
信用を失ったのは誰か?〜元教師が見た職員室不倫の記録〜シーズン2【その6〜その10】
【その6】現場を目撃した、決定的な瞬間
Bからのメールは、夜の二十二時を過ぎることが多くなった。
その時間に、若手教員が、私情まみれの内容を、年上の同僚に送りつけてくる。
もう、その時点で、境界線は壊れていた。
内容は、いつも同じだった。
Cへの愚痴。被害者のような言葉。そして、必ず最後に添えられる、責任放棄。
「来ても、体だけです。前より、冷たくなりました」
「この前、“撮っていい?”って言われて、写真を撮られました。断れなくて……私も、自分が嫌になります」
私は、ため息をつきながら、画面をスクロールした。
またか。またこの話。
そして、最後の一文。
「でも、C先生が“今日行くから”って言うんです……。断れなくて」
——もう、知らない。
私は、指先に力を込めて返信した。
「何度も言ったけど、別れなさい。これ以上続けたら、Cの家庭を壊すだけ。絶対に縁を切って」
しばらくして返ってきたのは、相変わらずの言葉だった。
「でも……C先生が来たがるんです」
……だから何?
止めるのは、あなたでしょう。
私は、少しきつめに打った。
「生徒の間でも“普通じゃない”って噂になってる。先生たちも気づいてる。来たいと言われても、断るのはあなただけ」
「……え? 生徒が……?」
本当に、何も見えていない。
「集会でも、いつも隣に立って笑ってる。受験生の前で、何してるの?」
数分後、ようやく返事が来た。
「……わかりました。断るようにします。職員室でも気をつけます」
私は、その文面を見て、もう信じていなかった。
——どうせ、また同じことを繰り返す。
そう思った。
私は、言うべきことは言った。それで終わり。そう自分に言い聞かせた。
けれど、スマホを置いても、胸の奥がざわついた。
Cを見るたび、吐き気がした。
あの、わざとらしい笑い方。自信家ぶった態度。「良い教師」を演じる顔。
その裏で、どんな言葉をBに投げ、どんな顔で触れているのか。
想像するだけで、喉の奥が熱くなった。
——暴いてやりたい。——全部、晒してやりたい。
そんな考えが浮かぶ自分が、何より嫌だった。
それでも、消えなかった。
***
学校には、奇抜な格好で校内を歩き回る、理科実習教諭のG先生がいた。
ミニスカートに、ハイソックス。茶色に染めた巻き髪を、まとめることもなく、堂々と。
生徒に禁止している格好を、教師がしている。
私は、見ないふりをしていた。直接授業を持つわけでもない。関わる必要はない。
そう思っていた。
ある日、廊下でG先生に呼び止められた。
「先生って、B先生と仲いいですよね?」
また、その話。
私は、曖昧に笑って通り過ぎようとした。
その瞬間、腕を掴まれた。
「ちょっと、いいもの見せてあげます」
有無を言わせず、会議室に引きずり込まれた。
ドアが開く。
G先生は、にやにやしながら指をさした。
「ほーら。仲がいいでしょ?」と言ってGは出て行った。
指さす先を見て、息が止まった。
CとBが、肩が触れそうな距離で並び、ひとつの資料を覗き込んでいた。
私に気づいた瞬間、二人は慌てて離れた。
その反応が、すべてだった。
空いている席は、いくらでもある。
なのに、なぜ隣に座る。
なぜ、くっつく。
何をしていた。何ができる。
怒りが、喉の奥までせり上がってきた。
私は、もう何も言わなかった。
言葉を与える価値すら、なかった。
ドアをピシリと強く閉め、私は歩き出した。
この瞬間、はっきりした。
私は、もう「助言」も「忠告」もやめる。
——別の段階へ行く。
そう決めた。
【その7】共犯にはならない。私は『別の段階』へ行く
その夜、案の定Bから言い訳がましいメールが届いた。
「Cがアパートに寄れない代わりに、会議室に行こうって言ってきたんです。私だって嫌でした。」
冒頭を読んだだけで、十分だった。
私は返信した。
「あなたが理由をつけて、彼から逃げればいい話でしょ? 先日もメールに書いたよね。なぜ断れないの? 倫理的に間違っているとわかるでしょう。」
しかし返ってくる言葉は決まって同じ。「Cが、Cが──」
苛立ちを抑えながら、私は目を細めた。
「あなたには自分がないの? あなたが断らない限り、不倫は続くよ。Cが誘ったとでも言うつもり? 今ならまだ間に合う。……いや、もう遅いかもしれない。」
しばらくしてBから返事が届く。
「わかりました。でも先生は味方ですよね? 先生がいなくなると、私は孤独になるんです。どうしたらいいかわからない。助けてください。」
その瞬間、私の中の防塞は崩れた。
彼女は私を利用しているだけだ。
“味方”という言葉は、罪の共犯者を求める叫びにしか聞こえなかった。
「味方でもなんでもない。これで最後。もうメールもしない。」
