
画面越しの彼が、泣きながらわたしのnoteを読んだ夜
誰かに読まれたくても、届いてないなと思う時がある。
そんなとき、遠く離れた彼が、noteを声に出して読んでくれた。
泣きながら。
◇
先日、自分の誕生日にnoteを書いた。
遠距離で会えない彼のことをつづったnoteだ。
彼は今、海外にいて、会おうと思うと往復10時間。簡単には会えない場所にいる。
しかも、大自然のなかにいることが多くて、電波が悪い場所にいることもしょっちゅうだ。だから誕生日といえど、顔を見て話すのはむずかしいだろうなと思っていた。
それでも、心はあたたかかった。
彼からは毎日、言葉のギフトをもらっていたから。
そんな誕生日の夜。
突然、テレビ電話がかかってきた。
え、うれしい。まさか、顔を見て話せるなんて思ってなかった。
電話が来たのは夜だったけれど、時差が2時間あるからか、画面の向こうはまだ明るい。
「お誕生日おめでとう」
彼は、笑いながら言った。
たぶんだけど、きっと電話しやすい場所に移動してくれたんだろうな。
「ねえ、こんなブログを書いたよ」
わたしはnoteを書いていることを、彼に伝えている。でも“note”と言ってもピンとこないと思って、いつも「ブログ」って言っている。
彼は日本語も話せるし、ある程度読める。
でも、やっぱり読むのには少し時間がかかる。
日本人がすっと読めるような文も、彼にはもうちょっと時間がかかる。
だからわたしは、いつも書いたものを読んでほしいとは、無理に言ったことがなかった。
でも、その日は違った。
読んでほしいと思った。
きっとわたしの誕生日に、日本に来れないことを気にしているだろうと思ったから。安心させたい気持ちもあった。
そして何より…
あのnoteは、私から彼への、ラブレターだった。
「ねえ!あなたのことを書いたから、読んでみてよ」
そういうと、彼は「えーー」とびっくりしながら、だけどうれしそうにリンクを開いた。そしてそのまま、声に出して読み始めた。
「”世界で…一番好きな人に会えない誕生日。
寂しく…ないと言ったら…嘘になる。”」
自分の書いた言葉を、大好きな人が目の前で読み上げている。
その声を、自分で聞いている。
なんだか照れくさい。
子どものころ、母に絵本を読んでもらったときの記憶がふっとよみがえった。
画面越しの彼は、味わうように読んでいる。
「”彼は…惜しみなく、自分から愛を…差し出す。『愛されたら愛そう』なんて…考えが、1ミリもない・・・・」
ふと、声が詰まった。
見ると、目をこすっている。その目には、うっすら涙がにじんでいる。
えーーー泣かないで。
そう言うと、彼は「へへへ」と笑って、また続きを読み出した。
大切な宝物を抱きしめるように、やさしく、ていねいに、言葉を味わっている。
読み終わった彼はこういった。
「本当に気持ちが伝わったよ。めっちゃ伝わった。ありがとう」
その姿を見て、わたしは思ったのだ。
ああ、わたしはこの人に届くように、これを書いたんだな。
そりゃ、たくさんの人に読まれたい。
「スキ」がいっぱいついたら、それはやっぱりうれしい。
逆に見られなかったら、残念な気持ちになる。
バズらないと価値がないのかな…とか思ってしまうこともある。
でも。
このnoteは、目の前にいるこの、
大切な人のために書いたんだ。
書くって、そういうことだ。
届くって、こういうことだ。
そう思えた夜だった。
たった1人でもいい。
心の奥に、深く届く言葉を、これからも。