
静けさと人生の幸せについて
自分は幸せになれないんじゃないかとずっと不安だった。
自分は幸せな生き方はできないんじゃないかとずっと不安だった。
世の中を見渡せば堂々としているひとが自分の人生の舵を切っているように見えてしまうし、明るく元気なひとがより多くの幸せを受け取っているように見えてしまう。
人と話すことが好きなひとのまわりにはたくさん人が集まって、わいわいとした空間で楽しんでいて。そんなひとたちのことをずっといいなと思っていた。うらやましいなと思っていた。だってわたしにはない“明るさ”、“幸せ”だから。
だからわたし自身の性格を変えようとしてみた。明るく、元気に、わいわいと。人と関わることが大好きな人間になろうと視点や考え方を変えようともしてみた。
でも結果は充分すぎるくらいわかりきっていて、そんな努力をしているわたしはわたしじゃなかった。目指している人間にはなれなかった。明るい人間にはなれなかった。
だからもう諦めようと思う。
明るい人間になることも、元気な人間になることも、ポジティブな人間になることも。そんな人間像はわたしには向いていない。そもそもたくさんの人と話すことがあまり好きではないし、得意でもないから。でもだからといってわたしのままで幸せに生きていくことを諦めたわけではない。
暗さのなかでも幸せを見つけられること。
静けさのなかでも幸せを感じられること。
ネガティブでも幸せに向かえること。
ネガティブでも幸せを迎え入れられること。
それを自分自身に証明してあげたいと思う。

人生の幸せはなにかの定義で埋められるほど単純なものじゃない。
ポジティブなひとはすべてがうまくいくとか、ネガティブ思考は生きづらさを生むとか。
そんな単純な方程式で人間の生きる営みは出来上がっていくわけじゃない。人生はもっと繊細で、人間はもっと奥深くて、生きることはもっと複雑だ。
ネガティブだから幸せになりにくいとか、静かな環境が好きだから取り零す幸せがあるとか。そんなものを人生と呼ぶのだとしたら、それはあまりにも浅いものになってしまう。わたしたちが生きるこの世界はそんなに浅いものではないし、単純なものでもない。あなたは人と違うから得られない幸せも仕方なくありますよ、なんていうほど人生は意地悪なものじゃない。
静けさのなかにある幸せをすくいとっていくこと。
ネガティブさのなかからすくいあげた幸せや希望を大事にしていくこと。
静けさの奥深くには、穏やかで安心感に満ち足りた幸せがある。
ネガティブさの奥深くには、幸せにつながる微かな可能性や希望、灯りが埋もれているかもしれない。わたしはそのちいさくて微かな灯りを見逃すひとにはなりたくないし、その灯りをすくいとれるような人間でありたいと思う。
わたしは静かなままで、ネガティブなままで幸せになっていく。