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act:20-オレの夏やすみ 養老渓谷の弘文洞、粟又の滝にカッパ淵の少年【川遊び編】

     オレの夏やすみは忙しい。毎朝5時に起床してカブトムシやクワガタの捕獲からはじまり、その後は大人から毎朝半強制的に参加を強いられるラジオ体操への出席を済ます。
    そして家に帰り仏壇にお線香をあげ、朝ごはんを十分平らげてエネルギー補充、その上で本日ノルマ分の夏やすみの宿題を片付けるのだ。
    宿題が一段落した後は、青龍神社せいりゅうじんじゃに集結した我らが大多喜無敵探検隊おおたきむてきたんけんたいメンバーたちと、この大多喜の愛と平和のため、町の定例パトロールに出動だ。
    今日は駅前ディスカウントストアのポピンズも、スーパーストアのデンベーも、そして大多喜キッズの聖地、駄菓子屋のバクダン屋と加賀屋かがやにも、特に大きな問題は見当たらなかった、
    今日も大多喜は平和だったぞヨシヨシ!
    あぁそうだった、唯一ユーイチがバクダン屋の爺さん婆さんの前で禁断のバクダン屋のテーマソングを歌い上げたのは想定外だったがな!
    ‥どうだフフフ、ここまで郷ひろみのような大スターでさえ怯ひるんで寝込んでしまいそうな過密スケジュールだろう、しかし誰より優秀なオレだからこなせているのだよ(ニヤリ)。

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    (オレの夏やすみ【早朝編】【定例パトロール編】の挿絵ダイジェスト)

    さらに今日はまだまだこれでは終わらない、これからオレと弟のクニオは新聞記者の父さんにくっついて、養老渓谷ようろうけいこくの弘文洞こうぶんどうというトンネル川に観光促進のための取材に同行なのだ。
    オレたち兄弟は、また写真モデルとして好きなように川遊びでもしてればいいのだろう、その後はきっとご褒美でカキ氷かアイスクリームだぞ!
    運転手付きで川遊び、最後はカキ氷かアイスクリームだ、まるで貴族のようじゃないか。オレたちゃウハウハぼろ儲けだ、やったなクニオ!
    さぁー早く昼ごはんのそうめんを食べてしまおう!

    ‥と、まぁここまではプロローグでしかない、詳しくは前章 act:13【早朝編】そしてact:14【定例パトロール編】を参照してほしい。


     ちょうどオレがお昼のそうめんを食べ終わった時だった。
    「サナダたいちょーあそびましょ!」
    突然オレを呼ぶ声がしたのだ、それも玄関ではなく縁側からだ。誰だ軽々しくオレを呼ぶやつは!
    そもそも縁側から声をかけるということは、つまりは許可なくうちの敷地に勝手にズカズカ入ってきているということだ、なんて図々しいんだ!そんな無礼なやつの顔なんて、ちっとも見たくないぞ!第一オレはこれから父さんの取材同行で忙しいんだ!
    メンドクサイので無視してたら再度、今度はもっとデカい声で
    「たぁぁあーーいちょぉぉぉぉおおー!!」
    「あっそびましょぉーーぉぉぉおおおおーーおおおー!!」

    うわ本気でウゼぇ!
    この暑い最中さなか、アブラゼミもビックリのひときわ暑苦しい声で叫びやがって‥、どこのバカ野郎だとイライラしながら縁側に出てみると、そこには浮き輪を肩にかけ、タオルを首に巻いた海パン姿のユーイチが立っていた。
    《‥お、おぅ、これは一体!?》
    水遊びする気満々じゃないかユーイチよ。そんな恰好でキサマは一体どこに行こうというのだ?
    そういやさっき加賀屋かがや(※1)からの帰り際に、オレが午後から養老渓谷に行く話をしたら、ユーイチも非常に行きたそうな顔をしてたもんなぁ、なるほどなぁ‥。
    でも待てよ、オレはひと言も誘ってないぞ?まさかクニオが誘ったのか?
    そのあたりをユーイチ本人に確認したところ、オレたちと一緒に養老渓谷に行くことを親に話したらOKだったので、こうして準備万端で駆け付けたのだという
    「ふーんそっかぁー、よかったよかった。」

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    ‥いやいやちっともよくないぞユーイチよ、まず第一に誰もオマエを誘った覚えはない。さらにこれは遊びじゃないぞ、オレたちには高尚な使命があるんだ!
    いいかよく聞くんだ、これは我が父の仕事のお手伝いで新聞の取材だ!この過疎と高齢化に苦しむ我らが大多喜町に、一人でも多くの観光客を誘致するための大切な大切な極秘ミッションなのだ!
    この際だからはっきり言おう、つまりオレたちの肩には、この大多喜の未来がかかっているということだ、ユーイチよ何か誤解しているんじゃないか!

     オレとユーイチがそんなこんなで縁側で押し問答をしていると、父さんがヒョイと奥から顔を出した。
    「あぁユーイチ、うちの子らといつも遊んでくれてありがとうな。」
    そして続けて
    「ユーイチの親がいいっていうなら、夏休みなんだし一緒に行くか?」
    と、まさかの展開に!?
    ‥そう来たかぁ。人生は予想外の連続だ。
    ユーイチといつも気が合わない我が弟クニオは、突然ユーイチが一緒に行くことになってしまったのでムスッとしちゃったが、うちの父さんがOKというんだ仕方ないなと諦め顔だ。
    まぁ今日はユーイチも珍しく金属バット(※2)を持ってきてない、クニオもさすがに木刀(※2)を持って養老渓谷には行かないだろう。今いち気の合わないこの二人が養老渓谷で例え喧嘩になったとしても、武器を携行しない今日のコイツらならば年少さんだしヘナチョコだ、十分オレだけで止められるな。

