
【虐待(1)】小さなサバイバー(0〜5歳)
こんにちは、りゆうです。
施設育ちでうつ病・複雑性PTSD・慢性骨髄性白血病を患っています。
不運を書き散らしたいのではなく、禍福ありつつ、なんとか生きているということを伝えたいです。
私は虐待サバイバーであり、5歳のときに保護されて、児童養護施設で育ちました。
家にいた頃の記憶を、以下に書き記します。
物心ついたときには、ゴミ屋敷のようなアパートの一室に、4人の兄妹たちと共にいた。
みんな自宅で産まれたそうだ。
一番に覚えているのは空腹。
私は虐待とネグレクト(育児放棄)の家庭で、5歳まで育った。
家では父親が絶対的な存在で、泣いたり言い訳をしたり、うっかり物を落としたりすると、容赦なく拳や蹴りが飛んできた。
印象に残っていることは3つある。
①食事量
食事は1日1回あるといい方で、毎日とにかくお腹が空いていた。
基本的に、両親が食べ残したものがテーブルに運ばれてくるので、それを兄妹で分け合って食べていた。
お気に入りはワンタンスープ。
勉強時間があり、自分の名前を漢字で書けなかったり、九九ができなかったりすると、食事抜きになった。
②トイレ
用を足すのはお風呂場。
椅子が2つあったので、そこに片足ずつ乗せて行っていた。
大きい方のときは、下に新聞紙を敷いて、あとで自分で丸めて捨てていた。
③日直制度
父親が決めた制度。
兄2人とともに挨拶や、その日のスケジュール管理を担当していた。
日直以外の子が何か失敗すると、日直の子も一緒に罰を受けていた。
父親はとても恐ろしく、まるで熊のように大きな存在に見えていた。
母親は父親の言いなりで、とても従順だったので、あまり助けてはくれなかった。
洗脳に近かったと思う。
母親だって暴力を振るわれていたのに、なんでもないような顔をしていた。
そして、決して広くはないアパートの中で、両親と子どもたちの居住区が明確に分かれていた。
両親側に行くことは許されていなかった。
何より辛かったのは、自分が暴力を受けることよりも、他の兄妹が殴られたり蹴られたりする瞬間を見ること。
父親は、特に兄たちに対してとても厳しく、兄2人が血を流している場面も鮮明に記憶の中に残っている。
ほとんど外にも出たことがなかったにも関わらず、たまたま地域の人が警察に通報してくれたという。
そこから、児童相談所の一時保護に繋がったのだ。
命も危ない状況だったので、勇気をもって通報してくれた見知らぬ誰かには、今でもありがとうと言いたい。
読んでいただきありがとうございました。

以下、自己紹介と、両親との再会エピソードです。