メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

宗谷䞘陵に還る倩北の軌跡      第2話 最埌の日々②

     3.

    「抮治さん」
    「忙しいずころすたんな」
    「芋に来おくれたんですね」
     駅長は少しばかり疲劎の色を浮かべおはいたものの、その衚情は晎れやかだった。最埌の任務に向けお自身を奮い立たせようずする気抂が滲み出おいた。この境地に至るたでは様々な葛藀があったこずだろう。
    「ああ。家内が行っお来いっお」
    「奥さんはどう」
    「しんどそうだ。医者もここ数日がダマだず蚀っおいる」
    「倅さんたちは戻っおきおるのかい」
    「今倜旭川から来るず蚀っおいた」

     駅長は無蚀で肯き、郚䞋に䞀蚀告げお駅事務宀のドアを開けた。
    「ちょっず䞭に入っおくれやい」
    「忙しいずこ悪いな」
    「なに蚀っおる。次たでただただ時間はある」
     駅長の笑顔は盞倉わらず人懐こかった。私は圌の蚀葉に甘えお駅事務宀に入り腰を䞋ろした。ここに入るのは䜕幎ぶりだろう。

    「奥さんの看病もですが、抮治さんの心臓の方は倧䞈倫なのかい」
     駅長がお茶を入れながら心配そうな顔で私を芋た。持病の心臓病が少し前から悪化しおいたのを心配しおいる。
    「もう俺も八十五だからな。い぀逝っおもおかしくないよ」
    「たあそうかもしれないがなるべく無理はせんようにね」
    「ああ」
     私は駅長が入れおくれたお茶を受け取りながら郚屋の䞭を眺めた。叀い朚造の駅舎は私が珟圹の頃ず䜕䞀぀倉わっおない。建物自䜓も開通の時から建お替えるこずなく䜿われおきた。あれから六十幎䜙りが経った。
    「ずうずう終わりだな」
    「この駅舎も取り壊すこずになりたす」

     柱には無数の傷が刻たれ、床を螏みしめるず「ギィ」ず音が鳎った。壁際には色耪せた黒革のタブレットキャリアがフックにかけられおいる。たるでここだけ時が止たっおいるかのようだ。
    「取り壊したあずは代替バスの埅合所みたいなのが新しく建おられるみたいです」
     私は黙っお郚屋の䞭を眺めおいた。この駅舎をがんやり眺めるだけで色々な蚘憶が脳裏に浮かぶ。

    「──色んなこずがあったな」
    「はい」
     駅長が入れおくれたお茶をすすりながら、遠い蚘憶に思いを銳せる。
    「思えば昭和䞉十幎あたりたでが䞀番にぎやかだったかな」
    「そうだね。あの頃はにぎわっおたなあ」
     朝のホヌムには、持協ぞ向かう男たち、商店の䜿い、孊校ぞ通う子ども、郵䟿袋を運ぶ職員、修孊旅行ぞ行く䞭孊生──。駅舎から挂うストヌブの石炭の匂いが、冬の朝の颚物詩だった。
     窓口はひっきりなしに人が䞊び、貚物の垳簿の凊理は山のようだった。
    「鬌志別は忙しい駅だ」ず、よく本所から怒られながら耒められたよ。
    「そうでしたね」
     駅長が懐かしそうに応えた。

     しかし、昭和四十幎頃には駅の颚景は少しず぀倉わっおいった。
     ニシン、ホタテが獲れなくなり、枯から人が消えおいった。朝のホヌムに䞊んでいた顔ぶれも、気が぀けば少しず぀倉わっおいた。あの持垫の芪父、あの店の倅──、い぀の間にか芋なくなっおいた。
     隣の小石炭鉱の閉山もあり、曎に人は枛った。日本が少しず぀豊かになっおいくに連れお道路がよくなり、車が増えおいった。鉄道の客が枛らないわけがなかった。
     改札に立ちながら、か぀お満垭だった倕方の皚内行きがガラガラで発車しおいくのを芋るのは寂しかった。その頃から、ホヌムに吹く颚の音ばかりが耳に぀くようになった。

    「倩北線の行く末に埮かな䞍安を感じ始めた頃、おれは定幎になったんだ」
    「それからも寂しくなる䞀方でした」
     駅長が続ける。

     昌䞋がり、駅舎に人の気配がなくなるず、倖の颚よりも静けさが身に染みたな。「囜鉄はい぀たでここを走らせるんだろうな」ず、同僚たちずよく話しおた。冗談のように蚀っおいたけど、どこかでみんな芚悟はしおいたした。

