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【小説】 KUROGO 第2章 依頼

    第2章 依頼

     奇妙な依頼が舞い込んだのは半年ほど前のことだった。まだ話していなかったが、僕はフォトグラファーを生業なりわいとしていた。広告用の撮影が専門で、被写体の中には人物が含まれることもあるが基本的には静物撮影が主体となる。撮影には照明が重要な役割を果たすことになる。思い通りの写真を撮るためには、複数の照明を組み合わせて影を制御する技術を要求される。おっと、専門的な話に深入りするのはやめておこう。僕が話したいのは撮影技術の話ではないのだから……。

     依頼は、ある女性の動画を撮影してその映像を納品して欲しいと言う。これだけならば、フォトグラファーに対する普通の依頼のようだが、奇妙な条件が付いていた。

    『被写体と会う時は、ファインダー越しに被写体を見る様に。決して直接見ることがない様にしてくれ。直接見た場合はそこで依頼は終わりとなる』

     これが依頼人からの条件だ。常に被写体とはファインダー越しに対応しろということだ。撮影に対する指示も、撮影の合間の会話も、すべてファインダー越しにしろということだ。どういうことなのだろう。直接撮影対象となる女性を見てはならないという。初対面の時からファインダー越しに挨拶をしろということになる訳だ。依頼人の思惑が分からない。通常の撮影に比べれば、報酬は破格に良いものだった。願ってもない仕事のようだが、常にファインダー越しというのも、考えてみれば結構大変かもしれない。相手の女性は人見知りか何かなのだろうか。面と向かって他人と対峙するのが苦手なのかもしれない。レンズ越しの方がかえって気にならないものなのだろうか。こんな依頼は初めてだった。常にファインダー越しにモデルの女性と対峙した経験がない。ちょっと不安があるが、とりあえず一度試してみよう。うまくいかなかったとしても、少なくとも一日分の報酬はもらえるだろう。無理だと思えばそこであきらめる手もある。何とか続けられるようなら、そのまま続ければいい。別にこちらにとって不利になる条件ではない。別に問題なんてないだろう。特に気になるとすれば被写体の性格や容姿だ。性格の悪い女性と一日中一緒に過ごすのは、ファインダー越しでもきついかもしれない。容姿が悪ければ眼をそらしたくなることもあるかもしれない。どちらかというと僕が被写体を見続けていられるかどうかが問題だ。いくら仕事とはいえ、生理的につらい被写体を見続けるのは困難なことだからね。職業柄つらい被写体を撮影することはある。でも、その場合は被写体を克明に視ることはない。スチル撮影なので、とりあえず決められた構図に収めて、オートフォーカスで露出を何段階シフトして自動撮影してしまう。直接被写体を眺める時間は適当に調整できるって訳さ。だが今回はそういう訳にはいかないかもしれない。その辺がちょっと気になるところではあった……。

     被写体となる女性には話がついていると言われた。依頼人と被写体の女性はどんな関係なのだろう。どうせ依頼人の愛人かなにかなのだろう。変態趣味の依頼人が、ちょっと遊び心を出して愛人の日常を映像に収めさせようというのだろうか。自分がいない時の愛人がどんな状態なのか知りたいのだろう。それなら隠しカメラでも仕掛けて盗撮でもしておけば済むだろう。わざわざカメラマンを雇って撮影させるなんて何を考えているのだろう。詮索したい気もするが、そんな態度を示せばせっかくの仕事を失うことになるかもしれない。ここは気持ちを抑えて詮索しないことにしよう。まあ、仕事を続けていけば自然と何らかの情報が得られるものだ。普段の仕事でも継続的にファインダーで被写体を見ていると、その日の状況によって被写体の状態が把握できるようになるものだ。慌てなくても、興味を掻き立てる情報は、それなりに手に入るものだ。

