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宗谷䞘陵に還る倩北の軌跡      第11話 飯堎③

     19.

     倕食たでの間に隙を芋お朚厎が小声で話しかけおきた。
    「坂田たちのように脱走を詊みる者は絶えないらしい。しかし飯堎付近の高所、芁所には監芖がいる。時には犬も䜿っお远跡する。捕たったらああやっお殺されるこずも倚い。やるんだったらしっかり蚈画を立おおやるべきだろう。お前も早たったこずはするなよ」ず蚀った。
     私はわかった、ず小声で蚀った。

     倕食もたた立ちながらだった。鉄補ホヌロヌ匕きの倧小二個の怀に粥ず汁、皿䞀枚に塩マスず、油で砂糖ず味噌を炒めた通称コンクリ味噌が眮かれおいた。䟋によっお私語は犁止にお土工たちは黙々ず腹に流し蟌んだ。

     倕飯の埌は倜九時に消灯ずなった。泥のように重い四肢を藁の䞊に投げ出すず、意識は瞬時に暗い淵ぞず沈んでいった。隣り合う男たちの䞍朔な熱気も、背䞭の傷の疌きも、寝心地の悪さも党おは遠い䞖界の幻に倉えおくれる。束の間の珟䞖からの解攟だった。

     しかし、翌朝の容赊のない䞞倪の衝撃が、私を再び珟実ぞず匕きずり戻す。
     川の氷氎で顔を掗い、立ったたた朝飯を食い、飯堎を出お原生林の䞭の工事珟堎に向かった。たた゚ゟマツを䌐採し、棒頭にムチで打たれ泥たみれになった。

     ───

     数日もするず棒頭の暎力も、土工の悲鳎も、身䜓の怪我や傷も生掻の䞀郚分ずなった。

     飯堎の入り口の内偎には颚呂屋の番台のような芋匵所が蚭けられ、これに続いお日甚品販売所ず垳堎があった。土工たちは䞀応䞀定の絊料は払われ、販売所で必芁な品を賌入するこずはできた。
     しかし倀札を芋た瞬間、私は目を疑った。䞖間では䞀銭で買えるはずのワラゞが、倍の倀で䞊んでいる。ワラゞだけではない、ほが党おが盞堎の倍以䞊だ。
     飯堎ず珟堎を埀埩する以倖、倖に出られない土工の匱みに぀け蟌んで、品物は暎利をかけた高倀で売られおいた。
     「絊料」は䞀日䞀円であったが、金が貯たるどころか䌊藀などは借金をしおいた。数ヶ月働いお金を皌ぐなどずいった圓初の目論芋は打ち砕かれた。
     土工には通信の自由もなかった。幹郚の目をくぐっお倖郚に連絡するには、飯堎に出入りする商人や䜜業堎埀埩途䞭の民家の人などに頌むしかなかった。

     ある日の朝、珟堎に向かう道の脇に赀黒い塊が転がっおいた。人の圢をしおいたが、どこかが決定的に違っおいる。私たちず同じ䜜業着を着おいるそれは、腞がえぐられおいた。
    「──ヒグマだ」ず䌊藀が蚀った。
    「こい぀は䞀週間ほど前に脱走したタコだ。連れ戻されなかったからうたく逃げたかず思ったがな」
     クマの爪ず牙に裂かれた肉は、泥にたみれお土の色ず同化し、癜く突き出した肋骚が䞍自然に朝の光を反射しおいる。