そう宣言した後、私は深呼吸した。
決心しなければならないときが来たのだ。
翌日、私は行動に移すことを決めた。
他の先生の目を盗れながら、決裁文書を渡すふりをして教頭のもとへ近づいた。
「教頭先生、少し相談があります。お時間いただけますか?」
教頭は少し眉を上げ、怪訝そうな顔をした。
「急ぎの相談か? 今なら時間空いてるが」
「では、今お願いします」
教頭は手に教務手帳を持ち、職員室向かいの会議室へ向かう。
——まさか、BやCがいるはずはない。
一瞬、頭をよぎった。
もし居たら、それが何よりも証拠になる。
会議室のドアを開けた。
——誰もいなかった。
席に着き、私は切り出す。
「教頭先生は、所属職員を管理する立場ですよね」
教頭の目がわずかに怪訝そうな色を帯びる。
「でしたら、職員同士の関係性も把握していますよね?」
生意気に聞こえるかもしれないが、私の声は真剣だった。
「当然、わかる。……だから?」
「では、男女間のことも、理解しているのですよね?」
その瞬間、教頭の顔色が変わった。
「……誰のことだ?」
私は身を乗り出す教頭を見据えた。
「見ていれば、分かるはずです。遅くまで職員室で仕事をされているようですので──」
ちょうどその時、授業を早めに終えた生徒たちが渡り廊下を歩き始めていた。
会議室は丸見えだ。
教頭は肩透かしを食らったように呆然としている。
「私は今、ヒントをお渡ししました。どうか、管理強化をお願いします。次の授業があるので、失礼します。」
立ち去ろうとする私に、教頭が声を上げた。
「待って、待ちなさい」
しかし私は振り返らず、冷静に告げた。
「私は管理職ではありませんので。よろしくお願いします。」
会議室の扉を閉め、歩き出す。
——あとは教頭次第だ。
言うべきことは言った。
あとは、教頭がどう動くか。
賽は投げられた。
【その8】静かに転がり始めた歯車
私には信頼できる同僚がいた。
何度も、もう話してしまおうと思った。
けれど——いつも最後に躊躇が勝った。
この件を打ち明ければ、「CをそそのかしたのはBだった」
そんな噂が立つ可能性を恐れたからだ。
Bを庇うつもりなどなかった。
ただ、Cの結婚相手を知る先生たちは皆、「人格者だ」「しっかりしている」と口を揃えていた。
反対に、Bの言葉遣いや香水の強さ、服装への陰口は、職員室でよく耳にした。
そして——
もし不倫が公になれば、C夫婦の未来は壊れるかもしれない。
だからこそ私は信じていた。
教頭にだけ知らせれば、静かに止めてくれると。
丸く収まるはずだった。
……だった、のだが。
一週間後、教頭に呼び出され、そのまま会議室に促された。
教頭は周囲を気にしながら死角になる奥の席に座り、思い詰めた表情で言った。
「一週間考えたんだが……答えが見つからなくてな」
そして続けた。
「夜遅くの残業は、推薦生徒の調査書作成だろう。D先生は最近帰るのが早いし……それにC先生は入籍したばかりの新婚だ。だから、男女間の“問題”なんて考えられない。ありえない」
——ありえない。
その言葉が、逆に私の背を押した。
私はゆっくり息を吸い、言い切った。
「だから問題なんですよ」
教頭の眉がわずかに跳ねた。
「調査書なんて、毎日20時過ぎまでかかる量じゃありませんよね? 数も限られているはずです。夏休みに仕上げておけば大丈夫だったはずです。教頭先生の“経験”からしても、おかしいと感じませんでしたか?」
“経験”という語を強めるように置くと、教頭は一瞬言葉を失った。
「……いつからだ?」
私は知っている限りすべてを話した。
Cが入籍したその日の放課後、Bから泣きながら告げられた事。
何度止めても戻らなかった事。
CがBのアパートで夕食をとり、そのあと自宅でも“もう一度”夕食を食べていた事。
そして、生徒の進路指導が完全に疎かになっていた事。
すべて伝えた。
それでも教頭はまだ信じ切れない様子で言った。
「だって……C先生は新婚だぞ」
「C先生もB先生も、同罪です」
はっきり言うと、教頭は焦ったように顔を歪めた。
「B先生は、これからの教師だし……」
「だから問題なんですよ。必要なら、メールも見せましょうか? 嘘か本当か証明できますから」
教頭はついに観念したように肩を落とし、弱々しく言った。
「……少し、時間がほしい」
「わかりました。私は“報告、連絡、相談 つまり、報連相”をしましたので。あとはどうかよろしくお願いします!」
と、声高に話し、一礼してさっさと会議室をあとにした。
教頭に伝えたことで、ほんの少し心は軽くなった。
けれどその後、職員室でのBの浮ついた態度や、Cの落ち着きのない様子が、逆に気にかかるようになった。
——教頭はいつ注意するのだろう。
どんな言葉で?
