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Photo by09chiharu

画面越しの彼が、泣きながらわたしのnoteを読んだ夜

    誰かに読まれたくても、届いてないなと思う時がある。
    そんなとき、遠く離れた彼が、noteを声に出して読んでくれた。
    泣きながら。

    ◇

    先日、自分の誕生日にnoteを書いた。
    遠距離で会えない彼のことをつづったnoteだ。
    彼は今、海外にいて、会おうと思うと往復10時間。簡単には会えない場所にいる。

    しかも、大自然のなかにいることが多くて、電波が悪い場所にいることもしょっちゅうだ。だから誕生日といえど、顔を見て話すのはむずかしいだろうなと思っていた。

    それでも、心はあたたかかった。
    彼からは毎日、言葉のギフトをもらっていたから。



    そんな誕生日の夜。
    突然、テレビ電話がかかってきた。


    え、うれしい。まさか、顔を見て話せるなんて思ってなかった。

    電話が来たのは夜だったけれど、時差が2時間あるからか、画面の向こうはまだ明るい。


    「お誕生日おめでとう」


    彼は、笑いながら言った。
    たぶんだけど、きっと電話しやすい場所に移動してくれたんだろうな。

    「ねえ、こんなブログを書いたよ」


    わたしはnoteを書いていることを、彼に伝えている。でも“note”と言ってもピンとこないと思って、いつも「ブログ」って言っている。

    彼は日本語も話せるし、ある程度読める。
    でも、やっぱり読むのには少し時間がかかる。
    日本人がすっと読めるような文も、彼にはもうちょっと時間がかかる。

    だからわたしは、いつも書いたものを読んでほしいとは、無理に言ったことがなかった。

    でも、その日は違った。


    読んでほしいと思った。


    きっとわたしの誕生日に、日本に来れないことを気にしているだろうと思ったから。安心させたい気持ちもあった。

    そして何より…
    あのnoteは、私から彼への、ラブレターだった。


    「ねえ!あなたのことを書いたから、読んでみてよ」

    そういうと、彼は「えーー」とびっくりしながら、だけどうれしそうにリンクを開いた。そしてそのまま、声に出して読み始めた。


    「”世界で…一番好きな人に会えない誕生日。
    寂しく…ないと言ったら…嘘になる。”」


    自分の書いた言葉を、大好きな人が目の前で読み上げている。
    その声を、自分で聞いている。

    なんだか照れくさい。
    子どものころ、母に絵本を読んでもらったときの記憶がふっとよみがえった。


    画面越しの彼は、味わうように読んでいる。


    「”彼は…惜しみなく、自分から愛を…差し出す。『愛されたら愛そう』なんて…考えが、1ミリもない・・・・」


    ふと、声が詰まった。
    見ると、目をこすっている。その目には、うっすら涙がにじんでいる。


    えーーー泣かないで。

    そう言うと、彼は「へへへ」と笑って、また続きを読み出した。
    大切な宝物を抱きしめるように、やさしく、ていねいに、言葉を味わっている。


    読み終わった彼はこういった。

    「本当に気持ちが伝わったよ。めっちゃ伝わった。ありがとう」


    その姿を見て、わたしは思ったのだ。


    ああ、わたしはこの人に届くように、これを書いたんだな。



    そりゃ、たくさんの人に読まれたい。
    「スキ」がいっぱいついたら、それはやっぱりうれしい。
    逆に見られなかったら、残念な気持ちになる。
    バズらないと価値がないのかな…とか思ってしまうこともある。


    でも。

    このnoteは、目の前にいるこの、
    大切な人のために書いたんだ。
    書くって、そういうことだ。
    届くって、こういうことだ。


    そう思えた夜だった。


    たった1人でもいい。
    心の奥に、深く届く言葉を、これからも。

     
     
     
    モンゴルの遊牧民と結婚した40代都内会社員。元IPO人事13年、なぜかこういう人生になってました。夫が草原で馬に乗ってる間、私は室内で白玉を食べながら文章を書いてます。「ちゃんとした生き方」の外側にも、幸せはあるらしい。そんな日々の観察記録です。旅とお昼寝が好き。

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