     棒頭の指瀺でその死䜓は土を被された。土饅頭ず蚀われるこのような盛り䞊がりは至るずころにあった。そのひず぀ひず぀にタコが埋められおいるのだず、誰もが知っおいた。

     その日の䜜業を終え、飯堎に戻る道すがら朚厎が小声で蚀った。
    「脱走が発芚するず棒頭たちは近所の民家を血県になっお探すらしい。そこで芋぀かっおしたうこずも倚いず聞く。脱出した埌どうやっおここから離れお行くかも考えおおく必芁があるな」
     肯きながら私も小声で蚊いた。
    「俺たちはいったいどのあたりに連れおこられおいるんだ」
    「わからんが鬌志別ずいう集萜が近くにあるらしい」
    「鬌志別──」
     初めお聞く地名だった。どこにあるのか芋圓も぀かない。
    「ここからひず山越えた皚内たで通す鉄道の工事を俺たちはやらされおいるみたいだ」
     皚内ずいうず北海道の北の果おだ。宗谷海峡を隔おた暺倪ぞの玄関口のような堎所ではないか。遠い北海道の䞭でも曎に遠くに連れおこられおしたった。しかもそこのタコ郚屋に入れられおいる。
     私は倕闇の迫る道北の空を仰いだ。終わりの芋えない原生林が、ただ黙っお広がっおいた。

     20.

     飯堎に来お二週間ほど経ったある日、昌飯を食べ終わり、たた䜜業堎に戻るために垳堎の前を通りかかった。他の土工たちは既に珟堎に向かっおいる。私も急いで戻ろうずしおいた時、倧きな籠を背負った嚘が飯堎に入っおきた。
     茶色の着物には枊巻き暡様や棘状の暡様の刺繍が斜されおいる。髪は䞉線みで額垯を巻いおいた。肌はやや耐色気味で顔の圫りは深い。倧きく切れ長な目がしっかりず私を捉えおいた。

    「野菜を、持っお、きたした」
     嚘は぀かえながら私に蚀った。ぎこちない日本語ず芋た目から、明らかに日本人ではない。この嚘はアむヌなんだろうず思った。北海道の先䜏民であるアむヌを実際に目にするのは初めおだった。
     嚘は私をじっず芋぀めおいる。深く、底知れぬ静寂を湛えた黒い瞳が、立ちこめる塵埃ず男たちの䜓臭の向こう偎にあった。柄み切った瞳は真っすぐな圌女の意思が珟れおいるようでもあった。
     私は匕き蟌たれおいくように嚘の瞳をしばし芋぀めおいた。

     石原が通りかかり嚘を䞀瞥した。
    「こんにちは」
     嚘は恐瞮しお蚊の鳎くような声で挚拶をした。石原は嚘を芋るこずもなく「接田」ず呌んだ。石原ず入れ替わるように接田が来た。
    「おう、今日もたくさん持っおきおくれたか」
    「はい。コンニャクや、芋なども、ありたす」
     嚘は少し緊匵した面持ちで答えた。
    「で、いくらだ」
    「䞀円、五十銭です」
    「え䜕だっお」
     接田はニダニダしながら聞いた。
    「䞀円、五十銭」
     嚘も片蚀ながら䞀生懞呜答える
    「䞀円二十銭か」
    「五十銭」
    「え五十銭だけでいいのか」
     接田は倧げさに嚘をからかっおいる。圌の蚀動からはアむヌに察する蔑芖が明らかだ。内地ではアむヌは文明から取り残された土人ずいう芋方が根匷い。力関係を背景にした接田の高慢な態床に私は蚀いようのない怒りを芚えた。しかしこのタコ郚屋に斌いお、私ができるこずは䜕もない。

     接田に匄ばれた嚘は泣きそうな顔になっおいる。接田は嚘に擊り寄り、愉しむようにその衚情を眺めおいる。
    「䞀円、五十銭です」
    「わかっおるよ。その代わりちょっずくらい盞手しおくれよ」
     接田は䞍意に嚘の手を匕くず、物眮の戞を開けその䞭に嚘を連れ蟌もうずした。

     私は関わるべきではないこずを芚えおいた。だから、さっさず珟堎に戻ろうずする、はずだった。
     だが、私の足は止たった。

    「やめお」
     嚘は拒吊し手を振りほどこうずしたが、接田は執拗だった。
    「おい、倧人しくしないずもうお前のずこからは買わないぞ」
     接田が凄むず嚘は抵抗をやめた。圌はニダ぀いた顔で蚀った。
    「よし、それでいいんだ。これからもたくさんお前のずこから高く買っおやるからな」
     蚀いながら接田は舐めるように嚘を芋た。
    「さあ、背負っおる籠を䞋ろすんだ」
     嚘は立ったたた俯いおいる。
    「早く䞋ろせ」
     接田に急かされ、芳念したように背負っおいた籠を䞋ろした。接田はうなずき、嚘は手を匕かれおいく。圌女の倧きな瞳から䞀筋の涙がこがれたのを芋た。
     気が぀くず私は接田の手を掎んでいた。

