
植芝理一が好きって話|『夢使い』『ディスコミュニケーション』『謎の彼女X』『大蜘蛛ちゃん』感想エッセイ
植芝理一が好きだ。
『夢使い』『ディスコミュニケーション』『謎の彼女X』『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』など、長年作品を追っている。
特に好きなのは『ディスコミュニケーション』だ。
今まで植芝理一作品の感想を書くことはなかったのだが、『ディスコミュニケーション』の再読を機に個人的な思い出も含めて書いてみようと思う。
小学生、植芝理一との出会いは『夢使い』
小学生の頃、『夢使い』の1話目を読んで「ヤバいもん見ちゃった…」と動揺したのを覚えている。
衝撃の出会いだったのだ。
小学生の頃、私の家にはパソコンがあり、ネット環境も整っていた。
新しいモノ好きな父親のおかげで、一般家庭にインターネットが流通しきる前からネット文化に触れていた。
その頃のYouTubeといえば、今とは違いぜんぜん流行っていなくて、最初「海外の怪しいサイトに繋いじゃったのかな…」と思ったくらいだった。
怪しいサイトでないことを知ると、自分の好きな単語をひたすら検索する。
「夢」「魔法」「曲」「不思議」「リュウグウノツカイ」「コウモリ」
動物やちょっと不思議でマイナーなものが好きだった。
小学生ならそういう時期があると思うが、オカルトやホラー話にもハマっていた。
そしてふと出てきたのが、植芝理一原作の『夢使い』のOPだった。
一目見て気に入った。
音楽もモチーフも絵柄も好きだし、元から決めゼリフの元ネタである江戸川乱歩も好きだ。
これの原作があるなら是非とも読んでみたいと思った。
『夢使い』の原作を試し読みで読んでみた
『夢使い』をどうしても読みたくて、当時は珍しかった試し読み機能で1話目を読んでみた。(今思えばこういうのが電子書籍の前身かもしれない)
当時はYouTubeでアニメも数話見られたので、原作もそんな感じの「不思議な事件を、主人公たちが解決する」というファンタジーを予想していた。
が、原作はぜんぜんそうじゃなかったのだ。
いや、ある意味ストーリーはそれで合っていたのだけど、1話目だけで、女の子同士の恋愛、オカルト、失踪事件などの要素が散りばめられており、冒頭から女の子同士(実は片方は女装した男の子なんだけど)でキスしている。

漾子はいわゆる「男の娘」だ。
フェティシズム要素満載で倒錯しきった世界観に、私は圧倒された。
「どうしよう…やべぇモン見ちゃった…」
こんなんただのヘンタイのエロマンガじゃないか。どう考えてもヤバすぎる…。親がいない時で良かった…。
今では、植芝理一だしまあこういうもんだよな〜と思ってスラスラ読めるのだが、当時は子どもで初見だったし、特に夢使いの初期「夢の卵編」は、同性愛や近親相姦などいろんな要素がモリモリすぎて愕然としてしまった。
植芝理一の一番濃ゆいところを一番に先に知ってしまったのである。
一方で、それだけではない何かも感じていた。
独特なファンタジー、事件要素が相まって、展開が気になるし、画力もあるし、独自の描き込みも好みだし…ヘンタイ的だということをスルーすれば良いだけなんじゃないか???
ヘンタイ抜きで考えれば良いのだし、その後のストーリーを読んでみたい。
そう考えた私は、衝撃の試し読みからしばらくして古本屋で植芝理一の作品を探した。
意を決して『夢使い』の1巻を買い、ついでに『ディスコミュニケーション』という前作も買った。(これがまたマニアックだけど素晴らしかった)
小中学生の頃はお金がなくバイトもできなかったので、当時の友達とともに古本屋に通っていた。
絶対友達といる時は買いたくない。
そう心に誓い、1人でレジへと向かう。
帰って先を読み進めると、その後も倒錯したヘンタイ要素だらけで、「どうしよう…」の連続だった。
けれど、同時に「どうしよう…」で止まらせない吸引力も感じていた。
「ヘンタイ」だけど「純粋」
さらに進めていくと決してヘンタイ的要素だけではないのだと気づいた。
圧倒的な描き込みやマニアックなストーリーの中に、純粋さや切なさが散りばめられていたように思えた。
植芝理一の作品は間違いなく「ヘンタイ」だ。
けれど、「純粋」なのだ。
そうして私は、『夢使い』を読み切り、『ディスコミュニケーション』を読み始めた。
『ディスコミュニケーション』感想|植芝理一作品に感じるノスタルジー
『夢使い』や『ディスコミュニケーション』を読むと、自分が生まれる前の知らないはずのノスタルジーが胸に浮かぶ。
私は古本屋通いと、昔の再放送アニメを祖父が撮ってくれていたせいか、親世代の作品に一部馴染みがあった。
だからか、植芝理一や高橋留美子(『うる星やつら』とかね)なんかの描く世界観には、懐かしさを感じてしまう。
『うる星やつら』のアニメや映画はほぼ全て観たし、その「SFやファンタジーも入り乱れた日常学園モノ」というジャンルには、ある種のノスタルジーがあった。自分が生まれる前の作品なのに笑
『ディスコミュニケーション』でおそらく一番難解な「冥界編」を読んだ時は、うる星やつらの『ビューティフルドリーマー』という、同じく難解な映画が既視感として浮かんだ。
こういった作品を敢えて言語化するのは野暮な気がして、今まで感想を書くこともなかったのだが。
人は生まれる前どこにいたんだろう?
