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コスパもタイパも悪い山で、テント泊をやめた日

去年、「コスパもタイパも悪い『登山』という趣味」という記事を書いた。

天気を読み、装備を確認し、登山口まで何時間も車を走らせる。前夜に出発して仮眠をとり、暗いうちに重い荷物を背負って歩き出す。お金がかかり、体力を使い、下山すれば疲れ果てて、月曜の仕事に疲労を持ち越すこともある。

冷静に考えれば、登山は非効率な趣味だ。それでも、また山に行きたくなる。山にいると、自分が自分に戻っていく感覚がある。

昨年の記事の最後に、私はこう書いていた。

きっと来年も、私はこの白き花々が織りなす絶景を見に、再び飯豊に来るだろう

今年も白い花に会いに行く

毎年5月末から6月の初め、北飯豊へハクサンイチゲを見に行くのが恒例行事になっている。最初は「一度見てみたい」くらいの気持ちだったのに、気づけば何年も続けて通っている。

新緑と残雪のコントラストの中に、白い花が咲き誇る。あの景色を前にすると、毎年「今年も咲いてくれてありがとう。また一年、自分も頑張ろう」と思う。少し大げさかもしれないが、本当にそういう気持ちになる。花を見に行くというより、年に一度、山に挨拶をしに行く感覚に近い。

だから今年も、当然のように北飯豊へ向かった。
本当は、テント泊のつもりだった。

テント、シュラフ、マット、食料、防寒着、雨具。ザックに詰めていくと、気持ちも少しずつ山へ向かっていく。ハクサンイチゲの開花はどのくらい進んでいるだろう。丸森尾根の残雪はどうか。風が強そうだが大丈夫だろうか。そんなことを考えながら前夜の道路を走った。

登山口へ向かう夜は、いつも少し不思議だ。眠いし、正直面倒くさい。家で寝ていた方が絶対に楽だと、自分でも思う。それでも暗い道を走っていると、少しずつ日常から離れていく。コンビニのおにぎりを食べ、眠気覚ましのコーヒーを飲み、ただ前へ進む。そうしているうちに、頭が山のモードに切り替わっていく。

福島に入り、眠気に勝てず安達太良サービスエリアで仮眠を取る。目が覚めたら午前3時だった。温かいかき揚げそばを食べて、再び車を走らせる。高速で米沢を経由して、飯豊の玄関口である小国町へ。国道113号から飯豊山荘へ通じる道に入り、5時過ぎに駐車場へ着いた。

そこで、面食らった。

駐車場には、あふれるほどの車が並んでいた。今年は新潟・胎内側の登山道が閉鎖されていて、飯豊山荘から登る人が多いことは予想していた。それでも、予想をはるかに超える数だった。

その日の自分が求めていた山

その車の列を見た瞬間、私はこの先の光景を想像してしまった。人の多い登山道。混み合う小屋。隙間なく並ぶテント。どこか落ち着かない頼母木小屋の夜——その日の自分が求めていた山は、それではなかった。

風の音だけを聞きながら、テントの中でぼんやりしたかった。夕方の冷たい空気の中で、静かに景色を眺めていたかった。朝になったら、まだ人の少ない稜線をゆっくり歩きたかった。

山に行く目的は、ピークを踏むことだけではない。山頂に立つのは嬉しいが、自分にとっての登山の核は、たぶんそこではない。何かを達成するわけでも、成果を求められるわけでもない。俗世から離れて山の中で過ごす、ただそれだけの時間がたまらなく好きなのだ。

だから今回は、テント泊をやめた。

ここまで来たのだから、予定通り泊まればよかったのかもしれない。装備はあったし、歩こうと思えば歩けた。それでもその日は、混雑したテント場で一泊するより、軽い足で日帰りして翌日に別の山へ行く方が、自然に思えた。

少しだけ迷いはあった。けれど、山は義務ではない。誰かに決められたノルマでもない。気持ちが乗らないなら、変えればいい。無理に泊まらなくても、山は逃げない。

テント泊の装備は車に置いて、軽い足取りで丸森尾根を登った。何人もの先行していた登山者を追い抜いた。時には挨拶をかわし、時には少し立ち止まって立ち話をした。混雑は嫌いだが、こういう一瞬の出会いは好きだ。稜線に出ると、雪解けの斜面のあちこちに、ハクサンイチゲが咲いていた。

地神北峰から少し下ったところ

白い花弁が風に小さく揺れている。残雪の白と、芽吹いたばかりの緑と、その間にもう一つ別の白がある。毎年見ているはずなのに、その前に立つと、やはり少し息を整えたくなる。今年も会えた、と思う。しばらく眺めて、写真を撮って、また歩き出す。稜線をたどり、頼母木小屋を経由し、朳差岳まで足を伸ばした。

予定を変えて、南蔵王へ

翌日は、前から気になっていた南蔵王を歩いた。

毎年通う山ではないし、強い思い入れがあるわけでもない。ただ、地図を眺めたり誰かの記録を読んだりするたびに、いつか歩いてみたいと思っていた。北飯豊が計画通りに進まなかったから、別の山へ向かう余白が生まれた。予定が変わったからこそ出会える景色もある。ソロ登山は誰にも合わせなくていいぶん、行き先は自由に変えられる。

南蔵王 不忘山付近からの稜線

南蔵王には、北アルプスのような圧倒的なスケールはない。けれど歩いて気持ちのいい稜線があり、静かな空気があり、自分のペースで山と向き合える時間があった。派手ではないが、歩き終えたあとにじんわり残る。私はこういう山が、好きだ。

百名山との距離感

北飯豊も南蔵王も、いわゆる百名山ではない。こういう山ばかり歩いているから、私の百名山はなかなか進まない。意識して計画すれば、もっと効率よく登れるのだろう。それでも今のところは、これでいい。自分にとって百名山は、目標というより結果に近い。行きたい山へ、好きな季節に通っていたら、いつの間にかそれなりに登っていた。そのくらいの距離感が、ちょうどいい。

先日そんなことをSNSに書いたら、百名山を続けている人から返信をもらった。北アルプスの麓に住むその人は、有名な山に登っても、山そのものに強く感動することは少ないのだという。けれど百名山があるおかげで、普段なら行かない土地へ出かけ、その町の名物を食べ、知らない景色に出会う。その楽しみがあるのだと言っていた。

「なるほど」と思った。山に登るというより、山をきっかけに旅をする。そういう向き合い方もある。自分は登山も一つの旅だと思っているので、すごく腑に落ちた。

今回、北飯豊でテントを張らなかったことは予定通りではなかった。けれどその判断のおかげで、自分が山に何を求めているのかを、少しだけ確かめられた気がする。

山頂を踏むこと、有名な山に登ること。それも楽しい。ただ自分が手放したくないのは、山の中で過ごす時間そのものだ。風の音を聞きながら、何もしない時間。毎年、同じ花に会いに行く時間。そういう時間を大切にしたい。

百名山は、これからもゆっくりだろう。寄り道もたくさんするはずだ。でも、それでいい。

来年もまた、私はあの白い花に会いに、北飯豊へ行く。

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