どんな反応を返されるのか?
考えても答えは出ない。
***
やがて慌ただしい師走がやってきた。
二人は忘年会の幹事だからか、必要以上に浮かれていた。
本来なら共通テスト前のこの時期こそ、夜遅くまで仕事をしていてもおかしくないのに。
気になって、進路指導が得意な若手のD先生に聞いてみた。
「最近、帰り遅い?」
「いや、むしろ早いですよ」
「B先生とC先生も?」
「はい。俺より早いです」
D先生は「なぜ?」と言いたげな顔をしていた。
——教頭は注意したのだろうか。
いや、そんな雰囲気は一つもなかった。
胸の奥に暗い影がじわじわと広がった。
何かがおかしい。
確実に、何かが動いている。
不吉な予感だけが、静かに、しかし確実に形を成し始めていた。
【その9】崩れた仮面
Bとは、挨拶や通りすがりにほんの少し仕事の話を交わす程度になった。
どこかに距離が生まれつつあるのは確かだった。
そう感じていた矢先、忘年会の日がやってきた。
私は子どももいるため、飲み会に出ても一次会で帰ることが多い。
Bが酒豪だと聞いていたが、あそこまでとは思わなかった。
呆れるほどの飲みっぷりだった。
一次会が終わる頃には、Bは足元がふらつくほど酔っていた。
まるで酒に溺れ、何かから逃げるように。完全に壊れていた。
酔ったふりをしているのか、本当に制御が効かないのか、誰彼構わず絡み、言い寄る。
温厚で知られるベテランのF先生までが、眉間に深いしわを寄せていた。
***
その翌日。
いつもの時間に出勤したが、BもCも午前中は姿を見せなかった。
胸の奥がざわついた。嫌な予感が、確信に変わりそうだった。
空き時間の一校時、F先生がそっと近づいてきてこう言った。
「ちょっと来て。女子更衣室で話したいことがあるの。誰にも内緒でね」
私はドキリとした。心臓が一瞬、跳ねた。
言われるまま更衣室へ向かうと、休憩用のソファを指し示され、座るよう促された。
そして私は、思いもよらない言葉を聞くことになる。
席につくなり、F先生は声をひそめた。
「実はね……G先生から聞いたんだけど。昨夜、ちょっと不思議なことがあったらしいのよ」
Gの名前が出た瞬間、嫌な予感が走った。
以前、Gに無理やり腕を掴まれて連れていかれた会議室——
そこで、BとCが並んで座っている姿を“見せつけられた”あの出来事が、脳裏に鮮明に蘇ったのだ。
「彼女も飲んでいたから、運転代行を頼んだって。G先生とB先生のアパートって、結構近いらしいの。知っていたかしら?」
背中に冷や汗が伝った。
「運転代行が混んでいて……偶然あり得ない話を代行の運転手さんから聞いたらしいのよ」
F先生はさらに声を低くした。
「でね、代行の運転手さんが言ったんだって。‘ここのご夫婦、特に奥さんがベロンベロンで……大丈夫ですか?’って」
息が止まった。
——ご夫婦。
——Bのアパート。
——その前を、Gが通った。
代行が混んでいて、偶然に同じ運転手がBを送り届けた後、Gの担当となったらしいのだ。
そんな偶然ってあるのだろうか…。
学校と忘年会会場が近いというだけで、こんなことが起きるのか。
“ご夫婦”という言葉を咀嚼した。
つまり、あの二人は——
「ねぇ、なんかあの二人おかしいと思わない? まさか……付き合ってるの?」
F先生の問いに、私は一瞬だけ目を閉じる。
動揺を悟られてはいけない。
呼吸を整え、落ち着いたふりをして口を開いた。
「え?どういうことですか?」
そして、私はもう一つの仮面を被った。
「この話が本当だとしたら……どういうことでしょうね。私も正直、あの二人、ずいぶんベタベタしているなとは思っていました」
自分の声が、遠くで響いているようだった。
「私から、それとなく聞いてみます」
口にした瞬間、後悔が襲う。
なぜ引き受けた?自分を守るため?