死んだらどこにいくんだろう?
どうして私は何かを好きになるんだろう?
私はこの頃からずっと恋愛に興味がなかったし、長生きする自分も想像できなかった。
けれど人は簡単には死なず、将来が否応なしに訪れると知り憂鬱だった。
中高生の時は特に、学校は私にとって退屈な場所だったから、色んなフィクションを齧り、現実逃避をしながらどうにか日々を繋いでいた。
そして今、どこがどうなってこうなったのかわからないが、私は結婚している。そして最近ふと植芝理一の『ディスコミュニケーション』の新装版を再読してみた。
(新装版は未収録話や、植芝理一の新旧のコメントなどが収録されている)
ヘンタイ要素は抜きにして、私も戸川と松笛が考えたように「学生の頃の旦那に会ってみたかったな」と思った。
もちろん、彼は男子校出身だし、私もスレた性格をしていたのでもし出会っていても仲良くなったりすることもなく、そもそも話すらしなかったかもしれないけど。

松笛が自分が出会う前の戸川を知りたいと、学校の主に映像を見せてもらっているシーン。
制服で一緒に登下校したら楽しかったかもしれないな。
今の自分で同級生になれていたら楽しかっただろうな。
そんな純粋な気持ちが湧いてきた。
旦那だけでなく、「もっと前に出会っていたら、今より仲良くなれたり友達になれたのかもしれない」と思える人が何人もいた。
『ディスコミュニケーション』には特に、そんな郷愁を感じる。
『謎の彼女X』と『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』は学校嫌いな私でも送りたい学校生活が描かれている
『謎の彼女X』は、植芝理一の作品で一番メジャーで、一般ウケしたと思うが、これを読んでも最新作(と言っても数年前なんだけど)の『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』を読んでも、学生って楽しそうだなあ〜と思う。
相変わらず全作品フェティシズムに溢れ、ヘンタイだけど、こんな自由な世界でならもう一度学生をやってみたいとも思える。
学校なんて大っ嫌いだったのに笑
植芝理一の原画展があったら良いのにな
植芝理一は、基本アシスタントなしで描いているらしい。
あの描き込みを全て1人で描いてるのには感嘆してしまう。
マイナーだからムリかもしれないけど、個人的には是非とも原画展を開いてほしい。
アナログの原稿が本当に好きだ。
あの描き込みを見て、
「エエェーッこの細かいページも全部1人で描いてるの?!」
と驚きたいし、
「ワッこの同じような絵が並ぶ場面なんか、絶対コピペが楽なのに全部描いてるんだ?!ヤベー」
と、興奮したいし、
「うわあ!こんなシーンもあんなシーンも全部手描きで描いてるんだ!やっぱり植芝理一ってヘンタイだな!!」
って引きながら眺めてみたい。
そして私は「買うつもりなんかなかったのに…」とぶつぶつ言いながら、原作絵のグッズを少しだけ買って帰るのだ。
まとめ 心に残る作品というのは
植芝理一は、決してメジャーな漫画家ではないかもしれない。
今後新作が出ることもないのかもしれない。
けれど一生心に残る作品だと思ってる。
心に残る作品というのは、敢えて言葉にしなくても良いし、話せる人にふとネットなんかで出会えるとうれしいものだ。
絶対リアルでは話題に出せないけどね笑
だって植芝理一ってばヘンタイだから笑
おしまい。
植芝理一の作品たち
やっぱり植芝理一といえば『ディスコミ』!
新装版は当時のアフタヌーンに載っていたその話ごとのコメントや、発売時書きおろした長文コメントなどもあって良い感じです。
未収録の話も収録されてるよ!
描き込みでいえばこの頃が一番好きかもしれない。
3巻までの「虹の卵編」がフェティッシュすぎて、よくぞ小学生当時の自分も読めたよなあと思う。
今でも凄すぎて読み飛ばしそうになるシーンがある笑
4巻以降は『謎の彼女X』に通じる絵柄や内容の変化もあって、一般ウケしやすくわかりやすい描写になってきてる。
これが一番知名度のある作品かもしれない。アニメもあるよ!
初期の廃ビルだったり、夢で2人で踊るシーンなんかはディスコミ感も感じるし、「涙を飲む」→「よだれを舐める」ってところがなんだかんだ地続きだよなあ…と。
実はこの頃〜今の絵柄も好きなんです。好みってやつですね。
お母さんを大好きな息子が主人公…最初は「お母さんは難易度が高すぎるやろ!」と思ったけど、何だかんだ読めるようになっているあたり、ディスコミや夢使いの時代よりもずっと読者に受け入れられやすい描き方をするようになったんだなあと。
普通に大蜘蛛ちゃん可愛くて大好き笑
なんだかんだこういうストーリーになったのは、植芝理一の変遷だなあと思う。昔の作品だったら絶対こういうラストじゃなかった。
そういえば、ねこぢるも古本屋文化で出会った作品のひとつだ。
植芝理一の作品は、話によっては敢えて言語化するようなものではないんだけど、いずれ個別に感想・考察を書いてみたい。
他の記事も書いてみたのでぜひ。
ではでは。