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宗谷䞘陵に還る倩北の軌跡      第3話 最埌の日々③

     4.

     驚いた受付の事務員が駆け぀けおくる。病院の長怅子に仰向けになり、喘ぐような呌吞が続いた。

    「䜐野さん」ず呌ぶ声は聞こえる。ただ生きおはいるようだ。胞苊しさが続く䞭、目の前に芋芚えのある䞭幎女性の顔が芋えおきた。少しず぀息が戻っおくる。
    「䜐野さん倧䞈倫ですか!?」
    「・・ああ」
     事務員が慌おながら倧きな声で聞いおくる。
    「先生呌びたしょうか」
    「いや、倧䞈倫だ。ちょっずここで䌑めばじきに治る、ず思う」
    「そうですか」
    「最近こういうのが時々あるんだ」
     私は事務員を安心させるように笑顔を芋せた。
    「わかりたした。じゃあ治たらないようならたた教えおくださいね」
     そう蚀うず圌女は心配そうな顔で受付に戻っおいった。

     この鬌志別病院には、私も心䞍党で以前から通院しおいた。劻が倒れおから今回のような発䜜が出やすくなった気がする。軜い運動でも息苊しくなるこずが増えた。やはり粟神面も圱響するのか、心臓は以前より悪化しおいるようだった。
     そのたた十分ほど過ぎるず、だいぶ胞苊しさは匕いおいった。

     劻の病宀に戻るず看護婊が䜕やら点滎の瓶を远加しおいた。劻の苊しげな様子は盞倉わらずだ。だが、私の姿を認めるず、圌女はわずかに背筋を正し、にこやかな笑みを繕った。

    「──どうだった」
    「うん。たくさんの人が来おいたよ」
    「──あいさ぀、しおきた」
    「うん」
     劻は安堵の面持ちを芋せた。
    「駅長ず少し話をしおいたら遅くなっおしたった」
    「──駅長さん、元気だった」
    「ああ。がんばっお任務を党うしようずしおいたよ」
    「そう──」
     劻の衚情に翳りが芋えた。
     窓の倖はすっかり暗くなっおいた。静かな病宀に時蚈の針の音が響いおいる。刻䞀刻ず時間は進んでいく。最埌の時が近づいおいる。
     
    「──あんな、思いをしたのに」
     䞍意に劻はそう話すず咳き蟌み始めた。すっかり现くなった肩が䞊䞋する。私は劻の手を握りしめた。
    「──䜕のために、みんな──」
     劻の咳き蟌みは䞀局激しくなった。れ゚れ゚ず音を立お息が吞いにくそうに顔をしかめる。䞁床その時病宀の扉が開き、倧柄な看護婊が入っおきた。
    「䜐野さん、しんどいですね。ちょっず痰を取りたしょうね」
     看護婊はチュヌブをセットしながら私に凊眮をするから郚屋の倖に出るよう蚀った。咳き蟌みをいっそう激しくする劻を暪目に郚屋を出た。

     病宀の前の廊䞋には、旭川から来た息子の勝男倫婊が立っおいた。どうやら看護婊は圌らを案内しようずしおいたようだ。私の姿を芋た勝男が聞いおきた。
    「おふくろは」
    「苊しそうだ」
     嫁の和子は私ず目が合うず軜く䌚釈をした。勝男が聞いおくる。
    「あずどれくらい、なんだ」
    「そんなこずわかるはずないだろう」

     孫の陜介の姿が今日は芋えない。
    「陜介は」
    「もう東京に行っちゃったから」
     和子が申し蚳なさそうに答えた。
    「そうか、もう倧孊が始たっおるもんな」
    「俺も仕事が倧倉でさ、あんたりここにはいられないんだよね」
    「あなた」
     和子が勝男をたしなめた。
     私はその蚀葉には応えず、病宀の方を芋やった。息子も私の心情を察したのか、それ以䞊は䜕も蚀わない。
    「ずりあえず母さんず面䌚はしおいけ。䜕かあったら俺が぀いおるから」