     ランニングシャツとステテコ姿だった父さんが、ポロシャツとスラックスに着替え、その左腕に新聞社の腕章を付けた。愛用のオリンパスのカメラを肩にぶら下げたぞ、どうやら取材準備が整ったようだ。
    そして車に乗り込むと駐車場から家の前に車を出した。
    その開けた窓から「おーいおまえたち、乗ってくれ」と‥
    助手席にはオレが乗り込み、後ろの席にはユーイチとクニオが乗った。
    いよいよ養老渓谷の弘文洞こうぶんどうに向うのだ。
    「お父様、それではよろしくお願いいたします!」
    ユーイチのやつ、オレの父さんの前ではエラいイイ子じゃないか?なんだこの身の変わりようは?さっきバクダン屋で禁断のバクダン屋のテーマソング(※3)を歌い、スッとんで逃げたヤツとは思えないぞ!
    しかし借りてきた猫のように後席に座るユーイチを、フンと鼻であしらい窓の外を眺める我が弟クニオ、中々興味深い光景だな。
    ちなみに父さんの車はトヨタの最新型、白いスプリンターセダン1600GSエクストラという。なんだかよく分からないが、スポーツカーじゃないのに意外と早い車らしい。
    早いかどうかは一先ずとして、オレがこの車の好きなところは、クーラーが付いてることとバンパーに付けられたコーナーポールの旗だな。
    コーナーポールには、父さんが働く県紙 千葉日報(※4)の赤い旗が紐で結ゆわえられている。旗を付けて走ってる車なんて、うちの車以外では警察や政府機関ぐらいじゃないか。なんだか物々しくてカッコいいだろう。

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    (千葉日報社の赤い旗が眩しい父の車 1977年式トヨタ スプリンターセダン1600GSエクストラ)

    車の中ではオレが父さんに、ユーイチとクニオがどれほど仲が悪いかを面白おかしく話すが、そのたびクニオは面倒くさそうに反論し、ユーイチはユーイチで借りてきた猫のようになりながらも
    「実はボクはクニオくんを尊敬してました、本当は誰より仲良しなんです」
    ‥などと平然と言い放つ、まったく恐ろしいやつだ。
    一体どの口が言うのかと思ったが、父は終始ニヤリとしながら聞いており、最後には「まぁ昔から喧嘩するほど仲がいいって言うしな、男ってのは競いあって仲良くなったりするからな」‥と。
    競い合って仲良くなる?いやぁ父さんオレは無理だな、学校で喧嘩ばかりするナガサやトキ、ヤリタとは一生涯仲良くなれなさそうだし、そもそも仲良くなりたくもないんだ。
    そんな間にも、オレたちを乗せた白いスプリンターは、千葉日報の赤い旗をバタバタなびかせてグングン進む。
    父曰くクーラーを利かせると加速が悪いから止めようかというが、なんのなんのこれだけ暑いんだ、よもやクーラーを付けないなんて頭おかしい選択はあり得ないだろう。第一オレが運転してるわけではないので車の加速なんて全く気にならない、父さんどうか心配しないでほしいオレは大丈夫!
    だからクーラーはこのままでOKだ!
    大多喜町の街ナカからは、海水浴客で渋滞する国道を避けて、まず最初に大多喜城の城山方面に向かい、お城の手前から化石のとれる崖の横を通って一旦は西部田にしべた集落に出る。西部田にしべたはオレの永遠のライバル 北郡きたごおりが住む地だ。アイツはテレビアンテナのパイプを利用した火薬式の銀玉鉄砲でオレを攻撃してくるので注意だ(※5)。さすがに父の車までは狙わないとは思うが、念のためオレは北郡きたごおりに見つからないように、車の中で身をかがめた。

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    (Google MAPにルートを入れてみました)

    そんなことなどお構いなしとばかりに車はどんどんと進み、オレの禁忌きんきの地である西部田にしべたをあっけなく通り過ぎると、続いて上原うえばら、紙敷かみしき、湯倉ゆくら、中野なかのの山中をスイスイ走り抜けて国道465号線に出た、車だと流石に早いなぁ~。
    そこからは国道に沿って道なりにしばらく進み、やがて老川おいかわ十字路で右に曲がった。
    ここから少しのあいだは急な坂になるが、何といっても最新のトヨタだ、クーラーつけたままでも坂道をぐんぐん登るぞ!
    そして老川小学校おいかわしょうがっこうの前を通り過ぎて小田代こただい集落を抜けると、いよいよ目的地の養老渓谷温泉郷ようろうけいこくおんせんきょうに到着だ。
    ここまで、役場のそばの我が家から大体20分ほどだろうか。

     父さんは温泉宿と土産物屋が並ぶ街道沿いの駐車場に車を停めた。この駐車場は岩屋食堂がやってるドライブインのもので、丸一日停めても100円とリーズナブルだ。もっと弘文洞こうぶんどうの近くにも駐車場があるけど、帰りに何か旨いものを食べることを考えればこの選択でOKだろう。

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    (Google MAPにルートを入れてみました 旧道を通ってます)

    よくよく見たらこのドライブインの駐車場の一角には、夏休みシーズンだからか幾つか屋台が出てるじゃないか素晴らしい!‥どれどれ何の屋台かな?焼きトウモロコシにキンツバ、りんご飴、、真夏だというのに何ともクソ暑そうなセレクトじゃないか、一体どんな客層を狙っているというのだろう。まぁカキ氷を食べるなら岩屋食堂のドライブインの中だな。
    そうそう、この大多喜のキンツバについては少々解説が必要だ。大多喜やお隣の勝浦で、お祭りや朝市でよく見かける きんつば屋台だがな、実はあれはすべて嘘だ。この辺りのキンツバという食べ物は、余所でいう大判焼きや今川焼き、回転焼きのことなのだ。

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    (長い間、大多喜で大判焼きはキンツバと呼ばれておりました、今はどうでしょう?)

