけれど)。
自分の書いたコードで画面が動いたときの感動。
複雑なロジックが美しく噛み合って、計算結果が一瞬で弾き出されたときの爽快感。
そして何より、自分が作ったシステムによって「現場の作業がすごく楽になりました!」「使いやすくなりました」と、誰かに喜んでもらえたときの達成感。
私たちが本当に追い求めてきたのは、技術そのものというよりも、「技術を使って、現実の複雑な問題を解き、誰かの役に立つこと」だったのではないでしょうか。
アーキテクチャを美しく設計するのも、保守性の高いコードを書くのも、障害に強いインフラを構築するのも、すべてはその先にある「価値」のためでした。
そう考えると、AIが登場しようがまいが、私たちがやってきた本質的な仕事は何も変わっていないことに気づきます。
システムを作る現場には、いつだって「泥臭い現実」があります。
あやふやで二転三転する要件定義。
部署ごとに主張が異なり、一向にまとまらない利害調整。
長年継ぎ足されて秘伝のタレのようになったレガシーコード。
ドキュメントが存在せず、特定のベテラン社員の頭の中にしかない業務ノウハウ。
こうした「ぐちゃぐちゃした現実」を紐解き、整理し、構造へと落とし込んでいく作業。
この泥臭いプロセスこそが、エンジニアリングの核であり、私たちが汗をかいて価値を生み出してきた領域です。
AIは、コードを素早く書いてくれます。
プロンプトを与えれば、美しいクラス図やシークエンス図のアイデアを出してくれます。
しかし、現場の泥臭い問題を捉え、泥を払い、何が本当の課題であるかを見極めるのは、依然として人間の役割です。
リモートワークの狂騒曲が去ったあと、「やっぱりリアルで顔を合わせる価値はあるよね」と人々が気づいたのと同じように。
AI狂騒曲がひと段落したとき、人々が最後にたどり着くのは「で、結局この泥臭い現場の課題を解いてくれたのは誰だっけ?」という現実です。
「AIに仕事を奪われる」「AIを使えないと価値がなくなる」と焦る必要は、本当はあるのでしょうか。
AIができるのは、「整理された問い」に対する「解答の生成」です。 現場で本当に難しいのは、「何が問いなのか」を特定することです。
新しいAIツールを10個知っていることよりも、現場のユーザーの言葉にならない不満を丁寧に聞き出し、「要するに、ここが詰まっているんですね」と見抜く力。
その課題に対して、AIを含めたあらゆる選択肢(時にはAIを使わない選択肢も含めて)の中から、最もシンプルで、最も運用が楽で、最もコストがかからない解決策を提示できる力。
本当に価値があるのは、いつだって後者のはずです。
振り子が落ち着くのを、少し離れて眺めてませんか?
「でも、やっぱりAIのトレンドを追っておかないと不安だ」
そう思う気持ちを、完全に消し去ることは難しいかもしれません。
周囲がワイワイと新しいAIツールの話で盛り上がっている中で、自分だけが置いていかれているような寂しさや焦りを感じるのも、とても自然な感情です。
されど、あえて言いたいのです。
少し立ち止まってみても、いいのではないでしょうか。
世の中の「AI狂騒曲」のテンポに合わせて、息を切らしながら全速力で走り続ける必要はありません。
SNSで流れてくる「必読のAIツールまとめ」を全部チェックしなくても、あなたのエンジニアとしての価値が暴落することはありません。
リモートワークのときと同じです。
最初は「全員フルリモートだ!」と振り子が極端に振れ、やがて「やっぱり出社もいいよね」と戻り、最終的に「業務に合わせて使い分けるのが一番だね」という落ち着きどころを見つけた。
AIもまったく同じ道をたどります。
今は振り子が一番激しく揺れている最中なだけです。
振り子が揺れている最中に、必死になって振り子の先端に飛びつこうとすると怪我をします。
少し離れた場所から「あぁ、また世の中が極端に振れているな」と引きで眺めておけばいいのです。
そして、振り子が揺れ戻り、落ち着いた頃に「さて、自分の現場ではどこで使うのが一番便利かな?」と静かに道具箱から取り出す。
それくらいの距離感で、実はちょうどいいのではないでしょうか。
焦って最新のAI技術を追いかける前に、一歩引いて自分に問いかけてみる。
「今、私が向き合っているプロジェクトで、本当に解決すべき課題は何だろう?」
「ユーザーが本当に困っていることは何だろう?」
「それに対して、今自分が持っている手持ちの道具(技術)で、できることは何だろう?」
もし、その解決策の1つとして「ここに生成AIを組み込んだら、ユーザーの入力の手間が大幅に減るな」と思えたなら、その時に初めてAIのドキュメントを開けばいいのです。
目的が明確になってから手にする道具は、驚くほど手になじみますし、吸収のスピードも違います。
ただ「知らないとおいて行かれるから」という理由で触るツールよりも、何倍も深い学びが得られるはずです。
あなたに伝えたかったこと
この記事は、「AIを使うな」と主張したいわけではありません。
「AIを勉強するのをやめよう」と呼びかけたいわけでもありません。
ただ、毎日毎日のように「AI、AI」と叫ばれる環境の中で、知らず知らずのうちに心をすり減らしているエンジニアの皆さんに、
「ちょっと疲れましたよね」と声をかけたかったのです。
私たちは、AIという黒船が来る前から、十分すぎるほど真面目に学び、技術と向き合い、現場で戦ってきました。
その積み重ねてきた経験や、課題解決の泥臭い感覚は、AIがどれだけ進歩しても決して色あせるものではありません。
最新のAIを使えるエンジニアになること。
それは確かに、魅力的な選択肢の1つかもしれません。
でも、それが「唯一の正しいキャリア」でもなければ、「エンジニアとして生き残るための絶対条件」でもないはずです。
明日、PCを開いたとき。 「AIを使わなきゃ」という漠然とした焦りが胸をかすめたら、ほんの数秒だけ、キーボードから手を離してみてください。
そして、こう考えてみてほしいのです。
「自分は今、そもそも何を実現したくて、この画面に向かっているんだっけ?」
答えは、AIのプロンプト入力欄の中ではなく、あなたがこれまで現場で培ってきた思考の中に、すでにあるのかもしれません。
【追記:2026/9/27】続編を公開
この記事を出した後、私が定期的にコーチングしているIT企業のリーダーの方から「本気で悩んで相談した知人に、ChatGPTの回答をそのまま横流しされて冷めた」というエピソードをお聞きしました。
私たちがAIの正解に感じる「虚しさ」の正体と、AIコピペ返信への返し方を書きました。

編集後記
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
画面を閉じたあと、あなたの心が少しでも軽くなっていれば、これ以上に嬉しいことはありません。
このnoteでは、「こうするべき」という大きな答えを教えるのではなく、日々の現場で感じる言葉にならない違和感をあなたと一緒に静かに紐解いていく記事を書いています。
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