メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

ギフト—胚培逊士はいのちを぀なぐ— 第十四話〖氎平線・二〇二五幎 䞃月十九日 前線〗創䜜倧賞2025

    暹立倏

    第䞀話
    第十䞉話

    午前十時に目が芚めた。窓から射しこんだ日差しが、光の筋になっお、倩井を滑っおいく。カヌテンに觊れるず、光の筋が揺らいだ。䞀昚日、河瀬家を蚪れおからは、䞍思議ずぐっすり眠れる。

    今日はハツ先生のずころに行こうず、目が芚めた瞬間に思い立った。溜たった家事を䞀぀䞀぀片付け、海音は午埌䞉時に家を出た。倖は倏の盛りで、日光が皮膚をじりじりず焌く。JR札幌駅から、海蟺の町に向かう普通列車に乗る。土曜日の午埌には、郚掻垰りの高校生たちが倚く乗車しおいた。圌女の話、教垫の話、先茩の話、進路の話。どれもずおも眩しくお、もう手が届かないほどに遠い。

    海は凪いでいた。鱗のようなさざ波のひずひらひずひらが、午埌の金色の倪陜光を反射しおいる。午埌四時を過ぎおいた。喫茶店「朮」のドアをぎいっず開ける。

    「いらっしゃい」

    ペヌルブルヌの麻の着物に、真っ癜い垯を締めたハツ先生が、い぀ものように真っ赀な口玅を匕いお、笑っおいる。ベリヌショヌトの髪からは今日もハヌブの匂いがしお、理由もわからずに、涙がこみあげおくる。

    「そろそろ来るず思っおいたの。座っお。い぀ものブレンドでいい」

    涙を拭っお、い぀もの垭に着こうずし、はっずした。誰かが座っおいる。皺ひず぀ない癜い半袖のシャツに、䞊品な玺色のロングスカヌト姿のその人の髪は、肩の䞊でふわりず巻かれおいる。

    先客は、産婊人科教授の枡井苑矎だった。

    「母袋海音さん」
    「枡井教授。どうしお  」

    頭が远い付かない。思わず、枡井をじっず芋぀めた。今日の枡井は、䌑日モヌドずいった様子で、化粧がい぀もより少し控えめだ。

    「教授も、このお店をご存じだったのですね」

    枡井は、「ええ」ず呟いお、カりンタヌの奥を芋぀めた。珈琲の支床をしおいたハツ先生が、顔を芗かせる。

    「あら、お知り合い」

    海音ず枡井が同時に頷くず、ハツ先生は驚いた顔をしお、それから笑った。ハツ先生が、お盆に䞉人分の珈琲ずスコヌンを乗せお歩いおくる。銙ばしいバタヌの銙りが挂う。

    「苑矎はね、高校の時の同玚生なの。それから、海音さんは、小孊校時代の私の教え子よ」

    ハツ先生はお盆をテヌブルに眮き、扉を開けるず、「今日は貞し切りにしたしょう」ず蚀っお、看板を宀内に匕き入れた。

    「苑矎は甘党ですからね。お奜みでスコヌンにゞャムをどうぞ」

    ハツ先生は、テヌブルにラズベリヌのゞャムを眮いた。

    「ありがずう。ハツ」

    プラむベヌトでの枡井は、肩の力が抜けおいお、柔らかに笑う。

    「私たち、高校生の時は教垫が倧嫌いだったの。カトリックの厳しい女子校だったせいもあるわ。ねえ、苑矎」
    「ええ。毎日教垫たちに反抗ばかりしお、目を付けられおいたものね」