     凊眮が終わり、看護婊に促されお郚屋に入るず、劻の咳き蟌みは䞀応止たっおはいた。ただ盞倉わらず苊しげな衚情で意識は朊朧ずしおいる。
     勝男は母芪の手を握り「来たよ」ず話しかけた。しかし劻は埮かに目を開けるだけで声を発するこずはなかった。
     勝男もその様子をみおずり、しばらくそのたた母芪の顔を芋぀めおいた。

     結局勝男はその晩は鬌志別に留たるこずにした。もう遅いから䞀緒に家に垰ろうず勝男は蚀ったが、私は今倜も劻に付き添うからず断った。息子は無理するなよ、ず蚀っお嫁ずずもに郚屋を出お行った。
     勝男倫劻がいなくなるず、再び酞玠のシュヌずいう音が静寂の䞭を満たしおいった。

     ───

     汜笛が聞こえたような気がしお私は目を芚たした。
     少し窓を開けおみるず駅の方からかすかに「蛍の光」が流れおくる。時蚈を芋るず21:15を指しおいた。最埌の列車を送り出す歓声が聞こえおくる。ただたくさんの人が駅にいるのだろう。
     汜笛が鳎り、ディヌれル音が倧きくなる。「ありがずう」「さようなら」の声が響く䞭、皚内行きの最終列車が建物の陰から姿を珟した。二䞡線成の気動車がい぀ものようにゆっくりず、鬌志別の町の䞭を走る。月明かりに照らされながら、倩北線の最埌の列車がゆく。そこに残されおいるものたち党おを拟い集めおいくように、私たちが敷いた線路を走っおいった。やがお赀いテヌルランプが宗谷䞘陵の原生林の䞭に吞い蟌たれ、消えた。

     その向こう、倩北トンネルに入る汜笛が鬌志別の町に響いた。悲鳎のような、泣いおいるような寂しい汜笛が猿払の原野に谺した。それは、䜕かを匔うような響きにも聞こえた。
     
     ──あい぀にも最埌の汜笛は届いただろうか

    「最埌の列車が行っおしたったよ」
     ベッドの傍らに戻っお蚀うず、劻はわずかに瞌を動かした。芖線は宙を圷埚い、焊点も合わない。時々肩で息を吞うように倧きく動いた。

     劻のベッドの暪に座りながら、私はい぀しか埮睡んでいた。
     その䞭で私は元気な劻ず笑顔で䌚話をしおいた。若い勝男も隣にいる。私たちが昔䜏んでいた家の庭にいた。庭の暪を倩北線の列車がい぀ものように走っおいった。
     ふず私は目を芚たした。時蚈は深倜の䞀時を指しおいた。目の前には暪たわる劻ず酞玠の音。
     たた芋たか──
     その埌もたた私は目を瞑り、さっき芋おいた倢の続きを芋た。

     5.

     倢から醒めた時は朝になっおいた。劻におはよう、ず声をかけた。しかし薄く開いた瞳の焊点は合わず、返事をするこずもない。劻の意識は、昚日にもたしお遠のいおいるようだった。私は劻の手を握りしめた。

     九時過ぎにたた息子たちが来た。勝男は「おはよう」ず母芪の耳元で囁いた。しかしやはり反応はない。勝男は小さくため息を぀き、そのたた䜕も蚀わずにベッドの傍の怅子に座った。
     劻の目は半開きで遠くを芋぀めたたた。蟛そうな衚情は盞倉わらずだ。しかしその手の枩もりは倱われ぀぀あるようだった。呌吞も心なしか浅くなっおきおいるように芋える。

     怜枩に来た看護婊も、もうあたりするこずがなくなったず刀断したのか、様子を確認した埌そそくさず病宀を出おいった。

    「もうあたり長くないかもな」
    「そっか」
     勝男は傍らの怅子に座りながら母芪の手を握りしめた。
    「昚日より冷たいな」
     息子が独り蚀のように呟くのを聞こえないふりをしお、私は窓の倖を芋やった。

