
山椒の香りと母の記憶
金曜日の夜、処理する時間がなくて、そのままにしていた職場からもらった野菜を常備菜にしようと思って1人キッチンに立っていた。
2人家族だから食材をたくさんもらっても消費が大変なのだけど、捨てたくはない。たんまりいただいたきゅうりを糠床に埋めたり、ハリハリ漬けにしたり。
今年の梅は昨年初めて作った梅干しが、梅シロップより好評で、「全部梅干しにしてくれ」というめがねさんの要望にこたえた。
そして山椒。枝付きのままだから、一粒一粒実を枝から外す。山椒のいい香りがする。でも面倒くさい。金曜日の夜だから時間にゆとりもあるからいいんだけど。
山椒仕事をしながら、ふと母のことが頭に浮かんだ。
私の母は本当にマメな人だ。料理も上手で、家はいつも整っていた。
昔は住み込みの職人さんがいて、祖父母がいて、子供が4人いて。そんな環境でも母はいつも母だった。手を抜いている姿はあまり記憶にない。
そんな母が窮屈で仕方なかった。自分がそうだから、あなたもそうでなければならないと、考え方や行動を支配されているような気分になることもあった。だからずっと「早くこの家から出たい」とばかり考えていた。
でもそれは私が思い通りにならなかったことだけ切り取って記憶に残してるのかもしれない。最近そんなことを考えるようになった。
ふと「お母さんってそういえば、お弁当のおかず全部手作りだったよな」って思った。
時代もあるけれど、その頃は今ほど冷食の種類が豊富ではなかった。それでもウインナーやミートボール、チキンナゲット的なレトルトはあって、友達のお弁当はそれらを使って可愛く彩られていた。
そんな中、私のお弁当のおかずは茶色で。一度焼き鯖を入れられていたことがあったのだけれど、思春期の私はそれがすごく恥ずかしくて、爆速でお弁当を食べて、すぐに蓋を閉めた。
家に帰って「鯖は入れて欲しくない」と母に言うと、「文句言うなら自分で作りなさい」と怒られた。
自分で作ってみたけれど、うまく詰めることができない。お昼休憩にお弁当箱の蓋を開けたら全部片方に寄っていて、それはそれはひどいありさまだった。母に謝って、次の日からはまた茶色のお弁当を学校に持って行った。
その当時はひどくミートボールや、ウインナーに憧れたけれど、今食べると美味しいとは思わない。
鯖に関して怒られたことは、いまだに納得がいかないけれど、レトルトや冷食のおかずが入っていたことはほとんどなかった。だから母のお弁当はいつも美味しかった。
そういえば、カルシウムのタブレットを食べさせられたり、誰から勧められたのか知らないけれど、ミキプルーンときなこを練って作った団子を、嫌だと言ってるのに毎日口の中に入れられたっけ。あれは鉄分とイソフラボン摂取のつもりだったのかもしれないな。
母も子供の健やかな成長とか、不器用だけど真面目に考えてくれてたんかもなと思ったら、1人で笑えてきて、母が愛おしくなった。
「母のようなお母さんには絶対ならない」
そう思っていたから、娘の考え方を否定することはしないようにはしてきたけれど、私の母親像は母しかない。だから、いくら母を否定したって、私は他を知らない。
でも今、私が娘にしていることが、母を見て育った結果なのだとしたら、私も十分に大切にされていたんじゃないかと思うようになった。
今日も娘から「性格ブス」と言われた。
私は母にそんなこと言ったことない。
だから娘の方がずっと正直なのかもしれない。