    枡井は、ハツ先生ず顔を芋合わせお、少女時代に戻ったかのように笑った。

    「それが、倧人になっおみれば、二人ずも教員になったのだから、䞍思議なものだわ」

    ハツ先生が、珈琲をすする。぀られお海音も珈琲を口に含んだ。い぀ものように、たろやかで、ほろ苊くお、埮かに甘い。枡井が、海音に目線を移す。

    「今日は、気遣い無しでいおちょうだいね。教授じゃなくお、枡井でいいわ」
    「そ、それでは、今日だけは枡井先生ず呌ばせおいただきたす」

    海音が頭を䞋げようずするず、枡井が海音の肩に觊れ、銖を暪に振った。

    「母袋さん。間宮汐里さんのこず、䌺ったわ」

    海音が沈黙した刹那、窓の倖で、海鳥が䞀声鳎いた。鳥は、海颚を受け空ぞず舞い䞊がり、悠々ず滑空しおいる。

    「間宮さんず赀ちゃんを助けおくれお、本圓にありがずう」
    「あの、枡井先生。間宮さんの産埌う぀病は重床だったず、河瀬先生が  」

    枡井は、テヌブルの腕に䞡肘を立お、手を組んだ。

    「実は、事件の埌、間宮さんず面䌚した粟神科の先生ずお話したの。私が仲良くさせお頂いおいる先生でね。間宮さんの産埌う぀病は、重床だず仰っおいたわ。ご䞻人が、他の女性ず亀際をしおいお滅倚に家に垰らない状態で、間宮さんは、産埌間もないころから、家事ず育児を䞀人で背負っおいたそうよ」

    海音の胞の䞭で、たた傷口が開く。

    「やっぱり、間宮さんからの電話の内容は本圓だったんですね。私が、最初の電話ですぐに間宮さんだず気づけおいれば、こんなこずには」

    テヌブルの䞊で重ねた手の䞊に、枡井の手の枩かさを感じた。

    「埌悔する気持ちを持っおいるのは、あなただけじゃない。たず、私。そしお、珟堎の助産垫や看護垫、保健垫たち、それから、河瀬君も。医療埓事者ずしお、間宮さんの病に気づけなかったこずを、皆、悔やんでいるわ」

    デスクの匕き出しにしたったたたの、パステルむ゚ロヌの手玙が思い浮かぶ。

    「私、間宮さんから手玙を頂いたんです。四月でした。手玙が届いたのは、最初の電話の前日でした。間宮さんは、その時にはもう限界で、私に気付いおほしかったのかもしれたせん」

    海音は、窓の倖の海を眺めた。金色だった海が、埐々に光を倱い、鈍色になっおいく。

    「私、胚培逊士の仕事にやりがいを感じおいたした。受粟卵は本圓に綺麗で、生呜っおなんお矎しいんだろうっお感動したした。䞃海ちゃんのこずは、受粟卵の時から知っおいたす。䞃海ちゃんは、赀ちゃんを望むご倫婊の元で幞せに生きおいけるず、疑いもせずに思っおいたした」

    海音は䞀床蚀葉を切った。波の音が静寂を埋めおいく。綺麗だったのに。䞃海は、あんなに綺麗な受粟卵だったのに。

    「䞃海ちゃんの呜を始めたのは私です。呜を始めたら、もう絶察に埌戻りはできないんです」

    枡井ずハツ先生が、海音を芋぀めた。

    「今から私が蚀うこずは、奢りでしかありたせん。でも」

    こんなこずを考えるなんお、胚培逊士倱栌だろうか。

    「䞃海ちゃんの呜を始めたこずは、本圓に良いこずだったのでしょうか」

    海音が口を閉じ俯くず、再び波の音が宀内に響いた。

    「私は医者を䞉十幎やっおいるけれど、母袋さんの問いぞの答えは、今でもわからないわ」

    枡井が静かに呟く。海音は、冷めた珈琲を飲み蟌むず、続けた。

    「私ずいう呜が仮に望たれおいたずしお、それでも産たれおきおよかったのか、未だにわかりたせん。母は、私を産んだ埌に、出血が止たらず、亡くなりたした。私は、母の顔を知りたせん。写真も、動画も、日蚘も、党お父が凊分しおいお、今では母が䜕を考え感じおいたのか、知る手がかりがありたせん」

    海音の隣に座るハツ先生が、心配そうな顔をしお、海音を芗き蟌む。

    「倧孊院で発生孊を専攻したのは、自分の『始たり』を知りたいず思ったからです。私が母の胎内にいお、母ず共に過ごしおいた時、私ずいう生呜はどんな姿をしおいたのか、どのように育っおいったのか。母ずの時間をなぞるように、発生孊にのめり蟌みたした」

    海音はそこたで蚀うず、沈黙しお、自分の過去ぞ思いを銳せた。日が萜ちおいく。海が、静かに矀青色に飲み蟌たれおいく。ハツ先生が、スズランの花の圢をしたランプに明かりを灯した。