    なんでこんなことになっているのか?
    聞いたところによると、横着者おうちゃくものの大多喜のテキヤのオッチャンがきんつばと書かれた暖簾のれんのテント屋台で、凡そ10年もの間、大多喜や勝浦のお祭りや朝市で大判焼きを販売していたがため、地元民に間違った名称で覚えられてしまったということだ。
    そこで当然疑問が湧くだろう、何故よりによって、きんつばの暖簾のれんなのかと‥。
    なぁーに話は簡単だ、新たに大判焼きを売り出すにあたり、大判焼きの名が入った暖簾のれんを買うお金が惜しく、身近にあったきんつばの暖簾のれんを使い続けたかららしい。
    余計な出費はしたくないが、それでも屋台らしく目立たせたいという、よくある大人の事情のようだ。「きんつばも大判焼きも何となく似ているからいいか、どうせ分からないだろう」といった南国気質な房総南部の住民らしい勝手解釈&適当さが不意に発動した結果かもしれない。
    しかしそのおかげで、今では爺さん婆さん大人に子供まで、この大判焼きをキンツバだという始末。たとえこの先、諸君が純粋な良心から「これはキンツバじゃなく大判焼きだ!」と大多喜と勝浦の人々に伝えて回ったとしても、残念ながら信じてはもらえないだろう、それどころか逆に諸君がモノを知らないヤツだと笑われかねない。
    こんなオレからアドバイスできることがあるとすれば唯一つただひとつ、「郷に入れば郷に従え」だ。
    大多喜では大判焼きは未来永劫キンツバだ、キンツバに見えなくてもキンツバなのだ!キンツバと言わねばならないのだ!(キリッ)
    そうそう、もう一つだけ注意点を付け加えたい。この特殊事情ゆえに大阪名物である本物の「きんつば」は、大多喜や勝浦ではニセモノ扱いされる可能性が非常に高いので注意が必要である!
    ‥と、まぁここまで思わずキンツバの解説に熱が入ってしまったが、今日は真夏で暑い、頼まれたって誰がキンツバなんか喰ってやるものか!
    当然ドライブインでカキ氷一択である!

     さぁーて、ここからは徒歩だ。駐車場を出て少し歩くと山側に道があり、そこを曲がって山の斜面のトンネルをくぐる。
    このトンネル 向山むかいやまトンネルは何だか妙なトンネルで、素掘りトンネルの真ん中あたりの真上に、もう一つ縦にトンネルの穴が開いている。父さんがいうには、ちょっと前までこの上の穴のトンネルが使われていたけど、昭和45年3月に道路改良工事が行なわれて、新らしく掘り下げて下の出口が作られたそうだ。
    この工事のときに、何故かそれまでのトンネルを埋め戻さなかったので、トンネルが上下ダブルに重なる意味不明な二階建てトンネルが出来ちゃったというわけだ。まぁトンネルには満足に照明がないのでかなり暗い。だから明かり窓として元のトンネルを残してるんじゃないかな?
    またややこしいのがトンネルの名称で、オレたちが歩いてきた温泉宿が並ぶ街道側の東側92mが向山トンネルといい、残りの23m、つまり新たに掘られた西側部分が共栄トンネルというんだそうだ。

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    (向山トンネルは途中で上下2段に穴があり、二階建てトンネルといわれています。)

     オレたちは、この暗くてヘンテコな向山トンネル&共栄トンネルを、足元に注意しながら抜けると、そのすぐ先の橋を越えたところの遊歩道から弘文洞こうぶんどうを目指して進んだ。
    この道を真っすぐ行くと弘文洞こうぶんどうのすぐ脇に出られるそうだが、父さんはその道の途中で取材の写真を撮るために、飛び石を渡って向こう岸に行くという。どうやら対岸の先には弘文洞こうぶんどうを一望できるポイントがあるらしい。面白そうなのでオレたちもついて行くことにした。
    セミの大合唱に埋もれそうになりながら軽い勾配の道を登ると、程なくして視界が広がった。道の先がちょっとした広場になってて、弘文洞こうぶんどうを真正面に望めるのだ!
    養老川にそびえる崖には、ちょうどマジンガーZがくぐれるほどの高さの大きな縦穴が開いていて、そこから川の水が穏やかに流れ込んでいた。
    ほほぉ、中々荘厳そうごんな眺めじゃないか!前もって父さんから「トンネル川」だと聞いていたが、現物はちょっと魔境まきょうっぽくてカッコいいぞ!

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    (上部崩壊前の弘文洞 1975年頃 上部の橋部分は1979年5月24日に崩壊しました。)
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    (弘文洞の現在の姿 単なる切り立った崖になってます。)

    父さん曰く、弘文洞こうぶんどうのこの穴は年々削られて大きくなってて、近いうちに穴の上の橋になってる部分が崩壊するだろうということだった。なるほど、新聞記事にするなら今のうちということか。
    弘文洞こうぶんどうのあの上の部分、橋みたいになっているところには遊歩道があるんだけど、ここ数年は崩壊の危険があり、渡ることは禁止されているそうだ。
    そもそもなんでここに、こんなに大きな穴が開いているのかというと、明治時代に川の一部を埋めて農地を作る川廻しという土木工事が行われ、そのときに川の流れを変えるために開けた穴だということだった。聞いただけでもエラい大変そうだよなぁ、昔の人はよくやるなぁスゲェよなぁ‥。
    そしてこの穴は、最初は人の背丈ぐらいの大きさだったけど、年々川の流れや雨風に侵食されて、今ではこんな大きな穴になっちゃったというわけだヘェー!

