
本郷でひとり弔いをした
久しぶりに思い出すひと
久しぶりに、若くして亡くなった友人のことを思い出しています。最後に彼女に会ったのは、東京の本郷でした。
私と彼女は大学の同窓だけど、専攻が違ったので同じクラスになったことはありません。卒論も違う先生だったし、部活も違った。どこで知り合ったのか、まったく記憶がありません。
小さな単科大学でしたから、どこで知り合ってもおかしくないのですが、もしかしたら、動物学の小原秀雄先生のゼミだったのかもしれません。先生を囲んで一緒に居酒屋にいた映像が、ふと浮かんできます。
私と彼女はさほど懇意にしていたわけでもなく、年賀状のやり取りと、何年かに一度、大学の集まりや研修会などで偶然ご一緒する程度の親交でした。
彼女はとても聡明な人でした。
黒いインクで綴られたこと
その日も研修会でばったり会いました。特定健診(メタボ健診)後の保健指導の研修です。私も友人も、当時、その仕事に関わっていました。
研修の帰りに、東大赤門の斜め前にある小さなカレー屋さんでお茶をしました。チャイと、ナッツやドライフルーツが入った甘いナン。ずいぶん長く話しました。「最近どうしてる?」から始まり、お互い色々話したはずなのに、私が覚えているのは一つだけです。
彼女が勤めていたところが終わることになり、それまでの顧客の健康に関するデータを、泣きながらシュレッダーした――という話。
自分が心を込めて熱心にやってきた仕事を、なかったことにするのはどれほど辛く悲しいのか。その痛みが、私の皮膚を伝わってくるようでした。
仕事の話なのに、私はそれを、いまでも「別れ」の話として覚えています。
翌年だったか、翌々年だったか。友人からの年賀状は来ず、一通のはがきが届きました。
そこには、前年の4月7日に癌で亡くなったこと、約一年の闘病だったこと、そして、生前のご厚誼に感謝申し上げます、という文面と共に、「亡妻への年賀状有難う存じます。寒さ厳しき折、ご自愛ください。」という文字が、黒いインクで綴られていました。
亡くなった友人の未練と、きっと何人もの年賀状に妻の死を知らせたであろうご主人の心のうちを思うと、いまも涙がこみあげてきます。
最後の思い出を書いて返信しようという気持ちが、潮が満ちては引くように、現れては消えるまま、1年、2年が過ぎました。
あるとき用事で本郷に行きました。
その日、私はあの赤門前のカレー屋で、あのときと同じチャイと甘いナンを食べながら友人との時間を思い、ひとり弔いをしたのです。
もう彼女はいないという事実を、ありありと感じながら。
そして、この文章を書きながら、ご主人はまだ、あのはがきの住所に住んでおられるのだろうかと思っています。
何の垣根も飾ることもなく、話ができる数少ない友人でした。
だから、本当にしんどい時に、私は彼女に会いたいと思うのです。
合掌