
”正しさ”に飽きてきた件。
さながら虹色に輝くゴーカートのように加速する、SNS上での誹謗中傷。
「正しい」と「正しくない」の二極化論争。
ない、ない!
「正しい」と「正しくない」はそんなに綺麗に分かれてないからーーっ!!
と私は猛烈に思っている。
人生はチョコビほど甘くなくて、
トッポは最後までチョコたっぷりで、
選ばれたのは綾鷹で、
人は「正しく在りたい」と願うけれど「完璧な正しさ」なんてのはフィクションで、
そして「自分が正しい」ことを感じるために「誰かが悪だと助かる」に陥ってしまう生きものなんやと、思うんやで……
「正しさ」や「善」を追求するゲーム、もうやめません……かね?
きりが無いって薄々感じてきてますよね……?
無いんです、誰もが認める絶対的な正義も、誰も傷つけない人生も、たぶんどこにも。
えらく残酷な現実ですが、ええ。
自分の人生を振り返ったとき、べつに大きな罪を犯してなくても、誰かに放った言葉に棘があったり、誰かが傷つくのを見て見ぬふりしたり、それが親切だと分かっていて蔑ろにしてしまったり。そういうのってあるじゃないですか、誰にでも。
そういうのが誰の人生にもあるってことは、私がグレーであるのと同じように、あなたもグレーってことなんです、きっと。
人は白にも黒にも完全にはなりきれなくて、誰もがグレーだと気づかない限り、その「正しさ」は「黒っぽい人」を殴るための凶器でしかない。自分も「黒っぽい」ということに気付かないままで振るわれる「正しさ」はたぶんめちゃくちゃに痛い。
だからもう、黒っぽい人を手あたり次第に殴るのやめませんかね?
どうせ誰も白くなれないんです。
どこにもない架空の白を祀りあげて、それと比較して糾弾するのはやめませんかね?
人であることの”うつくしさ”って、たぶん白く在ることじゃないんです。
どんな思いやりに溢れた発言でも誰かは必ず傷ついてしまうし、どんな柔軟な発想でも誰かは取りこぼされてしまう。
だから一人ひとりが自分の周りにいる人を大切にするための”社会”なのに。
それができるのが人であることの”希望”なのに。それと真逆の動きがどんどん加熱して加速しているように感じる。そのスター、とっととポイしてしまいましょうよ。
誰かを糾弾しようとする人のナイフが、いつかその人自身に返ってくる未来がうっすら見えてしまって最近ずっと心が痛い。みんなが未来に向かって”いつか自分を傷つけるナイフ”を投げ続けている。そんな今の社会の流れが、私は痛くてたまらんのです。
今はまだいいかもしれないけど、他者を許さなかった分だけ自分のことも許せなくなった時に、その人を守ってくれる盾は一体どこにあるんでしょう?
もうその時には全ての盾が壊されてしまった後だったりしないでしょうか?
んぎぎ、つらいて……。
人の世はハードモードとはいえ、あまりにも”憂き世”が過ぎる。
でも、それでも私は人に生まれてよかったなとも思っていて。
なんかもう色々苦しいしつらいし切ないけれど、人という生きものがやっぱり好きだし、矛盾が”うつくしい”し、一生懸命さと「正しくなれなさ」こそ”うつくしい”と感じるし。
難しい時代を生きてるなあと思いつつ、人の世って一生こんなことの繰り返しなのでは?とも思いつつ、じゃあまあ思う存分悩むかあと思いつつ……。人ってやっぱ、いいよなぁに落ち着いている。
難しいからこそ成し遂げた時に感動するし、複雑だからこそ共感できた時に涙が出るほど嬉しいし。
人であることの希望は”手を取り合って立ち上がれる”ことだと思っています。なので、いつかこの「正しさ」ブームが過ぎ去ったときに、みんながグレーのままで互いも自分も受け入れ合えたらいいな。
できるできる。人はすごいんだから。全然こんなもんじゃないんだから。
せっかく人に生まれた私たち。
誰かを傷つけた分だけ自分も傷ついて、一人で悲しかった分だけ誰かに寄り添って、ばら撒いてしまった怒りの分だけやさしさを手渡していけたらいい。
それは、今からでも誰にでもできるのです。
なんなら、そのために人として生まれたと言っても過言ではない。
私も、みんなも。
人っていいよな、人っていいのです。
という、独り言でした。