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    (弘文洞が誕生した川廻し「河川曲流短絡工事」の解説)

    オレたち3人が無性に感心しつつ、この大きなトンネル川の弘文洞こうぶんどうを眺めていると、徐おもむろに父さんから指令が下った。
    「おまえたち、弘文洞こうぶんどうのところで水遊びしてきなさい」
    OK!父よ、その言葉を待ってました!
    オレたち3人は海パン一丁になり、今いた広場を一目散に駆けおりて弘文洞こうぶんどうの真ん前の川に飛び込んだ。川の水が冷ひやっこくて気持ちいい!実はこの真夏の太陽の下を駐車場からずっとテクテク歩いてきたんで汗だくだったんだ、この川の冷たさはまさに神の祝福だな!
    そんなオレたちをモデルに、父さんがパシャパシャとカメラで写真を撮り始めた。新聞記事の取材モデルとはいえ、ようは弘文洞こうぶんどうの川で遊ぶ子供たちが撮れりゃよいようなのだ。だからオレたちはカメラを気にすることもなく散々好き放題、勝手気ままに川遊びを満喫した。

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    (弘文洞の前の川は比較的浅く水遊びには最適、渓流釣りスポットでもあります。)

    弘文洞こうぶんどうから流れ込む小川の夕木川(蕪来川かぶらいがわともいう)と、本流の養老川が接するこの辺りの流れはとても穏やかで川底も浅い、おかげで不安なく水遊びが出来る。まさに川遊びビギナー御用達ごようたしポイントなのだが、それでもユーイチは浮き輪に体を通している。ユーイチは息継ぎができないので浮き輪で泳ぐのだ。
    コイツは浮き輪をしてまで本当に川遊びに来たかったのだろうか?
    少々疑問にも思ったが、まぁ夏だし暑いし水遊びはしたかったのだろうな。しかしいつも威勢のよい特攻野郎のユーイチが実はカナヅチで、そして浮き輪やらなきゃ溺れちゃうなんてな!傑作すぎて正直笑っちゃうけどオレは流石に可哀そうなんで笑うのを我慢したぞ!でも弟のクニオは残酷にも笑ったんだ、それもププッってな!この正直者め!
    それを見て怒ったユーイチが浮き輪をクニオに向って放り投げ、意地になって泳ごうとしだしたが、やはり全く息継ぎできず、やがて苦しくなって手足をバタバタとさせ、終いにそのまま沈みそうになる。
    オレとクニオは「やれやれ」とばかりにユーイチの両腕をそれぞれ掴み、せーの!で担ぎ上げたが、そもそもここは水深が浅くてユーイチの背丈でも十分立つことが出来るんだよなぁ‥。
    オレたち兄弟に担ぎ上げられ川底にしっかりと足をついたユーイチは、急に気恥ずかしくなったのか、唐突に言い訳じみたことを言い出した。
    「‥な、なにかが川の中でオレの足を引っ張ったんだホントだぞ!」
    そんなバカな!オレとクニオは思わず大笑いしたが、それを聞いてた父さんだけは違った
    「そういやここいらには昔からカッパ伝説があってなぁ、嫁にしようと女の子をさらったり、子供たちを溺れさせる悪い河童かっぱがいたようなんだ。おまえら気をつけろよ」と・・
    オレたち3人は少しゾッとした。

     父さんの取材は無事終わり、弘文洞こうぶんどうの前で遊ぶオレたちの写真を元に、明日の午前中いっぱいで原稿記事を書きあげるということだ。
    そして白黒フィルムはいつものように、明日の朝一番でオレかクニオがお駄賃10円もらって塩田写真館に持っていくので、昼すぎには現像されたネガフィルムと父さんが書いた原稿を、封筒にまとめて大多喜駅に持っていけそうだ。そこから国鉄の木原線で運ばれ、大原駅で外房線に載せ替えられて、千葉市の本社に運ばれる。早ければ明後日の千葉日報に掲載されるかもしれないぞ(※6)。
    そんなことを話しながら、オレたちは来た道をテクテクと引き換えし、やがて岩屋食堂のドライブインに戻ってきた。
    さぁーお待ちかねご褒美のカキ氷タイムだイヤッホーイ!

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    (お店で食べるカキ氷は格別!真夏の最高のご馳走ですね。)

    オレたち3人は、もちろんカキ氷を注文だ。クニオとユーイチは真っ赤なイチゴ味、オレは大人の男らしくシブい緑のメロン味だ。この蕩とろけるような真夏の暑さの中で、体の芯までキンキンに冷してくれるカキ氷は最高のご馳走だな!
    しかし父さんだけは違った。オレたち3人分のカキ氷代を店員に支払った後、ひとりだけ駐車場のキンツバ屋台に向ったのだ。
    そうか、こんな暑くてもキンツバを買う人っているんだなぁ‥。
    キンツバを旨そうに頬張る父さんを眺めてて、オレはまたひとつ大人の世界を知れた気がした。

     父さんが、キンツバを食べながら外の屋台から戻ってきた
    「そうだおまえたち、まだ3時前だし、このまま粟又の滝あわまたのたきに行かないか?」
    せっかくここまで来たので、ついでに別の記事ネタも取材してしまおうということだった。中々効率的な判断だ父さん、さすが大人だな!
    もちろんオレたち3人に異存などない、いやむしろ大歓迎だ!夏休みはこうでなくちゃな!
    そうと決まれば時間が惜しいぞ。オレたち3人はカキ氷を急いで掻きこむと、そそくさと車に乗り込んだ。
    オレたちの乗った白いスプリンターは、今度は来た道を逆戻りだ。老川小学校前のグルグルカーブをさっそうと駆けおりて国道465号線の交差点に一旦出たら、今度は大多喜の町ナカ方面には曲がらずに、そのまま真正面の県道178号線で山の中にズンズン突き進む。
    県道に入るとすぐにアスファルトが途切れ、代りに砂利道になった。
    ガボゴボ、ドコドコ!
    タイヤがひっきりなしに砂利を蹴散らす音がする。揺れや振動もなかなか凄い、こりゃーちょっとしたアドベンチャーじゃないか、わくわくだぞ!
    そんな塩梅で走ること20分、山間やまあいに切り開かれた段々畑や田んぼ、崖の脇を通り抜けて最後に大きな峠道を越えると、道の向こうにポツンと大きな旅館が見えてきた。父さんは、その旅館 滝見苑の前に車を停めた。
    停まった瞬間、たった今うちの車が巻き上げた砂埃が、背後からオレたちを追い抜いていった。同じ大多喜町内なのに、なんだかオレたちは、もの凄く遠くに来たような気がした。

