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カヌーに積んだジェットエンジン

※これは妄想でありフィクションです。未来予測ではありません。

無人のレジが無機質な音を立てる。 かつて会話があったはずの場所を、無言の作業が淡々と埋めていく。

数年前、私が住んでいた街の小さな商店街の話だ。 顔なじみの店主が「今日も来てくれたね」と声をかける。釣り銭を手渡すときに交わされる、たわいもない天気の話。レジ打ちのほんの数秒のあいだに、誰かの一日が少しだけ明るくなる——そういう場所が、そこには確かにあった。

今、その商店街の半分はシャッターを下ろしている。残った店のレジには画面がある。 私はあの釣り銭を渡す手の感触を、ずっと覚えている。おそらく、経済学の教科書にはどこにも載っていない、数秒間のことを。

——

ある時代、人間の経済は「余白」によって動いていました。

世界のネットワークがまだ不完全で、あちこちに情報のラグや格差が残っていた頃。水が段々田んぼをゆっくりと滴り落ちるように、その不完全な隙間のなかで、富は自然と社会へ広く薄く染み渡っていました。

誰もそれを再分配の仕組みだとは気づいていなかったけれど、世界の不完全さこそが、経済を循環させる巨大なクッションだったのです。

しかし、私たちが使っている経済モデルの設計図には、最初から致命的なバグが仕込まれていました。

このシステムは、「個々の主体」や「一企業」というミクロの単位が、自らの利益を最大化することだけを正義とする構造です。隣の企業がどうなろうと、社会の裏側がどう崩れようと、自分の細胞だけが効率よく肥大化すれば「勝ち」。

そんな近視眼的な積み重ねで、この経済は成り立ってきました。

それでも長い間、バグは表面化しませんでした。各コミュニティが持つ「最適化レベルの差」が、社会の余白として機能していたからです。世界が繋がりきっていなかったからこそ、歪みは見えにくかったのです。

そこに、AIという最適化の極致が現れました。

AIはあらゆるプロセスを極限まで最適化し、世界を摩擦ゼロの巨大な滑り台へと作り変えてしまったのです。

「1円でも安く発注する」
「1秒でも無駄なコストを削る」
「1人でも不要な人員を減らす」

それは、これまでの経済モデルが「正しい」と教えてきた行動の、極限の姿でした。

しかし、世界が完全にフラットなネットワークで結ばれた瞬間、恐ろしいことが起きました。

富を途中で受け止め、社会に分散させてきた「段々田んぼの段差」が、AIの最適化によって一瞬で蒸発してしまったのです。

その結果、上流から流された富は、誰の手にも留まることができなくなりました。何の摩擦も、何のラグもなく、重力のままに最下流の一極——世界に数社しか存在しない超巨大テック企業や超資本家のポケットへ、猛スピードで流れ落ちていく構造が完成しました。

AIは富の再分配などしません。企業にアジャストされた命令書に、「社会全体を豊かにせよ」などという抽象的な目的は、最初から書かれていないからです。

これが、私たちが生きている「過渡期」の正体です。

「個人や企業の利益最大化」のために作られた小さなカヌーに乗ったまま、グローバルを一瞬で焼き尽くすAIというジェットエンジンを点火してしまった。

エンジンは凄まじい効率で回転しています。だが、船体(経済モデル)は、世界全体の重圧を支えるようには設計されていません。

富が一箇所に吸い上げられ、消費を支えるはずの中間層そのものが干からびていく。システムが食い尽くすのは、やがてシステム自身の燃料です。カヌーの船体は今まさに、内側から浸水しかけています。

それでも、過渡期と呼ぶのは——人間が余白を作り、また書き直してきた歴史を、まだ信じているからです。

市場がある日気づく「AIバブルの崩壊」とは、AIの限界ではありません。 「世界を見ていない古い経済モデル」のまま、ハイパー効率化だけを突き詰めてしまった、

私たちの社会構造そのものの限界なのです。

失われたのは効率ではありません。余白です。

余白とは、最適化によって切り捨てられるが、人間社会の循環を支えてきた非効率の総体なのです。

次の経済の輪郭を最初に見つけるのは、「無駄な雑談」や「見返りのない手助け」、あるいは「ただそこに居ること」といった、計算不可能な余白のなかに踏みとどまった人間だと信じています。

そして手がかりも、おそらくその余白のなかに、まだある。

——

無人のレジが、今日も無機質な音を立てています。それはグローバルな最適化の、最も身近な断面に触れている瞬間なのです。

私はそのたびに、あの手の感触を思い出す。釣り銭と一緒に渡された、名前もないあの余白のことを。

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