     いつもの撮影現場に向かうように、機材をかばんに詰めて被写体となる女性のマンションに向かう。時間は午後3時。昼食を済ませて一休みした頃の時間帯だ。マンションには来客用の駐車スペースがあると聞いたので自車を乗りつける。『関係者以外の駐車をお断りします』との表示がある。こんな看板に何の意味があるのだろう。こんな表示に素直に従うような業者はいないだろう。管理会社が住民に対して見せる、見せかけの誠意というものかもしれない。そう思ってもなぜかこの表示に意識が向いてしまった。普段なら見向きもしないのに、今回は特別な仕事のせいか『関係者』という言葉に妙に関心が向いてしまった。仕事の内容から、なんだか共犯めいた気持ちがそう仕向けるのかもしれない。車を降りてエントランスへ向かう。エントランスの壁や床は大理石を張り合わせて高級感を持たせる造りになっている。人工大理石かどうかまでは僕には判断できないが、普通の独身女性が一人で住むようなマンションとは思えなかった。それなりの収入がなければ、このクラスのマンションには住めないだろう。やっぱり女は依頼人の愛人で手当をもらっているに違いない。そんな風に思えた。金でどうにでもなる女であれば、こちらも気が楽というものだ。撮影自体の興味はなくなってしまうが、仕事と割り切ることが容易になる。そのほうがかえってありがたいかもしれない。そんなことを考えながらマンションのエントランスの中を見渡した。

     このマンションはエントランスの中にゲートがあって、部屋の番号を押して住民を呼び出し、カギを解除してもらう仕組みになっている。教えられた番号を押してカギの解除を待つ。なかなか返答がない。まさか不在なのだろうか。自分がこの時間に尋ねることは、依頼人から連絡が入っているはずだ。何をもったいぶっているのだろう。なかなか応答がないので、呼び出しパネルの前で待っているしかない。管理人室の中から管理人が胡散臭げにこちらを見つめている。まるで場違いな不審者を見るような眼つきに感じた。管理人が自分を値踏みしているような眼つきだ。このマンションに入場する資格を持っているかどうかを疑っているようだ。なんだか不快になってくる。自分は依頼されてここへ来ただけだ。何故こんな気分にならなければならないのだろう。依頼人の段取りの悪さに不快感を覚えた。いつまで待たせるつもりなのだろう。もう一度呼び出しを行うと、やっと部屋の住人が応答をした。

    「どちら様ですか?」

     自分の名前を告げ、依頼人から撮影を依頼されたことを告げたが、反応は意外だった。

    「何の話ですか。いたずらなら、お帰りください」
    「いたずらなんかではありませんよ。私は依頼されただけなのです」

     話が通じていないのか、女は呼び出し電話を切ろうとしているようだ。

    「ちょっとまってください。○○さんに確認をしてください。困るのは、あなたの方じゃないのですか?」

     女から不審に思われ取り付く島がない。そのまま通話を打ち切られた。これじゃあ話が違うじゃないか。管理人が不審を感じて、管理人室から出て来ようとする気配を感じた。どういうことなんだ。何故こんな不愉快な思いをしなければならないのだろう。

    「どうかされましたか?」

     管理人が声をかけてくる。体格から推察すると、警備保障会社から派遣されている警備員ではないかと思われる。いざとなったら力ずくでここから追い出そうという威圧を感じさせる。

    「私は依頼されて伺っただけなんですが、どうも行き違いで連絡が取れていないようなんです。ちょっと待ってください。今確認しますから」

     そう言って、依頼人に連絡を取ろうとした。

    「どちらにご用ですか。私が確認しましょうか?」

     自分の話を信じていないようだ。さっさと退散しろというサインかもしれない。しかしここで引き下がる訳にもいかない。重い機材まで持ち込んで、このままではたまったものじゃない。依頼人に電話を掛けることにした。

     依頼人からもなかなか応答がなかった。警備員の表情が険しくなっている。いい加減にあきらめたらどうだと言わんばかりだが、それははっきりと口にすることはない。ただ威圧的な雰囲気を醸し出してけん制している。自分は騙されたのだろうか。それにしても、自分を騙して、いったい何のメリットがあるというのだろう。こちらも少し意地になっている。いつもなら、数回呼び出し音が鳴っても相手が出なければ、あきらめて呼び出しを切るのだが、今回は出るまで呼び出し続けようと身構えている。ようやく依頼人が応答してきた。電話の向こう側では、なんだかバタバタしている様子が伺われる。自分の名前を告げた。