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    (Google MAPにルートを入れてみました 旧道を通ってます)

    「おー日報にっぽうさん、いらっしゃい!(※7)」
    旅館の前で水を撒いてたオジサンが、父さんに声をかけた。
    その声に父さんはニヤッと笑い「今日は子連れオオカミですよ」と‥。
    どんな挨拶だいそりゃ!
    父さんは粟又の滝あわまたのたきの取材で来たことを告げると、旅館のオジサンに車を停めさせてもらってた。
    さぁーいよいよ粟又の滝あわまたのたきだぞ!父さんはカメラをぶら下げ、そしてオレたち3人は海パン姿で、旅館まん前の地獄の入り口みたいな赤い柱の謎めいた門をくぐり、崖の斜面伝いに凡そ一人分の幅しかない通りをソロソロと並んで降りていく。

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    (地獄へ通じそうな粟又の滝の謎めいた門 不気味な石像までありました 2011年頃まで現存)

    次第にザーザー流れ落ちる水の音が大きくなってきた、程なくしてなだらかな岩の斜面を、景気よく流れ落ちる大きな滝が視界いっぱいに広がった。
    うん、久しぶりの粟又の滝あわまたのたきだ!
    この滝は、入り口のヘンテコな謎門の看板の通り『養老ようろう(川の)大滝おおたき』とも呼ばれており、大きな滝=大多喜町の名の由来とも云われている。

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    (粟又の滝と滝つぼの様子 川面の色の濃い部分が深いところで、最大5.8mあります。)
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    (粟又の滝 全景 撮影はInstagramのお友達モンチャッカ星人さん 2022年撮影)

    「おまえたち、粟又の滝あわまたのたきで水遊びしてきなさい、滝つぼは深いので注意な」
    OK!父よ、またまたその言葉を待ってました!
    オレたち3人は海パンのままで、ユーイチはもちろん浮き輪を持って、この養老川の川岸から飛び込み、滝に向って泳いでいった。そしてオレたちはまたここでも川遊び全開だ!
    しかしここは弘文洞こうぶんどうより山が深いからなのか、アブラゼミとミンミンゼミの鳴き声がものすごい、これがよくいう『蝉せみしぐれ』というやつか?なんにせよこりゃー明らかに騒音レベルだわ‥、あまりにやかましいのでキンチョールもってくればよかったぞ(ヲイ!)。
    軽くセミPowerに圧倒されるオレたちだが、そんなオレたちをモデルに、父さんがまたもやパシャパシャとカメラで写真を撮り始めた。ここでもオレたちは新聞記事の取材モデルをしているわけだが、ようはさっきの弘文洞こうぶんどうの時と同様に、粟又の滝あわまたのたきを背景に水遊びする子供たちが撮れりゃよいのだ。なのでオレたちは相変わらずカメラを気にすることなく散々好き勝手に川遊びをした。
    しかしここはさっきの弘文洞こうぶんどうの川よりずっと水が冷たい。源流に近いせいか、山から染み出たそのまんまの冷たい水なんだろうか。それに川底が弘文洞こうぶんどうより深くて水の量も多く、さらに日陰がちだから中々水が温まらないんで、こんなに冷ひやっこいんだろうな。
    そういや去年、やはり父さんの取材でこの滝の上の河童渕かっぱぶちと呼ばれるところでも泳いだっけ。あそこは物凄く深いところがあってちょっと怖かったけど、でもそこの水は真夏なのにエラく冷たかったな、まぁーあの水が滝を下って降りてきてるんだ、そりゃー冷ひやっこいわけだわ!

     粟又の滝あわまたのたきの滝つぼは最大で6mほどの深さがあるらしいが、滝つぼから離れたところはそれほど深くはないので、息継ぎできないユーイチでも浮き輪があれば特に問題ない。そう、問題なく浮いてられる。
    オレとクニオは、そんな浮き輪のユーイチを尻目に、粟又の滝あわまたのたきの乾いた斜面脇を登り、滝の水とコケでツルツルすべる中腹あたりから、その滝の流れにまかせて滑り落ちて遊んだ。そのうちオレたち兄弟は軽くエスカレート、滝つぼでぷかぷかやってるユーイチめがけて特攻ごっこだギャハハハハ!

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    (昭和の大多喜キッズの天然ウォータースライダー、100mのなだらかな滝面を持つ粟又の滝。現在は水難事故多発のため滝スライダーは禁止です。令和のよい子は絶対真似しないように!)

    そうそう、こういう遊びはウォータースライダーというそうだ、最近テレビで知った。7つの流れるプールがあるという都会の遊園地としまえん(※8)に、今年はウォータースライダーが登場して凄いぞ楽しいぞー!と散々テレビ番組やCMでやってるんだけど‥、よくよく見たらアレは今まさにオレたちが遊んでる粟又の滝あわまたのたきの滝滑り以外の何物でもなかった。しかもこの粟又の滝あわまたのたき滑りに比べたら全くスケールが小ちっちゃく全く子供だましで幼稚だ。有名な7つの流れるプールでさえも、この壮大な大自然100%の養老川や夷隅川に比べたら所詮しょせんオモチャにしか見えないぞ。
    都会の子たちよ君らはそれで満足か?都合よく大人に騙されていないか?今こそ内なる野生を目覚めさせる時だ、己の魂の叫びに向き合うんだ!
    そんなわけで、この夏は親を説得して大多喜に来て、そしてぜひ本物を知ってほしい、ここには君たちが夢にまでみた欲してやまないサムシングがきっとある!うん間違いない、オレにはわかるんだ!
    大多喜は君を待っている!(キリッ)

     オレたちがユーイチめがけてウォータースライダー特攻隊をしていると、ふと滝の頂上に、様子を窺うかがうように立つ海パンの子供がいるのに気づいた。スラッと細く、泳ぎがとっても得意そうな感じの子だ、外遊びが好きなのか日に焼けて浅黒い。背の高さから学年はオレと同じぐらいかな、雰囲気から観光客じゃなさそうだぞ、この粟又あわまた集落の子か?
    せっかくだからとオレは声をかけた
    「おーい君きみ!一緒に遊ばないか!」