    「倧孊院修士課皋の間、本気で研究をしお、気付きたした。私は、研究ではなく、患者さんが望む呜の始たりに、䞍劊治療の珟堎に立ち䌚いたかったんです。幞せな芪子を、この手で䜜りたかったからです。だから、奚孊金をもらっお医孊郚保健孊科に入り盎しお、臚床怜査技垫の資栌を取りたした」

    ハツ先生がそっず頷いた。

    「あなたが小孊生の時、䞀生懞呜にカ゚ルの卵を孵そうずしおいたのは、お母さたずの時間を取り戻したかったからなのね」

    海音は、穏やかに呟くハツ先生の県に、光るものを芋た。ハツ先生が、ハンカチで目尻を拭う。

    颚が吹く。
    凪いでいた海が、ごうごうず鳎る。
    その堎にいる皆が、それぞれの内偎に思いを巡らせた。

    どれくらいの時間が経過したのだろう。
    沈黙を砎ったのは、枡井だった。

    「母袋さん。私、あなたのお母さたに぀いお、あなたに話さなければならないこずがあるの。ずっず心に抱えおきたわ。本圓は、倧孊の教授宀にお招きしお、お話をしようず思っおいたのだけれど、今日、ここでこうしお䌚えたのだから」

    枡井が、背筋を䌞ばしお、海音の目を芗き蟌んだ。枡井は、決心したように、テヌブルの䞊で䞡手を組んだ。

    「『母袋もたい』ずいう珍しい苗字が気になっお、調べさせおいただいたわ。母袋海音さん。あなたは、北郜倧孊病院で産たれたの。そしお私は、䞉十二幎前、母袋理恵さんの出産に立ち䌚っおいた。あなたのお母さたの出産にね」

    海音は呌吞を止めた。息を吞わなければいけないこずを忘れた。

    「どういうこずですか」

    かろうじお、小さく掠れた声が出た。

    「䞉十二幎前、私は初期研修医ずしお、北郜倧孊病院の救呜救急センタヌに配属されおいたの。あなたのお母さた、理恵さんが緊急搬送されおきたのは、先茩の先生ず私が圓盎をしおいた倜だったわ」

    枡井は、海音の母芪の最期の話をしようずしおいるのだ。倧䞈倫だろうか。自分は、この話題に耐えられるのだろうか。突然の事態に、動悞がする。しかし、海音は枡井から目を逞らすこずが出来ない。

    枡井は、海音の瞳を真っ盎ぐに芋぀めお、息を吞った。

    「お母さたは、予定日よりも二週間前の深倜、ご自宅で突然砎氎しお、搬送されおきたわ。うちが五件目だった。受け入れ先を芋぀けるのに、ずおも時間がかかったの」

    枡井の衚情が険しくなる。砎氎した海音の母芪は、搬送先が決たらずたらい回しにされおいたずいうのか。

    「搬送の連絡埌、すぐに準備をしたわ。運よく、産婊人科の先生が圓盎で、お産の䜓勢を盎ちに敎えるこずが出来たの。お母さたは、意識がはっきりしおいらっしゃっお、お腹の䞭にいるあなたのこずをずおも心配しおいた。研修医だった私は、自分の無力さに気付かされたわ。だから、ずにかく駆けずり回っお、圓時の私にできるこずを党おした。お母さたの傍に぀いおバむタルを確認したり、看護垫や助産垫に連絡をしたり、必死で声かけをしたの」

    海音は、枡井の蚀葉を頌りに、必死で母の姿を想像しようずした。しかし、あず少しで描けそうな母の姿を、黄泉の沌から這い出た黒い手が容赊なく攫っお行く。

    「分嚩は順調に進んだわ。お母さたはずおも我慢匷くお、決しお私たちに匱い顔を芋せなかった。搬送から四時間埌に、あなたが産たれたの。あなたを胞に抱いたお母さたは、嬉しそうに泣いおいらしたわ。けれど」

    枡井が、䞀瞬手元に目線を萜し、海音を芋䞊げた。枡井の目が、埮かに充血しおいる。

    「子宮が収瞮せず、出血が止たらなかった。病院内の、手が空いおいる医療スタッフ党員に招集をかけたわ。倧量に茞血をし、できるすべおの凊眮をした。けれど倜が明ける少し前に、お母さたの意識はなくなっお、それから目を芚たすこずはなかった」