それとも——まだBを守ろうとしている?
心臓だけが真実を知って、痛いほど鳴っている。
【その10】疑念の念
職員室に戻ると、時間休を取っていたはずのCが席に座っていた。
——昨夜、あのままBのアパートに泊まったのか。
それとも、少し後に帰ったのか。
もはや、そんなことはどうでもよかった。
ただ、真実がすぐそこで息を潜めているようで、胸の奥がざわついて仕方がない。
大きな窓から駐車場を見下ろすと、Bの車は停まっている。
では今日は——どうやって来るのか。
答えはすぐに現れた。
傘をさしたBが、校門をくぐってきたのだ。
Cが……どこかで降ろしたのだろう。
その瞬間、視線を感じた。
Gがにやりと笑って、こちらに近づいてくる。
「先生、昨日の忘年会どうでした? B先生って、意外と酒強いですよねぇ?」
会議室で 見せつけられた あの光景——
横並びで座るBとCの姿が、再び鮮明に蘇った。
「そうねぇ、びっくりしたわ。すごかったね」
なぜか、口が勝手に動いた。
自分の声とは思えないほど軽かった。
Gは「ふふ」と含み笑いを漏らし、「先生も、とうとう気づいちゃいましたか?」と、踵を返した。
——続いている。
いや、前より深く、濃く。
私は教頭に目を向けた。
いつも通り、書類に目を通している。
違う。
あなたが目を向けるべきは、そこじゃない。
その時だった。
「お疲れ様でーす!」
妙に晴れやかな声で、Bが職員室に入ってきた。
Gがすぐに飛びつく。「昨日は楽しかったですねぇ〜!」
はしゃぐ声が、遠くまで響く。
まるで嘲笑のようだった。
狐と狸の化かし合い。
いや——Gはもう、真実を握っている。
胸の奥で、揺れが嵐へと変わりつつあった。
しかし、こんな茶番に惑わされている暇はない。
***
受験生と進学クラス担任には、師走も正月もない。
地方校には予備校という逃げ場もない。
だから教師がすべて背負う。
当たり前のように。黙って。
私は私情を捨て、生徒たちを共通テストへ送り出した。
***
翌日。
自己採点の結果を大手予備校に送信し、プロジェクターに容赦ない現実が映し出される。
悲惨——その一言だった。
国立に挑める生徒は、過去最低。
なのに、私学の滑り止めすら指導されていない。
保護者面談もされていない。
なぜだ。
なぜ誰も動かない。
その時、視界に入ったのは——笑うCと、その肩に寄り添うB。
生徒の未来が崩れていく隣で、二人は、より濃密に寄り添っていた。
距離を置いたはずなのに——
目に入る。
入り込んでくる。
苛立ちは、もう抑えられなくなっていた。
理由はひとつ。
生徒が可哀想だったからだ。
私は立ち上がった。
もう見過ごせない。
「B先生、ちょっといい?」
Cが、あからさまに不愉快そうな顔をした。
だが、こいつに言葉を投げても、「意味わかんねぇ」で終わるだろう。
本来ならベテランが動くべき場面だ。
D先生は知らんふりで、E先生とデータを覗き込んでいる。
もしEが知れば——一発アウト。
噂は高校間を秒速で駆け抜ける。
まずい。
本当にまずい。
生徒の未来を守らねばならないのに、私まで冷静さを失っていた。
胸の奥で、警鐘が鳴り響いていた。
※本連載は、学校現場での実体験に基づく物語です。登場人物の尊厳とプライバシーを守るため、設定の一部に改変を加えています。
※次回シーズン3
7月7日(火)20時公開
私は、女子更衣室でBを呼び出しました。彼女は涙を流しましたが、その涙は、私が思っていたものとは違っていました。教頭への報告、そして卒業式――止められない歯車が、さらに大きく回り始めます。
※物語も中盤に差し掛かりました。息抜きに、もう一つの職員室の記録もいかがでしょうか。