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    ちなみにオレは、知らない子には「君きみ」と声をかける、気遣いが出来て優しく礼儀正しいジェントルメーンなのだ。
    その紳士なオレの声にこたえて、男の子は流れに足を取られることもなく、滑る滝の斜面をひょこひょこ器用に歩いてこっちにやってきた。
    「ニシらオーダキん町ナカん子け?ほぉーけほぉーけ(房州弁翻訳:君たちは大多喜のマチナカの子かい?そうかそうか)」
    彼は三郎太さぶろうたといった。どうやらこの滝の上の河童渕かっぱぶちの近所に住んでるようだ。
    「こんキュウリやるけんよぉ食べんなよぉ、バーチャンさが糠ぬかで漬けてくれてるもんだでサァー、夏場にゃいぃんだぉー(房州弁翻訳:このキュウリあげるよ食べなよ、おばあちゃんがヌカで漬けたもので、夏には最高なんだ)」

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    (粟又の滝で出会った三郎太は、キュウリが好きな、本当にカッパみたいな子でした。)

    三郎太は中々イイやつで、どこからか取り出したキュウリの一本漬けをオレたち兄弟にそれぞれ分けてくれた。ぬか漬けの酸味と塩気も心地よく、またこれがよく冷えてて旨い!本気で旨い!プカプカ浮き輪で川面に漂うユーイチにも、ひょいと背中あたりからキュウリを出して手渡ししてた。
    夏にはこういうのイイもんだなぁー、今度母さんに作ってもらおう。
    オレたち兄弟と三郎太は、そこから粟又の滝あわまたのたきのウォータースライダーで散々盛り上がった。さらに三郎太は地元の子だけあって粟又の滝あわまたのたきに詳しく、この滝で安全に長く滑れるコースみたいなのも教えてくれた。
    なんでも滝の頂上から最初は中央やや左側から滑り出してその後は真ん中あたりに滑りながら移動するようにし、上から数えて2段目の段差のところで、今度は滝の右側に滑りながらコース変更するんだ。そうすることで滝のはじまりから滝つぼまでの落差30m、そして100mもの滝面を一度も中断することなく、ずっと滑っていられるんだ。
    三郎太に教えてもらったこの滝滑りコースを滑ることで、しばらくしたらオレら兄弟ともに滝の天辺から滝の下まで一気に滑り降りられるようになってたんだ。あぁーこりゃ確かに楽しいわ!!
    さすが粟又あわまた集落の地元の子はよく知っている!オレたちだけでは精々滝の中腹からの滝滑りで終わっていたな。

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    (粟又の滝の最上部からの滝滑りコース 2段の段差を越え100mの滝を滑り降ります。)

    しかし浮き輪のユーイチは、滑ることはまだしも、滝つぼに落ちたあと泳げないから全てお預け、オレたちが滝滑りを満喫しているのを恨めしい顔でさっきから見ている、物凄く悔しそうだ。
    そんな指をくわえて眺めてたユーイチだが、流石に我慢できなくなったようで、突然「うぉぉぉぉぉ!オレもやるんだオレにもできるんだ!!」と吠えたかと思うと、滝の脇道を一気に頂上まで駆け上がり
    「どけどけみんなぁー、オレが行く!イヤッホォッホォォォーーーイ!」と派手に奇声を上げて、滝の天辺から滑り落ちた。もちろん浮き輪をしたままではある。
    案の定ユーイチは滝を滑り落ちるまでは良かった、良かったんだが‥、
    派手に水しぶきを上げて誰より激しく滝つぼに飛び込んだユーイチは、浮き輪を川面に残したまま、自身は浮き輪からスポンと抜けて滝つぼの底へ沈んでしまい、なかなか浮いてこなかった。
    ‥オイオイ!
    オイオイオイ!!
    だから言わんこっちゃない!

    ユーイチが浮いてこないのを知るやいなや、三郎太は「かぁー、こりゃおいねぇわ!(房州弁翻訳:うわーこりゃまずいわ!)」とドングリ眼まなこをきょろきょろさせたが、すぐさまこの滑る滝の斜面を物ともせず、シュババババッと一気に駆け降りてきた!
    そして滝つぼの手前で軽くジャンプをしたかと思うと、そのまま背筋をピンと伸ばして川面に飛び込んだ。
    ここまで、まるでオリンピック選手のような華麗すぎる飛び込みだ!

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    「なんだなんだ!凄すぎるじゃないか三郎太よ!」
    三郎太の、この疾風はやての滝面ダッシュに、並の小学生を超越したあまりに見事な飛び込みと、色々あっけに取られるオレたち兄弟だったが‥、少ししてその三郎太がユーイチの腕を肩に担いで滝つぼから浮かびあがってきたときは心底ホッとした。

     浅瀬に引き上げたユーイチを心配して取り囲むオレたちだったが、幸いユーイチの意識はしっかりしており、変に水も呑んでいないようだった。
    しかし絵に描いたようなカナヅチだなユーイチよ、もう泳がないほうがいいんじゃないか?なにより貴様のためだ。
    そんななか、三郎太がユーイチに話しかけた
    「ニシは息継ぎ出来ねんだっぺ?アンにしてもよぉ無理はオイネェっぺよぉ、だけんが漢気おとこぎあるんはわかった!(房州弁翻訳:君は息継ぎできないんでしょ?何にせよ無理しちゃいけないよ、だけどオトコギあるのはわかった!)」
    続けて三郎太がいう
    「ちっとコエっつらしいかもしんねぇけんど、ハァー息継ぎ練習やんべか、あじする?(房州弁訳:ちょっと面倒かもしれないけど、まぁ息継ぎ練習やろうか、どうする?)」
    ユーイチはちょっと照れながら「‥お、おぅ!」と答えた。

