
【60代からの進化】「話が合わない」は現状維持脱却のサイン
ある時期から、私は同世代との違和感を覚え始めました。
話が合わないのです。
何年か前までは、ファッションの話も習い事の話も、旅行や推しや食べ物の話に至るまで、友人との会話はとても楽しく、有意義なものでした。
たいがいは、「そうそう!」といった同意の言葉で進んでいたのです。
それがいつからか、「そう?」と疑問形に変わり始めました。
友人の話す言葉が、私の心に響かなくなってきたのです。
「もうこの歳だからしかたない」
「着ていくところが無いから、新しい服はもういらない」
「海外旅行は疲れるからもう行かない」
「今から新しいことを覚えるのはもう無理」
「3,000円のパフェなんてあり得ない」
「物欲なんてもうない」
原因はこの、「もう〇〇」や「〇〇は無い」という言葉です。
「もう歳だからしかたない」
その気持ちは、痛いほどわかります。
体力も視力も知力も衰えてきて、気力さえなくなるときがあります。
「着ていくところが無いから、新しい服はもういらない」
これも、今の私ならよくわかります。
バブルの時のように、毎日のように踊ったり歌ったりパーティーに行ったり、高いワインを飲んだりなんてことはなくなりました。
「海外旅行は疲れるからもう行かない」
確かにそうです。
何より行くまでの準備が面倒くさいし、10時間以上も飛行機に乗るのは苦痛です。
全部わかるんです。
わかるけど、そういう中にいると、どうしても息苦しさを覚えてしまう自分がいる……。
「そうだよね……」と相槌を打ちながらも、「いや、私は3,000円のパフェも食べてみたい!」と思ったり、「あれも欲しい、これも欲しい。物欲アリアリ」と情けなくなったり。
いい歳をして、未だに物欲や夢を抱えている自分がおかしいのよね……と、ずっと自戒するようにして過ごしてきました。
つまんないな――。
何とも言えない退屈さと、ほんの少しの寂しさ。
つい最近まで仲が良かった人たちと、同じ世界線に生きていないような感覚。
なんか、浮いてるかも――。
そう思うことが多くなってきました。
「衰え」ではなく「進化のサイン」
私は変わらないことや停滞が本当に苦手で、ときには後先考えずに動いてしまうこともあります。
それで失敗することも山ほどあったけど、私はやっぱり変わっていくことが好きです。
新しい知識を入れ、新しい環境に飛び込み、失敗して、学んで、成長していく。
いくつになっても、そういうサイクルが好きなのです。
同年代の多くの人たちは「変わらないこと」を好みます。
年齢を重ねるほどに、現状維持という穏やかな池に留まり、波風を立てずに過ごすことが正解とされる。
回遊魚のような私と、穏やかな池に棲む魚。
少し前までは同じところを泳いでいたはずなのに、いったいいつから変わったのだろう。
好みの問題? 優劣の問題? 経済的な問題? ただ単に、私に落ち着きがないから?
考えてみたけれど、たぶん、そのどれでもありません。
回遊魚と池の魚、ただ生きる水が違うだけです。
池の魚が停滞しているわけではありません。
あの水の中で、彼女たちはちゃんと呼吸ができています。
ただ、私がその水の中にいると、息苦しくなってしまう。
それだけのこと。
だから「話が合わない」のは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているという話ではありません。
私という魚が、そろそろ違う水を探し始めている。
そのサインだったのだと思うのです。
「もう歳だから」「もう欲しいものなんてない」――そう思えることも、ひとつの成熟の形です。
でも私は、まだ物欲があって、まだ知らない場所に行ってみたくて、まだ新しいことを覚えたい。
それを「みっともない」と自分を戒めてきたけれど、本当は戒める必要なんてなかったのです。
「つまんないな」と感じたあの瞬間。
それは衰えでも、わがままでもなく、次の水を探せという、自分自身からの合図だったのだと思います。
もし今、あなたが同世代との会話に、ほんの少し息苦しさを覚えているなら……。
それは、あなたが終わっているサインではなく、まだ進んでいるサインなのです。
無理に、今いる池を飛び出す必要はありません。
でも、自分の中の「つまんないな」を、もう少しだけ大事にしてみてもいいのかもしれません。
それはきっと、衰えの合図ではなく――進化の合図ですから。
梨乃