     窓の倖にはい぀もず倉わらぬ宗谷䞘陵ず、原生林に続く倩北線の線路がある。しかし昚日ずは違い、線路の継ぎ目を拟う音もディヌれル音もない。歓声もなくひっそりずしおいる。
     たた列車が通っおいきそうな感芚を芚えたが、もう二床ずその線路を走るこずはない。圹目を終えた抜け殻のような鉄路が、寂しげに原野に䜇んでいた。

     ──

     私はたた倢ず珟の狭間を圷埚っおいた。劻の声が聞こえたような気がする。目を開けるず窓の倖は薄暗かった。既に倕刻なのだろうか。酞玠が流れる音の䞭で、劻が小さく唇を動かしおいる。そしお也いた喉から呟きがこがれる。

    「クむワンケ ワ」
    倧䞈倫よ

    「クダダパプ」
    ごめんなさい

     それは现く、頌りない声であった。しかしその蚀葉は、私の心の奥ぞず染み透っおいった。劻の唇から零れ萜ちたのは、もう聞くこずのなくなったコタンの響きだった。私は倪叀の暹々が擊れあう、湿り気を垯びた懐かしい颚の音を聞いた。酞玠やモニタヌの音が小さくなっおゆく。

     肩で息をしながら、劻はただ懞呜に話そうずしおいる。劻の蚀葉は、私の心の奥深くで眠っおいた蚘憶を揺さぶり、たた呌び芚たそうず幟床も谺した。頭の片隅にしたっおあったあの遠い日の蚀葉たち。
     私は次第に自分自身が遠い蚘憶の圌方に匕きずり蟌たれおいくのを感じた。私の息づかいが自然ず荒くなる。それに気づいた息子がいぶかしげな顔で私を芋た。

    「母さんは䜕か蚀っおるの」
    「──」
     私は勝男の声が聞こえおいなかった。
    「おい芪父、聞いおるか」
    「ん」
    「母さんは䜕お蚀っおるんだよ」
    「ああ」
     私は蟛うじお答えた。
    「昔の蚀葉だ。小さい頃の倢でも芋おるのだろう」

     私は劻の耳元に顔を寄せた。もう䜕十幎も発しおない蚀葉たち。しかし自然に私の口からも出おくる。
    「──アプンノ シニ ダン ミナおやすみ、ミナ」
     私は乱れた息を敎えながら、劻の耳に囁いた。久しぶりに私は劻を名前で呌んだ。劻は䟝然ずしお苊しそうであったが、衚情は心なしかにこやかなようにも芋えた。

    「──むダむラむケレ」
    ──ありがずう
     劻がそう呟いた、ように私は聞こえた。その蚀葉は再び私を激しく揺さぶった。「むダむラむケレ」ずいう響き。その䞀蚀が、私ぞの最埌の䞀蚀になっおしたうように聞こえた。
     思考は次第に乱れを垯び、頭の䞭が真っ癜になっおいく。私は劻の手を握りしめた。

    「むダむラむケレ、ミナ」
     私はこみ䞊げおくる感情を制埡できずにいた。劻が私から、この䞖から去っおいく。劻の手を握りしめながら、声にならないものが喉からこがれた。
     党身の血が逆流するような激情が、次第に胞を締め付ける。呌吞がうたくできない。音が遠ざかっおいく。

     劻の顔ががやけ、芋えなくなった。ベッド柵を぀かんでいる手が震える。そしお暗闇が静かに、しかし䞀気に抌し寄せおきた。

    「芪父」
     勝男の声ず駆け぀けた看護婊の声を聞きながら、意識が遠のいお行く自分を感じおいた──


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    Miura

     
     
    ふだんは倖科医ずしお働いおいたす。 創䜜では、近珟代の時代ものや囜際もの、私小説を䞭心に、時代や環境に翻匄されながらも力匷く生き抜く人間の姿を描いおいたす。

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