     そこからユーイチの泳ぎの特訓が始まった。川の水が腰辺りまで浸かるところで、三郎太はユーイチの両手をしっかり掴んで沈まないようにし、まずは息継ぎの練習だ。それがある程度できるようになったら、次は息継ぎをしながら泳ぐ練習。元来世話好きなのか、三郎太はユーイチに丁寧に細かく、ときには実際にゆっくりやってみせてコーチしてくれた。それをアレやコレやと甲斐甲斐しくサポートするオレとクニオという構図だ。
    父は、川岸からそんなオレたちを遠目に眺めていた。
    ほどなくしてユーイチはコツが掴めたようで、あれほど難儀した息継ぎが苦もなくできるようになっていた。今では河童かっぱみたいにスイスイ泳いでいる、ハチマキ河童かっぱってとこが少し奇妙だがな!
    でもさっきまで浮き輪を使ってたのが嘘みたいだ。
    何にせよ、水泳番長な三郎太の教え方がとても上手だったことと、オレたちの決死のサポートが功を奏そうしたようだ、一同は妖怪ハチマキ河童かっぱと化したユーイチを囲み、万歳三唱ばんざいさんしょうをした。
    まぁ泳ぎなんてのはちょっとしたコツなんだ、分かった瞬間から普通にできるようになる。基本的にユーイチは元々運動神経もよく、泳ぐこと自体には大きな問題はないんだろうけど、息継ぎだけがどうしてもうまくできずに、ずっとまともに泳げなかっただけなんだ。
    そんなユーイチはというと、もちろんめちゃくちゃ大喜び!喜びすぎて終いには三郎太に浮き輪をプレゼントすると言い出した。
    おいおいオマエの親に怒られないか?オレは知らないぞ?
    ユーイチが言うには、なんでも泳ぎを教えてくれたお礼と、永遠に変わらぬ厚い友情の証だそうだ。
    「いいか三郎太、この浮き輪と夜空を見上げるたびに思い出すんだ、オレは漢おとこだユーイチだ!」

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    (この浮き輪と夜空を見上げるたびに思い出すんだ、オレは漢「おとこ」だユーイチだ!)

    何かカッコいいことを言ってキメたかったのはわかるが、どうにも意味不明な決め台詞を吐いてしまったユーイチだった。
    オレたち兄弟は、こみ上げる笑いを必死に我慢した。

     川岸にしゃがんでタバコを吸ってた父さんが、不意に立ち上がって声をかけてきた、そろそろ5時になるので帰るぞ、と。どうやら新聞記事用の写真も既に撮り終えたようだ。
    それにしても、もう5時か早いな!そういやセミの声が、あのキンチョール撒きたくなるほどやかましいミンミンゼミやアブラゼミから、どこか物悲しいヒグラシゼミの『カナカナカナ~』に切り替わっていた。
    「三郎太また会おうな!町に来たら一緒に遊ぼう!」
    オレたちはそう約束をし、父が待つ川岸に上がった。振り返ると三郎太がこっちを見て手を振ってた。ユーイチからのプレゼントの浮き輪を肩にかけている。オレたち3人も手を振り返した。
    そして来た時と同じ崖の斜面の細道を、今度は並んで登り、旅館に停めてあった車に乗り込んだ。
    車が走り出すと、何気に安堵したのか今までの疲れが一気に押し寄せてきたようだ、体中が猛烈にダルい。水遊びってのは楽しいけど、水の抵抗が大きいせいなのか、調子にのって遊んでると必ずあとでドッと疲れがくるんだよなぁ‥。ふとクニオやユーイチはどうかと様子を見ると、やっぱりコイツらもヘタバッてた。よかったオレだけじゃなかった。
    元気なのは川岸でのんびりタバコを吸ってた父さんだけだった。

     車の中は、来た時と違ってみんな静かだ、オレたち3人はヘタバッて声も出ないんだ。そんな中、父さんが静かに聞いた
    「ユーイチはあんな短い時間で泳げるようになったんだな、見てたぞすごいな。ところで浮き輪はどうしたんだ?」
    それまで父さんの後ろの席でグテッとヘタバッてたユーイチは途端にピシッとなり答えた。河童渕かっぱぶちの三郎太に息継ぎを教えてもらって泳げるようになったと。浮き輪はそのお礼で三郎太に上げたことを父さんに話した。
    父さんは不思議そうな顔をして、今度はオレに話かけた
    「河童渕かっぱぶちの子?そんな子いたか?ずっとオマエとクニオがユーイチに泳ぎの練習してやってたじゃないか?」
    え?え?父さんには三郎太は見えなかったのか?
    それを聞いてたクニオやユーイチも怪訝けげんな顔をしだした。
    「‥ほぉ、この科学万能の20世紀に興味深いな。」
    父はひと言そういうと続けた
    「その子は、河童渕かっぱぶちの河童かっぱだったのかもな。その昔、子供を川に引きづり込んでは溺れさせてたが、ある時お坊さんのお経を聞いて心を入れ替え、今度は溺れる子供たちを助けるようになったんだそうだ(※9)。」
    んー、我が父が言ってることがよく分からないが、つまりこういうことか?
    つまりユーイチは河童渕かっぱぶちの河童かっぱに泳ぎを教わったということか?
    ‥確かにこの町は自然がいっぱいだ、自然がいっぱいすぎて猿に鹿にイノシシ、タヌキにアナグマ野うさぎが、今日も元気に山野を駆けまわっている。減ったとはいえどうやらキツネもまだいるらしい。
    その上ここには本物の妖怪までいるっていうんかい?
    やれやれ大多喜はホントにスゲェところだな‥。
    でも父さん、オレたちをからかっているのは全部お見通しだ!
    怖いからただちにやめるんだ!

