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なぜ私たちは、“普通”に苦しめられるのか?

    冴月練

    ーー普通って何だ?
    ーー普通の人って誰だ?


    本noteはシリーズ『怒りから始める哲学エッセイ』の第8弾です。本作から読み始めても問題ありません。

    Vol.1 “安くて便利”の時代に人間だけが安売りされる理由
    Vol.2 “空気”が民主主義を殺した日
    Vol.3 怒ることが、なぜこんなにも怖いのか?
    Vol.4 「頑張れば報われる」は誰のための言葉か?
    Vol.5 その光は誰を照らし、誰を見えなくしているのか?
    Vol.6 私は誰かの怒りを、笑っていなかったか?
    Vol.7 感情を捨てることで、何かを守っていないか?
    Vol.8 なぜ私たちは、“普通”に苦しめられるのか?
    Vol.9 沈黙に加担しないために - 怒りを手放さずに生きる術


    序章:「普通」とは何か


    「普通って、なんだろう?」
    平均から逸脱していないこと。
    では、平均の基準はなんだろう?
    そして、誰がその基準を決めたのだろう?

    そんなことを考える。
    でも、その問いに言葉を与える前に、私たちは無意識に“空気”を読んでしまう。


    「出る杭は打たれる」
    「変わってると思われたくない」
    「みんなと同じでいたほうが楽」――

    そんな感覚が、問いを飲み込み、言葉を封じる。


    その感覚は時代とともに受け継がれてきたもの。
    時代によって変化はあったけど、確実に流れはある。

    でも、多くの人は感じ取っているのではないだろうか?
    テクノロジーの急速な変化、価値観と制度の変化。それが今までの「普通」の枠に収まることを困難にしている。

    過去の「普通」の基準は、今の世の中に合っていない。
    なのに変わらず、曖昧模糊とした「普通」がよしとされる空気がある。
    行き過ぎた「多様性の尊重」を望んでいるわけではない。


    「普通であれ」と求めてくる社会の中で、私たちは何を守ろうとしているのだろうか?そして、何を失ってきたのだろうか?


    これからの時代、「普通」という言葉がどんな価値と意味を持つのか?
    私たちの社会の課題は何なのか?


    それを考えてみようと思う。



    第1章:「普通」は私たちの役に立っているか?


    「みんなと同じであること」は、なぜか“正しいこと”のように扱われてきた。
    学校では制服をそろえ、家庭では“良識ある大人”を演じ、職場では“空気を読む力”が求められる。


    周囲に違和感を与えないこと、
    輪を乱さないこと、
    正解から逸脱しないこと。

    こうした“普通”の基準は、誰かが見える形で押し付けたわけではない。


    もちろん、自分でその組織(学校、会社)に入ることを選んだのならば、既存のルールに従うのは当然だろう。理不尽や謎のルールがあるなら、変える努力は必要になる。
    自分がその組織に合わないのなら、組織を離れることを検討する必要もある。
    仕事を円滑に進めるためには、協力も協調も必要だ。


    そうではなく、いつの間にかできあがった「普通」という枠に収まるのが当然、という空気が問題だ。


    その「普通」は、今を生きる私たちに役に立っているのか?



    第2章:「普通」は誰のためにあるのか?


    「その服、ちょっと派手じゃない?」
    「そんな考え、普通じゃないよ」
    「変な人だと思われるよ」


    TPOをわきまえることは大切だ。
    常識もある。
    受け継がれてきた伝統がある。
    それは否定しない。

    だが、暗黙の了解のように存在する「普通」という言葉。
    それは私たちの役に立っているのか?それとも、私たちではない誰かの利益のためにあるのか?


    普通ーー
    だから従う。疑問をはさまない。
    それは、思考停止のための言葉ではないか?


