
フクヤマン5が、「キャラクター」ではなく"共通言語"になり始めている
フクヤマン5が、「キャラクター」ではなく"共通言語"になり始めている
フクヤマン5を公開してから、少しずつ面白い現象が起き始めているように感じています。

最初は、「何これ?」「ヒーロー?」「キャラクター作ったの?」という反応がほとんどでした。 でも最近、少しずつ変わってきました。
それは、"作品として見られる"段階から、"会話の中で使われ始める"段階へ移ってきた感覚です。
「これ、自分かもしれない」
ある投稿に対して、 「これ、自分のことかもしれない」 という反応をもらうことが増えてきました。
例えばRED。 "動けない状態"をテーマにした投稿です。

すると、
「今の自分、STATIC強いかも」
「REDが足りない状態かもしれない」
そんな風に、"状態"として受け取られ始めています。
ここで大事だと感じているのは、 フクヤマン5は「あなたは○○タイプです」と分類するためのものではない、ということです。
むしろ逆で、 「今、自分の中で何が起きているんだろう」 を見つめるための言葉として機能し始めているのではないかと感じています。
これが、すごく面白い変化だと考えています。
「そういうことか!」
最近、特に印象的だった出来事があります。
YELLOWの投稿を見た方から、 「そういうことか!」 という反応が返ってきました。

『周りの声で、自分の火まで消さなくていい。』
その言葉が、ただの"応援メッセージ"ではなく、 「自分の中で起きていた感覚を整理する言葉」 として届いた感覚がありました。
つまり今、フクヤマン5は"見るコンテンツ"というより、
「自分の状態を説明するための言葉」
として使われ始めているのかもしれません。
親子の会話にも入り始めた
さらに面白いのは、家族の中での会話です。
最近は、
「今、REDが足りないんじゃない?」
「それ、GREENが必要な状態かもね」
みたいな話を、自然にするようになってきました。
ちなみに娘は、フクヤマン5のキャラクター設計にも一緒に関わってくれています。 だから余計に、"作品"というより、"共通言語"として存在している感覚があります。
フクヤマン5は、「診断」ではない

また、最近は 「自分は何色ですか?」 と聞かれることが増えてきました。
でも、フクヤマン5は診断ではないと考えています。
あなたを分類するためのものではなく、 「今、どんな状態が起きているか」 を見つめるための、鏡のような存在だと思っています。
ある日はREDが必要かもしれない。
別の日はGREENかもしれない。
誰かと繋ぐPINKが必要な時もある。
人は固定された一色ではなく、 場や関係性やタイミングによって、色が変わっていくのではないかと感じます。
だからこそ、 「あなたは何色でもなくていい」 という言葉を、大切にしています。
"思想"が、現実の対話に降りてきた
フクヤマン5を作った理由は、キャラクターを作りたかったからではありません。
12年間、若者や地域や企業と向き合う中で見えてきたのは、動けないまま固まってしまう状態、型にはめられて苦しくなる感覚、周囲の声に押されて自分を見失う瞬間、最後の一歩がどうしても踏み出せない壁、そして関係性が少しずつ分断されていく場面でした。
そういう"見えない状態"を、もっと共有できる形にしたかった。
そのために、思想をビジュアル化してみました。
そして今、少しずつではあるけれど、
「概念」から「共感」へ、 「共感」から「自己理解」へ、 「自己理解」から「対話」へ、 そして「対話」から「共通言語」へ。
そんな変化が起き始めているように感じています。
これは、フクヤマン5にとって、かなり大きな変化なのではないかと考えています。
もしかすると本当にやりたかったのは、
“ヒーローを作ること”ではなく、
「状態を、責めずに話せる言葉」
を作ることだったのかもしれません。