    1977年(昭和52年)の小学5年生の夏やすみ、
    この日ユーイチは泳ぎを覚えた、カッパ淵の辺りに住むという少年「三郎太」の手解てほどきによってだ。
    でもこの日以来、オレたち3人は彼に出会えていないんだ。離れているとはいえ同じ町内なのに、不思議とそれっきり出会うことがなかった。

    三郎太よ、君はもしかして本当に‥
    いやいや、やめておこう。

    大多喜町、道を行くもの人のみに非あらず‥

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    (三郎太は、今も夜空を見上げてユーイチを思い出してくれてるだろうか?)

    【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。

    【解説】
    (※1)加賀屋(かがや)は、昭和の大多喜町のチビッ子が大好きな駄菓子屋の一軒。当時の大多喜には、他に人気を二分する駄菓子屋『ばくだん屋(かんむき屋ともいう)』があった。現在は2軒とも既に店を閉めて大分経つ。
    (※2)ユーイチはミズノの金色の金属バットを、クニオは大人用の木刀を常に持ち歩いていた。理由は単にカッコイイからだろうと思う。
    (※3)「バクダン屋のテーマソング」とは、駄菓子屋の一軒バクダン屋のくじ引きが見事なほどに外れクジばかりで、明らかに子供たちを騙し暴利を貪っているという一方的な思い込みから、やはり一方的に皮肉を込めて我々一同で作った歌だ。くれぐれもバクダン屋の前で歌ってはならない。
    詳しくはこちらのお話を参照 ↓
    act:14-オレの夏やすみ 大多喜の愛と平和を守るため【定例パトロール編】
    (※4)千葉日報(ちばにっぽう)は、千葉県の県域地方新聞。1956年社団法人として設立・創刊。1958年株式会社化。現在も千葉県南部を中心に地域に根付いた県紙として有名である。私の父は、この千葉日報の大多喜支局・支局長(新聞記者)として、大多喜町、いすみ市、御宿町、勝浦市を担当区域としていた。
    (※5)キタゴーリ(北郡)少年、サナダ隊長と同様に火薬類や飛び武器に必要以上の執着を持つ好敵手である。彼のTVアンテナの金属パイプを再利用した火薬式の手作り銀玉鉄砲は、現在では問題になるレベルの破壊力を有する(ほぼ火縄銃)、隣村の西部田地区に住み、休日は武器弾薬類調達のため、その補給所である駄菓子屋(バクダン屋や加賀屋)でよく鉢合わせし、お互いに緊張・牽制しあう仲、サナダ隊長より1歳年下。詳しくはこちらのお話を参照 ↓
    act:21-ボクはヒロツン、今日は親友の北郡くんと隊長の乱射事件を話そうか
    (※6)この時代、写真はフィルム式の一眼レフカメラで撮って、フィルムを写真館で現像をしてもらい、またPCもFAXもない時代なので、手書きの原稿を先の現像した写真(ネガフィルム)と共に封筒に入れ、国鉄で本社がある千葉市に送っていた。
    (※7)父は、仕事で顔を出す先々で、よく「日報さん」と呼ばれていた。千葉日報の「日報」のことだ。
    (※8)としまえんは、かつて東京都練馬区向山三丁目に存在した日本の遊園地。西武グループに属する株式会社西武園ゆうえんちが運営していた。1926年(大正15年)より94年間営業を続け、2020年(令和2年)8月31日をもって閉園した。当時から7つの流れるプールを売りにしており、このお話の1977年には鳴り物入りでウォータースライダーがデビューしたのだ。田舎の子供だった私は、テレビを眺めては強い憧れを抱いていたものだが、よくよく考えたら今回のお話の通り、地元の粟又の滝の滝滑りの方がもっとすごいじゃないかと気づいてしまった。
    (※9)今回のお話の中で、我が父が話したカッパ淵の伝承とはこのことだ。参照元は房総半島夷隅郡の昔ばなしサイト「房総レジェンド」 ↓
    養老川のカッパ(房総レジェンドより)
    その他、この養老川の河童渕(カッパ渕)には、こんな伝承も伝わる ↓
    おみねとかっぱ(房総レジェンドより)

    ※今回、大多喜の良さが少しでも広まれば、そして過疎と高齢化の大多喜の観光促進の足しにでもなればとの思いから、弘文洞や粟又の滝の写真を多く入れています。その流れでフリー画像のphoto ACからもビューテフォーな写真も幾つか掲載させていただきました。すごいそphoto AC!
    → photo AC(写真AC)

    【皆様にお願い!】
    昭和のオッチャンから令和のチビッ子たち、そのお父さんお母さんへご理解とお願いです。

    このお話は、今から半世紀ほど昔の、私の個人的な思い出話です。
    21世紀の現在、粟又の滝や滝つぼでは毎年のように悲惨な水難事故が多発しているため遊泳禁止、滝スライダーも禁止になっており、また滝の川岸では火気厳禁、キャンプも禁止となっています。なにより半世紀ほど前の記憶を元にしていますので、現在では滝つぼの深さや位置、滝面自体も川の浸食で削られて大分変っていることと思われます。どうか安全な場所での川遊びにとどめておいてください。
    そしてこの滝の上流の所謂「カッパ淵」は遊泳禁止にはなっていないと思いますが、本当に深いところが多く、水難事故の可能性が高いので近づかないようお願いします。

    大多喜町MAP 昭和50年代(1970年代)

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    (養老渓谷へは、大多喜城の手前の道から西部田を経由して山中を通り中野に出て、そこから国道伝いに老川まで行きました。)

    【大多喜無敵探検隊-since197X オレの夏やすみ 夏の一日編 Link 】
    今回ダラダラと話が長くなり、年を越して結局3部作になってしまいました。大変見づらくて申し訳ありません ↓

     
     
    昭和50年代 / 1970年代、千葉県 房総南部の大多喜町で過ごした子供時代の思い出話集です。しかし挿絵や写真は私が用意した物なのでヘッタクソです。房総半島 夷隅郡市の昔ばなし継承サイト「房総レジェンド」スピンアウトストーリーでもあります。その他、駄文散文WEBLOG雑記など。

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