    「なぜダメなのか?」を考える前に、
    「変わっていると思われるのが嫌だ」と感じてしまう私たち。
    その瞬間、思考は止まり、感情は閉ざされる。


    “普通”でいようとすることが、結果として「違和感を口にする力」を奪ってしまう。
    その違和感は、正当なものかもしれないのに。


    問いを口にできない社会は、どんなに平穏に見えても、内側から少しずつ摩耗していく、腐敗していく。
    それは、私たちの心の深いところで静かに進行する“劣化”なのではないか?

    やがて、心は疲れていく。
    声を発する力が失われていく。


    その結果、誰が得をしているのか?



    第3章:「普通」を装うコスト


    “普通”という服を着続けることには、想像以上のエネルギーが要る。

    • 笑いたくないのに笑う

    • 興味がないのに同意する

    • 疲れているのに元気そうに振る舞う

    そうやって「浮かない自分」を演じることで、社会との摩擦は減る。


    誰かと比べて一喜一憂する。
    だが、他人と自分を比べれば、ほぼ確実に自分の足りないところを認識することになる。それは、手軽に地獄に落ちる方法だ。


    それほどまでして「普通」というのは守る価値があるのだろうか?


    それは、あなたの幸せに寄与しているだろうか?


    問い直さなければならないのは、“普通”ではなく、それを強いる社会構造のほうではないか?



    第4章:「普通」という呪いの外に出るために


    多様な生き方ーー
    多様な働き方ーー

    とても大事なことだと思う。
    政府自治体もこれに沿う政策を出してはいる。


    だが、どれだけ本気なのだろうか?
    フリーランスへの影響が懸念され、反対意見も多い中、インボイス制度は実施された。
    言葉ではなく、その行動こそが本質を表している。


    結局は、企業献金を多額に出す企業の論理が優先されているのではないか?
    多様な働き方ではなく、従来のサラリーマンのほうが都合が良いのでは?
    そういう風に推察してしまう。


    「普通」という価値観は、従来型の制度に人を閉じ込めておくのに、都合が良いのではないか?


    “普通”という価値観が、私たちに共通性や安心を与える場面もある。

    だが、急速に変化するこの世界で、それは幻想だ。


    「なぜ私はこう感じるのか?」
    「どうして、この違和感が消えないのか?」

    こうした問いを持つことは、同調社会の空気に小さなヒビを入れる。
    普通を強いて得をするものたちの思惑の外に出る。

    そして、そのヒビこそが、新しい時代への入口になる。
    他人と違うことを恐れず、自分の中にある“ズレ”を大切にする。
    その“ズレ”こそが、あなたをオリジナルな存在に戻す。



    結び:「普通」を再定義する


    「普通であること」は、私たちの居場所を守ってくれる一方で、自分を見失わせる危うさも孕んでいる。
    だからこそ、問い直したい。

    ――その“普通”は、誰が決めたのか?
    ――私はなぜ、それに従おうとしていたのか?
    ――「普通じゃない自分」には、価値がないのか?

    問いを持つことは、孤独を感じさせる。
    問いを感じない者からしたら、あなたは異端になる。


    でも、その問いを持った瞬間から、あなたは“自分の人生”を生き始めている。


    「普通」になれなくていい。
    「普通」でいようとしなくていい。


    むしろ、“普通ではない問い”こそが、社会に新しい風を吹き込む。
    高速に変化する世界で、過去から続く流れは急速に意味を失っていく。機能を果たせなくなっていく。
    新しいテクノロジーが大きな意味を持つ世界で、私たちは「普通」を再定義する必要にせまられている。


    前人未踏の世界を生きる私たち。
    過去に参考になる時代は無いかもしれない。


    あなたを縛るその「普通」、本当に価値がありますか?


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    社会への違和感と好奇心を種にエッセイ、小説、詩を書いてます。 路傍の哲学エッセイスト。 【小説】 ライト文芸を中心に書いています。 軽やかな掛け合いの中に、ちょっと考えさせられるテーマを忍ばせるのが好きです。 短編を積み重ねながら、物語世界を広げていきたいです。

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