    「君は依頼された仕事をしているはずじゃあないのかね。今頃電話してきて、いったい何の用事なのかね。さっさと仕事をしてくれたまえ……」

     ずいぶんと一方的な返答だ。そっちの段取りが悪いのを、こっちのせいにするのかと一瞬むっとしたが、仕事ではよくある依頼人の我儘だと堪えた。

    「話が通じていないようで、部屋の中に入れてもらえないのです」
    「なんだって、そんなはずはない。ちょっと待ってくれ、確認するから。折り返し電話する」

     依頼人はそういって、向こうから通話を一方的に切った。また待たされることになる。警備員が勝ち誇ったような顔で、エントランスの出口を指示した。

    「今確認中ですから」

     更に時間がかかる旨を告げると、警備員は警備用の通話機を取り出し仲間に連絡を取り始めた。どうやら別の警備員をエントランスに呼ぶらしい。実力行使をするための準備に取り掛かったのだろうか。一人での実力行使はリスクが高いため、複数人で取り掛かるように訓練されているのかもしれない。いよいよ厄介なことになってきた。いきなりこんな目に遭うなんて、追加報酬でも貰わなければやっていられない。開錠扉の内側から屈強な体格の男がエントランスに出てきた。もう一人の警備員だろう。こちらに向かってくる。久しぶりの獲物に出会ったような眼つきに感じられた。普段の鍛錬の成果を試すことできる機会を得て、幸運を感じているような表情だ。厄介な人種に眼をつけられてしまった。下手な態度をとると、とんでもない目にあわされそうな危険を感じる。逃げ出したいところだが、こちらが悪い訳でもないのに、逃げ出すなんて自尊心が許さない。なんとか威厳を保とうとするが、スマートフォンを持つ手が少し震えている。そんな時スマートフォンが振動した。驚いて手を放しそうになったが、あわてて応答ボタンを押した。依頼人からの連絡だ。

    「君はいったいどこにいるのだね。君の被写体からは、時間が来ても誰も訪ねてこないと言っているがね」
    「そんなはずはありませんよ。現に私はエントランスから、呼び出しを行って被写体の方を呼び出したのですから」
    「エントランスから呼び出しだって、君はどこのマンションにいるのかね」

     話が通じていないようだ。マンションの名前を告げると依頼人が慌てだした。

    「なんで、そんなところにいるんだ。すぐにそこから立ち退きたまえ。君が行かなければならないのは、別のマンションだ」
    「そんな……」

     訪問するマンションが違っているようだ。ここを教えたのは依頼人ではないか。マンションの名前と住所をメールで送ってきたのは依頼人の方だ。それを謝罪するでもなく、ここを出て別の場所へ向かえとは、なんて横暴なのだろう。一方的に通話が切れた。そして直後に、別のマンションの名前と住所がメールで送られてきた。ご丁寧にマップへのURLリンクまで張り付けてある。『被写体が待っているから、いそいで向かうように』というメッセージで終わっている。自分を何だと思っているのだろう。このまま仕事を断ってしまおうかとも思ったが、前金を多少なりとももらっていることもあり、返金ともなると面倒だ。少し準備のために使い込んでもしまったので、すぐに返金することもできない。まあ、こんなトラブルも稀ではあるが、ないことはないので、とにかく被写体のもとへ向かうことにした。警備員が引き上げる僕を見て、せっかくの獲物を取り逃がしてしまったことを残念がっているように見えた。どうやら危険からは逃れたようだ……。

     依頼人は小太りの中年で、形態はモグラのような印象だった。顔に埋もれた眼つきからは、いかにも好色そうな雰囲気を醸し出していた。しかも犬が舌を出したまま、はあはあと体温を下げるために呼吸をしているようで、口元からは涎でもたれてきそうだった。こんな男に囲われている女というのは、いったいどんな女なのだろう。金さえもらえれば、相手はどんな男でも構わないという、典型的な商売女なのだろうか。なんだか撮影の意欲がそがれてしまうような気がしていた。

     依頼人は金だけは持っているような素振りだ。きっと食事にも金をつぎ込んでいるのだろう。しかし体力的には問題がありそうだ。少し動いただけでもすぐに息を切らせてしまうだろう。きっと自分で女を満足させることができないから、女の映像だけで満足しようとでもいうのだろうか。倒錯しているといえばそうかもしれないが、哀れな奴とは思えなかった。なんとなく反感めいたものを感じてしまうのは、女を自由にできる金持ちだということにあるのかもしれない。