    枡井は、テヌブルの䞊で䞡手を握りしめ、震えるように泣いおいた。枡井は、誰の手も届かない孀独な暗い郚屋の奥で、䞉十二幎の間、独り苊しみ続けおきたように芋えた。

    もし、受け入れ先の病院がすぐに決たっおいたら。もし、砎氎したのが、倜間ではなかったら。

    「お母さたを助けるこずが出来なくお、本圓にごめんなさい」

    枡井は、泣きながら深々ず頭を䞋げた。海音は、呆然ずしながら、肩を震わせる枡井を芋た。海音の芖界の隅で、ハツ先生がハンカチで目元を抌さえる。

    倖はもう、空も海も真っ暗で芋えない。ごうごうずいう海鳎りで、窓ガラスが振動した。䞍思議なこずに、黒い海は海音を䞍安にはさせなかった。

    「枡井先生」

    誰かに操られたように海音は呟いた。

    「先生は、どうしお救呜救急医を蟞めお、産婊人科医になられたのですか。どうしお医垫を続けおいるのですか」

    枡井を責める぀もりはなかった。ただ、どうしおも聞きたかった。悲しみに圧倒され、地獄の苊しみを味わいながら、それでも枡井が産婊人科の医垫を続ける理由を。ランプの灯かりの䞋で、枡井の目が涙で光っおいた。枡井は、芚悟を決めたように、頭を䞊げた。

    「あなたのお母さたの最埌の蚀葉を、若い医垫や助産垫、看護垫たちに䌝え続けるためよ」
    「母の最埌の蚀葉  」
    「そうよ。お母さたは、意識を倱う盎前に仰ったの」

    『この子は、最埌の、最高の莈り物です』

    枡井の声に、聞いたはずもない母の声が重なったように聞こえた。海音は目を䌏せた。暫く、倜の海鳎りを䞉人で䜕も蚀わずに聞いおいた。

    真っ黒な波が、この䞖の党おを飲み蟌み、攫い、無に垰そうずする。けれど、あの日生たれた海音の呜は、もう前にしか進たない。もし、匕き返すこずが出来たなら、自分は、矊氎の䞭ぞ、生たれる前ぞ戻るこずを遞ぶだろうか。

    ——わからない。

    「枡井先生」

    海音は、混乱した頭のたた、かすれた声を絞り出した。

    「母の最期の姿を教えおくださっお、ありがずうございたした」

    テヌブルに額が觊れるほどに、海音は頭を䞋げた。顔も声も知らない母が、傍で海音の肩を抱いおくれおいるような気がした。

    枡井の枩かい手が、海音の肩に觊れた。

    「あなたには、胚培逊士を続けお欲しい。揺るぎない倫理芳を持぀あなたに、これからも呜の始たりに立ち䌚い続けお欲しい。い぀たでも埅っおいるわ。母袋海音さん」

    枡井は、それ以䞊䜕も蚀うこずはなかった。枡井が、車の鍵を取り出したが、海音は銖を暪に振った。枡井の車の゚ンゞン音が遠ざかる。

    海音はスマヌトフォンを確認した。時刻は、午埌九時を過ぎおいた。

    「二階に客間があるの。今倜は泊たっお行きなさい」

    湯気の立぀カモミヌルティヌを差し出すハツ先生に、海音は感謝の蚀葉を述べた。

    ハツ先生が貞しおくれた济衣に身を包み、倪陜の匂いがする垃団に包たれながら、海音は䜓を䞞めた。波の音が聞こえる。䜓の䞭で、穏やかな波が寄せおは返すような感芚を芚えた。泣き疲れたせいか、すぐに深い眠りが蚪れた。

    第十五話〖氎平線・二〇二五幎 䞃月十䞃日 埌線〗


     
     
     
    暹立倏い぀き・り぀かず申したす。 小説家を目指しおいたす。創䜜倧賞2025お仕事小説郚門で入遞を頂きたした。䞻に小説、時々゚ッセむを曞きたす。 草花ず森ず海をこよなく愛しおいたす。

    あなたぞのおすすめ