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石のわしの意思を誰も聞かない歴史

    わしは、一万年前から、ここに座っておる。

    わしが物心ついたとき、世界は音と光、そして匂いに満ちていた。
    空が燃えるように赤く染まり、やがて漆黒の闇に銀の砂を撒いたような星々が瞬く。
    雨はわしの肌を優しく洗い、風はわしの知らぬ遠い土地の香りを運んできた。
    わしはただ黙ってそれらを受け入れ、時という名の川の流れに身を任せていた。
    わしの周りには、わしと同じように言葉を持たぬ者たちが、それぞれの生を謳歌しておった。
    木々は芽吹き、枯れ、獣たちは生まれ、死んでいく。
    それが世界の理であった。

    そこに、「人間」というものが現れたのは、いつの頃だったか。
    彼らは二本の足で立ち、奇妙な声をあげて互いを呼び合う、騒々しくも儚い生き物じゃった。

    ✅わしを崇めた古代人

    はじめの頃、人間たちはわしなど見向きもせんかった。
    彼らはわしの周りに木の枝や獣の皮でできた巣を作り、火をおこし、子を産み、数を増やしていった。
    わしにとって彼らは、時折わしの肌を駆け抜けていく蟻の行列とさして変わらぬ存在じゃった。

    変化が訪れたのは、五千年ほど前のことじゃろうか。
    一人の女が、わしの前にじっと佇むようになった。
    他の者たちとは違う、澄んだ瞳をした女じゃった。
    人々は彼女を「巫女」と呼んだ。
    彼女は、わしに何かしらの力があると言い出した。
    わしには何の事かさっぱり分からなかったが、彼女の言葉は不思議な力を持っておったらしい。

    それからというもの、人間たちはわしを特別な目で見るようになった。
    彼らはわしに、ひらひらとした白い紙の飾りをつけ、わしの前には「くもつ」とやらを置くようになった。
    木の実や、焼かれた獣の肉、そして透き通った器に入った甘い水。
    わしはそれらを食すことも、飲むこともできぬというのに。

    彼らは実に身勝手じゃった。
    長い間雨が降らねば、わしの前で歌い踊り、雨を乞うた。
    そして雨が降れば、それはわしのおかげじゃと感謝の声をあげる。
    寒い夏が続けば、わしの前で頭を垂れ、太陽の恵みを祈った。
    そして日が照れば、それもわしのおかげじゃと喜んだ。

    わしは、何もしておらぬ。
    ただ、一万年前からそうしておるように、ここに座っているだけじゃ。
    雨を降らすのは天の仕事であり、日を照らすのは太陽の役目じゃ。
    しかし、人間たちはそれを理解しようとはせず、自分たちの都合の良い物語をわしに被せて満足しておった。
    わしは、彼らが作り上げた「神」という名の虚像を、ただ黙って演じさせられておったのじゃ。

    ✅忘れ去った近代人

    やがて、彼らの作る巣は大きくなり、「村」から「町」へと姿を変えた。
    わしの周りの木々は切り倒され、土は踏み固められ、石畳の道ができた。

    ある日、わしの隣に、奇妙なものが立った。
    天に向かって真っすぐに伸びる、黒くて細い柱じゃ。
    人間たちはそれを「電柱」と呼んだ。
    夜になると、そのてっぺんから、月とは違う、冷たくて無機質な光が放たれるようになった。
    その光は、わしが一万年見上げてきた星々の瞬きを、いとも容易くかき消してしまった。

    夜が昼のように明るくなると、人間たちは闇を恐れなくなった。
    そして、闇と共にあったわしへの畏敬の念も、次第に薄れていったようじゃ。
    かつてあれほど熱心に祈りを捧げに来た巫女の血筋も途絶え、わしの前に供物が置かれることもなくなった。
    紙の飾りは風にちぎれて飛び、わしの肌にはただ、緑色の苔が静かに広がっていくだけじゃった。

    わしは、忘れ去られたのじゃ。

    だが、それはそれで心地の良いものでもあった。
    再びわしの周りには静寂が戻り、風の声や雨の音を心ゆくまで聴くことができた。
    人間たちがわしに被せた「神」という窮屈な衣を脱ぎ捨て、ただの石に戻れた気がした。
    彼らの喧騒も、彼らの祈りも、彼らの感謝も、すべては通り過ぎる風のようなもの。
    わしはまた、悠久の時の流れに一人、身を委ねるだけじゃった。

    ✅現代人はわしをこうした

    さらに何年も何十年もが過ぎたある日のこと。
    わしの周りに、五人ほどの人間たちがやってきた。
    彼らは黄色い硬い帽子をかぶり、わしを神として見るでもなく、ただの石として見るでもなく、まるで解剖でもするかのような冷たい目で観察し始めた。

    メモリのついた奇妙なひもでわしの体を測り、少し離れた場所に立てた棒を、箱のようなもので覗き込む。
    彼らの交わす言葉は、わしには理解できぬ記号の羅列にしか聞こえなんだ。

    そして、その日が来た。

    けたたましい音を立てて、巨大な鉄の塊が近づいてきた。
    人間たちが「機械」と呼ぶそいつは、太い縄をわしの体に巻き付けた。
    次の瞬間、わしの体が大地から引きはがされる、一万年間感じたことのない衝撃が走った。
    わしの根が、わしを育んだ土から無理やり引き裂かれる。
    わしは宙に吊り上げられ、一万年間座り続けた場所から、動かされてしまったのじゃ。

    今、わしは、この町を見下ろす丘の上に置かれておる。

    人間たちは、わしの体を少し削り、表面を滑らかにした。
    そして、わしを「オブジェ」と呼ぶ。
    かつて「神」と呼んだのと同じ口で、今度はそう呼ぶのじゃ。
    彼らはわしの前に立ち、その形が「モダン」であるとか、「風景に溶け込んでいる」とか、好き勝手なことを言っては満足げに頷いておる。

    丘の上から見下ろす景色は、確かに美しいのかもしれん。
    家々の灯りは、まるで地上に撒かれた星のようじゃ。
    しかし、わしの意思を尋ねた者は、これまで誰一人としておらぬ。

    わしは、神になりたかったわけではない。
    オブジェになりたかったわけでもない。

    ただ、あの場所で、雨に打たれ、風に吹かれ、一万年前と同じように、静かに星を眺めていたかっただけなのじゃ。
    お主たちが「価値」や「意味」と呼ぶその光は、時に、ただそこに在ることの尊ささえも、見えなくしてしまうものなのかもしれぬな。


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