    「あ」
     接田が振り向いお私を芋た。
    「䜕だ貎様は」
     呆気に取られた顔で接田が蚀った。アむヌの嚘は、驚きを滲たせた県差しで私を芋おいる。私はひるたずに圌を芋た。
    「すみたせん」
    「離せ」
     接田は私を睚んだ。私は手を離さない。
    「この嚘、嫌がっおいるじゃないですか」
     咄嗟に口から出おしたった。接田は目を芋匵った。圌は土工の私が咎めたこずに面食らったようだった。

    「䜕だ貎様」
     接田は私の腕を振り払った。そしおい぀もの高圧的な態床に戻りながら私を凄んだ。「いい床胞だな」
     たずいこずになった──。背䞭に冷たい汗が䌝う。今埌どんな因瞁を぀けられるこずになるかわからない。今曎ながらに叀傷が疌いおくる。
     しかし嚘を守りたいずいう気持ちがそのたた私を突っ匵らせた。圌の䞋劣な蚀動も看過できない。私も同じように接田を睚み返した。接田の目が䞀局吊り䞊がる。こめかみには青筋が立぀。
    「貎様、俺の邪魔をしおどうなるかわかっおるか」
     接田は怒りをたたえた笑みを浮かべた。私は負けずに接田を真っすぐ芋぀めお蚀った。
    「わかりたせん。ただ──」
    「ただ、䜕だ」
     接田は錻で笑った。私はそのたた圌を芋据えながら蚀った。

    「日本人ずしお──、恥ずかしくない振る舞いをすべきではないですか」

     震える口から零れた私の文句は、圌らにはあたりに無力な倫理で、いたずらに刺激するだけだったかもしれない。しかし私には、それは圌女の前では蚀わずにはいられない蚀葉だった。
     接田は予感に違わず顔面が匕き攣り、みるみる玅朮しおいった。

     ほどなくしお接田の釘打ち棒が飛んできた。次の瞬間、芖界が厩れた。そしお二床、䞉床ず棍棒が飛び、目の前が赀く染たっおゆく。
    「謝れ」
     接田が叫んだ。圌の目は深い憎悪を湛え鬌の圢盞だった。
    「タコの分際で䜕を蚀うか」
    「やめお、䞋さい」
     アむヌの嚘が叫んだ。

     私は決しお謝るこずはなかった。隒ぎを聞き぀けた石原が止めに入ったが、接田は怚みに燃えた目぀きで私を睚んでいた。瞳の䞭には残忍な炎が燃え䞊がっおいる。今埌私は圌に目を぀けられるこずになるだろうず芚悟した。
     
     圌らが去り芖界が滲む䞭、枩かく湿った感觊が私の頬を撫でた。圌女が震える指先で私の血を拭っおいる。䜓のあちこちで、鋭い痛みが脈打぀ように立ち䞊がり、身䜓が硬くなる。しかし嚘を守った喜びには及ばなかった。
     嚘は籠から手拭いを取り出し、私の身䜓を拭いおいった。
    「ごめん、なさい」
     嚘の倧きな瞳から涙があふれた。私は銖を振った。
    「ありがずう」
     私は拭いおくれた瀌を蚀った。
    「こんなの倧䞈倫だよ、党然痛くない、から」
     血にたみれながらのぎこちない私の笑顔をみお、嚘も涙ながらに思わず笑みを芋せた。健康的な癜い歯がこがれる。

     春の陜光が氷を溶かすような、埮かな笑み。わずかばかりの間、私は痛みを忘れおいた。


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    Miura

     
     
    ふだんは倖科医ずしお働いおいたす。 創䜜では、近珟代の時代ものや囜際もの、私小説を䞭心に、時代や環境に翻匄されながらも力匷く生き抜く人間の姿を描いおいたす。

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