     依頼人の職業は医者だということだが、医者にしては不健康そうな風貌だ。まあ医者の不養生という言葉もあるくらいだから、自分の体調までは管理できないのかもしれない。マンションを間違えるとは、なんて段取りの悪い男なのだろう。仕事ができそうには思えない。親から高額な資産を受け継いだまま、それを食い潰している穀潰しのような者かもしれない。世の中は不公平なもので、多額の資産を持つ者は富をどんどん増やしていける。ある程度の額を超えてしまえば、何もしなくてもお金が勝手に増えていくという仕組みだ。この依頼人もそんな境遇にあるのだろうか。いや、それにしては身なりはそれほどでもない。高級な品を身に着けているようには見えなかった。それでも愛人を囲うことができるぐらい金回りは良いのだろう。高級マンションの方は別の愛人用なのだろうか。それとも依頼人の自宅なのだろうか。自宅だとすると僕が訪問してはまずいことになるだろう。本妻がいるとしたら愛人の存在がばれてしまう。きっとそれで慌てていたのかもしれない。これは依頼人の弱みを一つ手に入れたようなものだ。何かあったら切り札として使えるかもしれない。別に強請などと非合法なことをするつもりはないが、自分が不利な状態に置かれるようなことがあれば、それを改善するための手段として使うことができるかもしれない。そんな状態に陥ることは今までにはなかったが、今回の変わった依頼を考えると、依頼人は特殊な変態かもしれない。身を守るための手立てをあらかじめ用意しておくことは必要かもしれない。そんな危ない仕事を引き受けなければいいじゃないか、と言われるかもしれないが、今のご時世ではちょっと危ない仕事でも引き受けなければ、必要な収入を稼ぐことが難しい……。

     被写体のマンションには車を止めるスペースがないというので、近くの有料駐車場に車を止めた。普段なら有料駐車場に止めるのは躊躇するところだが、費用は依頼人に請求するから問題ない。先に駐車を済ませた女性がいた。人眼を引く顔立ちに一瞬気を取られた。無意識に被写体としての評価をしてしまった。背を向けるまで視線を向けていた。時間がないことに気がつき荷物を担いで歩き出す。女性の姿は見えなくなっていた。駐車場を出たところで、後ろから誰かがぶつかってきた。自分の荷物に躓いて転びそうになった。「あぶないじゃないか」と振り向いて文句を言おうとしたが誰もいなかった。逃げ足が速いのか、周囲を見回しても僕にぶつかった相手は見当たらなかった。人にぶつかっておいて、何も言わずに去ってしまうなんて、ずいぶんと礼儀知らずな奴だ。最近の世の中礼儀知らずが増えているような気がする。どうせスマートフォンでも見ながら歩いていたのだろう。スマートフォンを見ている時はふらふらと歩いているのに逃げ足は速いようだ。逃げるからには少なくとも自分に非があることは認識しているのだろう。それでもながら歩きを止められない。スマートフォンには中毒性があるということなのだろう。街には中毒患者が彷徨い続けている。不思議なことに中毒患者同士は交錯しない。なぜか正常な人間とだけ干渉を起こしてしまう。そこには何かの意思表示でもあるのだろうか……。

     やっと目的のマンションに辿り着いた。さっきの高級マンションとは違って、アパートメントという言葉の方がふさわしい建物だ。入り口には『関係者以外の立ち入りはお断りします』という看板がある。マンションの上等文句だ。今度こそは『関係者』のはずだ。これで話が通じていなかったら、さすがにこの仕事は断ろうと決心する。前受金は迷惑料として返金しないことを表明しよう。エントランスからは直接各部屋の前まで到達することができる。部屋の間取りは2DKもしくは2LDKクラスで、独身女性の一人暮らしにしてはちょっと贅沢な間取りに感じられる。やはり愛人として囲われているのだろう。目的の部屋までたどり着いた。インターフォンで呼び出す。こちらの要件を告げるとドアの内側から人の気配が感じられた。少し間が感じられた。こちらの様子を窺っているように感じられる。自分が被写体となることに戸惑いでもあるのかもしれない。カメラマンの様子を確かめてから、ドアを開ける心の準備でもしているのだろう。被写体との初対面だ。こちらは準備を済ませている。被写体を直視してはいけないのだ。所定の位置にビデオカメラをセットしてから電源スイッチを入れる。腕だけで持ち続けることはできないから、肩に担げるように肩当が取り付けてある。ゴーグル型のファインダーを装着する。直視を防ぐためには両眼をガードしなければならない。初対面の挨拶をする前からこんな準備をしたのは初めてだった。少しだが緊張感がある。いつもの仕事を開始する直前の緊張感と同じものだろう。どんな女性なのかという期待感も増してきた。そしてドアが開いた。ファインダーの中に女が表れた。その時から僕の人生は進路を変えた……。

    <次章に続く>
    第3章 撮影開始


     
     
     
    普通の初老のおじさんです。ヘッダー画像は2024年に撮影したアムステルダム国立美術館の資料室。本が好きなので本棚に資料が詰まった写真にしました。カメラを触ることが好きです。長編小説を趣味で書いています。ヨーロッパ旅行が好きです。プロフィール画像は数年前に息を引き取ったマルチーズ。

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