    「そうだな。あれからも倧倉だったよな」
     う぀むき加枛だった駅長が顔を䞊げた。
    「この日を迎えるのは、やはり抮治さんは誰よりも無念でしょう」
    「うん」
    「抮治さんはもっず昔の時代からだからね」

     駅長の蚀葉の通りだった。私には曎に昔の遠い蚘憶がある。はからずも、この倩北線ずずもに歩んできたような人生だった。そしお、この鉄道ずずもに私の䞭の䜕かもたた、終わろうずしおいた。

     傟いた陜射しが駅事務宀に差し蟌んでいた。叀いストヌブの爆ぜる音が郚屋に響く。私は窓の向こうのホヌムの颚景をしばし眺めおいた。
     
    「──あい぀がここにいたら䜕お蚀うのかな」
     ふず私は呟いた。最埌に芋た圌の枅々しい笑顔が頭をよぎる。
    「朚厎さん、ず蚀いたしたっけ」
    「ああ」
     駅長は小さく息を吐きながらそっず芖線を萜ずした。沈黙が、わずかに重く二人の間に暪たわった。それは私の鉄道員の日々より曎に遡る、半䞖玀以䞊前の遥か昔の話だ。しかし私はその遠い蚘憶を忘れるこずはできない。

     朚厎だけではない。この倩北線の線路の䞋に䜕があるのかを私は知っおいる。

    「死んだうちの芪父もうすうすはわかっおいたようです。そう遠くない将来にこの日が来るこずを」

     駅長の父芪の顔が、ふず頭をよぎった。

    「駅長も、思いはいろいろあるだろうな」
    「駅長なんおやめおください」
     咎めるように圌が蚀った。

     ホヌムでは、停めおある列車に乗る人や到着する列車を埅぀人など、最埌の雄姿を蚘憶に刻もうずする人々が、熱狂的にカメラを構えおいる。
     圌らの䞭には、郷愁を誘う矎しい背景ずしおこの駅を写真に玍めおいる者もいるかもしれない。
     歎史を止めるこずのできなかった無力感が挂う事務宀の片隅には、圌らの歓声やシャッタヌ音は届かなかった。壁に掛かった叀い運行衚は、もはや時間を刻む道具には芋えない。叀びた什噚やむンクの匂いの䞭、それはどこかあの男たちの名簿のようにも芋えおくる。

     私は窓の向こうの倩北トンネルの方向を芋぀めた。窓からは倕日に照らされた赀い宗谷䞘陵が芋えるだけだった。

     黄昏の鬌志別駅にいよいよ最埌の時が迫っおきおいた。
     最終列車は21:15皚内行きだ。

    「そろそろ戻るわ」
    「はい」
     駅長は立ち䞊がり私に敬瀌をした。その瞳には涙がたたえられおいた。

    「抮治さん。ここで䞀緒に仕事ができたこず、ずおも感謝しおいたす。それはこれからも倉わりたせん。奥さんによろしくお䌝えください」

    ───

     日が暮れ、空にはむンクを零したような闇が広がり぀぀あった。薄暗くなった䞭を私は病院ぞず急いだ。劻の容䜓は倧䞈倫だろうか。すぐ戻っおくる぀もりがだいぶ長居をしおしたった。
     知らず知らずに早歩きになった私は、埐々に胞苊しくなり、息が吞いにくくなった。病院の入口が芋えおきた頃には芖界もがやけおきた。

     ふず鬌志別駅の方向を振り返るず、黄昏の空が真っ赀に染たっおいた。萜日の炎が、倩北の鉄路を赀く照らしおいる。それはあの頃に芋た色よりも、なお濃く芋えた。

     病院にたどり着いた私は埅合宀の怅子に倒れ蟌んだ。胞が締め぀けられる重苊しさに私は気が遠くなる。目の前が薄暗くなっおゆく──



    ▶前の話
    ▶次の話
    ▶目次(マガゞン)はこちら


     
     

    Miura

     
     
    ふだんは倖科医ずしお働いおいたす。 創䜜では、近珟代の時代ものや囜際もの、私小説を䞭心に、時代や環境に翻匄されながらも力匷く生き抜く人間の姿を描いおいたす。

    あなたぞのおすすめ