
短編小説『リスク職人たちの想いが宿る世界線』- 第4話『別れる世界線』
二階堂は、密林のソファー席に身を隠して、出社してくる人たちを観察している。
最初にやってきたのは、高橋と理央だ。二人で力を合わせて、この世界に溶け込もうとしている。
- 品ちゃん、幸せそう
そこにやってきたのは、塚地だ。今日も温かい眼差しで、高橋と理央に声をかけている。
- ウフッ、ボクは塚ちゃんと幸せになるんだ
次々と出社してくる人たちは、迷うことなく自分の場所を選んでいる。
二階堂は、密林のソファー席から理央を手招きした。
高橋を連れてやってきた理央が尋ねる。
「ねぇ、どうなっているの」
「どうやら、世界が変わったと思っているのは、高橋さんと理央さんとボクだけみたいなんです。他の人たちは、どう見てもいつもどおりです」
三人で乗り切ろうという二階堂の呼びかけに、高橋が同意する。
「そうだな。この世界を失わないようにしなきゃ。なぁ、理央」
理央は浮かない顔で、二階堂に尋ねる。
「ねぇ、どうして世界線が変わってしまうのかしら」
「VRゴーグルを使ってタイムスリップすると、言ったことや考えたことが量子の状態に影響を及ぼすんです。量子コンピューター内部の量子を媒体にして、現実世界の量子にも影響を与えます。だから、タイムスリップを終えてしばらくすると、その量子が観察される世界線が錯綜してしまうんです」
理央は、うつろな目になっている。
「ゴメン、聞いたあたしが間違ってました。でも、VRゴーグルを使わなければ大丈夫なのね」
「VRゴーグルを使わないで過去や未来をディスプレイに映す場合は、AIを動かすために量子コンピューターの性能を使っているだけなんです。現実世界の量子との間に量子もつれは作らないので、現実世界の量子の状態に影響を及ぼすことはありません」
高橋も、うつろな目になっている。
「つまり、VRゴーグルさえ使わなければ、この世界を失うことはないということか......。いつ頃、こんな危険な技術を発明したのですか?」
二階堂は、少しためらってから答えた。
「十二年前だったと思います。国立研究所の量子コンピューターを使わせてもらった時です。その後は、ずっと開発を許してもらえませんでした」
高橋がしみじみと言った。
「そうか、二階堂さんにも、失われた十二年間が......」
理央が提案する。
「十二年間トリオ結成ね。ねぇ、今夜ウチで決起大会しない?」
「そうだな。二階堂さん、今夜は空いてますか?」
- キャー、品ちゃんに誘われてる~
「はい。もちろん行きます」
その夜が、修羅場になるとは知らずに、二階堂は高橋家に訪問する。
*
リビングのテーブル上には、駅前で買った焼き鳥と缶ビールが並んでいる。
「ごめんなさい。あたし、十二年間ちゃんとした料理してなくて。作ったって、食べてくれる人がいなくなっちゃったし......」
- 理央さん、そんなこと言われても......
高橋が場を取り繕う。
「理央、二階堂さんが困っているじゃないか」
「あっ、ゴメン。話題を変えましょ。そうそう、あなた、タイムスリップして何を見てきたの?」
「塚地さんが理央のアパートの前でストーカーしてたんだよ。塚地さんが犯人なのかと疑ったけど、そんなわけないよな」
「ふーん......塚地さんに殺されていたら、十二年間も苦しまなくて済んだのかな......」
― 理央さん......なんてことを......
「理央、二階堂さんが困っているじゃないか」
「あっ、ゴメン。話題を変えましょ。そうそう、グラスがまだだったね。取ってくるね」
- なにこれ、デジャブ?
二階堂は、理央のことが怖くなってくる。
- 不倫がバレたら、恐ろしいことになりそう......
二階堂は、理央がキッチンにいっている間に小声で高橋にささやく。
「理央さんのことを忘れる約束は忘れてください」
高橋が、大声で反応する。
「えっ、約束って……えっ、えっ」
理央が、グラスを持ってリビングに戻ってきた。
「なになに、約束ってなんのこと?」
- うわぁ、うわぁ、ヒャー
二階堂は、恐怖につつまれながら理央を見た。
理央の勘は鋭い。
「ちょっと、あたしには言えない約束なの?」
高橋が答える。
「いや、なんのことかさっぱり分からないよ。二階堂さん、“理央のことを忘れる約束”ってなに?」
- 品ちゃん......それ言っちゃダメなやつ......
「えーと、忘れているのでしたら、もういいです。大丈夫です。乾杯しましょう」
理央は、泣きそうな顔で言う。
「あなた、あたしのことを忘れるって約束したの?」
「いや、そんな約束した覚えはないよ。二階堂さん、どういうこと?」
- あれ、ほんとに知らないみたい......まさか......
二階堂は、高橋の首筋に顔を寄せる。
「えっ、二階堂さん……えっ、えっ」
高橋と理央が啞然としている。
二階堂は確信する。
「高橋さんは、品ちゃんじゃなかったんだ。匂いが品ちゃんと違う」
理央が小声で尋ねる。
「あのー、ヒンチャンって誰ですか?」
「品ちゃんは、ボクがいた世界線の高橋さんです」
- さよなら、品ちゃん